プロローグ
ちょっと退屈な話しかもしれないが、聞いて欲しい。
まだ30代の僕が何故マンション管理人をしているのかを。
もともと僕はプログラマーだった。
パソコンを使って様々なソフトウェアを作ったり、webサービスを作ったりしていた。
殆どの会社にある表計算ソフトの作成にも参加した事がある位だった。
昔から人付き合いが苦手で、将来の職業はフリーで働けるプログラマーを目指していた。
今ではそれは甘い考えだったと分かるけど、高校生の頃の僕は分からなかったんだ。
そして才能もあったことから、大学でもトップクラスの成績で卒業。そして最大手のソフトウェア会社に就職が決まった。
そこから少し将来の夢と現実が合わなくなってきた。
仕事を始めたばかりの新人が、一人で好きな事をさせてもらえる訳がない。
直接の指導係りと一緒に、大きなシステム作りに参加する事になった。
製造に直接かかわる人数だけで500人はいた。
そんな中、指導係りに与えられた仕事は即座に終わり、他の仕事も先回りして終わらせてしまった。
「やっぱりこれは僕の天職だ。間違ってなかった!」
つまりは有頂天になって、天狗のように鼻を伸ばしてしまった。
僕は誰よりも仕事ができる、ついでに他の人の仕事も覚えてしまおう!そう張り切ってしまったのだ。
時間があけば他の部署にも顔を出し、同期の仕事を手伝い、先輩の仕事も対等に口出しできるようになった。
途中、指導係りの人が焦るな、のんびりやれと言っていたが、愉しいから大丈夫です!と忠告を無視してしまった。
そう、忠告だったことにさえ気づかなかった。
結果、新卒半年にして仕事を大量に割り振られていった。
後から知ったのだが、そのプロジェクトは大量の赤字を出しており、なんとしても早く終わらせる必要があったのだ。
使える人間がそこにいる、同期にも慕われリーダーもできる。さっさと使わないともったいない。
トップにそう目を付けられた僕は、仕事量に溺れた。
朝6時には会社にいて、会社を出るのは夜中の2時。電車なんか動かない時間だから、新卒なのに何故かタクシー券が渡された。
他の会社に折衝に出向き、部署内の調整はやらされ日に日にやつれていく顔とは対照的に、銀行の預金金額はひと月で100万ずつ増えていく。
そんな地獄のようなデスマーチを乗り越えた時に悟ってしまった。
こんなのを望んでいた訳ではないと。
それでも仕事はやってきて、淡々と日々を過ごしていくうちに心が動かなくなった。
身体も動かなくなった頃、同僚に連れられて病院に行きうつ病と診断された。
あとは話しは早かった。
会社を休職し、退職した。
二年間たまにふらっと旅行にいったり、家で寝ているうちに、ようやく考えられるようになった。
プログラムを作るのが好きなのは変わらない。それは趣味にしよう。
では仕事は?
プログラムを1人で作っても売るには人とのコミュニケーションが不可欠だ。
時間の余裕があり、ストレスのない仕事。
マンションのオーナーとなって管理人、いいかもしれない。
たったそれだけで両親の残した遺産と、たまりに溜まった貯金で中古のマンション一棟を購入した。
元のオーナーは同じ企業を既に退職していた老夫婦で、子供もいないし売り払ったお金で世界旅行に行きたいから、といって入居者をそのままに権利を譲ってくれた。
こうして10階建てのマンションのオーナー兼管理人としての生活が始まった。