第二十二話 希と真冬花のパジャマパーティー
十二畳ほどある部屋の中、希はベッドにうつぶせに寝転がりアルバムを眺めていた。
そのアルバムには別れ離れとなったお兄ちゃんこと拓真の写真ばかりが綴られていた。
なお、希は拓真のことをお兄ちゃんと呼んでいるが、実は二人は同い年である。
もう最後に会ってから二年。手紙のやり取りは続いているとはいえ、やはり長い間会えなくては寂しさが募るばかりである。
朔は拓真の居場所を知っているようだが、いくら聞いてもはぐらかしてばかりだ。拓真の情報を得るため朔の部屋に何度か忍び込もうとしたが、部屋にはいつも鍵が掛かっており未だ進入に成功せずである。
希のアルバムを捲る手が止まる。三年前に二人で行った夏祭りの時の写真だった。
その時はまだ病院に入院していたが、拓真に無理を言ってこっそり二人で抜け出したのだ。後で主治医にはこってりと絞られたが、初めて体験する縁日は今でも忘れられない思い出であった。
希はふと机の上の写真立てに目を向ける。
写真立てには希と拓真のツーショット写真が収めており、額縁にはハート型のネックレスが引っ掛けられていた。縁日で散々ねだって買って貰った、拓真とおそろいのネックレスだ。あの時の拓真の困り顔を思い出し、希からくすりと笑みが零れた。また、それと同時に胸の高鳴りも強くなる。
……ああ、やっぱり私はお兄ちゃんに――。
希が拓真への想いを再認識しかけた時、がちゃりとドアのノブを回す音が部屋に響いた。
お風呂あがりでさっぱりとした真冬花だった。
「ふう、お風呂頂きました」
「うん、おそまつさま」
希はアルバムを蒲団の中に隠しつつ体を起こし、ベッドの端に腰掛けて真冬花を迎える。
真冬花は部屋を見回すと朔が居ないことに気が付き不思議そうに首を傾げた。
「あら、朔さんはどちらに?」
「ん、朔は別の部屋」
「一緒に寝ている訳じゃないのですね」
「うん。それぞれ別の部屋あるから」
なるほどと一人うんうんと唸る真冬花が何か良からぬことを思いついたらしく、視線をあちこちに彷徨わせ、挙動不審のまま希の方を見ずに口を開いた。
「……ええと、私ちょっと、用事が……」
夜這いをかけるつもりらしい。箱入りでおしとやかの見本のようだった友人の変貌振りに希は嘆息しつつ、踵を返し退出しようとする真冬花を呼び止める。
「無駄。朔は部屋に鍵をかけているから入れない」
「そうなのですか……」
落胆する真冬花。希はそれを見て頬を膨らました。親友が自分ではなく、姉の朔に入れ込んでいるのが面白くないのだ。
「真冬花は友達甲斐が無い」
「あう……ごめんなさい。ところで机の上の写真は希と誰ですか?」
ばつが悪そうに謝罪した真冬花が、机の上に飾られている写真立てを見つけ覗き込む。
写真の中では病室のベッドに腰掛け、幸せそうな笑顔を浮かべている希と、中性的な雰囲気を持つキャスケットを被った眼鏡の男の子が肩を寄せ合っていた。
「別に誰でもいいじゃない」
希は心情を悟られないようにあえてそっけなく答える。
「男性だけど中性的で綺麗な人ですね。ああ……なるほど、これ希の愛しい方ですよね」
真冬花が一人納得したように頷いた。
図星だった。真冬花の推測に内心焦る希である。
「真冬花の言っている意味がわからない」
希はしれっと流そうとしたが、体は正直なもので頬がうっすらと朱に染まった。
そんな希の表情の変化を親友である真冬花が見逃すはずも無く、照れているのが丸わかりであった。
傍から見ると感情の起伏が薄いように見える希だが、表情や言葉に感情を乗せるのが下手なだけで、心の中は意外とアグレッシブなのである。
「ふふっ、照れなくていいのに。希の思い出話にいつも出てくる方でしょう? 確か、拓真さんでしたよね」
「……そうだけど何か?」
希はいつものポーカーフェイスを保とうとするが、顔が火照ってどうしようもない。
そんな希を微笑ましく見つめていた真冬花だったが、写真を見直した時に何かに気が付いたらしくその表情がみるみるうちに驚愕へと変化する。
「……あらこの方どこかで見たことが……ってええええええええええええええええ!」
