第七話 姉と妹の決別
「……ん」
希は眠りから目を覚まし、きょろきょろと辺りを見回すと、見慣れたインテリアが瞳に映った。
どうやら自宅のようである。日はすっかり落ちており、時計に目を向けると午後七時前。帰宅してから二時間は経っている。
拓真とデートの後、カフェで呆然としていた所を一夏や葵に自宅まで送られ、そのまま居間のソファーに突っ伏していたら、うとうとして眠ってしまったらしい。
希は己のだらしなさに自戒しながら深く息を吐き出した。
「……お兄ちゃんに振られちゃったんだ」
そう呟いた瞬間、希の瞳から涙がぽつりと一つ零れ落ちた。
今まで実感できなかったことなのに、口にしたことで急に拓真に拒絶されたという事実が鮮明になったのを認識する。
希とて想いが通じない可能性を想定していなかった訳では無い。むしろ、失敗する確立の方が高いと見込んでいたくらいである。
だが、いざそれが現実となると覚悟していたとはいえ、やはり随分とショックを受けていたことを実感する。
「もう、手紙も出せないよね……」
拓真なら兄として返事を返してくれるだろう。
だが、想いを伝え、拒絶された後からでは手紙にどんな事を記せばいいのか希は見当もつかなかった。
それに今更、以前の関係に戻ることは叶わないだろう。
そう思うと、喪失感にも似た気持ちを抑える事が出来ず、ぽろぽろと溢れ出した涙が頬を伝って膝を濡らす。
「あ……私、泣いているんだ……」
希は自分が泣いていることに初めて気がついた。
希にとって拓真は誰よりも愛しく、そして心の支えであった。しかし、そんな拓真は希よりも朔を選んだ。結局、希は初めから妹以上のものではなかったのだ。
しかしこれは拓真の意志である。納得しなければならないと頭では思うが、すぐには割り切れそうに無い希であった。
どれ位時間が経っただろうか。ふと、時計を見ると午後八時前。そういえば朔の帰宅が遅いと思い始めた時、玄関に通じる居間のドアが開いた。
秋用の薄い外套を身に着け、手に買い物袋を持った朔が「ただいま」と居間に入ってきたのだ。
「こんな時間まで何していたの?」
希は少し攻める様な口調で問うと、朔は少々バツが悪そうに答えた。
「繭子さんちの部屋の掃除とか片付けが終わらなくてね。それよりもお腹すいたでしょう? 晩御飯にしよっか?」
朔は追及をかわし、希に優しく問いかけた。
「何も食べたくない」
希は朔から不機嫌そうに顔を逸らし拒絶した。
八つ当たりだなと希も思ったが、拓真が朔を選んだという事実をすぐに割り切れるほど大人でもなかった。
今はそっとしておいて欲しい気分なのである。
「でも、ちゃんと食べないと体に悪いよ。ね、だから一緒に食べよ」
朔は困った様子の笑みを浮かべながら歩み寄り、希の手を取った。
「ほっといてよ!」
朔の気安い行動に反感を覚えた希は、朔の手を思いっきり振り払う。
その勢いに負け、朔は思わず尻餅をついた。するとその衝撃で朔の外套のポケットからあるものが零れ落ちた。
避妊具だ。朔が真冬花と勝負し、負傷した時に繭子に無理やり押し付けられたものだった。
「……なに……それ……?」
希がそれを見て驚愕の表情を浮かべた。そしてそのまま朔を睨みつける。
「や、ち……違うの。これは別に使ったとかじゃなくて……」
朔は慌ててそれを拾い上げると、ポケットにしまい込み言い繕う。
「……遅いと思ったらそういうことだったんだ」
怒りでわなわなと希の体が震えた。希の中で激しい憤りが湧き立つ。
「……ち、違う。違うんだよ。これは繭子さんが勝手に――」
「お兄ちゃんとしたんだ」
「そんな訳無いじゃない! 私は拓真とは何にも無いの」
「いつも二人で逢っていたんでしょ。今日だって本当は朔と会うつもりで来てたんだ」
「だから、違うの! お願いだから聴いて!」
朔は必死に弁明しようとするが、希は聞く耳を持たない。
希は惨めだった。朔と拓真は既に深い仲だったのにも関わらず、デートだと浮かれ、さらにはまだ自分にもチャンスがあると思っていたからだ。
実際はただの間抜けなピエロであっただけなのに。
今日だって希が目的なんかじゃなく、朔に会いに来たついでに過ぎなかった訳だ。
「何が楽しんできてね……よ……。私が振られるのわかってた癖に! どうせ陰で笑っていたんでしょ!」
「そんな事あるわけ無いじゃない! だから落ち着いて!」
「うるさいうるさいうるさいうるさい!! 朔なんて嫌い、嫌い! 大嫌い!」
希は感情を露にすると朔の静止を振り切り、そのまま部屋に篭った。
朔は自身の至らなさを感じながらもそれをただ見つめる事しか出来なかった。
避妊具のくだりは『第一章 第十九話 真冬花の新しい恋?』を参照願います。




