第四話 副会長と喧騒
二人が通う天道学園は正式名称を天道大学付属天道学園中学校・高等学校とする私立の中高一貫校である。
校舎は日輪市旧市街の坂を上った高台にあり、学園からの眺めは中々のものなのだが、その学園に通じる八幡坂は長く勾配がきついため、生徒からは遅刻殺しと呼ばれていた。
なお、天道学園は地方の私立学校にしては珍しく高偏差値と自由な校風が特徴の学校で、同じ敷地には系列の幼稚園、小学校、大学、大学院、更には大学病院が併設してあるので、通い始めて二〇年以上という人も少なからずいるとの話である。
もっとも、希は昨年の十月に病院から学園に復学したばかりであるし、朔にいたっては今年の四月に市内の公立中学校から高等部の一年目である四年生に編入したばかりのため、通い始めてまだ半年ほどしか経っていなかったりする。
そういえば、同級生であり物知りな天蓋葵が、
『日輪市の……いや、向日島の頭脳がここに集結しているといっても過言ではない(ちなみに向日島は一島で一つの自治体のため、日輪市=向日島である)』
と、熱弁を振るっていたことを朔は思い出しつつ、黒い大理石の校門の横でバインダーを持って立っている女子生徒を指差し、希に問いかけた。
「校門のあの子、何しているのかな?」
「……あの子は真冬花だけど、何しているかは知らない」
「もしかして……友達?」
「うん、友達。同じクラスの子」
「本当に友達!? 嘘じゃないよね!」
「しつこい。嘘じゃない。本当」
希の口から友達と聞いて朔のテンションはアゲアゲだ。
なぜなら病院暮らしが長かった希には拓真以外に友達らしい友達は無く、また希の口からも友達という言葉を聞いたことが無かったからである。
嬉しそうに一人うんうん頷く朔を尻目に、希は校門の前の女子生徒に駆け寄った。
「真冬花、何してるの?」
希が話しかけると、バインダーに目を落としていた女子生徒が希に気がついたらしく顔を上げ微笑んだ。
「あら、希。おはようございます。今日は生徒会実施の制服チェックですよ。服装の乱れは生活の乱れに繋がるから任意で調べているのです。明日の生徒総会で後期生徒会が発足するので、前期生徒会としては最後のお勤めですね」
女子生徒の気心が知れたような対応を見ると、どうやら二人は本当に友人のようだ。
朔は希の友人というのなら予めどういう人間かを見極めておかないといけないと考え、真冬花という女子生徒に話しかけることにした。
「おはようございます、朝から精が出ますね」
朔は相手に警戒されないように笑顔で近寄っていくが、慣れない仕草のため怪しさ満点である。
「え? ええ、ありがとうございます……ところであなたは?」
真冬花は少し訝しげな表情を浮かべつつ朔に向き合った。
朔は思わず息を呑んだ。
間近で見る真冬花はいかにも箱入り娘ですと言わんばかりの雰囲気を醸し出しており、切れ長の瞳に烏羽色の長い髪を靡かせた姿は希に負けず劣らずの美少女だったからだ。
体つきは若干華奢で身長は朔と同じか少し小さいくらいだが、モデルのようにすらっとしたスタイルのためか、実際よりも幾分長身に見えた。
希を西洋人形的な美しさと表現するのならこの少女は日本人形的とも言うべき美しさだ。
……あれ? この子、昔どこかで会ったような気が……。
朔は首を捻った。
ここ最近では無く数年前のことの様な気がするが、どうにも詳しく思い出せない。
朔は考えることを一旦止めると、改まって自己紹介をした。
「申し遅れました。希の姉で玉桂朔といいます」
「ああ、貴方が噂の……いえ失礼、私は生徒会副会長を務める日野和真冬花です」
「噂の?」
朔は真冬花の言葉と表情に若干の違和感を覚えた。
言葉の抑揚や表情の変化から察するにどうもあまり良い印象を持たれていない感がある。
……何か気に障ることでも言ったかな? でも、噂ってなんだろう?
