第十五話 ココロとカラダ
それを見た繭子は胸をほっと撫で下ろすと、次の説明を切り出す。
「拓真のことはもういいかな? じゃあ次は、朔が実は男の子で女装だった理由よ」
朔が男の子であると聞いて真冬花が素早く反応する。
「今でも信じがたいですけど、やはり朔さんは紛れもない男性なのですよね。お風呂でのあの感触は男性の……」
「そのとおり。確かに朔の見た目はああだけど、間違いなく男よ。あそこは無毛だけどね!」
繭子がいつものノリで余計な事を口走った。すると真冬花がぷいっと顔を逸らし、ためらいがちに呟いた。
「……知っています」
「……マジで?」
「「……」」
真冬花と繭子はそれだけ言い合うと押し黙った。
二人の間に気まずい沈黙が走る。
一人何のことだか解っていない希が、二人の様子を訝しげに眺めなら言を引き継ぐ。
「でも、朔は胸が大っきい。……男のくせにずるいと思う」
「……ん、うん、まあそうだね。普通の男の子だったらああはならないよね。でも身体は間違いなく天然ものだよ。もちろん胸もね」
「整形ではないのですか? シリコンもしくはヒアルロン酸の産物では?」
真冬花は自分の胸元をちらりと視認しながら、さらりと酷い事を口走った。
男である朔の胸が天然モノであることに己の胸と感情が許さなかったのだ。
「うん、整形なんかじゃないよ。でも、正常とも言いがたい。さっき真冬花ちゃんが読んだカルテに記載がある通り、先天性の性染色体障害からくるものなの」
「せい……せんしょくたい……って?」
「もう少し詳細に説明していただけますか?」
「生物の授業で習ったと思うけど、男性と女性を決める性染色体は何かわかるかい?」
「男性がXYで、女性がXXでしょう?」
「ご名答。普通ならそうだよね、でも朔は違う。XXY型の男性なんだよね」
「うー、どういうこと?」
希が小首を傾げた。一方、真冬花は意味を理解し、繭子の言葉を噛み砕いて説明する。
「つまり通常なら男性であればXとY、女性ならばXとXと言う風に二つの性染色体で構成されるところ、朔さんの場合はXとXとYと言う、一つ多い三つの性染色体で構成されている男性ということですね」
「そう。こういったXXYという性染色体をもつ男性は男性ホルモンの分泌が少なくなり、女性的な特徴を持つ事があるの」
「女性的特徴、ですか? それに持つじゃなく、持つ事がある?」
「そっ。みんながみんなに女性的特徴が出る訳ではないってこと。胸が膨らむ人だって少なくはないけど、多いってほどでもない。個人差がかなりあるものなの。そもそも、このXXYという性染色体を持つ男の子って実はそこまで珍しい訳じゃないのよ。出現率は千人いれば数人ってところかしら。この向日島でも年に一人くらいは生まれてくるけど、女性的特徴が出ない人の方が多いわ。ちなみに私はXXYの性染色体を持つ男の子で、女性的特徴が出た子を今まで五十人くらい診たけど、女の子と完全に見間違えるような容姿の子なんて朔だけよ。……運命だったのかしらね」
「朔はずっとあのままなの? ……胸とか……身体つきとか……」
繭子が淀み無く説明すると、希がおずおずと手を上げ質問した。
「んー、男性ホルモンを継続的に投与すれば、胸も引っ込むし多少は男の子っぽくなると思うわ。それでも胸が引っ込まないようなら外科手術で取っちゃうしかないけどね」
「……朔さん本人にその気はあるのでしょうか?」
「無い。これは断言できる。朔は女装に不利になることを絶対しない」
「そんな……」
真冬花の質問に繭子は眉を顰めつつ、首を横に振りきっぱり言い切った。
絶句する希。
真冬花は驚き、問い詰めるように問いただす。
「なぜですか、意味がわかりません!」
「……それはね、朔は女装することが朔と母である弓月を繋ぐ唯一のものと思っているからよ。私に言わせれば呪いだと思うけどね」
繭子は肩を落とし、諦観めいた口調で述懐した。
「呪いってどういうことですか?」
「それは朔が歩んできた人生を聞けばはっきりするわ。それから希ちゃんが見た、狭い朔の部屋の意味もね。ちょっと重い話になるけど覚悟はいい?」
「……はい」
「もちろんです」
繭子は神妙な表情で希と真冬花の顔を確認すると、二人はこくりと頷いた。
「そもそもね、朔の女装っていうか女としての人生は生まれた時から始まっているんだよ。朔と希ちゃんはご存知の通り男女の双子なんだけど、市役所には女児の双子として出生届が出されたの。まぁ、その出生届を書いたのは私なんだけどねー」
