第二話 公爵令嬢、斜め上方向に頑張る
結婚が決まり、忙しい日々が始まった。
婚礼衣装の製作に、婚約お披露目会の準備、披露宴の招待客のリストアップなど。
肝心のエーリヒ・フォン・ヴェイマールは忙しい毎日を過ごしているようで、婚約が決まってから一度も会っていない。
彼は外交官を務める第二王子、アウグスト・フェルディアント・フォンレクレンブルクの護衛を務めるため、世界中を渡り歩いている。
これ幸いと、婚約披露会も、結婚式及び披露宴も、わたくしの好みが最大に反映された計画を進めていた。
一つ以外だったのは、エーリヒ・フォン・ヴェイマールが筆まめだったこと。
行く先々の国で絵葉書を買い、ちょっとした土産と共に送ってくれた。
書かれてある内容はささいなもの。
美味しい名物であったり、驚くべき異国の文化だったり。
土産の品は刺繍が素晴らしいハンカチや、美しい見た目のお菓子など。相変わらず、贈り物の趣味は抜群だった。
けれど、これも遊び人の手段の一つだと思えば、全く心に響かない。
家にもあまり帰れていないと手紙にあったので、返事は出さなかった。
そんな暇があったら、剣の素振りを一回でも多くしたい。
忙しい日々も慣れてしまえば、余裕が出てくる。
わたくしは、主に体を鍛えることに時間を費やした。
そんな毎日を過ごすうちに、あることに気付く。
なんとなく、彼を精神的に追い詰めるのは難しそうな気がしていた。
あの、恐喝のような十五枚からなる手紙に屈しなかった殿方だ。手ごわい相手であることが分かる。
どうすればいいのか。考えていると、ふと思い出す。
近衛騎士は容姿が秀麗である者が入隊条件だと聞いたことがあった。
一度、夜会で見かけた時のエーリヒ・フォン・ヴェイマールは痩せ型で、とても鍛えているようには見えなかった。
なので、わたくしは即座に作戦を変更する。
剣術を以て物理的に追い詰めようと思った。
稽古を重ねた結果、社交界デビューの年以来、久々に腹筋が割れてきたと喜んでいたら、採寸の場に居合わせていたお母様に体を見られ、泣かれてしまった。
腹筋が割れている花嫁がどこの世界に存在するのかと。
ここに居ますが、何か? ――と言いたい気持ちを抑え、お母様に反省していると謝罪する。
産んでくださった母親を泣かせるのは、わたくしの中の世界七つの禁忌の一つ。なので、腹筋をなくすため、鍛える内容は半分以下にした。
代わりに今まで鍛えていた時間を、勉強する時間に充てた。
何を言われても冷静に対処するためには、豊富な語彙と知識が必要なのだ。
根を詰め過ぎていたからか、目の下に消えないくまが出来てしまう。
結婚式で使う特別な化粧品を試す際、その場に居合わせたお母様にまたしても見つかってしまった。目が血走っているとも言われる。
どこの世界に、そのような凶相を浮かべる花嫁が居るのかと、泣かれてしまった。
ここでも、反省の意を示すことになる。
結婚前の花嫁は、綺麗になることに徹し、幸せな未来を思い描いていればいい。
お母様は、必死の形相でわたくしを窘めていた。
果たして、わたくしの幸せな未来とは一体……?
