曼珠沙華
夏には見渡す限り緑の原っぱは、秋にもなると一面真っ赤に染まる。
遠く高い空は目が眩むほどに真っ青で、天と地のコントラストが意識を遠ざける。
僕はその場にばったり倒れ、いつしか眠ってしまっていた。
肌寒いと思い、身を起こした。
まだ高かったはずの太陽も、早沈もうとしている。
ふと、後ろに視線を動かす。
いつの間にか女が一人、僕から少し、ほんの少し離れた場所に座っていた。
真っ黒な髪を昔風に結い上げ、いくつもの簪を差していた。
真っ黒な着物には、真っ赤な彼岸花がいくつも描かれていた。
唇には真っ赤な紅を差し、しかしその瞳は白い琥珀の色をしていた。
きちんと正座をし、両手を腿の辺りに置いた女は、僕と視線が合っても身じろぎ一つしなかった。
「こんにちは」
どうして良いか分からず、目が合ったのだから、とりあえず挨拶をしてみた。
だが女は答えず、じっと僕の目を見ているだけだった。
このまま帰ろうかとも思ったが、女が気になり、彼女の正面に向かいあって僕も正座した。
空も大地も真っ赤に染まり、暗闇が押し迫る。
僕と彼女の間には、真っ赤な彼岸花がこれでもかと咲き誇り、お互いをまったく近づけさせない。
それでも、僕はずっと女の瞳を見ていた。
乳白色とでも言うのか、琥珀色とでも言うのか、とにかく彼女の瞳の色は、この場にあってはひどく不自然だった。
風が冷たい。
向こうの山の木々を揺らめかせる。
ひと際強い風が、原っぱを襲う。
女は、一筋の涙を流す。
「染まりたい」
ただ一言そう言い、彼女はまた黙ってしまった。
簪の飾りが、しゃらしゃらと涼やかな音を奏でる。
僕は、口内に溜まった唾を飲み込んだ。
呼吸をするのも忘れてしまいそうになる。
赤い曼珠沙華が、さわさわと揺れる。
あたかもそれは、彼女を嘲笑しているかのよう。
僕は何かを言おうとして、寒さに身体を震わせた。
気づけば僕は、たった一人で赤い曼珠沙華の中に眠っていた。
身体を起こし、軽く首を振る。
体が冷え切っている。
空はもう、山際に赤みを残して、暗く染まっていた。
僕は霞んだ目をこすり、振り返る。
そこに女はいなく、白い琥珀色をした彼岸花が一輪咲いていた。
白い彼岸花は、赤いそれよりも儚くて好き。




