第十七話 生徒会室の攻防 その1
生徒総会終了後の生徒会室で日野和真冬花は憤っていた。
当初の話では副会長に留任と聞いていたのに、いざ蓋を開けてみると兄の横には真冬花ではなく玉桂朔が並び、さらに兄はその玉桂朔を『俺の副会長』と言って恋人宣言。挙句に全校生徒の前で接吻するという醜態を晒す始末である。
真冬花にとって副会長という役職は特別だった。尊敬する兄の一番近くに居られることが幸せであったし、また、悪癖はあるものの、その潜在実力は現宗主である父の日野和一壽を凌ぐとも言われ、日野和財閥の継承権を持つ者の中で次期宗主の最右翼と目されている兄に己の能力を認められたという事実が真冬花にとって何よりの誇りだったからだ。
ところが現状は無残である。ぽっと出の玉桂朔に副会長の座を奪われ、自身は書記に降格。そのうえ兄の隣まで掠め取られる始末である。到底受け入れられるものではなかった。
……状況から鑑みてここ数日のうちに惚れっぽい兄が玉桂朔の誘惑に騙されたのは間違いないですね。いま考えてみれば昨日の朝に玉桂朔が自分を助けたのも、兄に取り入るためのものだったのでしょう。希から聞いていた玉桂朔の人物像とは異なりますが、妹の前では猫を被っていただけで本質は噂通りの優等生の皮を被った妖婦であったと。
真冬花はふつふつと沸き上がってくる怒りを抑えながら、自席から会長の机の前まで移動。そして両手を思いっきり会長の机に叩き付けた。
二十畳程ある室内にばんと大きい音が響く。部屋の中央にある長机に座って作業していた女子役員が驚いて顔を上げ、隣に座っていた葵にこっそりと耳打ちをした。
「真冬花先輩、荒れていますねぇ……」
「役職と大好きなお兄ちゃんの隣りを朔ちゃんに取られちゃったし、まあ当然の流れかと」
「兄さん! 納得いく説明を断固要求します!」
完全に冷静さを失った真冬花が一夏に詰め寄った。しかし、机越しの一夏は椅子に座ったまま涼しい顔で受け流す。
「説明も何もさっき話した――じゃないな、見せた通りだ。玉桂朔は副会長で俺の嫁。以上」
「説明になっていません!」
「しつこいな。副会長=玉桂朔=俺の嫁(予定)=おまえの将来の義理の姉。アンダースタン?」
「ふざけないでください! 大体、この女の義妹なんて御免です!」
真冬花は壇上で気を失いそのまま生徒会室に運ばれ、部屋の端にあるソファーの上に転がされていた朔を指差し断固反対した。
すると真冬花の声に反応したのか朔が目を覚ます。
「……ん……ぅぅん……あれ、私、なんで? ここどこ?」
状況が飲み込めず、キョロキョロと辺りを見渡す朔。
葵が椅子から立ち上がり歩み寄りながら元気よく話しかける。
「おはやう朔ちゃん! ここは生徒会室だよ!」
「え? 生徒会室? なんでそんなところに?」
「なんでかと言うと、朔ちゃんが今日から副会長だから?」
葵が自身の顎に人差し指を付きたてながら説明する。
「副会長って何バカなこと……ってええ、あれ現実だったの! もしかして……私、キス……した?」
「とても美味だった」
朔の疑問というか確認に一夏は満足げに答えた。それを聞いた朔は唖然とした表情で一夏を見つめると、程なく制服のポケットからおもむろに遠足のしおりを取りだした。
「皆さん、今回の遠足は神威湖です。神威湖は向日島の中央部にあるカルデラで、秋の紅葉シーズンになると外輪山に生える木々が色とりどりに染まることから、たくさんの観光客で賑わう向日島を代表する観光地となっています。幽玄な雰囲気を持つ北海道五大カルデラ湖の一つで、その水質から湖底にはカルデラが出来る時に沈んだ木々が腐らずそのままの姿で残っているといわれています。また、この湖の水は比重が重いことから入水しても体が沈み、また水温も低く、プランクトンも少ない極貧栄養湖のため死体が腐らずそのままの姿で湖底に沈むということから、向日島で一番の自殺の名所とも言われ人気を博して……」
「ああっ! 朔ちゃんが現実逃避をしだしたよ! うう、一夏くんめ……私の朔ちゃんに……。私だってまだキスしてもらっていないのに……」
葵は心底悔しそうに呻いた。一方、朔は現実逃避をやめ、取り出したハンカチで口を丁寧に拭う。
