第二十五話 あばかれた秘密
今日のことは侍女にきつく口止めをしておいた。特に、夫にバレないようにしなければならない。
明後日、あの男は話があると言っていたけれど、いったいなんの用なのか。
会うことを考えただけでぞっとする。
「奥様、顔色が悪うございます」
「え、ええ……」
自分の運の悪さを呪う。どうして偶然再会してしまったのか。
今まで夜会でも、お姉様会うために侯爵家に行った時も、会うことはなかったのに。
とにかく、家に帰って対策を考えなければならない。
深い溜息を吐き、馬車の窓から見える夕焼けで赤く染まった街を眺めながらの帰宅となった。
落ち着かない気持ちで夫の帰宅を待っていたけれど、職場から一通の手紙が届く。
その場で開封をしてみれば、トラブルがあったようで「残念ながら、今日は帰れません」と書かれてあった。
その手紙を読んで、ホッとしてしまう。
多分、夫に隠しごとなどすぐに見抜かれるだろう。なので、今日のところは顔を合わせずに済みそうで良かったと思った。
近くに居た侍女に、夫への差し入れを準備するように命じる。
「パンとチーズに、燻製肉、葉野菜の酢漬け、葡萄酒、林檎、くらいでいいかしら。今すぐ準備して。あと、手紙を届けてくれた騎士には軽食を持って行ってちょうだい」
「かしこまりました」
差し入れを用意している間、わたくしは夫に手紙を書く。
時間がないので差し障りのない内容に、「お帰りを心からお待ちしております」と書いた。けれど、そこまで熱烈に夫の帰りを待っているわけではないと思い、「まだ寒いので、温かくして眠って下さい」と書き変えたものを封筒に入れる。
騎士に労いの言葉をかけ、差し入れと手紙を持って行くようにお願いをした。
その後、娘をお風呂に入れる。
今日はご機嫌な日だったようで、沐浴を比較的スムーズに終えることが出来た。
風邪を引かないように素早く体を拭いて服を着せ、そのまま寝室へと向かう。
「リーリエ、お母様と一緒に寝ましょうね~」
寝かせるために体を揺らす。
生後二ヶ月目となった娘は、最近キャッキャと笑うようになった。
温かく、良い匂いのする体を抱き締めていると、心がホッとなる。改めて、子どもの存在は尊く、そして、ありがたいものだと思った。
寝台の縁に座り、娘を見下ろす。
目がらんらんと輝いているのを見て、このままだと長期戦になると気付いた。
わたくしは最終兵器、コリアンナお姉様直伝の子守唄を歌う。サビに辿りつかないうちに、眠ってくれた。
娘を乳児用の寝台に寝かせ、傍に控えていた乳母に夜間の世話をお願いする。
今日はいろいろあってなんだか疲れてたので、眠ることにした。
◇◇◇
翌日。
わたくしは明日に備え、作戦を練った。
散々悩んだ結果、武装して出かけることに決めた。当然ながら、着飾るという意味の武装ではない。本当の武装だ。
侍女に、男性用の服と剣を用意しておくように命じておいた。
昨日よりは冷静さを取り戻していたので、夫と会うのも平気かなと思っていたら、本日も夜になれば夫から手紙が届いた。どうやら、今日も帰れそうにないと。
いったいどんな問題が起きたのか。とにかく、今日も夫へ返事を書くことにした。
今日の差し入れは肉と野菜を挟んだパンを作るように、傍に居た執事に命じる。
お肉でも食べて、元気に仕事を乗り切って欲しいと思った。
昨日は帰って来なくて良かったけれど、二日間の不在が続けば若干の心細さを感じていた。
今まで夫が家を空けても平気だったのに、不思議な心の在りようだと思った。
今日は素直に「お帰りを心からお待ちしております」と書いた。
手紙を運んでくれた騎士には、夕食をごちそうすることになった。
一緒に食べないかと誘ってみたけれど、とんでもないことだと言われ、断られてしまった。
なんだか怯えたような顔をしていたので、夫にいじめられているわけじゃないのよね? と聞いたが、答えは否だった。
強制するのも可哀想なので、夕食は一人で食べてもらうようにした。
そして、約束の日。
