第四話 後見人・狭霧繭子の苦悩
朔が生徒会室で黄昏ていた頃。デスクで作業をしていた繭子が、校医室へとやってきた希と向かい合っていた。
「まあ座って。私に用事って珍しいね、希ちゃん。こうしてお話するのはいつ振りかな?」
繭子はそう言って希に微笑みかける。
希は促されるまま丸椅子に腰掛けると口を開いた。
「多分、一年前に病院で話した時以来だと思います」
「ああ、病院を退院したとき以来かぁ。それから随分と色々あったね」
「そうですね、その節はお世話になりました。……実は正直に言いますと、朔がいつも話題に出す繭子さんが、私の知る狭霧先生と同一人物で私の後見人だったことを先ほど知りました」
「……マジで?」
「マジです。後見人なんて私は興味無かったし、手続きとかも朔が全部やってくれるので気にした事も無かったです」
実は先日、朔が真冬花との勝負にて怪我をした時に希も繭子と一度顔を合わせているのだが、まさかこの繭子が自分の後見人である狭霧医師と同一人物だとは露ほども思わなかったのだ。
ここ二週間の苦労は一体……とも思ったが、本来なら知って然るべき事を知らなかった己の落ち度だと心の中で嘆息する希であった。
「……全く、あの過保護は……。まあそれはいいや、それで今日はどうしたんだい?」
繭子は朔の過保護ぶりに渋い表情を浮かべつつ、すぐに気を取り直して希を見る。
希はしばしの黙考ののち、何かを決意したかのように小さく頷くと口を開いた。
「……実は、今日はお願いがあってきました」
「うん? おねがいって何かな?」
繭子は心当たりを探りながら聞く。すると希は想いを一気に爆発させ捲くし立てる。
「私、お兄ちゃんと会いたいんです! だから、一度でもいいから会わせてください!」
希の勢いに繭子は面を食らった。しかし、希が指す「お兄ちゃん」が繭子には誰を指しているのか判らず、訝しげに首を傾げた。
「ごめん。お兄ちゃんって誰のこと?」
「……狭霧先生の親族って聞いている更柄拓真さんです。先生にはいつも手紙を届けてもらっていて感謝しています」
「え……? ああっ! お兄ちゃんって拓真ね! で、彼に会いたいってことでいいのかしら?」
繭子は「拓真ね拓真。うん、思い出した」と確認するように呟きながら希の反応を待った。
「そうです。どうしてももう一度会いたいんです。元気になった私の姿を見せたいんです!」
希は俯きがちに想いを吐き出した。
嘘を言ったつもりは無い。元気になった姿を見せたいのは本当のことだからだ。
とはいえ、会いたい理由はそれだけではない。
「会いたい気持ちは判るけど……拓真の事情を知らないわけではないよね」
繭子は一応、希の気持ちに同調しながらも難色を示す。
「ええ。ご両親が借金で夜逃げし、一人残された拓真さんを狭霧先生が保証人になって全寮制の男子校に入れたって聞いています。確か中高一貫だと……」
「そのとおり。両親は拓真を残して蒸発。一人取り残された拓真は家を追われ、行くあても無なかったから、拓真と遠縁の私が面倒を見てあげたわ。ちなみに拓真が行った学校は部外者が接触するのにも、本人が学校の敷地内から出るのにも学校の許可が要るという修道院みたいな学校よ。何でわざわざそんな学校に入れたと思う?」
「……それはわかりません」
「答えは簡単。借金取りが拓真の両親の情報を仕入れようとして、拓真の周辺をうろつくからそれを防ぐのが一つ。そしてもう一つが、拓真自身から借金を回収させるのを防ぐためよ」
「でも、拓真さんが借金したわけじゃ……」
「借金取りにとっては大して関係ない話よね。取りやすい所から取るだけの話よ。それに拓真は真面目だから両親の借金に負い目を感じていることもあり、接触させると相手の思い通りになっちゃうのよ。だから誰にも拓真が行った学校は教えてないし、万が一ばれても直接、接触出来ないような学校に行ってもらったというわけ。それでも拓真に会いたいの? はっきり行って迷惑になるわよ? 手紙なら今までどおり私から拓真に送っておくけど?」
