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ボクと妹の不適切な関係性  作者: 九巻はるか
第二章 好きと依存の境界線
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第十九話 朔がいちばん欲しかったもの

「くそ! 私は間抜けだ!」


 繭子は欄干から身を迫り出し、目下の水面に大きく広がった波紋を見ながら悪態をついた。

 もう一息のところで朔を止められたのに、その機会を逃しただけではなく、希まで道連れにさせてしまったのだ。

 まだ二人とも死んだと決まった訳ではないが、朔も希も碌に水泳の経験が無いため、すぐにでも助けないと朔と希を待っている未来は溺死か低体温症で死ぬかの二択である。

 だからと言って何か手は無いか考えてみるが全く思いつかない。

 ただ茫然と水面を見つめていると、同じように水面を凝視していた真冬花が口を開いた。


「私が二人を助けます。狭霧先生は展望台の下にある、あちらの岸で待機。もしもの時の準備をしていてください」


 真冬花は繭子に指示を出すと、おもむろに欄干を乗り越え湖に飛び込もうとした。


「ちょっ! 待ちなさい! 真冬花ちゃんまで何かあったらどうするの!」


 繭子は真冬花の肩を慌てて掴み制止する。すると真冬花は、


「離して下さい。無茶なことを言っているつもりはありません。それにこのまま指を咥えて見ていたら二人とも死ぬだけです。だから私が二人を岸まで引き上げます。良いですね」


 真冬花はさも当然だと言わんばかりの表情を浮かべ言った。

 もちろん良い訳が無いので、繭子はぶんぶんと首を横に振り制止するが、


「良い訳な――って、あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 真冬花は繭子の制止を無視すると強引に拘束を振り払い、朔と希が沈んだ水面目がけて飛び込んだ。

 思わず頭を抱え絶叫する繭子。


「くそっ! どいつもこいつも若さだけで突っ走りやがって! こっちの苦労を考えろ!」


 悪態をつきつつも、真冬花に指示されたポイントにダッシュで向かう繭子であった。





 朔は暗い水中で意識の無い希を抱えもがいていた。

 希は着水時の衝撃のためか、着水後すぐに意識を失い、ゆっくりと沈んでいったため朔が急いで抱きかかえたのだ。

 しかし、朔には水泳の覚えが無く、また洋服が水を吸って朔の動作を鈍くしていたため、思うように水面に浮上する事が出来ず苦しんでいた。


 ……このままじゃ、希が死んじゃう! 早く水面に上がらないと!


 朔は焦る。

 手足をフルに動かして何とか水面まで上がろうと試みるが、上手く水を掻くことが出来ない。

 そうしているうちに朔の意識が段々と朦朧としてきた。酸素不足だ。


 ……こんなはずじゃないのに、希には生きて欲しいのに。もうだめなのかな……。


 朔の肺から空気が抜ける。

 いよいよ最後であると朦朧とした意識の中で認識した刹那、朔は背中から腕を掴まれ、一気に水面へと引き挙げられた。

 朔は水面で一度大きく呼吸すると、背後から朔を持ち上げている人物を見た。

 真冬花であった。


「……どうして……」


 朔は意味が判らず呟いた。


「私だけ仲間外れなんて、真っ平御免ですからっ!」


 真冬花はそれだけ言うと、朔を抱えたまま岸の方に泳ぎ出した。

 真冬花の泳ぎは予想以上に力強く、ぐんぐんと岸の方に進んでいく。そのため、精神的に余裕の出来た朔ははっとして腕の中の希を見た。

 希はぐったりしたままで、呼吸をしているかどうかも怪しい状況だ。朔が何度も何度も声を掛けるが、反応は無い。

 三人の足がつく浅瀬までやってくると、朔は希を抱え、岸に待機していた繭子目がけて駆け寄った。


「繭子さん! 希の息がっ! どうしよう、どうすれば!」

「落ち着きなさい! すぐに希を横にして!」


 繭子は狼狽する朔を一喝。

 希を仰向けに置かせ、脈や心音などを確認。心肺停止であることを繭子は確認すると、冷静に心肺蘇生法を繰り返した。

 その間、朔は祈るように身を竦めて蹲る。真冬花も心配そうに推移を見守る。

 寸刻とも数刻ともいえない時間が流れる。そして、何回目かの心臓マッサージのあと、希は少量の水を吐き出し、息を吹き返した。

 それまで閉じられていた瞳がゆっくりと開く。

 朔がいの一番に希の名を叫ぶ。真冬花は安堵する。繭子が張り詰めていた緊張を解いた。希は朔の声に反応して、朔を見つめた。


「希のばか! 死ぬところだったんだよ!」


 朔は怒声を上げた。しかし希は悪びれず呟いた。


「……私は別にそれでもよかった」

「何いっているの! 希が死んじゃったらボクは……」


 朔は希の顔を覗き込みながら、双眸からぽろぽろと玉のような涙を零す。


「朔は判ってないよ」

「…………え?」


 希が慈しむように朔の頬を撫でる。希の手に熱を持った涙が伝う。


「私だって朔が死んだら同じだよ。私の大好きな朔にも拓真さんにももう会えないんだよ。朔が病院に来てくれなくなって私は捨てられたと思った。その時は拓真さんがいてくれたから我慢できた。今度は拓真さんがいなくなった。でも、すぐに朔が来てくれてうれしかった。一度は朔に捨てられたと思ったけど、戻ってきてくれて本当に嬉かったんだよ」

