第十一話 幕間 エーリヒ・フォン・ヴェイマールのひとりごと
第二王子アウグスト・フェルディアント・フォン・メクレンブルグ様との出会いは十二年前だった。
当時の私は十五歳。一人前の騎士として叙勲をされたばかりで、王子付きに選ばれたことは父が裏で暗躍していたのではと邪推してしまった。
しかしながら、その予想も外れることになる。
王子の元で命じられた主な任務は護衛ではなく、教育だったのだ。
教育とは一体と、配属された先の上司の話を聞く。殿下は八歳で、優秀な教師が付いているはずだった。
それは本人と会っていろいろと察してくれと言われる。わけが分からず、首を傾げることになった。
王族について、あれこれと言うのは禁じられているので仕方がない話だったが、先行きに不安を覚えてしまう。
案内された部屋で、殿下とお会いする。
アウグスト殿下は、黒髪で青い目をした、神経質そうな子どもだった。
どうしてか傍に騎士を付けずに、一人の侍女を従えていた。
彼女はポロパーク卿の子女だったような。確か、名前はキーラ。年は私と変わらなかったような気がする。
ポロパーク卿は以前所属していた部隊の上司で、しきりに娘を自慢していたので覚えていた。以前、第二王子にお仕えすることになったという話も聞いたことがあったと思い出す。
挨拶をすれば大きなため息を吐かれ、不機嫌な様子で下がるように言われた。
殿下のお傍に居ることが仕事ですと言えば、彼は「傍にはキーラが居るだけでいい」と。その一言でそれとなく事情を察してしまう。
彼は人と関わることを嫌い、気に入った侍女を傍に置いている困った人だったのだ。
それから、私と殿下の攻防が始まった。
なんとか社交場に引っ張って行って、同じような年頃の子どもと引き合わせるようにした。けれど、周囲は王族だからと委縮しているし、殿下は殿下で「ここはつまらない場所だ」と言い切るし、雰囲気は悪くなる一方だった。
それでも、私は殿下と少年達の間に入って仲を取り持った。
問題は殿下の対人能力障害だけではなかった。
幼い少年たちは騎士や冒険小説などに憧れていたが、殿下はそれに興味を示さなかった。
今、一体何に興味があるのかと聞いてみれば、「外貨獲得のための技術革新」だと言っていた。
それを聞いて、私は天井を仰ぐことになる。
殿下は、根本的なところから、考え方が子どもらしくなかった。
そんな状況で、殿下がキーラ・フォン・ポロバークにだけ心を開くというのはよく分からなかった。まあ、二人の間でいろいろあったのだろう。
彼女は殿下に二年も仕えしているらしい。周囲の状況を理解し、よく働く女性だ。大人しい性格で、殿下の影のように付き添っている。優しく、慈愛に満ちた彼女は、殿下の心の寄りどころだった。
それもよくないことの一つである。
殿下がキーラ・フォン・ポロバークに寄せているのは信頼ではなく、強い執着のように思えた。
そこに混じっている感情など、気付きたくもない。
殿下にお仕えして二年が経っていたが、その点はどうしようもなかったので、上司に報告することになった。
結果、上司にキーラ・フォン・ポロバークとの結婚を勧められた時には困惑してしまった。
当時、私は十七歳で、彼女は十八歳。
キーラ・フォン・ポロバークは結婚適齢期であったが、私は早すぎた。
それに、実家である伯爵家はいろいろと面倒な付き合いが多く、伴侶となる女性には高い社交性が求められている。控えめな彼女には務まらないだろうと思った。
さらに、彼女と結婚して殿下に恨まれるのも面倒だった。
それから数か月後、キーラ・フォン・ポロバークはヴァイガント子爵に嫁ぐことに決まった。ついでに、殿下付きの職務からも外れることになる。
これで問題が解決するとは思わなかったが、力技でどうにかするしかなかった。
ここでも、殿下は大変な行動に出てくる。
あの大人しい御方が、彼女の結婚を知って荒れに荒れた。
食事も摂らず、「キーラを連れて来い」と激しい反抗を続けた。
それが三日と続き、遂には国王様の判断で、状況は元に戻される。
キーラ・フォン・ポロバーク改め、キーラ・フォン・ヴァイガントは第二王子付きの侍女へと復職することになった。
