第十六話 白銀の貴公子様
4月4日、2回目の更新です。
仮面の下にあったのは、よく見知った顔。
鬘を被っているので髪の色は違うものの、落ち着いた優しい声に穏やかな翠色の目、蜂蜜のような甘い容姿を持つ人物は、夫以外に居るはずもない。
「あなた、どうしてこんな所に」
「同じお言葉をお返しいたします、奥様」
夫の追及に、思わず「うっ!」と言葉に詰まってしまう。
表情はいつもの笑顔なのに、声はとても冷たかった。ぞくりと背筋が冷える。
「わ、わたくしは――」
夫の噂の真相を探しに来たと言えば、軽蔑されるかもしれない。
広がっていた遊び人の噂が間違いであったので、なおさらのこと。
つい先日、自らの罪を悔い改めたばかりなのに、舌の根の乾かぬ内に探るような行動に出てしまった。
夫は誠心誠意接してくれているのに、わたくしときたら――。
本当のことなど言いたくない。けれど、嘘はいけないこと。
正直に懺悔をすることにした。
「……あなたの噂について、調査をしていたの」
「私の噂、ですか?」
「ええ、気になる話を聞いたものだから」
お茶会で聞いた話をそっくりそのまま夫に伝える。
「やはり、口止めは意味のないものでしたか」
聞いた話は本当だったようだ。
夫がアウグスト殿下に女性を紹介していたという推測も当たっていた。
わたくしは頭を深く下げて、謝罪をした。夫は謝罪など不要なので質問に答えるように言ってくる。
「質問って何?」
「いえ、どうして、噂の真相が気になったのかなと」
仮面舞踏会に参加をしてまで知りたかった情報なのかと聞かれた。
「大変だったでしょう、いろいろと」
「……え、ええ、そうね」
姿を偽るのも大変だし、いつもと違う調子で振る舞わないといけないのも骨が折れる。会場の雰囲気は軽くて落ち着かないし、参加者が強引に踊りを誘ってくるのも嫌。
仮面舞踏会というのは、想像していた通りの浅薄な催しだった。礼儀と作法で塗り固められた夜会とは、全くの別物である。
こうなることは想定していた。けれど、わたくしはそれでもいいからと参加をした。その理由は――。
「わたくしは、あなたが遊び人じゃなかったら良かったと、思った、の?」
確認をするように、言葉にする。
理由を口にして、心の中の何かがストンと綺麗に収まるように、納得することが出来た。
「では、私の潔白を確認するために、ここに来たと?」
「多分、そう」
確認できたかと問われ、わたくしはコクリと頷く。
「左様でございましたか」
驚くべきことに、夫はわたくしが会場に入った瞬間から気付いていたらしい。
なんでも、立ち姿ですぐに分かったとか。
「もしかして、他の人にもバレているのかしら?」
「いえ、それは大丈夫だと思います。私の正体が露見していない位ですから」
そうは言っていたが、夫は立ち姿やふるまいからエーリヒ・フォン・ヴェイマールであると分からないようになっている。
普段はおっとりした様子に反して、きびきびと動く人だったけれど、白銀の貴公子をしている今は動きや仕草もおっとりしているというか、本物の貴公子といった感じになっていた。
多分、意識して使い分けているのだろう。とんでもない切れ者であると思った。
それに、夫の即座にわたくしだと気付いた観察能力も侮れない。
「あなたって、すごい人なのね」
「そんなことないですよ。平々凡々の、どこにでも居る男です」
相変わらず、過剰なまでに謙虚な人だ。どうしたら、こういう性格に育つのか。
世界の七つの不思議の中に入れてもいいのかもしれない。
「それよりも、助けるのが遅くなってすみませんでした」
「いえ、あれはわたくしが悪くて――」
暴力はいけないこと。
力を揮うのは、命や明らかな貞操の危機が迫った時だけにするようにとドロテアお姉様に言われていた。なのに、わたくしはカッとなって頬を叩いてしまったのだ。
「あれは正当防衛ですよ。ご婦人の腕を強引に掴むなんて、あってはならないことです」
