第二十二話 幕間 ドロテア・フォン・サイネークのひとりごと
それは今から三年前の話。
王都に住む私と一番上の姉だけでなく、地方に住む他の妹達も集まるようにと、父から要請があった。
その年はヘルミーナの社交界デビュー二年目で、一年目はお祝い出来なかったので、皆で盛大な宴をしようと話をすれば、父に止められる。
今回の集まりはヘルミーナには内緒だと。
理由を聞いても渋い表情を浮かべるばかりで、その日は教えてくれなかった。
当日。
やはり、全員集合というのは難しい話だったようで、集まったのは六人だけ。
長女のエルケ、次女である私、五女のカサンドラ、四女のシャルロッテ、六女のアレクシア、十女のビアンカ。
集まったのは王宮の中にある、隠し部屋。
いつも穏やかな父は眉間に皺を寄せたまま、一言も発しようとしない。
隣に座る母の表情も暗かった。国王である伯父まで居たので、少しだけ驚く。
皆が集まれば、父が硬く閉ざしていた口を開いた。
今回集まってもらったのは、ヘルミーナについて話し合うためだと。
重々しい声を聞けば、それが深刻なものだということが分かる。
姉や妹達はそれを聞いて、訝し気な表情を浮かべていた。
下から二番目の妹、ビアンカが父に訊ねた。
「お父様、私達の可愛いヘルミーナちゃんがどうしたのかしら~?」
「大変な事態になった」
皆、父の次なる言葉を待つ。
母は目じりに涙を浮かべ、ハンカチで拭っていた。
そして、驚くべき事実が父の口より発せられる。
「――話とは、ヘルミーナへの結婚の申し込みが一件もなかったことだ」
ハッと、姉や妹達の息を呑む声が聞こえる。
私も驚いて、手にしていたカップを落としそうになった。
母ははらはらと涙を流す。
伯父は今まで見せたこともないような、渋面でいた。
ヘルミーナに結婚の申し込みがなかったというのは本当のことなのだろうか。
当時、騎士隊に入ったばかりで少年にしか見えなかった私でさえ、社交界デビューの年は数件申し込みがあったというのに。
エルケ姉上が震える声で言う。
「へ、ヘルミーナさんは、姉妹の中でも一番の美人ですし、高嶺の花だと思って、殿方も尻込みをしてしまったのですね」
その言葉に対し、父は「そうではないのだよ」とすぐさま否定をしていた。
部屋は重く気まずい空気が流れる。
父も、こういう事態は初めてだと言っていた。
「何故だか分かるかい?」
皆、一様に首を横に振る。
末の妹、ヘルミーナは才色兼備という言葉が相応しい完璧な女性だ。
その妹に結婚の申し込みがないなんて、ありえないと思う。
だが父は、問題点はそこだと言っていた。
「完璧過ぎるが故に、ヘルミーナを妻として受け入れることが出来る者が居なかったのだよ」
まさかの理由に瞠目する。なんてことだと思った。
何故、そういう事態となってしまったのかと聞けば、ヘルミーナは社交場でいろいろな騒ぎを起こしていたと。
「まず、一件目は――」
婚約関係にあった者達が、突然男側より解消の申し出があった。理由を聞けば、好きな人が出来たと。謝罪も無しに婚約解消をされ、女性側は捨てられたと後ろ指をさされる。
その女性はヘルミーナの友達だった。
話を聞いた妹は婚約解消した男性の元へ行き、謝罪するように求めた。
しかしながら申し入れを拒否され、怒ったヘルミーナは決闘を申し込んだと言う。
「ヘルミーナが負けたら平伏し、男が負けたら元婚約者に謝罪するという条件で、決闘が行われた――」
結果、ヘルミーナは男性に勝った。
元婚約者へ謝罪し、女性は他の身分が高い男性との結婚が決まってめでたしでめでたし――ではないと思った。
ヘルミーナに剣術を教えた私は思わず俯いてしまう。
「騒ぎはこれだけではない」
哲学者でもあるシャリーブルク侯爵家の当主と「超越論」について激しい言い合いをしたり、仕立て屋を営むサンテリウム子爵家の次男に、裁縫師の仕事に興味があると詰め寄ったり、野遊びを趣味とするアンブル家の三男に、森の歩き方がなっていないと指摘をしたり、製菓業を営むリーヴェルロッテ家に職人顔負けのお菓子を持って行ったり……。
他の姉妹達も次々と表情を暗くしていった。
「ヘルミーナに結婚話が来ない理由は分かるね?」
父の話を聞いて、私達は深く頷く。
貴族の男性が結婚相手に求めるのは、社交性と従順さ。
ヘルミーナはそれが欠けているように思えた。
一人、納得をしていないビアンカは、父に苦言を呈する。
「お父様が一生懸命お探しになっていないから、そういう事態になったのではなくって?」
「いや、私からもいくつか話を持ちかけたが――」
父は最後まで言わなかったが、全てを察したビアンカは「あっ……」と気まずそうに声をあげる。
どうやら、結婚の話がこなかっただけではく、申し入れもお断りされていたらしい。
「ヘルミーナのような女性は手に負えない、というのが主な理由だった」
父が隠そうとしていたことも、ビアンカの指摘で明らかとなる。
とうとうは母ワッと声をあげながら泣き出した。
