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ボクと妹の不適切な関係性  作者: 九巻はるか
プロローグ 第二次性徴期にありがちなこと
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第一話 ある女装中学生の悩み

「朔、乙女になりなさい」


 朔が母に初めて言われた言葉である。もちろん、この言葉が真に初めての言葉だというわけではないのだろうが、朔に残る記憶の中では最も古い母の言葉であるのは確かだった。

 だから朔はその言葉通り自分が男だと他者に悟られないよう、物心ついたときから今日まで女装して髪を伸ばし、女としての姿や言動、立ち振る舞いなどを常に意識しながらずっと乙女として生きてきたのだ。

 そんな、年齢と女装歴がイコールで結べる朔も思春期を迎え、声変わりや筋肉の成長など、男性特有の第二次性徴に頭を悩ませる時期になった……はずなのだが、当の朔は別のことで頭を悩ませていた。それは――、


「繭子さん、……その……ボクのおっぱいが……ふくらんで……きたんです」


 セーラー服姿の朔は手をぎゅっと握り締め、顔を俯かせたまま頬をうっすらと桜色に染めながら蚊が鳴いたような声で呟いた。

 随分と日の落ちるのが早くなったある秋の夕暮れ。机と二組の椅子、簡易ベッドしかない簡素な作りの診察室でカルテを手に朔と対面していた医師である繭子は一寸の沈黙の後、


「は? 今なんて……」


 と、訝しげな表情を浮かべ朔を見た。


「だから、……ボクのおっぱいがふくらんできたんです」


 朔は困惑しながらも先程よりも幾分声のトーンを強めた。


「ははは、何をいきなり! おもしろい冗だ……うむ?」


 繭子はからからと笑いながら、何気ない動作で朔の胸に手を伸ばした。繭子のそのあまりの自然な動作に朔は反応することが出来ず、揉まれるがままの朔は「ひゃう!」と、かわいらしい悲鳴を上げた。


「なん……だと……?」


 繭子は芝居がかった驚愕の声を上げながら朔の胸を揉みしだく。


「ちょっ、驚きながら揉まないでください!」


 我に返った朔は繭子の手を振り払うように身を捩ると、抗議の眼差しを向けた。だが、そんな朔の視線を気にする繭子では無い。


「朔、どこでシリコン入れ――」

「何もいれてません!」

「ああ、ごめん。ヒアルロンさ――」

「だから、いれてません!」


 繭子のゲスの勘繰りに朔が手を握りしめ抗議の声を上げた。その反動で腰まである黒く艶やかな髪がふわりと舞った。


「なるほど。朔はあくまで勝手にふくらんできたと主張するわけだ」

「だって、ホントなんですもん……」


 朔はいじけるように呟いた。嘘を言っている訳ではないのに、繭子が真面目に取り合ってくれないため拗ねたのだ。そんな朔に対して繭子は顎に手を当て少し思案したかと思うと、口を三日月のように歪めシニカルな笑みを浮かべた。


「……年頃の女の子のおっぱいがふくらんできたことに何の問題がある訳? あぁ、もしかして中学三年生にもなって来てなかった初潮も一緒にきたとか?」

「問題があるから相談に来たんじゃないですか! それにしょ、初潮なんて一生来ないです!」


 繭子の非情な口上に朔は涙目で必死に吼えた。その姿が可憐でなんとも可愛らしい。


「繭子さんはなんでいつも真面目に話を聞いてくれないんですか! もううんざりです!」


 繭子は「からかうと面白いから」と言いかけたが、これでは火に油を注ぐようなものだし、何より話が進まない。一旦、本題に戻ることにした。


「じゃあ朔は何が問題と思っているわけ? 胸がふくらんでくるなんて、年頃の女の子には普通のことよ」


 ――年頃の女の子の胸がふくらんできた。何が問題?

 朔のことを何も知らない人間ならそう思うのは当然である。朔は幼さを残しながらも、年相応の艶かしさを兼ね備えた美しい少女――いや、少年だったからだ。しかし、朔とは長い付き合いである繭子がそんな疑問を抱くとなると話は別だ。

 朔に父はいなかった。もちろん、遺伝的つながりのある父はいるはずだが、シングルマザーだった母、弓月は何も教えてはくれなかった。また、そんな母は忙しい人だった。週に五日は仕事のため家にほとんど帰らず、残りの二日も急な仕事で度々家を留守にした。そんな多忙な母の代わりに、朔の様子を見てくれたのは母の親友である繭子だった。もっとも当時は繭子自身も忙しく、また、だらしない性格のため料理や選択など家事に関することは全て朔が担当していたが、それでも一緒に居てくれるだけで随分と精神的に助けられたものだ。

 そんな付き合いが長く、朔の事情を誰よりも知っている繭子が、何故に真面目な顔して「何が問題?」などと言うのだろうか。朔は怪訝な表情を浮かべつつ訊いた。


「……それ本気で言っています? 繭子さん、ボク……男なんですよ?」

「あれ? 朔って男だっけ?」


 繭子は惚けた顔で聞き返すと、朔が呆れた様子で首肯する。


「ええ」

「いつから?」

「生まれた時から」

「男なのに何故セーラー服なんか着ているの?」

「……ああ、難しいこと聞いてごめんなさい。繭子さんが三歩歩いたら記憶を失う鳥頭であることを忘れていたボクが馬鹿でした」


 朔は一瞬言葉を失ったが、気を取り直して繭子を挑発する。


「失礼な! 私はこれでも医師だよ! エリートだよ! 全国模試で偏差値七十五を叩き出した女だよ!」


 安い挑発に乗った繭子が昔とった杵柄と言わんばかりに、高校の時の武勇伝を披露だ。


「それなら覚えていますよね? ボクが生まれた時に取り上げてくれた人物を」

「もちろん優秀なこの私に決まっているじゃない! あの時は難産でね大変だったんだよ! 男女の双子ちゃんで先におちんちんをつけた朔が、後からついてない希が出てきたんだけど、朔は出てきても産声をあげなかったから、あの時は随分と慌てたものさ!」