「でもその割に希は冷たかった」

「だって、拓真さんもお母さんも朔のことが好きだと思っていたから嫉妬していたの。それに私だって何時までも子供じゃないんだから、人前でべたべたされたら恥ずかしいよ」

「鈍くてごめんなさい……」


 朔が涙を拭い、しゅんとして肩を落とす。

 希は苦笑いを浮かべつつ、脱線しかけた話の流れを元に戻す。


「それなのに朔が死んじゃったら今度こそ私は本当にひとりぼっちになるんだよ。そんなの耐えられないよ。そうなるくらいなら、私だって大事な人と一緒に死んだ方がいい」


 希はか細くも、気持ちの詰まった調子で言った。


「でも、ボクは男なのに女のふりをしていた気色悪い人間なんだよ! 希をずっと騙していたんだよ! 腐ったみかんなんだよ! それにボクは母さんが言った通り希をいつか不幸にするんだよ! こんなボクが希のそばに居ていいはず無いじゃないか!」

「卑屈にならないで。私はそんなの気にしないよ。お母さんの言っていたことが本当でも私はかまわない。だって、私は今まで朔にたくさん人生を貰って幸せだった。素敵な恋だって出来た。だから、今度は私が朔に人生をあげる。朔がくじけたら慰めてあげる。朔が恋をしたらいっぱい応援してあげる。朔が頑張ったらいっぱい褒めてあげる。朔が病気になったら怪我をしたら看病してあげる。朔を馬鹿にするやつはやっつけてあげる。朔のすべてを受け入れてあげる。料理だって洗濯だって頑張って覚える。だからね、これからも私と一緒に生きていこう」

「ボ、ボクはその言葉を信じていいのかな? だって、明日になったら希だって気が変わるかも知れないよ。その場の勢いで余計なことを言ったって思ってきっと後悔――」


 希は体を起こし、朔を抱きしめた。

 朔の口から吐き出されていた迷いが残った言葉が止まる。

 希は朔の頭を撫でながら口を開く。


「今までごめんね、わかってあげられなくて。辛かったよね。悲しかったよね。辛かったら、甘えたっていいんだよ。悲しかったら、泣いたっていいんだよ。もう我慢しなくたっていいんだよ。朔はいっぱい頑張ったよ。私が保証するよ。だからもう私のために消えるなんて言わないで。死ぬなんて言わないで。私は朔と一緒にいれるだけで幸せだから」


 朔の双眸から滔々と涙が零れた。

 朔は希の言葉を瞬き一つせず噛み締める。


「朔は誰のためでもない朔の人生を歩んで。私はそれを応援するよ。だから、もう一度言うよ。私と一緒に生きて、おねがい、私の大好きなお兄ちゃん」


 希はそう言うと朔をちからいっぱい抱きしめた。

 朔も「うん、うん」と泣きじゃくりながら、希を抱き返す。

 偽りだらけの関係だった双子が初めて本当の家族になった瞬間であった。





「ま、何とか収まる所に収まったようね」


 朔と希の歴史的融和を見て、肩の荷が下りた繭子は安堵の息をついた。


「ええ、本当に良かったです」


 真冬花は柄にもなく、目尻にうっすらと涙を浮かべて頷いた。


「ところでお楽しみのところ悪いんだけど、朔はいつまでいちゃついているつもりなのかな♪」

「えっ、あっ! いやこれは別にいちゃついているわけではなくてですね……その……」


 繭子の冷やかしに朔がはっとなり、急いで希から身を離すと消え入りそうな声で言い訳をした。

 そんな朔を追撃するように真冬花も口を挟む。


「そうです。仮にも兄妹なのですから、行き過ぎたスキンシップは避けてください!」

「あう、ごめんなさい……」


 真冬花の叱責に朔は謝罪する。

 一方、希はスキンシップを邪魔され不満そうに呟いた。


「……私は別にいいのに」

「よくありません! 私には朔さんを真っ当な道に戻す義務があります。なお、そのリハビリには男女の健全なお付き合いが有効だと思いますので、不肖ながら私がその役目を全うします」


 真冬花は頬を軽く桜色に染めながらしれっと言った。

 希のこめかみに青筋が浮く。


「えっ? それって、ボクとあなたが男女交際をするってことですか?」


 朔は驚き、言葉の真意を確認すると、真冬花はこくんと首肯する。


「ええ、そのとおりです。それとも朔さんは私ではご不満でしょうか……」

「いや、不満は無いんですけど、でも……」


 急な展開に朔が困惑していると、希が朔と間に割って入った。


「はい、そこまでー。残念だけど妹として、二人の交際は認められませーん。残念でした! ちなみに私と朔は失われた時間を取り戻すためにたくさんいちゃいちゃしないといけないから、真冬花は邪魔しないで!」