しばらく考えていたけれど、答えは出てこなかった。
◇◇◇
結局、計画していた婚約お披露目会にエーリヒ・フォン・ヴェイマールはやって来なかった。国家間の急な交渉事が発生したようで、昨晩旅立って行かれた。
けれど、今更中止など出来るわけもなく、お披露目会は彼抜きで行うことになった。
各地方から、たくさんの人達が駆け付けてくれた。わたくしの大好きなお姉様達も。
初めて見る姪っ子や甥っ子達の可愛らしいことといったら。人目も憚らずに、メロメロになってしまった。
今回は招待客の子どもも大勢招待している。開催は昼間で、幼い子ども達が眠くなるということはない。
これから小さなお菓子の家を菓子職人と作ると言えば、みんな揃って目を輝かせていた。
大人も楽しめるように、一流の楽団を呼んだ。途中、世界の歌姫を称されるコリアンナお姉様が、わたくしのために祝福の歌を贈ってくれた。
素晴らしい歌声は、参加者達を夢中にさせていた。
勿論、ご婦人方が集まるお茶会で、エーリヒ・フォン・ヴェイマールの悪評を打ち消すような惚気話をするのを忘れないでおく。
いつもその辺に放り出している彼からの絵葉書は細工が美しい木箱に納められ、皆に一枚一枚紹介した。
頂いた珍しい異国の土産の話をするのも忘れない。
ここで愛されているアピールをすれば、遊び人だったエーリヒ・フォン・ヴェイマールも、結婚を機に心を入れ替えたのだと思われるに違いない。
わたくしは彼に闘争心を燃やしているけれど、社会的に抹殺したいわけではなかった。
夫婦とは運命共同体。病める時も、健やかなる時も、喜び、悲しみも、全てのことを分かち合い、真心をもって相手に尽くさなければならない。
家の中では好き勝手する予定だけれど、表向きは彼が善き男性であると伝えて回ることも、婚約者として大切なお仕事だと思っている。
わたくしの大切なお友達は、今回の結婚を心配に思っていたらしい。
相手はあの社交界一の遊び人、エーリヒ・フォン・ヴェイマールなので、仕方がない話だろう。
こうなれば、力技で納得してもらうしかない。
――今、わたくしは果報者です!
一生懸命訴えた。
旦那様となる御方からは愛され、家族や親戚も祝福をしてくれる。
お母様と一緒に思い描く練習をした、幸せな未来について考え、特上の笑みを浮かべてみせた。
最終的に、お友達はわたくしの新しい門出を祝ってくれた。
婚約披露会は、なんとか一人で乗り越えることが出来た。
顔の筋肉が笑顔で固まっていて元に戻すのが大変だったけれど、大きな仕事を乗り越えたという達成感で満たされていた。
◇◇◇
その日の晩に驚きの知らせが届く。
あの、エーリヒ・フォン・ヴェイマールが明後日の夜に訪問して来ると。
婚約を交わしてから半年の月日が経っていた。
どの面を引き下げて会いに来るというのか。
楽しみ過ぎて、高揚感が高まる。
気分を落ち着かせるために剣を揮ったり、尊敬する哲学者の論文を読んだりしたいけれど、お母様が困るので止めた。
ここは貴族の淑女らしく、刺繍をすることにする。
――そうだ、エーリヒ・フォン・ヴェイマールへの贈り物にしよう。
彼がやって来るのは明日の晩。
ハンカチなどに簡単な刺繍をすることに決めた。絵葉書とお土産のお礼にと言って渡せばいい。
刺繍用の丸枠にハンカチをはめ込む。
手芸は貴族令嬢の嗜みの一つである。親しい人や夫に願いを込めて刺した布小物を贈るのは、慣習となっていた。
特別に、今まで大切に取っておいた特別な刺繍糸を使うことにした。
わたくしは一つのことに熱中してしまう性格のようで、気付けば明け方となっていた。
ハンカチは無事に完成したけれど、先ほどから欠伸が止まらない。
嫌な予感がして鏡を覗き込めば、濃いくまが目の下に浮かんでいた。
慌てて侍女を呼び、化粧で隠すように命じる。残念ながら真っ赤になった目は誤魔化しようがないけれど。
朝食の席で、お母様に寝ていないことがバレてしまった。
エーリヒ・フォン・ヴェイマールに会えることが嬉しくて眠れなかったので刺繍をしていたということにしておく。
朝食後、完成したハンカチを見せてくれとお母様に言われて、披露することになった。
自信作とも言えるハンカチを机に広げる。
どうしてか、刺繍を見たお母様の眉間に、二本の皺が刻まれていた。
これは何かと聞かれ、鷲だと答える。
ハンカチの中心には、勇ましい猛禽の姿を刺した。それが、お母様的には駄目だったようだ。
貴族の令嬢は、鷲の絵を刺したりしないらしい。パステルカラーで木の実を食むような小鳥だったら許されるけれど、肉食の鳥はありえないと言われてしまった。
それに、ハンカチの中心の大きく鷲を刺しては、折りたためないという指摘を受けた。
ごもっともで。
母の述べた感想は「才能の無駄使い」。
勿論、一晩かけて作った猛禽ハンカチは取り上げられてしまう。
無念の一言だった。