わたくしは完璧な武装をする。紺の詰襟の上着に、黒いズボンとブーツを穿いた。腰のベルトには、いつでも使っていいと言っていた夫の剣を挿す。
侍女を連れ、二日前に行った喫茶店を目指した。
そのお店はかつて、貴族の社交場として建設されたらしい。だけれど、商店街の端という立地条件から人は集まらなかったとか。そこを改装して喫茶店となったという話を聞いたことがある。
社交場から喫茶店に変わっても、立地が悪いので人は来ないという点は共通していた。
誰も居ない店の中には、すでにあの男は来ていた。
ふんぞり返って座り、やって来たわたくしを睨み付けてくる。
「なんだ、その格好は?」
「いつでも決闘が受けられるように」
「決闘なんかするかよ!」
「そうね。正当な手続きもしていないし」
我が国では、決闘をする前に果たし状を書き、矢に結んで相手に届けるしきたりがある。
わたくしも、少女時代にこの男へ決闘を申し込むため、果たし状を送ったことがあった。
「あの時、お前が飛ばした矢に当たって死ぬかと思った」
「大袈裟だこと」
ちょうど木に寄りかかって眠っていたので、頭上に刺さるように矢を撃ったのだ。
弓矢の腕は家族の中で一番だった。この前、夫と勝負して負けてしまったけれど。
「生意気なやつだ」
「あなたほどでも」
互いに無言で睨み合う時間が続く。
「……偉そうに見下ろすな。そこに座れ」
「こういう顔なの」
「可愛くない奴だな」
「あなたに可愛いと思ってもらわなくても結構よ」
このままではいつまでも言い合いが続きそうだったので、椅子に腰かけて本題に移るよう急かした。
「で、話って?」
訊ねれば、男は居住まいを正し、真面目な顔で問いかけてくる。
「お前の娘は、兄上と義姉上の四つ子の一人で、間違いないよな?」
「ええ、そうだけど」
「三つ子かと思っていたら、産まれたのは四つ子で、今すぐにでも子どもが欲しかったお前は、産後、体調が回復した義姉に養子縁組を申し出たと」
「それで間違いないけれど、どうして?」
「いや、知り合いの商人からおかしな話を聞いて、な」
「?」
知り合いとは、サイネーク家に出入りしている商人らしい。それがどうしたのかと問いただす。
「兄上が、子どもが産まれてから、赤子用の服やおもちゃを注文していたんだが、それぞれ三つしか頼んでなかったと」
「!」
「産後、義姉上が体調を崩していたのは一週間。その間に兄上は赤子へ贈る買い物をしている。お前が養子縁組をする前に、各々三つずつ。この期間だったら、四つ買っていてもおかしくないだろう?」
男の指摘に、ドクリと心臓が高鳴った。
額にも、じわりと汗が浮かぶ。
頭の中が真っ白になり、言葉を失う。
ニヤニヤとした顔で見られているのに気付き、ハッとなって我に返る。
わたくしが動揺していると気付かれてはいけない。
ジロリと、親の仇を見るような目で睨みつけておく。
「その話、本当かしら? お義兄様から聞いたことなの?」
「いや、兄上に確認はしていない」
「だったら、一度確認してみては? その方が早いと思うの」
お義兄様に丸投げするのもどうかと思ったけれど、わたくし一人ではこの男を納得させることは難しいだろう。心の中で謝ろうとしていたら、追い打ちをかけるような一言が発せられた。
「まあ、そうだと思って乳母に金を渡して話を聞いたんだが、取り上げた子どもは三人で間違いなかったと」
「思い違いではなくて?」
「三つ子は珍しいから、よく覚えていると言っていたが?」
ああ言えばこう言う。わたくし達は言い合いを続けていた。
話を終わらせようとすれば、男は止めの一言を行ってくる。
「――で、お前の子ども、誰の子なんだ?」
「だ、だから、ドロテアお姉様の子どもだと言っているでしょう!?」
強めの口調になれば、男は意外にも押し黙る。
だが、すぐに笑いだしてしまった。
「な、何が可笑しいの?」
「その態度を見ていれば、嘘を吐いているとすぐに分かる」
「嘘じゃないと言っているでしょう!?」
「ムキになるなよ。お前は器用に嘘を吐ける奴じゃない」
悔しい!
