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第十八話 嵐に立ち向かう悪妻

 拒否宣言のあと、場の空気は更に険悪なものとなる。

 わたくし達はしばらく互いに睨み合っていた。

 埒が明かないと思ったのか、アウグスト殿下が先制攻撃を仕掛けてくる。


「……生意気な女だ。気に食わない」

「女を男に変えて、同じお言葉をそのままお返ししますわ」

「なんだと!?」


 だって、他人の婚姻に口を出すなんて、大人のすることとは思えない。


「あなたがしていることは、ただの駄々っ子がすることです」

「違う! 私はエーリヒのために」

「夫がそれを望んでいるのでしょうか?」


 そうであれば、話し合いをしなければならない。

 けれど、夫は殿下に惚気話をしていたと言っていたので、わたくしとの結婚をそれなりに楽しんでいるのではないかと思われる。


 こちらの言い分に返す言葉がないからか、殿下は悔しそうな顔をしていた。

 不毛な時間を早く終わらせようと、わたくしは立ち上がる。


「――まったく話になりませんわ」


 この家にやって来た全てのお客様にはおもてなしをしたいと思っていたけれど、この御方はそれをするに値しない人だと思った。

 なので、早急に帰って頂くことにする。


「今度来る時は、夫とよく話し合ってからいらしいてくださいな。彼が離縁を強く望んでいるのならば、わたくしも検討いたしましょう」


 長椅子に腰掛ける殿下に、出口を手で示して帰るように促した。

 けれど、彼はじっとわたくしを睨み付けたまま動こうとしない。

 我が家自慢の料理人が作る食事でも食べていくかと聞いてみたけれど、反応は無かった。


「夫の帰りを待つと言うのなら、ご自由に。わたくしは忙しいのでこれで失礼を」


 これ以上付き合っていられないと思って、部屋から出ようとすれば、殿下があとを追って迫って来ているのが分かった。

 腕を取られそうな気配がしたので、振り返って避ける。

 殿下は怒りに満ちた凄まじい形相で、わたくしを見ていた。


「……なんでしょう?」

「最終通告だ。エーリヒを解放しろ!」

「まあ」


 まるでわたくしが悪者みたいな言い様。失礼にもほどがある。

 けれど、偶然にも、その感情にはわたくしにも覚えがあった。


「――殿下は、夫が結婚をして、寂しいのですね」

「何を言っている!?」


 わたくしも、お姉様達の結婚を心から祝福出来ない時期があった。

 お義兄様に、お姉様を連れて行かないでと、我儘を言っていた記憶もある。

 今まで傍に居た人が結婚をして離れて行くのは、とても辛いことだった。

 殿下も、夫が遠くに行ってしまうようで、寂しさを日々痛感しているのだろう。


「時間が経てば、受け入られるようになりますわ」

「違う! そんなことはない。諸悪の根源はお前にある!」


 ――駄目だ、この人。


 せっかく殿下の気持ちを考え、理解して歩み寄ろうとしていたのに、相手は全力で否定をしてくれた。

 いくら話をしても、わたくしの言葉が胸に響くことはないだろう。


「今のエーリヒは落ちぶれていて見ていられない、だからお前が身を引くように――」


 言葉を遮るように、パン! と乾いた音が部屋に鳴り響く。

 わたくしは、暴言を吐く殿下の頬を思いっきりはたいた。

 殿下は信じられないとばかりに目を見開き、頬を抑えていた。

 あまりにもいい音が鳴ったので、笑みを浮かべてしまう。


 暴力はいけないことだけれど、彼の言う言葉の数々は粗暴行為に等しい。なので、仕返しをした。


「こ、この、狼藉者が!」

「同じお言葉をお返しいたします!」


 この御方は、本当に何も分かっていない。

 夫の頑張り、殿下の名誉を守ろうとする気持ち、尽くす心。そんな努力の全てを、当たり前のものとして受け入れていたのだ。

 裏でどれだけ苦労をしていたとか、身に覚えのない悪い噂に心を痛めていたとか、彼は知りもしないのだろう。


「殿下は、夫のことを何一つ理解しておりません」

「違う! 私が一番の理解者だ!」

「それは、思い上がりと言うもの」


 わたくしの言葉を聞いて、さらに表情を険しくする。

 言いたい放題言っているので、こちらも叩かれるかと思ったけれど、殿下の手はぎゅっと握り締められたまま、ぶるぶると震えるばかりだった。


 荒ぶる殿下を刺激しないよう、なるべく優しい声で語りかけてみる。


「夫が仕事について口出ししなくなったのは、殿下を一人前と認めたからです」

「え?」

「彼は間違いを見逃すような人ではないでしょう」