「ど、どうしたの?」
「あ、ああ、ごめんなさい、だってこの方……私の初恋――じゃなくて知っている人だから」
「そうなの? どんな知り合い?」
「知り合いというか、三年前の夏祭りで私を助けてくれた『あの人』なのです……」
急にもじもじし出した真冬花の語尾がどんどん小さくなる。
「えっ? それってもしかして、真冬花が懸賞をかけて探したとかいう……運命の……」
希は真冬花から聞いた初恋の話を確認するように思い出す。
「実はそうなのです……」
蚊が鳴くような声で真冬花は答えた。
「だっ、駄目! 幾ら真冬花だってお兄ちゃ――拓真さんは駄目だから! 忘れて! 今すぐ!」
希は柄にも無く慌て、真冬花に詰め寄り抗議する。
「落ち着いて希! 確かに会ってお礼は伝えたいけれど、私は新しい恋に目覚めたばかりですし、彼は私にとってもう思い出なのですから恋心は一切ありません」
「……本当に? 本当に本当に? 本当に本当に本当に?」
信じられないと言わんばかりに訝しむ希。
真冬花は両手を挙げて身の潔白を主張する。
「本当です。だから、落ち着いて、ね。ところで拓真さんの本名は何ていうのでしょうか?」
「更柄拓真だけど?」
「サラツカタクマさんですか。良い名前ですね。ところで連絡を取るには……」
「やっぱり真冬花もまだ想っているんじゃない! やっぱり忘れて! 今すぐ!」
「や、助けられたお礼を言いたいだけですから、それ以上の他意はありませんよ」
「それならいいけど……本当に駄目だからね!」
いつに無く必死になる希である。これ以上拓真のライバルが増えてはたまらないので必死なのである。もちろん、最大のライバルは朔だ。
「心配性なのだから……それでどこまで進んでいるのでしょう? もう告白はしました?」
「こっ告白!? そんなことしっしてないし、別に好きとか!」
希は目を丸くして恋心を否定するが、この期に及んで当然通用するわけが無い。
「今更誤魔化しても手遅れだと思いますよ。だって反応で丸わかりですし。……ずっと好きだったのでしょう? ほら吐き出したほうが楽になりますよ」
「でも、拓真さんは私なんかきっと眼中にないし……」
「もう一年以上も文通をなさっているのでしょう? 流石に脈無しとは思えませんが」
自虐的に言い放つ希を見て、真冬花はその自信の無さを不思議に思い、首を傾げた。
「拓真さんは朔が好きだし勝ち目無いよ。私との文通だって義務感でやっているんだと思う」
「義務感? そうとも思えませんが――って、拓真さんって朔さんとも知り合いなのですか?」
「そうだよ。朔とも知り合い。というか、むしろ朔の方が古くて深い付き合い」
「古くて深い付き合い……ですか?」
「うん、朔の小学校からの知り合いって聞いてる。拓真さんと話すといつも朔の話題が出てきたし、手紙にも朔のことが良く書いてあるから、仲が良いんだと思う」
「……彼って武術を習っていたりしませんでしたか?」
「武術? ……習っていたかどうかはわからないけど凄く強かったよ? 今日の朔と同じような動きしていたと思う。でも何で――って、そっか、夏祭りで拓真さんに助けて貰ったんだもんね」
「ええ……、そうですね」
真冬花は上の空で相槌を打った。なぜなら真冬花の頭の中では疑問符が沸いては消えるを繰り返していたからだ。
浴室で朔は『あの人』に心当たりは無いと言っていたが、希の話を聞く限り、朔に『あの人』に心当たりが無いとは到底思えなかった。
先ほどの浴室で『同じような武術を使う』『キャスケットを被った』『中性的な雰囲気を持つ眼鏡の男の子』という『あの人』に繋がる情報を朔に与えながら、『あの人』と仲の良かったという朔に全く心当たりが無いというのは明らかに不自然であったからだ。
そうなると意図的に知らない振りをしたのだろうが、理由がわからない。希と同じように色恋沙汰のためかとも考えたが、朔は「彼氏なんて今までもこれからも作りません」と断言していたことを鑑みるにどうも違うように真冬花は思う。
あの言葉には朔の本気を感じたからだ。
……では何故?
