第二十一話 白百合の花のように
「好きになるって、そういうことは言われてできるものじゃないでしょう?」
「暗示効果というものもありますよ」
「何それ?」
「自分自身にかける催眠術のようなものですね。声に出すことによって、自身の潜在意識に深く刻まれるそうです」
なんだか神秘的現象めいた方向に話が向かっているような?
異国に伝わる言霊――言葉に宿る不思議な力と似たようなものかしら?
「では、言ってみて下さい。『私は、夫のことが大好きです』」
「わたくしは、夫のことが大好き――って、何を言わせるのよ!!」
わたくしの反応を見て、笑いだす夫。
からかわれていたのだと分かり、腹立たしい気分となる。
「あなた、覚えていなさい。わたくしを怒らせると、大変なことになるから!」
「はい、楽しみにしています」
……だからそういうの、おかしいから。
やっぱり、夫は変な人だし、口では勝てないと思った。
だったらどうすれば勝てるのかと、首を傾げる。
苦手なことを聞いて戦いを申し込み、ぎゃふんと言わせるのもなんだか違う気がする。
傍で観察をして、弱点を探るしかないのか。
「ヘルミーナ様、何か楽しいことをお考えで?」
「!?」
……いけない。敵前で対策を練るなんて。
続きは私室で考えることにした。
◇◇◇
翌日より、わたくしは夫にさまざまなものを挑むことになった。
遊戯盤に札遊戯、玉突き、乗馬、射撃……惨敗だった。
とても悔しくて、奥歯をギリギリと鳴らしていたけれど、手を抜いて負けを装おうとしないところは評価している。
それにしても、夫の高性能っぷりには驚くばかりだ。
どうしてなんでもできるの!? と詰めよれば、思いもよらない理由が発覚する。
夫はお体が弱かったお兄様の補佐ができるよう、英才教育を受けていたらしい。
「――兄は子どもの頃、寝台から起き上がれないほど病弱で、私が伯爵家を継ぐという話もあったそうです。まあ、今となっては迷惑な話ですが」
「……そう」
珍しく、夫は苛立ったような声色で話す。
お義兄様には結婚式に会ったけれど、健康そうに見えた。きっと、大人になったら体質も改善されたのだろう。
夫は家の事情で振り回されていたのかもしれない。
「すみません、こんな話――」
「そんなことないわ」
夫の話を聞いて気付く。
わたくし達には互いに理解を深めるべきだと。
「わたくしは、あなたのこともっと知りたいと思うの」
「ヘルミーナ様……」
きっと、夫が変な人である理由も他にあるはず――と、考えたけれど。
「ありがとうございます。私のことを知りたいということで、書面に書き綴ったものと、口頭とどちらがいいでしょうか?」
「……」
変なのは元々の性格かもしれないと思った。
◇◇◇
とうとう、キーラ・フォン・ポロパークとアウグスト・フェルディアント・フォン・メクレンブルグの子を引き取る日になった。
夫と二人で修道院へ向かう。
「子どもの名前はきちんと考えたの?」
「はい、もちろんです」
百の候補の中から厳選した名前らしい。どんな名前にしたのか、楽しみにしている。
修道院へ到着すれば、修道女がいつもの部屋へと案内してくれる。
キーラ・フォン・ポロパークが滞在する部屋に行けば、赤子を愛おしそうに抱く彼女の姿が。
いつのも自信がない表情はすっかり消え去り、母親の顔になっているような気がした。
これが、子を持つ親の強さなのかと、思わずまじまじと眺めてしまう。
「あら、あなた――」
キーラ・フォン・ポロパークの普段と違う姿に気付く。
何故か、傍に大きな旅行鞄を置き、彼女自身も旅装束でいる。
理由を聞けば、驚くべきことが語られた。
「エーリヒ様、ヘルミーナ様、大変お世話になりました」
「え、ええ、それはいいけれど。どこか、旅行にでも行くの?」
「いいえ、王都を離れようかと」
「なんですって?」
キーラ・フォン・ポロパークは言う。今後一切子どもに会うつもりはないと。
「どうして?」
「この子と一緒に居る間、どうすればいいのか、これでいいのかと考えました」
