第一話 嵐は突然に
わたくしの名はヘルミーナ・フォン・ロートリンゲン。
お父様は国王様の弟で、公爵の位を賜っていた。
王家のみに授かる黒髪に青い目は自慢の一つ。
それ以上に自慢なのが、わたくしの十人のお姉様。
編み物や裁縫が得意で、明るいエルケお姉様、剣術が得意で、様々な身を護る方法を叩きこんでくれたドロテアお姉様。コリアンナお姉様の歌は世界一で、シャルロッテお姉様の作るお菓子は、優しい味がする。お勉強を熱心に教えてくれたカサンドラお姉様、ツィツィーリエお姉様の美の追求は素晴らしいもの。自然の素晴らしさを教えてくれたアレクシアお姉様、三つ子のベルタお姉様、ビアンカお姉様、クララお姉様は年が近いので、たくさん遊んでもらった。
みんな優しくて、綺麗で、大好き。
でも、お父様はお姉様達の結婚相手を探すのが大変だったみたいで、苦労から日に日に後退していく頭髪を、わたくしは切なげに見守っていた。
お姉様達は十七か十八歳になれば、お嫁に行ってしまう。
物心ついた頃にはエルケお姉様とドロテアお姉様は結婚をしていたけれど、頻繁に遊びに来てくれていた。
遠い場所に嫁いで行ったお姉様は、年に一度会えるか会えないかだった。
お父様にお姉様を遠くに行かせないでと懇願したけれど、王都の中で結婚相手を探すのは大変なのだと、当時幼かったわたくしにきちんと説明をしてくれた。
一人、一人とお姉様達は嫁いで行ってしまう。
年々、広いお屋敷は静かになっていった。
そんな中で、わたくし達家族は不幸の谷底に落ちるような事件が起こる。
三つ子のベルタお姉様、ビアンカお姉様、クララお姉様の結婚を見届けた次の年に、お父様が亡くなった。
せっかく家族全員が久々に揃ったのに、悲しい再会となる。
喪が明けた一年後、わたくしは伯父である国王様に招かれた。
父の兄と言えど、伯父にお会いした回数は片手で足りるほど。当日は酷く緊張していた。
国王様、もとい、伯父様は葬儀以来会ったわたくしに、元気に過ごしていたかと聞いてくれる。
気落ちはしていたけれど、毎日元気に過ごしていた。
昔から体を鍛えてくれたドロテアお姉様のお蔭で風邪なんかほとんど引かないし、豊かな森の中を歩けば、心も癒されていた。他にも、お姉様が教えてくれたことが、わたくしを支えてくれている。
そんなことを話せば、伯父様は「今は一人でも、ヘルミーナの中に姉達が居るのだな」と言ってくれた。
その言葉に、胸がいっぱいになる。
遠くへ嫁いで行ったお姉様達は、わたくしの中に存在する。
そう思えば、とても勇気づけられた。もう、寂しくないとも。
伯父様にお礼をいったあと、本題へと移る。
今回の要件とは、驚くべきものだった。
それは、わたくしの結婚について。
話を聞けば、お父様は兄である伯父様に、結婚相手を探すように頼んでいた。
病床で、お忍びで見舞いに来た伯父様に、遺言として託していたと言う。
喪が明けた現在、伯父様はわたくしの結婚相手を探し、一人の男性を勧めてくれた。
まず初めに、強制的な結婚ではないと言う。気に入らなければ、別の相手を探すと。
お父様はわたくしが幸せになれる結婚をと、望んでいたらしい。その気持ちだけで、嬉しくなる。
相手の男性は信頼のおける人物で、伯父様も一目置いている殿方だと言う。明るく朗らかで、気持ちの良い方だと言っていた。最後に、相手の名前が挙げられる。
――エーリヒ・フォン・ヴェイマール。
それを聞いて声をあげそうになったけれど、寸前で呑み込んだ。
彼は古い歴史のある名家、ヴェイマール伯爵の次男で、産まれや育ちは良い。第二王子の近衛騎士をしていて、職業も申し分なかった。
一度だけ、エーリヒ・フォン・ヴェイマールに夜会で会ったことがあった。金色の髪に、優しげな翠色の目を持つ、ゾッとするような美しい顔をしている男性だ。
けれど、残念なことに彼は社交界一の遊び人で、女性との噂の絶えない尻軽男。
最近は王子に仕える侍女に手を出し、子どもが出来たという話も聞いていた。
年齢は二十七歳。貴族の男性としては結婚適齢期を僅かに過ぎているけれど、彼の過去を知っていれば、仕方がない話だったのかもしれない。
