第十話 朔と恋文
「繭子さん、希と下校の時間なんで私はこれで帰ります」
無事(?)診察も終わり、朔がぺこりと一礼する。
「あっ、ちょっと待って。一つ言う事があるから」
「何でしょう?」
繭子は朔が校医室を退室する所を呼び止めた。朔が可憐な姿で首を傾げた。
「今日の朝、校門あたりで暴れたでしょ? かなり目立っていたよ。目をつけられないようにあまり変なことに首を突っ込まないように」
「あぅ、心配掛けてごめんなさい。肝に銘じておきます」
朔は申し訳無さそうに頭を垂らした。
「うん、判ればいいんだよ。でも珍しいよね、基本無関心な朔が他人に首を突っ込むなんてね。助けた子ってあの日野和家のお姫様、日野和真冬花だったでしょ? もしかしてあの子に惚れた? それとも玉の輿狙い? いやこの場合は逆玉か」
朔はきょとんとした。
繭子の言葉を聞いてそういえばあの副会長はそんな名前だったなぁと思い出しはしたが、この向日島一番の名家の子である日野和真冬花という人物に朔は希の友人であること以外、関心を持ち合わせていなかったからである。
そのため繭子が期待したような反応は無く、
「たまたまです。希の友人だから助けました。希には楽しい学園生活を送って欲しいですから」
朔はそれだけ言うと、朔は足早に校医室を後にした。
「希には……か」
朔の姿を見送る繭子は寂しそうに呟いた。すっかりと長くなった秋の西日が校医室の真っ白なカーテンを茜色に照らしていた。
「希は……やっぱりまだ来ていないか」
朔は下駄箱の前まで来ると辺りを見回した。しかしそこに希の姿は無く、朔は軽く嘆息する。
もっとも、約束の時間まではまだあと五分ほどあるので、希が来ていないのは元々織り込み済みである。もしもの時の事を考え、いつも早目に来るようにしているのである。
朔がふと下駄箱に目を向けると手紙が入っているのが見えた。手紙を手に取り表裏を確認する。
差出人は書いていないが『玉桂朔様』とあり、封筒からはいかにも恋文っぽい雰囲気が滲み出ている。
中を確認すると、『伝えたいことがあるので、校舎裏の体育倉庫で待っています』と書かれた手紙がこんにちはだ。紛うこと無き恋文であった。
……またかぁ、どうしようかな……。
日常業務の域とはいえ、告白の返答は少々面倒である。このまま無視してゴミ箱に投入しようかどうか迷っていると、葵が希を連れ立ってやってきた。
「おっまたっせー!」
「葵、声大きい。迷惑」
葵が明るい声で右手を軽く挙げた。それに対し軽く毒づく希である。
「希は待っていたけど、キミは待っていない」
「ホント、朔ちゃんってツンデレだよねー。ところで手に持っているのはラブレター?」
葵が朔の手に握られた手紙を目聡く見だす。朔は首肯し、
「いつもの呼び出し。でも面倒だから放置――」
と、言いかけたところ、意外な人物から言葉がとんだ。
「駄目。返事はきちんとした方がいい。それにもしかしたらいい人かも知れない」
希であった。
基本、何事に対しても無関心な希だが、何故か朔の色恋事だけは熱心に勧めてくるのである。
「いい人だとしてもお付き合いをする気が無いし、別に行かなくても……」
「それでも勇気を出して手紙をくれたのだから、返事くらいはきちんとした方が良い」
「そうかなぁ……」
希の意外な正論に朔は悩んだ。
告白を聞きにいってもどうせ断るだけで終わりであるが、確かに返事をするのと放置するのでは相手に与える印象が段違いである。そう考えると、希の勧め通り呼び出しに応じた方がメリットは多い。
だが問題もいくつかある。例えば告白を断ってもなお、諦めが悪い男子の存在である。試しに付き合ってもらえれば魅力が云々などと言って無理に交際を迫ってきたり、こちらの言葉を都合よく解釈して強引に迫ってくるケースが多々あるのだ。
このような人物を相手にするとおもわず手が出そうになるので、自重するのが大変なのである。
とはいっても朔にとってこれはまだ我慢できる事柄である。なぜなら、それよりも重大な問題が朔にはあったからだ。
それは、朔が告白を受けている最中に希が先に下校してしまうというデメリットだった。
朔にとって希との登下校は、一日のうちで最も希と触れ合うことが出来る大事なイベントであり、これを楽しみにして生きているといっても過言ではないのである。
本当なら食事の時にでも団欒すればよいのだが、玉桂家では食事の時は私語禁止というルールがあるし、食事の後は希が部屋にすぐ引っ込んでしまい、自分の趣味に没頭するので意外とまとまった会話の時間が取れないのである。
そんな理由から朔が告白を受けに行くかどうかで悩んでいると、
「告白が終るまで待っているから、行くべき」
希が朔の心を読んだかのように助け舟を出す。
朔は希がどうしてそこまで告白を受けに行くべきと主張するのか判らなかったが、朔の中でもっとも大きな問題が希の一言であっさり解決だ。
朔は寸暇の思考ののち、軽くうんと頷くと、
「ちょっと行って来る。先に帰ったら駄目だからね! 絶対だよ!」
希に念を押し、上履きから下履きに靴を履き替えた。
「朔ちゃん、今日はどちらで待ち合わせ?」
「えーと、校舎裏の体育倉庫。十分で帰ってくるから待ってて」
朔はそう言い残すと、足早に現地に向かっていく。
「校舎裏の体育倉庫? あんなところで告白? それに前に何かあったような……」
希と二人っきりになった玄関で、葵は朔の行き先に引っ掛かるものを感じて首を傾げた。
すると、朔と入替わるようにして生徒会副会長である真冬花が通りかかった。
その挙動から察するに誰かを探しているようだ。
「あら、葵、兄さん……じゃなくて生徒会長見かけませんでした? 希もどうでしょう?」
真冬花は二人に気が付くと困った様子で尋ねてきた。どうやら生徒会長である兄を探しているらしい。
「んにゃ、見てないよー」
「同じく」
葵も希も心当たりが無いので首を横に振った。
「まったく、どこに行ったのかしら……」
「もしかして、明日の生徒総会のこと悩んでる?」
「ええ、まだ決まってないことがあるのに。はぁ……」
真冬花は落胆したように大きく溜息をついた。
「まーまー、何とかなるって。それよりさ、校舎裏の体育倉庫って前に何か無かったっけ?」
「校舎裏の体育倉庫? そういえば昔なにかありましたね。ええ……と、何だったかしら?」
「やっぱり? 何だったかなぁ」
その何かを思い出せずしばらく二人で悩んでいると、真冬花が思い出したらしく、手を木槌のようにしてポンと叩いた。
「ああ、思い出しました。四年前に集団暴行未遂があった現場ですね。昔は鍵がかかってなかったから隠し事によく利用されたって聞いたことがあります。今は施錠をしっかりしてあるから、そんなことも無いようですけど、何か気なることでもありました?」
真冬花の話を聞いた葵は目を白黒とさせて呟いた。
「……あったかも」と。