繭子は歯に衣着せぬ物言いで希に迫る。要は暗に諦めろと言っているのだが、希から意外な反論が放たれる。
「それなら、その借金を私が払えば解決ですよね」
希のあっさりとした物言いに繭子はあっけにとられながらも言い放つ。
「いくらあると思ってるの? 一億よ一億。学生のあなたにどうにか出来る金額じゃないわ」
「ああ一億ですか、その程度で良かった。……家には母の事故の慰謝料が一億ありますし、保険金も八千万円ほどあるから大丈夫です」
「むっ。それはそうだけど、それは朔と希ちゃん二人のお金でしょう? 朔に勝手にとはいかないし、それにあなたたちの将来のためのお金よ。後見人として賛成できないわ」
繭子は金額を口にしたのは間違いだったと内心悟りながらも、はっきりと反対する。しかし、希も負けじと言い返す。
「朔は私が説得します。必ず同意させます。将来だって残った八千万円で十分です」
「大体、借金が無くなったところでどうするの? 拓真の両親は音信不通だし、いまさら拓真が島に帰って来ても行く当てがないわよ?」
「それなら、私に考えがあります」
希はそう言うと一つ深い息をつき、繭子を真っ直ぐと見据えて口を開く。
「拓真さんは私の家で引き取ります。私が本当の家族になります」
「なっ! ……ばかなこと言わないの! それに拓真の学校だってどうするつもり?」
この時、繭子は希の本気に初めてたじろいだ。希が畳み掛けるようにさらに言葉を連ねる。
「私は本気です。学校については天道学園に編入してもらいます。既に日野和さんや天道さんには協力を取り付けていますから問題はありません」
「問題だらけでしょ! だって、あなたと拓真は本当の兄妹じゃないのよ! そこまでするなんておかしいでしょ! 普通じゃないわ!」
「おかしくなんかない! 本当の兄妹じゃなくたっておにいちゃんは私を救ってくれた!」
繭子の心無い言葉に、希は柄にも無く声を荒げた。自身を否定されたことではなく、拓真を否定されたように思えたのが許せなかったのだ。
一方、繭子は己の言葉が失言だったことを悟ると、ばつが悪そうに希から視線を外した。
それを見て希が真情を吐露しだす。
「……私は拓真さんに人生を貰いました。比喩でもなんでも無くて本当のことです。先生も知っていますよね。私が二年前ある病気で死にかけたこと、臓器の移植で生を繋いだことを」
「……ええ、知っているわ」
「拓真さんは朔が見舞いに来なくなった後、代わりにお見舞いに来てくれました。私がつらい時も苦しい時もいつも一緒にいてくれました。いつも彼は優しかった」
「……彼は病気で亡くなった妹さんと希ちゃんを重ねていただけだと思うよ」
繭子はいじけた口調で反論する。すると希は小さく希はかぶりを振って微笑んだ。
「それでもいいんです。私は拓真さんの亡くなった妹の変わりかも知れない。それでもそうであっても、拓真さんに一生尽くしても尽くしきれないものを貰いました。だから今度は私がいままで拓真さんに貰ったものを返してあげたいんです! だからお願いします、どうか拓真さんと会わせて下さい!」
希の真摯な訴えに、繭子は説得を諦めたように深い溜息をついた。
「……連絡は取ってあげるけど、会うかどうかは本人次第よ」
繭子の事実上の容認に希はぱぁっと表情を明るくすると、椅子から立ち上がり腰を折った。
「狭霧先生、ありがとうございます!」
「や、別に礼をされることではないよ。それよりも希ちゃん、一つ聞くけど」
「なんでしょうか?」
繭子は渋い表情を浮かべながら聞いた。
「あなた、拓真に惚れているでしょう?」
希は頬をうっすらと桜色に染め、消え入るような声で呟いた。
「……はい」