「うえ……やっぱり現実なんだ……もう、最悪……」
「現実も現実です! 兄さんを誑かしてその席に収まった癖になにをいけしゃあしゃあと! しかも嫁ですって? 誰が認めますか!」
会長席の前から朔に冷たい視線を送っていた真冬花が、我慢ならんとばかりに口撃をとばす。
その言葉にむっとした朔が言い返す。
「兄妹そろって勘違いも甚だしいですね。誑かしてなんていませんし、副会長だって辞退します。そもそもそこのセクハラキス泥棒とはお付き合いなんてしていませんし、嫁にも行きません。それに元からあなたたちとは慣れあうつもりは一切ありませんからご心配なく」
「兄さんだけではなく私たちまで侮辱しましたね! さっさとココから消えて下さい!」
「ええ、言われなくともそうしますから放っておいて下さい」
売り言葉に買い言葉であるが、朔はこれ幸いと退席しようとする。だが、葵がそれを止めた。
「まあまあ、朔ちゃんも真冬花も落ち着いて」
「葵! どうして引き止めるのですか! そんな女さっさと追い出せば良いのです!」
「彼女もああ言っているし、もう帰りたいんだけど」
冷静を失い熱くなった真冬花と、対照的に冷めた朔が投げやりに答える。
「いやー、生徒会役員って実は指名されたら辞退できないから、このまま帰られると困るんだよねー。この学園は生徒の自立的な自治が推進されていてね、その理念を実現するという建前の下に決められた校則の中に『全生徒の代表である会長の指名を断るのは生徒による学校自治を否定するものである』というのがあって、この規定により指名辞退=退学処分になっちゃうきまりなの。もちろん例外もあって辞退が認められる特例事項があるんだけど、それは『①職務執行に心身上の支障があると医師が認めたとき ②留学したとき ③休学したとき』の3つしかなくて、朔ちゃんは現状そのどれにも当てはまらないから辞退は無理なの」
「……それは困る。けど、副会長なんてやりたくないし、どうしよう……」
朔は困惑した様子で考え込む。すると真冬花がチャンスとばかりに畳み掛ける。
「随分と白々しいですね。初めから兄を篭絡して恋人と副会長の座を掠め取る算段だったのでしょう? 大層、成績優秀で男を誑かすことが得意なあなたなら容易い事でしょうし」
真冬花は毒を含ませ吐き捨てると、朔もすかさず反撃する。
「……あなたがそう思うのならそうなんでしょうね。あなたの中ではね」
「ああっ! もう! この毒婦は!」
「まあまあ、落ち着きたまえ真冬花。憶測で語るのは良くない。それじゃあいつまで行っても平行線だ。それに元はといえば一夏が悪いんだから、あんまり彼女を責めても仕方ないぞ」
今まで会計席で無関心を装っていた男子が、やたらと爽やかな笑顔と透き通った声で真冬花をやんわりと諌めた。
その男子は長身で体格が非常に良く、会長の一夏に負けず劣らず顔立ちも整っており、まさに体育会系男子の理想といってもよい形姿だ。
「おい、酷いぞ和春! もう少し言い方というモノが――」
一夏が長身男子こと天道和春の弁に抗議するが、
「春兄さん……確かにそうだけど……」
真冬花も和春の意見に同調した。
「真冬花まで! まるで俺がいつも思いつきで行動しているみたいじゃないか! ……まあそういう側面は無きにしもあらずだか……って何を言わせる!」
「兄さんは真面目にして下さい! 春兄さんももっと何か言ってやって下さい!」
「一夏は少し反省しろ。真冬花も落ち着いて」
「……ねえキミ、元副会長がさっきからあの男の人を『春兄さん』って呼んでいるけど、何? 彼女、会長の他にも兄がいたの?」
朔が葵に耳打ちをすると、葵から呆れた声で返答が飛んできた。
「あーアレね、真冬花と春兄さんこと天道和春くんは従兄妹同士なんだよ。元々、日野和家と天道家は繋がりが強くて交流が密だから、真冬花は和春くんのことを春兄さんなんて呼んでいるの。ぶっちゃけそれなんてエロゲだよね」
「なるほど。まあ、私は従兄妹なら十分有りだと思うけど」
朔がそんな事を呟いていると、真冬花を宥めていた和春が朔に近づき話しかけてきた。
「会計の天道和春だ。趣味は剣道と掃除だ。よろしくな。あ、ソレ就任祝いだから」