 希が無い胸を張って挑発するように主張すると、真冬花も感情を露にして反論する。


「なっ! 兄妹でそんな事が許されるとでも! 兄妹で情を交わすなど不道徳です!」


 正直、自分を朔の腹違いの妹であると認識しているお前が言うな状態であるが、真冬花にはそんなことは関係ない。色惚けた少女にとって非公式な血縁などあっても無いと同然だからだ。

 一方、希はそんな真冬花の言葉を無視。朔ににっこりと笑いかけて同意を求めた。


「それでいいよね、お兄ちゃん♪」

「えっ? う、うん……」

「ほら朔もこう言ってるから、真冬花は引っ込んで!」

「無理に頷かせただけでしょう! 不道徳、不道徳、不道徳です! 恥を知りなさい!」

「むーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


「……ぉおーい、真冬花―、朔は見つかったかー?」


 希と真冬花が朔を巡って睨み合っていると、ふいに朔たちの上方から声がかかった。

 一夏たち生徒会の面々だ。

 一夏たちは朔を見つけると安心したように一息つき、岸辺まで降りてきた。


「おお、居るな。よかった」

「朔ちゃん、もう探したよー」

「……そっか、みんな探してくれてたんだ」

「まったく、純情ビッチ先輩のせいで休日が丸潰れです。死ねばいいのに」

「佐鳥、自粛しろ。ところで三人ともずぶ濡れじゃないか? 一体、どうしたんだ?」


 和春が濡れ鼠の朔たちを見て疑問を漏らした。


「ああ、さとりました。ずばり水浴びでしょう!」

「いや、さとりん、時期的にも状況的におかしいからそれ。……ところで、朔ちゃん服が透けておっぱい見えてるよ? ノーブラ? はっ!? もしかして誘ってる? 誘ってるよね!」

「なっ! どこ見てるの! うぅ、えっち……」


 葵は濡れて透けている朔の胸元に目を向け、興奮気味に言った。

 別にノーブラではない。ブラがずれただけである。

 朔は慌てて胸を両手で覆い隠し、頬を赤らめ涙目になりながら上目遣いで葵を睨んだ。

 その姿はまるで年頃の女の子のように可憐で愛くるしいものだった。


「あ、ばか言うな! せっかく眼福に預かっていたのに!」

「ふっ、女の乳に興奮するとは一夏もまだまだだな。男の娘のちっぱいこそ正義だろう。まぁ、眼福だったことは否定せんがな!」


 あからさまにがっかりする一夏と、余裕をかましつつしっかりと見ていた和春であった。

 どうやら二人とも服が透けていた事には気がついていたが、役得とばかりに黙っていたらしい。


「あぅぅぅぅ……、男に見られた……。もう、お嫁にいけないよぅ……」


 男なのに大和撫子な朔が悲観にくれた。恥ずかしさのあまり混乱中である。


「落ち着いて朔! 言っていることがおかしいから!」

「葵、兄さん、春兄さん……。覚悟はいいですね……」


 朔を辱めたことにより、怒り頂点な真冬花がゆらりと三人に歩を進める。


「真冬花、落ち着いて! 先に誘ったのは朔ちゃんなの! だからほら、ひっひっふー」

「そうだぞ! 俺は悪くない! 葵が余計なことを言うのが悪いのだ!」

「女の乳房など見たくて見た訳じゃないのだから俺も悪くない」


 三者三様の言い訳をする一夏たちだが、内容がアレなだけに真冬花の怒りを増幅させるだけである。


「ふふふ、お三方、言いたいことはそれだけでしょうか?」

「あ、真冬花先輩、こんなこともあろうかと薙刀棒です」

「あら? 気が利くわね、佐鳥さん。良いさとりだわ」


 佐鳥はどこからともなく薙刀棒を取り出し、真冬花に手渡した。

 真冬花は少し驚きながらも満足そうにそれを受け取る。


「お褒めに与りまして光栄でございます!」


 芝居めいた敬礼をする佐鳥。

 一方、葵は火に油を注いだ佐鳥に抗議する。


「ちょっ! さとりん! 何やってるの! 利敵行為だよー!」

「はて、なんのことやら……」


 佐鳥が薄昏い笑みを浮かべ、惚けるように首を傾げた。


「あいつ、希ちゃんデート事件の時のことを恨んでやがったんだ! おい、和春何とかしろ!」

「何とかか……? おい、佐鳥。竹刀もしくはバールのようなものは無いのか?」

「変態に出すものなんてこの世にありませんが、何か?」

「ふむ……これは素直に諦めようか、一夏」

「ちょっ、おまっ!」

「和春くん、使えねぇー! って、痛い痛い痛いよぉ! ああっ! 新しい世界に目覚めちゃうぅぅぅ!」

「真冬花! ちょっと待て! 話せばわか――うげっ! がっ!」

「うーん、どうしてこうなったのか……がふっ」


 夜の帳が下りた神威湖にいつまでも一夏たちの悲鳴が響き渡っていた。


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