 繭子は興奮気味に答えた。そこまで鮮明に覚えているのに、何故ボクを女だと思っているのか理解できないと朔は思った。もしかしてこれも忘れたフリをしてボクをからかっているだけではないだろうか。というかそうに違いない。ならばここで皮肉の一つでも言ってやらないと朔も気がすまない。ちなみに『希』とは朔の双子の妹である。


「そうですね。繭子さんはボクたち兄妹をとりあげてくれて、ボクにはおち……男性器があったと。これで一つ目の疑問「朔って男だっけ?」は解決ですよね、繭子さん♪」

「……そうね」


 繭子は、口元は笑っているが目が全然笑ってない朔から視線を外し目を伏せた。そのしぐさはまるで親にしかられていじける子供の姿のようだった。


「それじゃあ次にボクがセーラー服を着ている理由ですけど、繭子さんは当然ご存知ですよね」

 朔は嫌味を交えながら言葉を続ける。しかしそんなことでめげる繭子ではない。

「えー、繭子全然わかんなーい、きゃは♪」


 四十歳過ぎのアラフォー後期のくせに、まるで頭の悪い女子高生のようにはぐらかす。


「死んでしまえばいいのに」


 そんな繭子に朔は感情無く吐き棄てた。思わず本音がでてしまったが後悔は無かった。本当に死んでしまえばいいと思ったのだ。無理も無い。年齢を弁えない繭子の仕草と発言がそれほどまでに見苦しかったのだ。

 一方、真顔で「死んでしまえばいいのに」と言われ、さすがに傷ついた繭子であった。とはいえこれも自分が蒔いた種だ。さすがに冗談が過ぎたと繭子反省である。ではそろそろ当初の『胸が膨らんできた』という本題に戻ろうとした繭子だが、朔はそれを許さなかった。


「繭子さん、ボク、戸籍では長女になってるんですよ。……知っていました?」


 朔の声に抑揚がない。目も据わっている。完全に怒り心頭である。繭子は朔をからかい過ぎたことを後悔したが、ここで引くのは大人としてどうだろうと思い、内心怯えつつも余裕ありげに答える。


「へぇー、そうなんだ。おちんちんついているのにね」

「えぇ。ボクを取り上げてくれた、自らを優秀だと自称する産科医が虚偽の出生届を出したみたいです」

「そ、それはとっても犯罪的だね。まあ、私は産科医じゃなくて婦人科医だからその人とは無関係だけど!」


 淡々と話す朔とは対照的に繭子の声は完全にうわずっていた。繭子は完全に引き際を間違えた事を後悔した。どうして引くのは大人としてどうだろうなどと見栄を張ってしまったのだろう。今更、引き際を間違えたことに気が付いても後の祭りだ。朔の嫌味タイムは絶賛続行中である。


「あ、繭子さん話は変わりますけど、ボクを取り上げてくれた、昔は産科医、今は婦人科医って誰でしたっけ?」


 繭子は全然、これっぽっちも話が変わっていねえ!と心の中で叫びつつ、消え入る声で「私です……」と答えた。


「そうですね、あなたでしたね繭子さん。ではこのあと戸籍に長女と記載された男の子はどうなったのでしょうか?」


 まだまだ嫌味タイムは継続らしい。繭子は自分が攻めている間は強いがいざ守りに回ると弱い、高火力・紙装甲なメンタルである。心の中でまだ、続けるの? 私のHPはもう0よ!と叫んだところで、朔はもちろん止まらない。


「①男の子として育てられた。②女の子として育てられた。③そのどちらでもない」

「えーと……②番だよね!」


 繭子は手加減をして欲しいという意思を込めて、にこりと媚びた顔で答えた。しかし、朔は繭子をちらりと一瞥し、冷たい声色で続ける。


「惜しいですけど、不正解です。正解は③です。当時の母曰く、「あなたは男の子だけど、女の子としていきていかなければなりません。そのためには本当の女の子以上に乙女にならなければいけませんので覚悟なさい。なお、男の子であることは私と繭子さん以外に知られてはいけませんよ。あなたの妹の希にもです。もし、希を含めた他の誰かに男の子であることを知られたら理由を問わずあなたにはこの街からも希の前からも永遠に消えてもらいます」でした。要約すると『乙女に育てられた上に男であることが露見したら即消滅』です。これで男なのにセーラー服なんか着ている理由が、鈍くて無神経で物分かりが悪いあなたでも分かりましたよね。ねぇ、ま・ゆ・こ・さ・ん♪」


 朔は一瀉千里のごとく言い放ち、満面の笑みを浮かべた。


「ははは、もちろん、そんな、大事な、こと、忘れるわけ、無い、よねー、ありえ、なーい」


繭子は電子音のような抑揚の無い声で、首を赤べこのように上下に揺らしていた。


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