「……それって狭霧先生が黒幕って事ですよね」
さらっと罪を告白した繭子に、真冬花はこめかみを押さえながら冷静にツッコミを入れた。
「まあ、そうとも言えるかな?」
「どういうこと……? 狭霧先生……返答しだいでは……」
一方、希はふらりと立ち上がると、近くの机に置いてあったカッターを手に取り、剣呑な雰囲気で繭子に詰め寄る。
「誤解よ誤解! 話は最後まで聞きなさい!」
「なんか言い訳してるけど、どうする真冬花? 殺っちゃっていいかな? いいよね!」
繭子は希を慌てて制止するが、希は据わった目つきのまま今にも襲い掛かりそうな雰囲気を醸し出している。
「……一応、言い分は聞いてあげましょう。殺るのはそのあとでも遅くないわ」
「……わかった。一応は聞いてあげる」
真冬花は『一応』を強調しながら希を押し止めた。
本当に助かったのかどうかは怪しいところだが、何とか場が収まったことを確認し繭子は溜飲を下げた。
まったく、兄妹揃って手が早いのが玉に瑕ねと繭子は思いつつ話を続ける。
「弓月は妊娠当初からね、なぜか子供の性別をやたらと気にしていたの。でもって、妊婦健診のエコー検査では胎児に性器が見当たらなかったから、私も初めは女の子の双子だと診断をしたんだよ。そうしたら、弓月ったらやたらと安心した様子で「産んでもいいんだ」とか言いだして、すぐに胎教なんかも始めちゃって出産を待ち遠しそうにしていたんだよ。ところが予定日一ヶ月前のエコー検査で胎児の一人が男だって判ったの。そしたら弓月が顔面蒼白にして急に大慌てしだしたんだよ。理由を訊いても言わなかったけどね。で、ある日。何を思ったか急に「生まれてくる男の子は女の子として育てるから、出生届も女の子で出してくれ」って頼まれたの。もちろん最初は断ったよ。でも、なぜか弓月は必死だった。この子が生きて行く為にはそうするしかないって、頑として譲らなかった。弓月と私は親友だったんだけど、彼女は凄く真面目で一途で嘘が下手で不器用で融通が効かない頑固な子だったの。その弓月が自分の信念を曲げてまで懇願してくるから、結局は私もその熱意に負けて朔を女の子として出生届をだしたんだよ。だから、私が黒幕で実行犯ということ」
「……なんで朔が男であるといけないの? お父さんになる人は何をしていたの?」
希の声に怒りと悲しみが混じる。
母の見勝手さと見知らぬ父に失望したからだ。
そんな希を見て繭子はすまなそうに首をゆっくりと左右に振り答える。
「弓月がなんでそんなことを言いだしたのかは私にもわからない。あと、父親も誰か不明。そのことについて弓月は頑として口を開こうとしなかったからね」
「……それでその後、朔さんはどうなったのですか?」
「じゃ続きね。生まれた双子のうち希ちゃんは体が弱くそのまま入院継続よ。だから、弓月は朔と二人で暮らしだしたの。けれど、弓月は朔が男児と露見しないように私の医院に来る以外はあまり外出しなかったし、弓月の両親は既に他界していて他に頼れる家族もいなかった。だから弓月は四六時中、朔と向き合わなくちゃならなくて随分と育児ノイローゼになっていたみたい。それに朔を幼稚園や保育園に預けるにしても女の子として出さないといけないから、女子教育をずっとしていたんだけど、朔が嫌がって全然進まないっていつも愚痴ってた。どうも朔の性自認が圧倒的に男よりだったのが原因みたい。そんなこんなで朔が四歳くらいのある日、朔が女の子の振りや恰好が嫌だと随分とゴネたみたいなんだよね。それで、弓月の気持ちがぷっつり切れちゃったみたい。それまで毎日のように私の所に顔を出していた弓月と朔が姿を現さなくなった。何週間も弓月も朔も姿を見せないもんだから心配になって家まで行ってみたんだ。そうしたら、家にはガリガリに痩せた朔だけがいてね、びっくりしたよ。朔は栄養失調と脱水症状でだいぶやばかった。あと発見が二~三日遅れたら多分死んでた」
繭子は抑揚無く滔々と述懐した。
「どうしてそんなことに……」
真冬花が言葉少なげに呟いた。
繭子は当時を思い出すように瞳を閉じ再び話し出す。