「それは、確かに。だが、何故それを言わない?」

「そんなこと、口に出して言うことでもないかと」

「!」


 殿下にとって衝撃の事実だったからか、愕然としているように見えた。

 パチパチと何度も瞬きをして、何かを考えているような素振りをしている。

 それから、ぼそぼそと聞こえるか聞こえないかくらいの声で語り始めた。


「……エーリヒは、とても厳しい人だった」


 幼少期より殿下の教育係をしていた夫は、意外にも容赦のない教師だったらしい。

 常に笑顔は絶やさなかったものの、手心を加えず、毅然とした態度で接していたとのこと。

 殿下にとって、そのような夫の振る舞いは好ましく映っていたと。


「一人前と認めてくれるのであれば、言って欲しかった。あの人は、私をあまり褒めてくれなかった……」


 夫は蜂蜜のような人だと思っていたけれど、外ではそうでもなかったようだ。ここでも意外に思う。


「殿下、一つだけ言わせてもらいます。耳にした言葉だけが真実とは限りません。知りうる知識の全てが、正しいとも限りません。大切なのは自分でじっくり考えて、行動をすること。感情のままに、動かないこと。それから、分からなかったら、教えを乞うこと」


 わたくしも結婚してからそれに気付いた。

 自分の中の正義で動くのは大変危険なことだと。

 夫の噂は全てデタラメだったし、自分の考えが普通の人とは違うことに今更ながら自覚した。


 殿下はさきほどまでの態度から一変して、肩を落としているように見えた。

 目が合えば、ぼそぼそと話しかけてくる。


「エーリヒは、また、私に教えてくれるだろうか?」

「それはもちろんです。きっと、あなたに正しい道を示してくれるでしょう」


 殿下は消え入りそうな声で、分かったと言い、わたくしに悪かったと謝罪の言葉を口にした。

 そんな彼の様子を見ていれば、何故キーラ・フォン・ポロバークに惹かれたのかと気付くことになる。

 彼女はとても優しい人で、言ってしまえば、耳触りの良いことばかり言っていた。

 けれど、そのすべてはキーラ・フォン・ポロバークの偽りのない真実の言葉で、殿下には唯一の救いだったのだと思う。


 話が終われば、殿下は帰ってくれた。

 玄関まで見送ったあとで、大変なお客様だったと、深いため息を吐いてしまう。


 夜になれば夫が帰宅をしてきた。

 今日がアウグスト殿下にお仕えする最後の日だったらしい。


「殿下に今までよく仕えてくれたというお言葉を賜り、驚きました」

「そう、良かったわね」


 どうやらわたくしの言葉は、多少は殿下に響いていた模様。

 あの昼間の激しい舌戦は無意味ではなかったと分かって安堵する。


 これにて一件落着、かしら?


 ふと、夫が笑顔でわたくしを見ていたのに気付き、何かと聞く。すると、ご褒美の要求をしてきた。


 頬への口付けのことを、すっかり忘れていた。不覚。


「それを楽しみに、今日まで頑張ってきました」

「だから、そこまで期待するようなものでもないでしょう」

「いえいえ、そんなことないですよ。期待で胸が張り裂けそうです」

「……」


 このまま放っておけば、どんどん期待値を高めていきそうだったので、さっさと口付けをすることにした。

 長椅子から立ち上がり、対面の位置から、隣に腰掛ける。

 夫は「どうぞ」と言って目を閉じていた。

 何故目を閉じたのか。理解に苦しむ。

 まあいいかと思って、労いの言葉を口にした。


「今までご苦労様でした」


 本当に、あの偏屈王子に仕えるのは大変だったと思う。

 途中で投げ出さず、苦労や不満を口にすることもなく、最後までやり遂げた。そんな夫を評する。


「とても立派でした。あなたは、わたくしの自慢です」


 そう言って、そっと頬にキスをした。

 すぐに唇を放し、立ち上がって元の位置へと戻る。


 対面する位置に座れば、目を開いた夫と視線が交った。


「――ありがとうございます、ヘルミーナ様。とても、嬉しいです」


 夫は今までの中で一番の、甘ったるい蜂蜜の笑みを浮かべていた。

 キスの一つでそんなに喜ぶなんて、大袈裟だと思った。


 恥ずかしくなって部屋を出て行こうとしたけれど、夫にまだ話があると言われて引き止められる。


「話って?」


 夫はニコニコと、明日の天気を聞くような声色で話しかけてきた。


「――今日、うちに殿下が来たんですよね?」


 それは、使用人にきつく口止めをして、隠そうとしていたことだった。


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