第十一話 交わらないベクトル
「希、大丈夫? 痛いところは無い?」
朔は和春を見送ったあと心配そうに希へ駆け寄り、慈しむように頬を撫でた。
希は目を伏せたまま呟く。
「……平気」
「よかった……」
朔は安堵の表情を浮かべ、ふうと大きく息を吐き出した。
それっきり二人の間で会話が途切れ、しばしの静寂が二人を包む。
「……怒らないの?」
ややあってから希が沈んだ様子で朔に問いかけた。すると、朔はゆっくりと首を横に振った。
「私、朔に酷いことしたんだよ?」
希の声に悔恨の情が混じる。
まるで、叱責を待っているかのような言い草である。
「希は巻き込まれただけ。気に病む必要はないよ。……お外も暗くなってきたし、そろそろ家に帰ろっか?」
朔は微笑みながら、希の手を取って立ち上がらせようとする。
しかし、希は朔の手をはたくと、「……なにそれ?」と、思いつめた声色で呟いた。
希は叱って欲しかった。自身の罪をもっと明確に認識させて欲しかったのだ。
それなのに朔は怒る様子も無く、心配そうに「やっぱり、まだどこか痛む?」と見当違いの優しさを発揮する。
……なぜ、私は許されているの?
希はただ単純に疑問に思う。
そもそも今回の事件は希の一方的な八つ当たりに端を発しているのだ。
それなのに希は責められるどころか、むしろ逆に被害者だったような扱いである。
確かに朔は重度のシスコンといって差し支えない人物だが、それを差し引いても寛容すぎる態度である。
本当なら、多少なりともの叱責はするべきなのにそれが無いのは何故だろうかと希は考える。
例えば、後ろめたいことがあるから強く出られないだけなのかも知れない。もしくは、怒り心頭なのに作り笑いを浮かべているだけなのかも知れない。はたまた、怒る価値も無い人間と思われているのかも知れない。もしかしたら――。
希はいくら考えても朔の想いがわからず、心に苛立ちを抱えながら思わず吐き出した。
「……朔ってなんなの? 意味わかんない」
希の偽らざる本心だった。
すると朔はいつもと同じように、決まりきった笑顔を希に向け言った。
「私は希のことが一番大好きな、ただのお姉ちゃんだよ」
希はそんな作りものの笑顔を浮かべる朔に嫌悪感を覚え、そして次の瞬間に爆発した。
「意味わかんないって言ってるの! なに、なんなの? 朔ってなんなの? なんで? なんでそんなに優しくするの!? 私は朔を騙したんだよ? 陥れたんだよ! 怒ればいいじゃない! 罵れば良いじゃない! それなのに、なんでなんでなんでそんなに優しくするのよ! お母さんが死んだから? 家族が私しかいないから? どうせ私には朔以外に頼れる人なんていないとでも思ってるんでしょ!」
「そんなことないよ、落ち着いて!」
今まで鬱積したものが希の口から次々と噴出する。
突然のことに面を食らった朔は落ち着かせようとするが、希は止まらない。
「どーせ、私は朔がいなければなんにも出来ないわよ! 料理は出来ないし、掃除も洗濯だって碌に出来ないわよ! 性格だって悪いし、愛想だってないし、体だって貧相よ! ……でも、朔は違うよね。家事は万能だし、性格だって良いし、スタイルだっていいし、おっぱいも大きいし、美人だし、私が持ってないものを何でも持っているよね! そりゃあ、お兄ちゃんだって私なんかより朔を選ぶに決まってる! わかってたわよ、そんなこと……」
「そんなことない、拓真だって希のこと大切に思っているよ!」
「それは妹としてだよね、お兄ちゃんの死んじゃった妹の変わりとしてだよね! でも、私は一人の女の子として選んでほしかった! 恋人としてお兄ちゃんの横にいたかった!」
「希、違うの! あのね、拓真は――」