「それがね、帰ってきた弓月を問い詰めたら休職していたはずの仕事にいつの間にか復帰していて、家には夜だけ帰ってきて朔の事は無視していたって。朔のことで働きに出られなくて貯蓄が底を尽きかけて生活が苦しかった。希の病院費も稼がないといけないし、休職期限ももう無かったから、朔は無かったことにするって、朔を生んだのは間違いだったって言いやがった。今でいう育児放棄だよ。頭にきてぶん殴ってやったけど、弓月の態度は変わらなかった。その後は毎日私が朔の様子を見に行くようにしたんだけど、変化といったら半月に一回だけテーブルに一万円札が載るようになっただけで、弓月は朔にそれ以上の関わりを持たなくなった。会話すらね。居間にホワイトボードが設置されて、弓月から朔へ指示がある時はそこに書かれるようになった。一方、朔の方はというと、ある日突然、母である弓月に無視されるようになってどうすれば良いか判らなかったみたい。こうなったのは自分のせいだって泣きながら言ってた。お母さんの言うことをきかなかったからこうなったってね。それから朔は弓月の以前の言いつけ通り、あれだけ嫌がっていた女装を自らするようになった。女装をしていれば、弓月がもう一度振り向いてくれると信じていたみたい。でも、弓月は変わらなかった。朔に対してはずっと無視。必要がある時だけホワイトボードにメモ書きして終わり。朔とは目も合わそうとしなかった。それでも朔は言いつけを守り、ずっと女装を辞めなかった。いつか弓月が朔を許してくれる日を信じてね。そして朔は自分を責め続けた。悪い子だからお母さんは許してくれないんだって。我儘な自分が悪いんだってね。子供の言う言葉でないよ。見てらんなかったよ。全部大人の都合なのに、朔が悪い訳じゃないのに。私は後悔したよ。なんで今まで気付いてあげられなかったのだろう。なんであんなことをしたのだろうって……」
繭子の懺悔にも似た言の葉が響く。
希と真冬花は衝撃的な内容に絶句し、ただ繭子の口上を聴くばかりである。
「私もね、このままじゃ朔が潰れるのは時間の問題だと思ったから、何か朔の支えになるものはないかと考えた。そして、ふと思いついたんだよ。朔を必要としてくれる存在をね。弓月は朔の性別がバレることを防ぐために、希ちゃんの様子を見に病院に行く時はいつも朔を置いて一人で行っていたの。だから朔と希ちゃんは互いの存在を認識していないとのではないかと考えたら、これが大正解! 希ちゃんは生まれてからずっと病院に入院していたし、友達がいないことも私は知っていたから、同い年の姉がいることを話して期待を持たせた。あなたを大切にしてくれる素敵なお姉ちゃんがいるよってね。一方、朔には一人で寂しい思いをしている同い年の妹がいるから、あなたがその子を助けてあげてって感じに働きかけた。……で、弓月には秘密で二人を引き合わせた後はトントン拍子だ。案の定、友達のいない希ちゃんは朔を最良の友人そして家族としたし、朔は希ちゃんの支えとなることを新しい生きがいとしたんだよ。これで朔は弓月の呪縛から解放されると思ったんだけど、朔の中で弓月と希ちゃんの問題は別だったらしくてそこは失敗だった。それでも当時は概ね上手くいったと思ったね。さすがに今の朔のようにあそこまで希ちゃんに依存するようになったのは誤算だったけど」
「……朔さんが希に依存ですか? 逆ではなくてですか?」
「そうだよ、私は朔に依存しているけど、私が朔に頼られた事なんか一度もないよ?」
真冬花と希は「朔が希に依存」という言葉に疑問を唱えた。
すると繭子は首を横に振り、はっきりと言いきる。
「いいや朔は間違いなく希ちゃんに依存しているよ。いわゆる共依存だね」
「共依存……ですか?」
「そう、共依存。希ちゃんはまあ言うまでも無く生活という行為の全てを朔に依存しているけど、朔はその逆、精神的に希ちゃんに依存しているの。つまり朔は希ちゃんの面倒を見ることにより自分が存在する意義を見い出しているのよ。特に朔は共依存の度合いが酷くてね、完全に希ちゃんの幸せが朔の幸せになっているから、たとえ自分がどうなっても希ちゃんを優先するようになってしまっている。だから、希ちゃんに騙されても希ちゃんを守ろうとする。希ちゃんだって昨日それを目の当たりにしたでしょう?」
「……うん。でもそんなの朔がかわいそう過ぎるよ……」
「どうすれば朔さんは共依存から抜け出せるのですか?」
「……朔は人生に失望し自己に意義を見い出していないから、朔自身が自分のために生きる目的や意味を見つけることが必要ね」
繭子はそう言いながらも嘆息する。
現状の朔を見る限りそれは困難であったからだ。
「どうして朔はそんなことになっちゃったんですか? 狭霧先生は理由を知っているんですよね? 知っているのなら教えてください!」
「私からもお願いします。狭霧先生、どうか教えていただけますか?」
希が熱意を持って訴えると真冬花も同調した。
繭子はこくりと頷き、口を開いた。