和春は握手を求めながら、会計席の上に置かれた黒いフルメットとライダースーツを指差す。
「馴れ馴れしくしないでください。私は生徒会に厄介になるつもりはありません。大体、就任祝いにフルメットとライダースーツって意味不明です」
朔は差し出された手を叩き憮然と答えた。
「ははは、随分と気の強い子だね。気に入ったよ。この就任祝いは君の腕っ節を見込んで俺と一緒に掃除をして貰いたいからプレゼント」
「……そもそも、掃除とプレゼントの間に繋がりが見えませんけど」
「ああ、これは以前に武楽燦堕ってグループを掃除した時の戦利品だ。で、最近残党で再結成の動きがあるから、潜入してもう一度綺麗にしようと考えていたんだ。でも、一人より二人で清掃した方が効率いいし楽しいから、コレ着て俺と一緒に殺ろうぜ!」
「ああ、掃除ってそういう方向の……」
和春は爽やかな笑顔を浮かべ親指を立てた。
朔は和春の言う掃除の意味を理解し、苦笑いを浮かべた。
……第一印象ではもう少しまともな人かと思ったけど、この人も大概だね。
朔が心の中で嘆息していると、和春が朔をジロジロ見ながら感心したように言葉を漏らす。
「しかし、随分と可愛い子だな。どこから見つけて来たんだ一夏?」
「ははは、いいだろう! でもやらんぞ!」
「造形はめっちゃ好みだけど、取らねーよ。ま、この子が女じゃなかったら全力でNTRったけどな」
「……え? すいません、今なんて言いました?」
和春の不穏な言葉に朔が反応する。和春は首を少し傾げながら繰り返す。
「「造形はめっちゃ好み」って言ったけど……君、褒められるのが堪らなく好きなタイプ?」
「いや、そこじゃなくて……」
「そこじゃない? なら「女じゃなかったら全力でNTRった」のところか?」
「そう、そこです! で、それってどういう――」
「そうだ! 君の家に男の兄弟はいないのか? 例えば双子の弟とかさ?」
何かを閃いた和春は朔の質問を遮るように質問する。
朔はその勢いにたじろぎながら答える。
「い、妹なら……い、いますけど……」
「あー、もう惜しいなぁ! せっかく理想的な素材だったのに!」
朔の答えを聞いた和春は指をパチンと鳴らし、心底残念そうにたたらを踏んだ。その様子を見て朔は悟った。この男、男色であると。
……この人、男色だ。しかも、「造形はめっちゃ好み」という言葉からもわかるとおり、ボクのような女顔の男が好みなのだろう。最悪である。いや、まて、断定するにはまだ早い。本人がまだ『ホモ』と認めたわけではない。もしかしたら、あくまでそういう男子を眺めるのが好きなノータッチ紳士の類の可能性だって残っているのではないのか? そうだ、そうに違いない。でもどうする? 直に確かめるべきか? それとも否か? ……否だろう。大体、実際に確かめて、「ホモです」と答えられたらどうすればいいんだ!
朔の頭は全力でこの話題についてはスルーが正解だと判断。すぐに他の話題は無いか考える。……が、なぜか朔の口は自重せず、無意識のうちに言ってはならない言葉が漏れ落ちた。
「……あなたって、ホ……じゃなくて薔薇族の人ですか?」
朔は危うく『ホモ』と言いかけたが、何とか婉曲的に表現した。もっとも、それに何の意味があるのかは不明である。
一方、それを聞いた和春の反応は意外なもので、
「薔薇族? 俺はホモなんかじゃないぞ」
朔の予想を良い意味で裏切るものであった。
「そ、そうですよね! よかった! ……でもじゃあさっきのはどういう意味……?」
一瞬歓喜した朔だが、和春の言葉の真意が掴めず悩んでいると、
「あーあ、ホント変態っていやですよね、ねー朔先輩!」
今まで生徒会室中央の長机で黙々と作業をしていた中等部制服を着た女子が急に立ち上がると、朔と和春の間に割って入り、朔の腕に巻きつきながら馴れ馴れしく話しかけてきた。
髪はショートカットで眼鏡姿の小柄な容貌はちんまりとして可愛らしいが、瞳には何か妖しい雰囲気が滲んでいる。
朔は妖しさを肌で感じ取り、女子を腕から引き剥がすと訝しげな瞳を女子に向けつつ聞いた。
「……キミは誰?」
「朔先輩はじめまして! 私は中等部で三年生の天持佐鳥です。執行部では会計監査をしています。どうぞ宜しくお願いしますです!」