「一度私を捨てたくせに! お母さんを奪ったくせに! お兄ちゃんを奪ったくせに! そんなに優しくしないでよ! なれなれしくしないでよ! 私が一番大事なんて今更言わないでよ! 朔なんて大嫌い! 顔も見たくない! 朔なんてもう家族でも何でもない!」
「……本気……じゃないよね……?」
朔は青ざめた顔をしながら、希にすがるように問いかけた。
希はふんと鼻を鳴らし答える。
「これだけ聞いてもまだ解からないの!? もう一度言うわ! 朔なんて大嫌い! 二度と私の前に姿を現さないで! 私の前から消えて無くなれ!!」
希は息を切らしながら言いきった。
目を見開き瞬き一つせず呆然としている朔を見て、希はすぐに激しい罪悪感に襲われた。言い過ぎだと思った。失望されると思った。
……でも、これで朔は私を怒ってくれる。
そう、希は期待した。――しかし、
「……そっか、そうだったんだ。……私は希をそこまで追い詰めちゃっていたんだね。今更謝っても遅いと思うけど、ごめんなさい。私、無神経だった。……ははっ、本当に私って保護者面して何やっていたんだろう……」
朔は血の気を失った顔で自嘲した。
それは希が期待した答えでは無かった。
希の意図に反して朔は希を責めず、自分を責めた。
「違う! 私はそんな言葉がっ――」
「朔、大丈夫か!!」
希がそう叫び出そうとしたとき、倉庫に大声が響いた。
朔と希が声の方向に目を向けると、倉庫の入り口に一夏が仁王立ちしていた。
「倉庫の方から暴走族が集団で逃げてきたから慌ててきたんだが、大丈夫だったか?」
「やっ、やっと見つけたよ、朔ちゃん!」
「うええ、走りすぎて吐きそう……」
一夏に引き続き葵と佐鳥も登場だ。
朔は苦笑いを浮かべて一夏たちに歩み寄る。
「……わざわざ、助けにきたんですか? ご苦労様です。……まぁ、自称掃除屋さんが全部片付けてくれたから、もう終わっちゃいましたけどね」
「マジで!? あいつエスパーか!?」
「和春くん、変態の癖に良いトコどりだよ!」
「厭でもさとりました。無駄足だったという事を……」
朔は倉庫入り口まで歩み寄ると、落ち込む一夏ら三人にお願いをした。
「せっかく来てくれたことだし、一つお願いしてもいいですか? 希を家までエスコートして欲しいんです。私、ちょっと用事があるから……」
「おおっ! もちろんいいぞ!」
「任されたよ、朔ちゃん! のぞみんは私がじっくりねっとりエスコートするよ!」
「無駄足じゃなかったという意味付けが何とかできましたねー」
お願いを快諾した一夏たちに、朔は「お願いします」と声を掛けると、
「……じゃあ、私、先に行っているから、気をつけて帰ってきてね」
儚げな作り笑いを希に向け、消えるように倉庫を後にした。
「あっ、待って!」
希は慌てて呼び止めようとして倉庫の外まで駆け出した。しかし、外に出て辺りを見回しても既に朔の姿はどこにも存在していなかった。
希は呆然と立ち尽くし、ぽろりと一つ涙を零した。
素直にごめんなさいと言えない自分が嫌になった。
「……私……最低だ……」
「じゃあ、私達も帰りましょうかー……って、あれ? 希先輩どうしたんですか? どこか痛めました? それとも体調が優れませんか?」
希の涙に気が付いた佐鳥が心配そうに問いかけた。すると葵もすぐに同様の気遣いを見せる。
「のぞみん、おんぶする? それとも、タクシー呼んだほうがいい?」
「……ん、大丈夫」
希はごしごしと袖で涙を拭うと、いつもの落ち着いた表情を取り戻す。
「辛いなら無理しなくていいからな。……よし、じゃあ行くか」
「ええ、お願いします」
希は後悔を胸に懐きながら、倉庫を後にした。