なんでこんな男に言われなければならないのか。
それよりも、どうにかして誤魔化さなければならない。
「この件については、先ほど言ったように、お義兄様に――」
「お前と旦那の繋がりを考えたら、産まれた黒髪青目の子どもは……そうだな、第二王子の子ではないのか?」
男の言葉を聞いて、脳天を雷で打たれたような衝撃を覚える。
今度こそ、完全に言葉を失ってしまった。
身内だからこそ気付けたことかもしれないが、短気で思慮が浅いように見えて恐ろしい男だと思った。
こういう反応を示しては、もはや誤魔化すことなど不可能だろう。
「――ならば、ここで斬るしか!」
夫の剣の柄を握り締めれば、男は焦った表情となる。
「どうしてそうなる!」
「わたくしと夫の秘密を知ったからには、生かしてはおけない……」
「まだ、脅しも何も言っていないだろう!?」
「問答無用!」
「――お待たせいたしました、コーヒーとケーキセットでございま~す!」
剣を抜こうとしたその刹那、店員が注文していたものを持って来る。
わたくしはぴたりと動きを止め、店員にケーキセットはそちらの男の前に置くようにとお願いした。ちょっとした嫌がらせである。
苺のケーキを目の前に置かれた男は、若干恥ずかしそうにしていた。
「命拾いをしたわね」
「なんて女だ……!」
「こういう女よ」
その会話を最後に、シンと静まり返る。
気まずさに耐えきれなくなって、わたくしは男に話しかけた。
「それで、何が目的なの?」
「……」
「喋らない代わりに、何か要求をするのでしょう?」
「ああ、そうだな……」
こちらが訊ねれば、男はあっさりと要求を口にする。
「――旦那と別れろ。そうすれば、この件について黙っておいてやる」
「な、なんですって!?」
「答えは今日じゃなくてもいい。一週間後、またここで」
「ちょっと!」
一方的に言い捨てて、男は帰ってしまった。
「――な、なんなの?」
大変な事態になってしまった。
頭を抱え、しばらくその場から動けなくなってしまった。
◇◇◇
この件について、一人で抱え込めるものではなくなってしまった。
すぐさま、夫に相談しなくてはと思う。
そわそわと帰りを待っていたのに、やって来たのは昨日、一昨日と家にやって来たお使い騎士だった。
本日は手紙ではなく、伝言を彼に託してきたようだ。
「急に決まったことなのですが、エーリヒ・フォン・ヴェイマール隊長、以下隊員十二名、夕刻に隣国での任務が発生し、先ほど街を出発しました。期間は十日です」
「――え?」
話を聞けば夫の管轄下にある、入隊して三日の新人騎士達が酒場で問題を起こし、大変な騒ぎとなったらしい。その後処理で、夫は家に帰って来られなかったのだ。
その後、今回の事件の処罰として、隣国で奉仕活動を行うことになったと。
「私も彼らのあとを追うことになります。ヴェイマール隊長に何か、伝言などはありますか?」
報告を聞いて愕然としていたが、夫に心配をかけさせないように、差し障りのない言葉を託した。
「……どうか、お体に気を付けて、家のことはわたくしにお任せください、と」
「承知いたしました。必ずお伝えいたします」
騎士を見送ったあと、わたくしは娘の寝室に向かった。
乳母が、さきほど眠ったと報告してくれる。
「しばらく、二人きりにしてくれるかしら?」
「仰せの通りに」
寝室の扉が閉まったあと、わたくしは娘の寝顔を確認する。
頬に手を近づけ、触れないように丸い線をなぞった。
「おやすみなさい、リーリエ、楽しい夢を」
娘に夜の挨拶をして、寝台の上に倒れ込む。
――夫は、居ない。
その事実が、わたくしを放心状態にしてくれる。
秘密を守るためには、夫と離縁をしなければならないと。
どうすればいいのか、本当に分からなかった。