熟考した結果、子どもに会わせる顔がないことに気付いたと言う。
「不貞は、どんな事情があっても許されないことです」
「でも、他人として会うだけならば、問題はないでしょう?」
「いいえ。会ってしまえば、きっと見るだけでは済まないでしょう」
子どもへの気持ちが溢れ、辛い思いをすることになるだろうと。
「本当に、勝手なことばかり言って、申し訳ありませんでした。このご恩は、どのようにしてお返しすればいいのかと――。特に、エーリヒ様には長年、ご迷惑をおかけしました」
夫は気にするなと言っている。驚くほど、感情のこもっていない声だと思った。
まあ、受けた被害を思えば、仕方がない話でもあるけれど。
ここでも、夫の意外な一面を見ることが出来た。
「この子のことを、よろしくお願いいたします」
「ええ、大丈夫よ。かならず、幸せにするから」
「ありがとう、ございます」
キーラ・フォン・ポロパークは、胸に抱いていた子をわたくしに差し出す。
隣に居た夫は子の顔を覗き込み、名前を授けた。
「名前は、白百合です。無垢で純粋な子に、すっと伸びた百合の茎のようにまっすぐ育って欲しいと、願いを込めました」
「素敵な、お名前です」
彼女の言う通り、夫は素敵な名前をつけてくれたようだ。
リーリエは母親から離れると、突然ぐずりだす。
あやしても泣き止まず、困ったの一言。乳母から聞いていたように、背中を揺らしてみたけれど、効果はなし。
「――もう、行きますね」
キーラ・フォン・ポロパークは、馬車の時間が迫っていると言っていた。
深い一礼をする。
「お目にかかるのは今日で最後になりますが、どうか、お元気で、お幸せに……」
「ええ、あなたも」
旅立つ彼女に餞別をと思い、腕に付けていた銀のブレスレットを差し出したけれど、受け取ってくれなかった。
「こういう時は、素直に貰っておくべきなのに」
「私にはもったいない品物です」
代わりに、彼女は違う物を願った。
「額に、ヘルミーナ様の祝福の口付けをいただけますでしょうか?」
「そんなのでいいの?」
「はい、あなたの強さを、この身に宿すことが出来たらと、思います」
強さね。図々しさの間違いじゃないかなと思ったけれど。
依然として泣き止まないリーリエを夫に託し、地面に膝を突いたキーラ・フォン・ポロパークの額に口付けをする。
「ありがとうございました」
「ええ、別に構わないわ、これくらい」
彼女の表情は晴れやかなものとなる。
最後に、一冊の本を受け取った。
それは、子どもについて毎日記録を書き綴った育児日記だった。
「参考になるといいのですが」
「ありがとう。あとで読ませていただくわ」
「はい」
こうして、彼女は旅立つ。
馬車乗り場まで見送りに行こうとしたけれど、泣いてしまいそうになるからここでいいと言われてしまった。
ここでも気付く。今日、彼女は一度も泣かなかった。
子どもと共に親も成長するというのは、本当のことだったのだと目の当たりにする。
わたくしと夫は、リーリエを連れて帰宅をすることになった。
◇◇◇
それから数日。
わたくしは白目を剥いて寝台の上に倒れ込んでいた。
その理由は、リーリエの夜泣き。
世話のほとんどを行うと、家族や使用人の前で決意表明したのはいいけれど、想像以上に大変なものだった。
お腹が空けば乳母の元に向い、おしめは一日に何十回を替える。泣き出せば、あやさないといけない。
リーリエはとても元気な子で、いくら泣いても疲れて眠ってくれないのだ。
夫も家に居る間は手伝ってくれる。
「ヘルミーナ様、大丈夫ですか?」
「え、ええ、平気と言いたいところだけれど、わりと限界」
「せめて、夜は乳母に任せたらどうですか?」
「……やだ」
「左様でございますか」
わたくしはこの子の母親だ。お乳を与えられない代わりに、別の面で頑張る必要があった。
「ヘルミーナ様、一つご提案なのですが」
「何かしら?」
夫は驚くべき提案を言ってきた。
次話、ヘルミーナの姉視点