それから、殿下の教育にはキーラ・フォン・ヴァイガントの手を借りることになる。
彼女が請えば、ありがたいことに殿下はなんでもして下さった。
今までの私の努力は一体と腑に落ちなかったが、のんびりとしている暇はない。
国王様は、殿下を将来外交官にしたいとおっしゃっていた。
豊富な知識があり、語学力もある。足りないものは、対人能力だった。
キーラ・フォン・ヴァイガントとはよく喋る。
彼女が分かりやすいよう、難しい言葉も噛み砕いて話しているのだ。
だけど、その優しさを他の者へ向けようとしなかった。
殿下の社交性を高めるために、ある活動を始めた。
それは、女性との対話。
私は社交場に出向き、女性をお茶に誘った。
移動した先で殿下が待っているはずなのに、姿は忽然と消えていた。
どうやら逃げられたようだ。
だがしかし、一度の失敗でめげている暇はない。
これはとても重要な作戦でもある。
殿下の意識をキーラ・フォン・ヴァイガントから、他の女性へ向ける目的もあった。
彼は他の素敵な女性を知らないのだろう。
この時は、そういう風に考えていた。
ある日父に呼び出され、顔の筋肉が笑顔の形になったまま固まっていて恐ろしいと言われた。
殿下の前ではなるべく笑顔で居ようと努力している弊害である。一種の職業病なので、諦めてくれと言っておいた。
そんな話をしていれば、父に酷く疲れているのだろうと言われてしまった。
結婚をして、妻に癒されてみてはどうかと提案される。
心惹かれるような話だが、今はそんな暇がないと断ってしまった。
それから、キーラ・フォン・ヴァイガントの協力の元、殿下と貴族令嬢のお茶会を開くことに成功した。が、全く盛り上がらない。
女性側は王族相手だからと恐縮していたし、殿下も不機嫌な様子で一言も喋ろうとしなかった。
これでは駄目だと、私もお茶会に参加をして、間を取り持つことにする。
王族だと知れば相手は上手くお喋りが出来ないようなので、殿下には変装をさせた。
更に、出会いの確率を上げるため、女性は三名から四名ほど誘った。
会話は途切れなくなったが、相変わらず殿下は乗り気ではない。
お茶会に参加をしていた女性からも、変装した殿下はつまらない人だと文句を言われてしまった。
そんな活動を繰り返しているうちに、私は社交界一の遊び人だという噂話が広がっていた。
殿下のために奔走するあまり、周囲の目を気にすることを忘れていた。
事情を知らない人には、無差別に女性を誘っている軽薄な人間にしか見えなかったのだろう。
この件に関しては、殿下が絡んでいることなので、弁解の余地はなかった。
諦めるしかない。
そんなことを何年と続けていれば、殿下の対人能力はマシになっているような気がした。
その当時、殿下は十六歳。私は二十三歳。
ようやくここまで来たかと、達成感に心が満たされていた。
その後、外交官に付き添い、異国の地へ行ったり来たりを繰り返す。
暇を見つけては、殿下と貴族令嬢とのお茶会も続けていたが、成果はいまいち。何年と経っても、殿下の心を掴むのはキーラ・フォン・ヴァイガントだけだった。
それも長年の悩みの種となっていたが、あれもこれもと問題に手を延ばせばどちらも解決の道を辿れないので、まずは殿下の仕事を支えるだけにしておいた。
それから一年半後。
殿下は外交の仕事も単独で任されるようになり、順風満帆と言えるような状況になっていた。
私にも久々に結婚の話が舞い込んできたが、相手を見て遠慮をしてしまう。
それは、王家の血を引く娘だった。
名をヘルミーナ・フォン・ロートリンゲン。公爵家の令嬢で、夜会でも何度か見かけたことがあった。
とても綺麗な人だったが、ただ者ではない気配がしていた。
女性にしてははきはきと喋り、堂々とした佇まいは女王様とひれ伏したくなるような雰囲気を持っている。
殿下の相手が出来る女性を探す際に、彼女は除外していたのだ。キーラ・フォン・ヴァイガントとは、真逆の存在に見えたからだ。
親戚なので、変装をした殿下に気付くかもしれないという疑念もあった。
