幕間 秋の夜長と真冬花の悩み
「……うんうん、それではまた明日、学校で。希、おやすみなさい」
日野和真冬花は日課となっている玉桂希との夜電を終えると、携帯を枕元に放り投げ、腰掛けていたベッドに背中からダイブ。柔らかい蒲団に身を預け天井を仰ぎ見た。
時間は午後十時前。秋の夜長はこれからだし、もう少し話したい気持ちもあったが、希が午後十時には寝てしまうのでいつもこの時間で電話は終了である。
「疲れましたね……今日は色々ありましたし……」
今日の真冬花は朝から空手部の襲撃を受けたり、雲隠れした兄である生徒会長の捜索をしたりと盛り沢山であった。
結局、兄は従兄の家に行ったらしく、自宅に帰ってこなかった。そのため空手部の処分も明日の生徒総会での生徒会役員発表の件も宙に浮いたままである。
「まったく、どういうつもりでしょうか……」
真冬花は愚痴を零しながらごろりと身体を横に倒すと、壁に飾られたポスターが目に入った。
ポスターには、『この人を見つけたら百万円!』という謳い文句と人物のイラストらしきモノが描かれていた。
それは、真冬花が助けてくれた『あの人』を探しだすために用意したものだ。
……悪いことをしました。確かに葵の言う通りですね。
体育倉庫ではバカにされたと思いつい手が出てしまったが、冷静になって実物を見ると葵の言うとおりである。
……これで人探しなんて無茶ですね。
描いた当時は会心の出来だと思っていたモンタージュも今見れば、男女の区別もつかない――いや、人間の区別がつくかどうかも怪しい、まるで幼児が描いたような人物画だった。これでは、捜し人が見つかる訳が無い。
しかし、当時中等部に入学したばかりで、また世間知らずだった真冬花にはそれがわからなかったのである。
結局、百万円が支払われることが無いまま時は過ぎ、真冬花も『あの人』との再会を半分諦めていた。
ところが今朝、『あの人』に繋がるヒントが思いがけなく現れた。これで事態が一気に進展するかに思われたが、その後がどうも良くなかった。なぜなら、真冬花はそのヒントとなる玉桂朔に助けて貰ったのに、勘違いから差し出された手を払って逃げてしまったからである。
もっと友好的に接していれば、欲しい答えを引き出すことが容易に出来ただろうと思うと悔やまれる行動である。だが、まだ十分に挽回の余地はあるのも事実だ。
好都合なことに当の朔は重度のシスコンであり、その妹である希は真冬花にとって親戚以外で初めて出来た親友である。
これを利用しない手は無い。
本当の姉妹のように思えるほどいとおしい存在の希を出汁にして、情報を聞き出そうとすることに罪悪感を覚えるが、それでもなお真冬花は、『あの人』にもう一度会いたかったのだ。
……でも、本当に逢うことが出来たら、私はどうしたいのだろう。
助けてもらった時言えなかったお礼を、背一杯の感謝を伝える。これは、真冬花が『あの人』を捜す目的の一つである。
では、お礼を言ったらそれで終わりなのだろうか。願いは果たされることになるのだろうか。もっと伝えたい事があったのではなかろうか。
真冬花は悩む。真冬花にとって『あの人』は初恋だった。三年前のあの時なら悩まず、お礼と共に恋心を伝えただろう。
しかし、現在はどうだろう。真冬花はいつのまにか『あの人』が『思い出』になりつつあることを認識する。
三年という月日が真冬花の気持ちを曖昧にしてしまったのだろう。もう一度会いたいという気持ちとは裏腹に、『あの人』への恋心が薄れているのも確かだった。
会って気持ちを、恋心を伝えることが本当の目的だったはずなのに、今はもう一度会うことだけが目的になってしまっていることに真冬花は気づく。
……どちらにしても、まだ逢えると決まった訳ではありません。それに私の勘違いということも考えられますし。
そもそも、真冬花がなぜ朔を見て『あの人』のヒントを見つけたと思ったのかというと、朔が空手部部長をのした技と動きが、三年前に真冬花を救った『あの人』が使った技や動きと全く同じ型だったからである。
しかもそれは合気道や空手、はたまた少林寺拳法とも区別がつかない特殊なものだったため、同じ師範から指南された技術であるのは、空手や薙刀の師範代を持つ真冬花から見て間違いないと確信させるのに十分なものだったのだ。
だが、『あの人』の拳法を見たのは三年前である。もしかしたら真冬花の思い違いの可能性だってゼロではない。
真冬花は思考が纏まらないまま、ふと気が付いたように携帯を手に取り現在の時刻を確かめた。
時刻は午後十一時前。もうかれこれ一時間も頭を悩ましていたことになる。
……いずれにせよ、明日確認すればすべては済むことです。今は明日への英気を養うこととしましょう。
窓の外に見えた半分ほど欠けた月が、静まり返った街をぼんやりと照らしていた。