司書は雑用
秋の陽は釣瓶落としとは良く言ったもので、俺があの商品である古文書より埃っぽく古い書店という皮を被ったダンジョンから、大通りに帰還した時には既に街の建物は濃い影を落とし、等間隔に置かれた街灯には火が入っていた。
建物はわりと古そうな感じだが、意外にどの家にも明かりがある。
「そういや、お嬢様が車も首都行けばある、って言ってたな」
まぁ、恐らく現代みたいな形じゃないだろうが。
「つーか今は自転車が欲しいぞ」
俺の両手は今、分厚い上に大振りの装丁もごつい書籍が何冊もある。 自転車じゃなくてもいい。 台車をくれ、台車を!
「あれ? もしかして、アヤトさん?」
珍しく名前を呼ばれたと思えば、呼んだ相手は俺と同じくお嬢様の所に居候している少女だった。
「お勤めお疲れ様です。 あ、重そうですね。 お手伝いします」
めちゃくちゃいい子。 マジで。
「アヤトさん? どうしたんですか?」
思わず優しさに癒されていた俺を、少女は心配そうにのぞきこんできた。
「いや、何でもない。 気持ちだけで癒された」
不思議そうに少女は首を傾げる。
「平気だよ。 広場まであと少しだし」
台車は欲しいけど、流石にこんな良い子に持たせるのは気が引ける重さだしな。
「お嬢様のお迎えですか?」
「ああ。 これがあるから運んでやるって言われてる」
広場まで耐えれば、本を積むためにお嬢様の箱馬車が待っているはずだ。
「そうですか……。 でも!」
「あ、おい?」
ひょい、と言うにはやはり重かったらしい本を抱えて少女が笑う。
「市民の手助けも仕事のうちであります!」
ふふっと笑った顔が何か小動物みたいな可愛さがある。 こんな妹だったら少し欲しいかも、とか思ったりもした。
「そういや、警官なんだっけ?」
「はい。 新任新米で未熟者ですが」
「大変だな」
「いえ! 警官になるのは、私の夢でしたので! それに、ここは平和なので出番殆どなさそうですけど」
なのでお手伝いできる事はさせて下さいね、と言って少女は俺の隣に並んで歩き始める。
「確かに、街全体が本屋か図書館みたいなもんだからな」
「ふふ。 走ってもおしゃべりしても怒られませんけどね」
赤毛に近い茶髪がふわふわ跳ねる頭を撫でてやりたくなるが、生憎と両手は本に占領されたままだ。
「それにしても、アヤトさんはやっぱり凄いですね。 まさか古文書も読み解ける司書さんだったなんて!」
「いや、俺のは何か違うと思うけど」
本来ならちゃんと研究機関とかに所属して研鑽積んだ者達がその域に辿り着くだろう場所に、俺はよくわからない翻訳機能のおかげでいるわけで、胸を張るには居心地が悪い事この上ない。
自分で手に入れたものだったら、きっと誇れたし、この言葉を素直に喜べたんだろうなと思って、俺は少し苦笑した。
「でも、ちゃんとお仕事してるじゃないですか」
少女はそんな俺に笑いかける。
重くて何回か抱えなおした本を胸に抱いて。
「確かに、アヤトさんにしたら自分の力じゃないっていうかも知れませんけど、でも、それってちゃんとお仕事してる人だから思えることだと思いますよ?」
緑青色の大きな瞳に俺を映して、言う。
「能力があっても、やらなかったらその言葉は出てきません。 やらない人は、逆にふんぞり返りますよ? だから、私はやっぱりアヤトさんは頑張ってて凄いって思います」
「…………」
やっぱ、いい子だ。 癒しだ。
俺は明るく笑うこの少女の頭を撫でてやりたくなったが、以下略。
「アヤトさん?」
「いや。 ありがとな。 ……あ」
「どうしました?」
「あのさ、今更で悪いんだけど、名前聞いてもいいか?」
「え? あー! ごめんなさい! そういえば、アヤトさんのお名前は聞いてたのに」
いや、仕方ない。 あの時はそれ所じゃなかった。 それに、俺も今まで聞いてなかったんだから。
「改めまして。 ノースネア=ミットと申します。 ノアって呼んで頂ければ!」
「ノア、か。 よろしくな」
「はい! よろしくお願いします」
遅くなった自己紹介をした後、俺とノアは広場まで辿り着いた。 中央には幾何学模様のタイルが敷かれた大きな広場だ。 催し物もやるからか、サーカスのテントも張れそうなくらいの広さがある。
「遅いわ。 あら? ノアさんも一緒だったの……」
「はい。 ミリー様」
「女の子に重いものを持たせるなんて」
「え!? あ、違うんです! これは私が」
お嬢様の言葉にノアが慌てるが、それより先に本日はまともな顔の仁王像執事が彼女の手にあった本をそっと取り上げている。
「次は気をつける」
「アヤトさん! あれは私が自分で良いっていったアヤトさんから取ったんですから」
「いや、それでも結局持たせちゃったしな。 それに助かったのも本当だ」
癒されたお陰かお嬢様の物言いにも、執事の勝ち誇ったような顔にも……いや、これはちょっと微妙だが、ともかく俺の気分は思ったより沈まなかった。 本を馬車に運び入れ、そこで別れるノアの頭を撫でる。
「ありがとうな」
ぽんぽんと軽く頭を撫でてやると、一瞬丸くなった瞳が嬉しそうな笑顔に変わった。
「お勤め、お疲れ様です!」
ぴしっと敬礼し、ノアはぺこんと頭を下げる。
「それじゃあ、自分は見回りに戻りますので」
「あら。 もうノアさんも終わりの時間でしょう?」
「部屋の片付けもしてからお伺いさせて頂こうと思いますので」
「うちにいていいのに」
「そういう訳には……」
そう言えば、ノアは俺と同じでお嬢様ん所に世話になってるけど、手違いで寮が間に合わなかったからその都合で、準備が出来次第そっちに移るって言ってたな。
この街の警官には宿舎があるらしいが、まあ男ばっかで女性用の寮が今まで無かったから用意が間に合わなかったとか。 正確には用意してた場所が思った以上に掃除が必要だったって話らしい。
「でも、今はすぐ陽も落ちるわ。 女の子が独りで歩くのは」
「大丈夫ですよ。 自分、警官ですから!」
「……貧弱」
「アヤトだって言ってるだろうが。 ……まぁ、了解」
「あら? 何を言いたいかわかったの?」
「ノアを送り届ければいいんだろ」
今の会話の流れで回ってくるのはそれしかないだろう。 それに、今回は俺も賛成だ。
警察で護身術は一通りできると言っても、ノアは女の子だからな。
「いいですよ! アヤトさんだってお仕事で疲れてるんですから、そんなお手間はっ」
「いいって。 手伝ってもらったし、今度は俺が手伝う番だろ? 独りで動かせないもんとかも、一緒なら動かせるだろうし」
「そうよ。 貧弱だけど居ないよりマシな筈だわ」
このお嬢様は本当に一言多いな!
「でも」
「ここは言う通りにしてもらえると、俺の顔も立つんだけどな?」
遠慮するノアにそう言うと、彼女はおずおずと「それでは」と頷いた。 はにかむような表情で頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「任せろ。 じゃ、行こう」
「言っておくけど、襲うんじゃないわよ、貧弱。 ノアも、何かされそうになったら遠慮しないでいいから」
「アンタは俺をなんだと思ってんだ!?」