真冬花は悩む。何の気無しに右手を見つめる。その時、浴室で朔の股間辺りを触った時の女性には無い不思議な感触を思い出した。
……ふにふにしていました。……あれは……もしかして――。
「――真冬花、真冬花ったら!」
「ふぇっ!? え、私どうかしました?」
「急に黙ったと思ったら、何かぶつぶつと呟いていたよ? 大丈夫?」
希に揺さぶられて真冬花は我に返った。
どうやらいつの間にか思考の渦に巻き込まれていたらしい。纏まりつつあった考えが今の衝撃で霧散してしまったようだ。
真冬花は気を取り直すと、希の色恋に深く切り込んでみることにした。
「私は大丈夫ですよ。それよりも話は戻りますけど、希はどうしてそんなに自信が無いのでしょう? 私から見れば十分にチャンスがあるように思えるのですが」
真冬花の言葉に希は拗ねたような表情を浮かべ反論する。
「だって、手紙で私の気持ちを匂わしてもなんか毎回スルーされてるし……」
どうやら消極的ながらアタックは試みているらしい。しかし、いかんせん方法がよろしくないと真冬花は思った。匂わす程度では男性のほうも「これって告白なのかなぁ……でも、ボクの自意識過剰かも知れないし……あぁ!」となること請け合いだ(個人の感想です)。ここはもっと攻めの姿勢が必要である。
真冬花はそう思い口を開いた。
「会って気持ちは伝えて見たらどうでしょう? 手紙だと照れくさいだけかも知れませんし」
「でも拓真さんがどこにいるか知らないし……」
「そうなのですか? でも手紙のやり取りはしているのでしょう?」
「訳があって住所とかは教えて貰えなかったから、手紙は保護者の親族のひとに送って、そこから拓真さんに送って貰っているの」
「随分と回りくどいですね。そういえば聞いていなかったけど希はどうしてその人が好きになったのかしら?」
真冬花はここまで話をしていながら、希の恋の発端を聞いていなかったことを思い出し訊いた。
「え……ええええ! それ言わないと駄目?」
いきなりの質問に希は狼狽して声を裏返す。
「だって、私ばっかり秘密を知られているのはアンフェアではありませんか? それに希とは友人として互いにもっと知り合いたいと思っているので、どうか話していただけませんか?」
「うう……真冬花はズルいよ……。そんなこと言われたら、話さないわけにはいかないよ……」
「そうですね、今頃気が付きました? 私はズルい女なのです」
「……他の人には秘密だよ」
希は指をもじもじさせながら上目遣いで真冬花を見る。真冬花はにこりと微笑み、希と視線を合わせ「約束します」と首肯した。
二人の間に合意が成立すると、希は深い息を一つついて語りだした。
「五年くらい前にね、それまでは毎日来てくれていた朔がある日を境にお見舞いに来なくなったの。待てど暮らせどこなくて、一週間くらい経った時にね、拓真さんがひょっこり病室に来たの。全然知らない人だったから最初は拒絶してたんだ。でも、朔はいつまでたっても来てくれないのに、拓真さんはいくら拒絶しても毎日来てくれるから、そのうち段々と仲良くなってね、いつの間にかお話しするようになったの。拓真さんにも妹がいたらしいけど病気で死んじゃったみたい。それで、もっと一緒にいてあげればよかったって後悔したから、おんなじような境遇の私の話を朔に聞いて、いてもたってもいられなってお見舞いに来たって言ってた」
「……なるほど話はわかりましたが、なにか引っ掛かりますね」
「多分、妹を蔑ろにした罪悪感があったんだと思う。その罪悪感を紛らわすために本当の妹の代わりとして私の所に来たんだと思う」
「代償行動ですか。……失礼な話ですね」
「それでも私は嬉しかったの。朔はお見舞いに来なかったし、お母さんも朔優先だったみたいだから月一~二回程度しか顔を見せなかった。私も男の子の友達は初めてだったから興味があった。それにね、なんだか本当のお兄ちゃんみたいにすごく優しかった」
「それで、好きに?」
「うん。最初は淡い想いだったけど、本当に恋をしたのは……これがあったからかな」
希はそっとお腹に手を添えた。
真冬花は希の行動の意味を誤解し唖然として聞いた。
「………………もしかして………………子供?」
「違う! もー、真冬花なんだか葵に似てきたよ?」
真冬花の斜め上行く発言に、希は異議あり!とばかりに否定する。
「葵に似てきたですって……そんな馬鹿な……」
真冬花は頭を抱え悶えた。葵と同類にされたのが相当ショックだったらしいが、直近の行いを考えると妥当な評価と言わざる得ない状況である。
希は悶える真冬花をスルーして続ける。