だが、思い直しても朔にコレといった心当たりが無い。
朔が次の言葉を探し思案していると、
「日野和真冬花はいるか!」
と、突然校舎の方から野太い声が辺りに響いた。
声の行方に目を向けると、身長が百九十センチはありそうな筋肉質の男子が取り巻きを数名伴って近づいてくる。
白い胴着に黒い帯……姿からして空手部か柔道部だろう。
「……空手部の連中ですね。希はここで待っていてください」
真冬花は希にそう言い付けると、明らかに好意的な態度ではない空手部連中に歩み寄った。
「伯方空手部長、おはようございます。申し訳ございませんが今は仕事が少々立て込んでおりますので、何か御用がありましたら放課後に生徒会室へお願いします」
真冬花は校庭の中央付近で伯方とその取り巻きと対峙すると、丁寧ながらも反論を寄せ付けない口調で話しかけた。
その表情は笑顔なのに目が笑っていないのが正直怖い。
「ふざけるな! 俺の大事な歩きゅんに怪我をさせておいてなんだその態度は!」
伯方空手部部長とやらが吼えた。
その野太く大音量の声に、遠巻きに事態を観察していた生徒たちにも緊張が走る。
「あら、先に仕掛けてきたのはそちらの部員さんですよ。私はただ、正当な防衛を行ったまででございますが? どうでしょう、副部長の大三島先輩♪」
真冬花はバインダーを小脇に抱え胸を張って挑発するように言い放つと取り巻きの一人に視線を向けた。
その視線の先には一見すると女子のような顔つきをした小柄な男子が憮然としていた。
なるほど、彼が空手部副部長の大三島歩きゅんらしい。
それはさておき、真冬花からは全く場を収める気が感じられないと朔は思った。
むしろ逆に挑発をする始末で完全に相手を殺る勢いだ。
第一印象ではいかにもな箱入り娘かと思ったが、存外アグレッシブのようである。
流石副会長ともなると人とは違うものを持っているらしい。
「どこが正当防衛だよ! 「監査です」と部室に入ってきたと思えばいきなり台帳を漁るから止めようとしただけじゃないか! それなのに思いっきり投げ飛ばしやがって!」
副部長の歩きゅんが反論した。
言葉遣いはなるほど男子だが、声変わり前のようなボーイソプラノのせいで迫力ゼロのショタボーイ大三島であった。
「しょうがないじゃないですか。そもそも女子に考えもなしに手を出す方が悪いのです。それに部費を私的に流用されているという情報が入ったのですから早急に調査が必要ですし、結果不正も見つかったのですから反省していただくのはそちらかと」
真冬花は全く悪びれる様子も無くしれっと相手に責任転嫁だ。
「全く話にならんな。貴様には俺とサシで落とし前をつけさせてもらう! こいつらは、その立会人だ! いいな!」
伯方部長こと筋肉ダルマは、大三島や数人の取り巻き達を指し示し、高らかに宣言する。
そして、その返答を訊かぬまま真冬花に殴りかかった。
「仕方ありませんね、そのサシの勝負受けて立ちましょう。……全く、これだから脳筋は嫌なのです」
真冬花は諦めたように嘆息しながら、身を翻してあっさりと筋肉ダルマの拳をかわす。
筋肉ダルマもそれは織り込み済みなのか、間髪いれずに腕をなぎ払い追撃するが真冬花はそれも涼しい顔で回避。
その後も筋肉ダルマは攻勢に出るが全く攻撃が当たる気配は無い。
攻撃を交わす真冬花のその姿はまるでひらひらと舞い落ちる花片の様だった。
「あの子、強いね。戦い慣れてる」
朔は真冬花の戦いぶりを食い入るように見ながら希に話しかけた。
「そりゃそうだよ。筋肉ダルマもインハイで北海道ベスト四だからかなり強いよ。でも、真冬花ほどじゃないね。彼女、ああ見えて空手の師範代だからね。パワーはそれほどでもないけど、身のこなしとか本当に凄いよ。あの筋肉ダルマ、パワーはあるから一発を狙っている感じだけど、あれは当たらないね。ま、体力的に持って三分かな」
「……キミ、いたんだ」
希に話しかけたつもりが、葵がしれっと解説を差し込んできた。
いつの間に追いついたのかと朔が疑問に思っていると、葵がふくれっ面で抗議した。
「それはそうと置いていくなんて酷いよ!」
「……そんな事実はないなぁ。被害妄想じゃない?」
朔の非情な突き放しが炸裂だ。
「……バカな……被害妄想だと……」
あまりの言い草に、流石の葵も地面に手を付きうなだれた。
そんな葵を見て朔はさらに追撃する。
「そもそも道の真ん中でいきなり妄想に耽るのとか迷惑」