結婚話を断ったのはもうこれ以上、王族関係者に関わりたくないと思ったから。
彼女を見て、振り回される自分の姿がありありと想像出来た。
私は自分で自覚している以上に、疲れていたのだ。
それから更に二年後、とんでもない事件が起こる。
あの、結婚後懐妊の兆しが見られなかったキーラ・フォン・ヴァイガントに子どもが出来たというのだ。
子爵邸を訪問し、厳しく彼女を問い詰めれば、父親は殿下だと言う。
人生で初めて、他人を怒鳴ってしまった。
八つ当たりだとは分かっていたが、怒りを抑えることが出来なかった。
この件について、きつく口止めをする。
空は青いのに、それすらも憎らしいと思ってしまった。
殿下に裏切られ、失望していた。
私と彼の十二年間は意味がないものだったのか。そんなことすら考えてしまう。
子爵邸から王宮へ報告をしに戻る。
気分転換をするために少し歩きたかったので、馬車はそのまま帰るように命じた。
昼間だからか、街の人通りは閑散としていた。
そんな状況で、ある女性が目に留まる。
背の高い女性と腕を組んで歩いているのは、公爵令嬢ヘルミーナ・フォン・ロートリンゲンだった。
一瞬見間違いかと思い、じっと観察をしてしまう。
社交界で見た、女王を思わせる威圧的な態度とは打って変わっていたからだった。
腕を組んだ女性(きっと姉君だろう)にぴったりと寄り添い、花が綻ぶような笑顔で見上げていた。
途中、姉君が花屋で薔薇を買って手渡せば、頬は紅く染まっていく。
感激したように、姉君へと抱き付いていた。
ヘルミーナ・フォン・ロートリンゲンの意外な一面を目の当たりにする。
よくよく見て見れば、姉君は宰相と結婚をしたエルケ・フォン・レイアウドだった。感情を表に出さない冷妻という異名があったが、妹にはデレデレのようだった。
まあ、あれだけ甘えられたら、可愛くて仕方がないのだろう。
気付けば、一連の様子をぼんやりと眺めてしまった。これ以上ゆっくりしている暇はない。急いで帰らなければならないと思い、途中で馬車を拾って王宮に向かった。
キーラ・フォン・ヴァイガントの懐妊については隠されることになった。もちろん、殿下にも。
だが、いつも通り働く彼女の異変に周囲は気付く。
悪阻が酷かったからだ。
殿下は原因は自分にあると気付かなかったようで、彼女が体調不良を理由に休むことを許してくれた。
しかしながら、使用人との間で噂は流れる。
十年間夫と子どもが出来なかったキーラ・フォン・ヴァイガントは誰の子を孕んでいるのかと。
殿下と彼女の仲が親密だということは、近しい者ならば周知のとおりだった。
王族の問題を外に漏らすわけにはいかないので、今回も泥を被ることになる。
今回の件に関しては、私の監督不届き故に起きた事件でもあったからだ。
キーラ・フォン・ヴァイガントの子が私との間に出来たという噂はすぐに広まった。
元々、遊び人であるという話もあったので、納得してくれたようだ。
もうこうなれば、他人の目なんか気にならなかった。
どうにでもしてくれと、諦めの境地である。
それから数か月後。
驚きの申し出が国王陛下から通達された。
ヘルミーナ・フォン・ロートリンゲンと結婚をしないかと。
彼女はアウグスト殿下と同じ二十歳。
いろいろと事情があって、今まで結婚しなかったと言う。
ヘルミーナ・フォン・ロートリンゲンの抱える結婚できなかった『いろいろな事情』はそれとなく察してしまう。
国王陛下は「ヘルミーナは気が強そうに見えるが、優しくて可愛い娘だ」と言っていた。
私も、その姿を一度だけ見ている。
彼女ならば、伯爵家の付き合いも問題なくこなせそうだと思った。
それに、妻として迎え、前に街で見かけた時のように甘えてくれたらたまらないなとも考える。
話を受けることになれば、トントン拍子に結婚の話が纏まる。
こうして、私とヘルミーナ・フォン・ロートリンゲンは夫婦となった。
彼女はとても面白い女性で、様々なことをしてくれる。
だけど、殿下の行いを見てきた私からすれば、どれも可愛らしいことで、微笑ましい。
まだまだ本当の姿を見せてくれないけれど、いつか信頼してくれたら嬉しいなと思った。