偶然にも、わたくしに絡んだ男性は夫の知り合いだったようで、なんとか折り合いをつけてもらったようだ。
騒ぎの後始末までしていたなんて、頭が下がる思いとなった。
改めて、お礼を言う。
「いえ、お気になさらずに。ですが今後、仮面舞踏会に参加をすることは許可出来ませんが」
「それは、どうして?」
二度と参加をしたくないけれど、行動を制限されるのはちょっと気になる。
聞けば、夫はわたくしの手の中にあった仮面をするりと取って、装着していた。
「私にだって面白くないことはあります」
「そうなの?」
「ええ、そういうものです。例えばこのように――」
夫はいきなりわたくしに接近して来て、腰に手を回して引き寄せた。
「妻が他の男に体を許したり」
「ゆ、許してなんかないわ! あんなの、気持ち悪かっただけ!」
本当は触れられている間は全身鳥肌ものだったけれど、騒ぎを起こしたくなかったのでぐっと我慢をしていたのだ。
「私も、こうしていたら気持ちが悪くなりましたか?」
「……?」
見知らぬ男性に接近され、体の全体に悪寒が走っていたけれど、夫からは別に嫌な感じはしなかった。代わりに、落ち着かない気分になる。
それを正直に伝えれば、夫はわたくしから離れてくれた。
「まあ、いいということにしましょう」
「え、ええ。良かっ、た?」
なんだかどぎまぎしてしまい、自分が何を言っているのか理解が追い付かなくなっていた。きっと、お酒をたくさん飲んだので、わたくしは酔っているのかもしれない。
「そういうわけで、これから夜遊びを禁じるとは言いませんが、しっかり申告をして下さいね」
「……分かったわ」
夫は「帰りましょう」と言う。
腰を引き寄せられたら、またしても落ち着かない気分になったし、心臓がドクンと跳ねるように高鳴った。
今まで感じたことのない気持ちに驚き、立ち止まれば、夫がどうしたのかと聞いてくる。
これは、正直に言えることではないと思った。
なので、別の質問をしてしまう。
「――あなたは、どうして変装をしてここに来ているの?」
「監視です」
「え?」
夫はわたくし体にさらに密着するように近づき、耳元で囁く。
「これは内緒話なのですが、ちょうど一年前に、とあるやんごとない身分の御方と、某人妻がこの場で密会をしていたのです」
「!?」
やんごとない御方とはアウグスト殿下のことだろう。人妻はキーラ・フォン・ポロバークだ。
二人は身分を偽って仮面舞踏会に参加をして、逢瀬を重ねていたらしい。
きっとその辺の流れで一晩夜を共にすることになったのかもしれない。
愛は人を大胆にすると言うが、とんでもない話だと思った。
「なので、殿下がこっそり参加をしていないか、見回りをしているわけですよ」
「そ、そうだったの。大変だったわね」
「ええ、本当に」
話が終わったようなので、夫の体を押して元の位置に戻す。とは言っても、腰を抱かれているので、大きく距離が開いたわけではないが。
「これからも、参加するの?」
「いいえ、今晩が最後です。異動するので」
「そう」
お疲れさまでしたと言えば、夫の口元が綻んでいるのが分かった。
仮面の下では、蜂蜜のように甘い笑みを浮かべていることだろう。
今までの張り詰めたような雰囲気が和らいだので、わたくしもホッとする。
会場に戻れば、参加者たちは少なくなっているような気がした。もう時間も遅い。帰ったり、別室で休んだりしているのだろう。
それにしても、なんだか視線がチクチクと突き刺さっているような気がした。
皆の貴公子様を独り占めしているので、嫉妬を集めているのかもしれない。
早く帰りましょうと夫を急かせば、彼は予想外の行動に出てくる。
腰から腕を離したかと思えば、わたくしを横抱きに持ち上げてくれた。
周囲から悲鳴が上がる。
わたくしも、びっくりして悲鳴を上げそうになった。
夫はどうしてこういう目立つことをしてくれたのか。
幸い、仮面を付けているので、わたくしが誰だということはバレていない。
仮面舞踏会であったことを、心の底から感謝をすることになった。