佐鳥と名乗る女子は元気に挨拶して、ぺこりと頭をさげた。
「ふぅん、そうなんだ」
朔は自分の間合いに踏み込ませないようにわざと素っ気なく答える。
「なんだか冷たいですねー。ま、いいですけど。それはさておき朔先輩に忠告しておきます! そこの天道和春という名の変態は薔薇族のような素敵なモノじゃないから気をつけた方がいいですよ!」
「薔薇族は素敵なの!?」
「ええ、薔薇族こそ至高です! 特にリアルガチアーンドムチに敵うものなんてこの世に存在しません! って話がそれた! そうじゃなくて、そこの自称会計は女装少年とか男の娘好きの変態野郎ですから、近づかない方が良い学園生活を送れると思います!」
「……あぁ、なるほど、やっぱり、そうなんだ」
朔は腑に落ちたように頷き、和春から距離を置くように一歩後ろに下がった。
正直、一番あって欲しくない答えだったが、和春の今までの言動を鑑みるに佐鳥の言葉は十分に説得力のある答えだった。
「おいおい、変態扱いは止めてくれよ。かの有名な信長だって信玄だってショタ萌えだったんだ。現代においてショタの発展と言えなくもない女装少年や男の娘好きがいたって不思議じゃないだろう?」
「……なんて強引な論理だ……」
朔が頭の悪い論理に頭を抱えた。一方、佐鳥が意外にも和春の意見に同調する。
「確かに古来より、男は『女よりも男が好き』なのは紛うこと無き事実ですから、その論理も理解はできますし、私だってそれが趣味の範囲で止まるならわざわざそこまでは言いません」
「……この子も大概だね。生徒会ってこんなのばっかなの?」
和春と佐鳥の頭が悪い会話に朔は呆れながら、いつのまにか二人から少し離れたところにいた葵に歩み寄りながら問いかけた。
「いやー、能力的にはみんな凄い人ばっかなんだけどねー。みんなテストは学年十位以内だし」
「……学力と一般常識は別物だということを実感しました」
朔が一人納得しているなか、和春と佐鳥の攻防は更にヒートアップする。
「……しかし、あなたは罪を犯した!」
「罪……とな?」
佐鳥はびしりと指を突きつけ指摘する。しかし、和春は飄々とした態度を崩さない。
「私の弟を、可愛い弟を女装に目覚めさせ手篭めにした! これを罪と言わずなんと言う!」
「あれはいいものだ。あそこまで化けるとは……な」
「……ねぇ、キミ……マジなの?」
朔が青ざめた表情を浮かべ葵に確認する。
葵は朔からあからさまに視線を外し言った。
「そういう事実があったのかもしんない」
「なんという玉虫色な答え……」
「しかも、最近はなんか取るとか言っている始末です! むしろ変態が責任を取って弟と結婚してください! ただし弟×変態で!」
佐鳥が声高らかに要求する。そしてなぜか愉悦を覚えた表情を浮かべた。
「……なんかズレてない? どうして男同士なのに責任の取り方が結婚なの?」
「さとりんは中等部三年生にして早くも骨の髄まで腐っているから仕方ないんだよ!」
朔のごく自然な疑問に、なぜか葵は逆ギレ気味に返答した。
「それはできない。なぜなら俺は常に『俺のターン』の攻め一本だからな! 大体、この国では男同士では結婚出来ないし責任を取りようがないだろう。それから取ってしまった場合は俺の趣味から外れるので、やはり責任はとれないぞ」
和春が頭の悪い反論をする。その内容は正に外道であった。
「……男同士って認識はあるんだね、彼」
「和春くんはあくまで女装した男子が好きみたい。だから取ったらNGらしいよ」
「くっ! この変態外道が! お前なんて不細工な女子どもに輪姦されてしまえ! ……ああ、弟よ私がもっとあなたに相応しい素敵なマッチョを探してあげるからね……」
佐鳥は和春と論争に負け、がっくりと床に手を付き項垂れた。しかし、すぐに立ち直ると両手を握りしめ天に祈るように呟いた。完全に現実逃避である。
人物紹介
日野和 一夏……生徒会長。真冬花の兄。和春とはいとこ。日野和財閥の次期宗主候補筆頭。
天道 和春……生徒会会計監査。一夏と真冬花のいとこ。妹に留学中で生徒会書記の秋音がいる。
天持 佐鳥……中等部で唯一の生徒会役員で会計。真冬花や葵たちとは親戚。口癖は「さとりました」だが、全然さとっていない。