「やめて! 追い討ちをかけないで! 私のライフはもうゼロよ!」
若干、涙目の葵であった。
「とりあえず解説はご苦労様。でもキミに用事はないから消えて」
「酷いよ、朔ちゃん! あんなに愛し合った仲じゃない!」
「捏造しないで気持ち悪い。大体、女の子が女の子を好きというのも正直どうかと思う」
朔は身も蓋もないことをあっさりと口にした。
葵にはとことんサドい朔であった。
「そんな事は解っているんじゃい! でも仕方ないんや! 好きなもんは好きなんや!」
何故かエセ関西弁で反論の葵である。
「キミって、ホント終わってる――」
開き直る葵に嘆息しつつ、朔が何気なく校庭の方に振り向いた瞬間――
「真冬花! 危ない!」
希の悲鳴とも取れる声が校庭に響いた。
それと同時に朔の目に筋肉ダルマの拳を間一髪のところで躱す真冬花が映った。
さらに真冬花を一方的に攻め立てる筋肉ダルマを見て、朔はその不可解さに首を傾げた。
朔の見立てでは筋肉ダルマが真冬花に敵う要素など一片も無かったからだ。
「希、何があったの?」
「それが、真冬花とあの筋肉が一対一で戦っていたんだけど、立会人をしていた他の空手部員がいきなり後ろから真冬花に襲い掛かって、それで隙が出来て……」
希がパニックになりながらも朔の疑問に答える。
「ふぅん、なるほどね。あ、また手出した。ほんと汚い連中だ」
朔が詰まらなそうに呟いた。
この勝負はサシだったはずなのにそれを反故にするなど武術を嗜む者としては風上にも置けない最低のグズである。
そんな人物が黒帯を締めているのだから笑えないジョークであると朔は心の中で毒づきつつ戦況を見つめる。
翻って真冬花は劣勢を覆すことが出来ず防戦一方であった。
「うわ、どんどんヤバイ感じに! ショタ副部長は相変わらずしたたかだねー」
「あのショタが黒幕なの?」
「そう。あんな見た目なのに腹黒くてね、しかも人に取り入るのがやたらと上手いんだよー。脳筋の筋肉ダルマは単独行動を好むし、こと戦いにおいては一対一を信条としているから、ああいうのは嫌うはずなんだ。でもそこを上手く説得したか丸め込んで、取り巻きを争いに加えたのは間違いなく奴の仕業だよー。真冬花も筋肉ダルマの信条を知っているからこそ、あの場面でサシの勝負を受けて立ったみたい。でも乱入があるとは想像していなかったから対応が後手に回って不利を覆せずだねー。はじめから多数と戦うと分かっていたのなら、ああはならなかったんだろうけど今更だしなぁ……」
葵が冷静に状況分析をしながら珍しく顔をしかめた。
「真冬花やられちゃうの?」
希は戦況を見つめながら心配そうに問いかけた。
「うぅーん、現状はきわめて不利だね。何か打開のきっかけがあればいいんだけど……」
葵は戦闘中の真冬花をじっと見据え難しい顔をした。
「そんな……どうにかしないと……」
希が今にも泣き出しそうな声で呟く。
しかし、どうにかしないとと言っても病弱な希や、標準的な女子の葵では手出しが出来ないのは明らかだ。
回りで様子を窺っている生徒も心配そうにはしているが、助けに入ろうという動きや気配は見えない。
このままでは真冬花がやられるのは時間の問題だろうと朔も思ったが、他者との関わりを出来るだけ持たないようにしている朔にとって関知すべき事柄ではない。
そんな時、ふと朔の脳裏にまるで悪魔の囁きのような打算がよぎった。
……そういえば希は日野和真冬花という副会長を友達っていったよね。ここで助けたら希は喜ぶかな? きっと喜ぶよね! するとその友人である副会長を助けたボクは、希から見れば友達を助けてくれた恩人であり、なおかつかっこよく素敵なお姉ちゃんになるのかな? なるよね! つまりボクはかっこよく友達を助けてくれた素敵なお姉ちゃんになり、当然そんなお姉ちゃんとは学校の中でも常に一緒に居たくなるのも当然な訳で、そうなるとボクも希も幸せという結末に……よし! 助けよう!
頭の中で皮算用を終えた朔が心配そうに成り行きを見つめる希に微笑みかけると――
「ちょっといってくるね」
――と、だけ言うと駈け出した。
「え? なにを……」
希の驚いた顔がちらりと見えたが、そんなのはお構いなしだ。
朔は喧騒が続く渦中に自ら飛び込んでいった。
登場人物
日野和真冬花……生徒会副会長で希の友人。日野和財閥の娘。向日島のお姫様。
大三島歩……空手部副部長。腹黒ショタ。