それも無理はないだろう。最愛の娘に嫁の貰い手がつかないなんて、悲し過ぎる。受け入れがたい事実だろう。
それもこれも全て、私達姉妹がヘルミーナに知識や技能を与えたのが原因だった。
長女エルケは裁縫を、私は剣術を、三女コリアンナは歌を教え、四女シャルロッテは製菓技術を、五女のカサンドラはさまざまな知識を与え、六女ツィツィーリエは高すぎる美意識を叩き込んだ、七女アレクシアは自然を愛する心を授ける。
一つ一つはたいしたものではない。
ただ、ヘルミーナは基礎たるそれらを学び、独自に高めていったのが良くなかったのかもしれない。
彼女はいつしか、男性顔負けの能力を身に付けてしまったのだ。
「情けない話だが、男は自尊心の高い生き物でね……」
父は母が居る手前、それ以上言おうとしなかったが、伝えたいことは分かる。自分よりも能力の高い女性を妻として迎えたい者は居ないだろうと。
「お前達がヘルミーナを守ろうとして、様々なものを与えた気持ちは分かっているよ」
私達も、無意味に知識や技能を授けたわけではない。
今はとても信じられないような話ではあるが、その昔、ヘルミーナはとても大人しい子だった。
とても可愛かったので、男の子からからかわれたりしたことも多かった。
ヘルミーナは上手く言い返せずに悔しい思いをして、大泣きして帰って来る日も少なくなかった。
私達が守ることも出来たけれど、子どもの問題に大人が顔を突っ込むのもどうかと思った。
そこで私達は、ヘルミーナの自信に繋がればと、様々な知識や技能を与えた。
自分の身は自分で守れるようになったのを見て安心をしていたが、それが今になって間違った選択となるとは思いもしなかった。
愕然とする中、シャルロッテが父に聞く。
「お父様は大人しいままのヘルミーナさんだったら、早々に結婚相手が見つかっていた、とおっしゃりたいのかしら?」
「現状、そうだとしか言えない」
残酷な一言だった。
私達のせいで、ヘルミーナは結婚出来ないかもしれない。
「もしも、ヘルミーナに相応しいものがあるとしたら、それは王妃の座だ」
私達は知らぬ間に、ヘルミーナに対して王妃教育を施していたようだ。
責任を感じ、皆暗い表情となる。
王太子はすでに結婚をしている。他国でもそのような話がその辺に転がっているわけがない。
「今日集まってもらったのは、ヘルミーナの嫁ぎ先についてどうするかと話し合うためだ」
やっとのことで本日の議題が出てくる。
父は皆に問いかけた。
「――誰か、寛大でヘルミーナよりも強く、賢い男を知らないだろうか?」
父の呼びかけに答えられる者は居ない。
強く心優しい者なら騎士時代の知り合いで何人か知っているが、果たしてヘルミーナを受け入れる広い心を持っているかは謎だ。
結婚をして、互いに合わなくて苦労するというのは絶対に避けたい。
皆、同じようなことを考えているからか、苦渋の表情を浮かべていた。
シンと静まり返った中で、今まで黙っていた伯父が発言をする。
「……一人だけ、心当たりがある」
その言葉を聞いて、父はハッとなり、母もはたりと涙を拭うのを止めた。
救いを求めるような眼差しを、一家そろって伯父に向ける。
「愚息の教育係をしている男なのだが、なかなか賢く、海のように心が広い男だ」
その者の名はエーリヒ・フォン・ヴェイマール。伯爵家の生まれで、家柄も良い。
「兄上、何故、今まで紹介をしてくれなかったのですか?」
「いや、前にも彼に結婚を勧めたことがあったのだが、乗り気ではなくて」
国王からの結婚話に難色を示す男とは、一体何者だと思った。
だけど、ヘルミーナと釣り合うには、それくらいの図太さが必要なのではとも思う。
良い相手が見つかりそうだったので、この日の集まりは解散となる。
早速、父はエーリヒ・フォン・ヴェイマールに結婚の申し出をしたらしい。
だがしかし、申し入れから数日後、お断りをされてしまったと言う。
理由は仕事が忙しいから、と。
現状として、教育に手を焼いている最中なのだろうと、返事を持って来た伯父は言う。
そんなわけで、ヘルミーナは婚期を逃してしまった。
本人が全く気にしていないのは幸いなことだったが。
それから皆で結婚相手を探していたが、結果はどれも無残なものとなる。
それから三年後、奇跡が起きた。
父の死をきっかけに、伯父が再びエーリヒ・フォン・ヴェイマールにヘルミーナと結婚をしないかと話を持ちかけてくれたらしい。
彼は二度目の申し入れに応じると、返事をしてくれた。
家族全員で、エーリヒ・フォン・ヴェイマールに感謝をすることになる。
こうして、ヘルミーナは結婚をした。
婚礼衣装を見た母、姉妹達は大号泣だったという。私は出産を控えていたので、その場に居合わせることは出来なかったが。
ヘルミーナは大袈裟だと言っていたが、事情が事情だったので、一生花嫁姿など見られないと思っていたのだ。
心配だったけれど、ヘルミーナの隣で微笑むエーリヒ・フォン・ヴェイマールを見ていたらなんとかなるのではと、そう思ってならなかった。
どうか幸せに、そして、上手くやって欲しいと心から願った。