「私ね……二年前に急性の内臓疾患で死にかけたの。助かるためには早急に臓器の移植が必要だった。でもタイミングが悪くてね、お母さんにも朔も連絡がつかなかった。聞いた話だけど二人で旅行中だったみたい。それで結局、私はドナーを見つけられなくて正直諦めていたらね、話を聞きつけた拓真さんが私の為にドナーになってくれたの」
「うん? それは変ですね。臓器提供者は法律で二十歳以上の成人と決まっていたのでは?」
「そうだね、本当は大人じゃなきゃ駄目らしいね。でも、拓真さんが主治医の先生にお願いしてドナーにして貰ったみたい。手術の後、看護士さんにその時の話を聞いたんだけど、渋る先生に拓真さんは必死にボクのを使ってくださいって何度も何度も頭を下げてくれたの。それでも首を縦に振らない先生の足にすがり付いてまで懇願したんだって。そのあまりの懇願ぶりに先生が根負けして、それで移植手術となって私は助かったの。そんな拓真さんを看護士さんは「家族や恋人でもあそこまでする人は居なかったし、あまりに必死すぎて引いた」って言ってた。でも、私は凄く、凄く嬉しかった。だって、本当の妹でない私のためにそこまでしてくれる、朔やお母さんなんかよりもずっと、私のことを大切に想ってくれているひとに出会えたのだから。もちろん、感謝だっていっぱいしたよ。だって、私は拓真さんにそれからの人生を貰ったんだもん。そして私は拓真さんに淡い想いなんかじゃない本当の恋をした」
熱に浮かされたように語る希の表情は恋する少女そのものだった。
「それが彼を好きになった理由ですか?」
「そうだね、それでここに拓真さんから貰った証拠が今でも残っているの。傷跡も私の大事な宝物」
希は添えた手でそっと腹部を擦ると幸せそうに微笑んだ。
「そこが手術痕なのですね。そして彼は命の恩人と」
「うん、でもねそのあと……一度……最後のお見舞いに来てくれたあとにね、拓真さんはこの街を出て行ってしまったの。詳しいことは知らないけど、ご両親が事業に失敗して夜逃げしたんだって。でも、拓真さんは一緒に連れて行かれなかったから、この島にいる親族の人のつてでどこかの全寮制の学校に入れられたみたい。それで今は親族の人を通して手紙だけのやり取りなの」
「なるほど、事情は理解しました。ではその親族の方に彼に会えるようにお願いしてみましょう。住所はわかっているのでしょう?」
「……うん。でも、やっぱり……拓真さんは朔が好きなんだと思うし、だから――」
「諦める?」
「……うん」
そんな弱気な希を見て、真冬花は背中を押すようにあえて明るく切り出した。
「そうですか。でもそんな希に朗報です♪」
「えっ?」
「実はですね、朔さんが「彼氏なんて今までもこれからも作りません」と入浴中に言っていたのです。拓真さんが朔さんをどう思っているかは判りませんが、少なくても朔さんは彼の事をどうとも思っていないようですよ」
「……それほんと?」
「ええ、本当です。この言葉から判断すると、少なくても過去に朔さんと拓真さんが付き合ったことは無いみたいですね。それに今後も無いと朔さんが断言していることを考えると、彼は既に袖にされている可能性だってあります。それでも希は何もせず諦めるのですか?」
「……まだ、私にもチャンスがあるのかな?」
希の瞳に希望の火が灯る。
もう一押しと真冬花は畳み掛ける。
「希なら大丈夫。だってこんなにも可愛いらしいですもの。……まぁ、それでも希が諦めると謂うのなら、私がアタックするのも良いかもしれませんね」
「……む、真冬花にはあげないよ! 私が拓真さんを振り向かすから!」
「その意気ですよ、私も微力ながら協力しますから」
「うん、ありがとう真冬花。私、頑張ってみる!」
希は両手をぎゅっと握り締め決意を新たにした。
……まったく、手がかかる子ですね。諦めたらそこで試合終了なのですから。
真冬花は正直、舌先三寸であるなと思った。だが、このままは何もしないで諦めたら、希は将来後悔するだろうと思い、背中を押さずにはいられなかったのである。
告白が成功するか否か微妙なところだろうが、希が長年温めていた想いを叶えてあげたい気持ちは本当だった。
「ところで希。朔さんを振り向かせるにはどうしたらいいと思いますか?」
次は自分の番とばかりに真冬花は質問すると、希は渋い表情を浮かべ答えた。
「……真冬花、葵じゃないんだから、愛に区別はあった方がいいよ」
真冬花は朔にも同じようなことを言われたことを思いだし、くすりと笑みを零す。
「あなたたちって本当に姉妹なのですね」