この結婚が気に入らなければ、拒否することが出来ると伯父様は言っていた。
けれど、貴族の結婚なんて、どの家も似たような状況にある。
家同士の繋がりを強めるための、血の契約だと。両親のような仲睦まじい夫婦は稀なのだ。
わたくしは、お忙しい伯父様にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないと思い、今回の結婚を受けることにした。
いいのかと聞き返される。
伯父様はエーリヒ・フォン・ヴェイマールの火遊びをご存じなのだろう。
望むところだと、わたくしは勝負ごとに挑むように、二つ返事を返した。
◇◇◇
――とは言っても、大人しく聞き分けの良い妻を演じるつもりは毛頭ない。
わたくしはエーリヒ・フォン・ヴェイマールへ宛てるお手紙に、様々な自己紹介を書き綴った。
『愛しい』エーリヒ・フォン・ヴェイマール様へ
まずは社交辞令的な挨拶にお礼の言葉と、これからお世話になりますという旨を、必要以上に丁寧な言い回しで書いた。こう、厭味ったらしい感じに。
それから本題へと移る。
まず、一番大切なことは、母を嫁ぎ先へと連れて行きたいという要望だった。
異国の箱入り娘の母は、頼る相手は多くない。なので、一緒に住みたいと思っている。ちなみに、公爵位は父が亡くなったあと、国に返された。
次に、好きなことを挙げてみた。
わたくしの一番の趣味は体を動かすことで、馬で森を駆ったり、狩猟シーズンになれば鹿狩りをしたり、木刀を使った稽古も毎日行っていることを書いた。
まあ、これは嘘ではない。剣の打ち合いが出来る日を楽しみにしていると、付け加えておく。
それから、流行りのドレスや宝飾類が大好きで、買い物が趣味だと書いた。
ついつい無駄使いをしてしまうこともしばしばあると、付け足しておく。
必要のないドレスや宝石なんて、買ったことなどないけれど。
社交界の友達付き合いも頻繁に行っており、お茶会は週に一度は開催していた。結婚をしたら、たくさんの人を招くことになることも忘れずに書く。
食事は一流の料理人が作ったものしか口にしないし、紅茶やお菓子の銘柄にもこだわりがある。詳しく書いておいた。
実家の使用人は全て連れて行きたい。
家具も、出来れば持ち込みたいと、好き勝手な望みを思いつく限り書いた。
これくらい叶えてもらわないと、遊び人の夫の妻なんてやっていけない。
子どもは何人か産むつもりでいるし、人前では貞淑な妻を演じるけれど、家の中は過ごしやすいようにしたかった。
わりと無茶な希望を書いた手紙は最終的に十五枚になったけれど、推敲せずにそのまま送った。
数日後、エーリヒ・フォン・ヴェイマールから返事が来たと、侍女が手紙を持って来る。
果たして、相手がどう出るのかワクワクしながら封を切った。
十五枚からなる手紙の返事は、一枚の便箋で返ってくる。
手紙を広げた瞬間、わたくしは眉を顰めた。
紙面にあった内容は、実にシンプルなものだった。
ヘルミーナ・フォン・ロートリンゲン様
お手紙ありがとうございます。あのように丁寧な手紙を頂いたのは初めてで、とても嬉しく思いました。
あなたが嫁いで来る日を、心待ちにしております。
エーリヒ・フォン・ヴェイマールより、愛をこめて
あの無理無駄無謀三拍子の、ありえない要望を全て呑むということなのか。ちょっと理解出来ないと思った。
悪評が広まり、世間体を気にしてお飾りの妻が必要だったと?
彼は贈り物も一緒に届けてくれていたようだ。
箱を開けば、中身は都で流行っているお菓子だった。
これはお一人様一箱限りで販売されている、三時間並ばないと入手出来ない幻のお菓子と言われていた。
それを口にしたいと思わない王都の女性は居ない。そんな、素敵な贈り物だった。
綺麗な字で書き綴られたお手紙。趣味の良い贈り物。
彼は完璧なお返しをしてくれた。
思わず、肩が震える。
怒りや恐れではない。
この湧き上がる感情は、そう、心が奮い立っているのだと。
エーリヒ・フォン・ヴェイマール。
相手にとって不足なし。
いつかかならず(精神的に)打ち破ってみせると、強い闘争心を燃やしていた。