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晴れて任地へ向かいましょう

 皇甫嵩と会ってから、瞬く間に6年余りが経過した。

 暦も大きく進んで180年となり、184年の黄巾の乱まであと5年を切った。漢王朝の政治はますます乱れ、予てより問題視されていた宦官の専横が無視できない範囲にまで発達した。巷には盗賊や夜盗の類がはこびり、夜はもちろんのこと、昼間でも女性が人通りの少ない街道を一人歩き出来なくなるほど治安は悪化した。


 一月ほど前には日食も発生し、昼間だというのに大きな影が中国全土を覆ったりもした。普段は冷静な王師匠が取り乱したり、権力をかさに着て大きな顔でふんぞり返っている役人や県令などが右往左往していたりする光景は見ていて楽しかったが、実は内心ではかなり不安だった。

 日食とは本来、皇帝陛下の徳が欠けているから起こる現象だ。皇帝陛下は神の代理人であり、神を象徴するのは太陽である。その太陽が欠けたということは、すなわち皇帝陛下の治世に問題があるということだ。それも、中国全土を覆ったあの闇のような規模で。


 古典などを紐解いたり、孔子など偉大な儒家たちの教えを見てみると、この場合は皇帝陛下が自ら禅譲するか、それができない、またはされない場合は新たに神から選ばれた有徳の人物が放伐することになっている。

 問題は、誰が皇帝陛下になるかだ。


 天が皇帝陛下の徳が欠けていると判断したということは、「後漢高祖劉秀から続いた劉家」に皇帝の座がふさわしくないと判断したたとも考えられる。

 史実では、黄巾の乱を機にこの皇帝の座を巡って諸侯が相争い、最終的に劉備、曹操、孫権の三国に集約されるのだが、この時に劉備の勢力範囲が他の二国に比べてかなり小さいのも、その証拠になるだろう。劉備勢力にも優秀な人材がいたし、天下をとれる機会もあったが、ほとんどは幸運の女神に見放されて失敗している。

 となると、俺のような前漢高祖劉邦の子孫であり、かつ後漢高祖劉秀の子孫でない劉家に次の白羽の矢が立つとも考えられる。前漢劉家の徳が欠けていたという話は聞かないし。


 劉表は、八俊の一人で中国の中でもかなり有名な儒家であるため、天に選ばれても別段おかしくはない。劉備のような自分を頼ってきた人物を快く迎え入れるといった面もあるし、劉家の中で唯一存命中に国を滅ぼされなかった人物でもある。また劉表が天に選ばれたならば、俺が史実知識をもって劉表として生まれてきたこともこれまたおかしなことでもない。自分が天に選ばれた存在だと自分で言うのはどうかとも思うが、こう考えるとほとんどのことにつじつまが合ってしまう。

 普通に考えれば天に選ばれたのは曹操や孫権だろうが、俺が選ばれた可能性も頭に入れないといけないのかもしれない。


 

 そしてさらに三ヶ月たった四月の頃、天に選ばれたことの証明なのか、それとも俺の勉強の成果が出たのか、少し前に執り行われた孝廉の試験に無事合格したという知らせが届いた。50歳以上であったら官吏の推薦さえあれば試験は免除されるのだが、あいにく俺は50歳には程遠い年齢のため経術の試験が課せられていたのだ。内容は儒学についてだったので、おそらく実力でクリアできたのだろう。2,3年前から劉表の名は儒学の世界ではそこそこ知られていたという事実もある。噂を聞いてやってきた偉い儒学者と問答したこともあるくらいだ。


 そのまま何進という大将軍の下に配属され、洛陽で特筆すべきこともなく無難に政務をこなしていたが、まもなくして大きな転機が訪れることとなった。もし死ぬ間際に人生を振り返るようなことがあれば、きっとこの西暦180年を人生の分水嶺として位置付けるだろう。


 天下を取る。その必要性と責任が、今までより大きな足音を立てて近づいてきた。










「報告いたします! 漢寿付近を探らせた者たちによりますと、長江沿岸の各領の豪族にどうやら不穏な動きがある模様です!」

「む…… ふむ、了解した。それではこれ以上進めぬな。今日はもう遅い故、全軍野営の準備をせよ」

「はっ! ではそのように伝達いたします!」


 去っていく斥候兵の背中ごしに橙色の夕陽を見つつ、ぞろぞろと動く軍勢に視線を向ける。人数の少なさもさることながら、練度の方もたかが知れている。端的にいうと烏合の衆なのだが、それでも俺が初めて持った軍隊だから、多少感慨深いものがある。

 思えば洛陽から荊州の州都、漢寿への道のりは短くはなかった。物資は十分持ってきたとはいえ、数十人は逃亡者が出てもおかしくはないと思ったのだが、洛陽から共に派遣されてきた蒯越、蒯良兄弟が兵士をきちんとまとめ、兵站・行軍指揮などを担ってくれたおかげで何事もなくここまでこれた。彼らは史実ではそこまで目立った活躍をしてはいないが、実は意外と有能な人物だったのかもしれない。


 思考を彷徨いつつ上の空で駒を進めていた俺の横に、突然よく見知った顔が現れた。


「劉表、野営の準備が終わったようだけど…… ここで何してるの?」

「ん…… ああ、王粲か。ちょっといろいろ考えていてな。これからのこととか」

「あはは。そうやって考えすぎるのが劉表の悪い癖だよ。もうちょっと堂々としていなきゃ」

「ああ…… 部下の前では堂々としているつもりなんだけどね。人がいなくなった途端いろいろ考え込んでしまうんだ」


 俺はまだ従軍経験も人の上に立ったこともない若造だ。うまくやれるかどうかという不安ももちろんあるし、逆にうまくやれることの期待もある。考えすぎることもあるし、考えなしに行動してしまうこともある。要するに自信が持ててないんだ。


「んー、堂々と頼ってくれればいいのに。僕だけじゃなくて、蒯良、蒯越っていう優秀な人もいるんだし、相談するのは普通だと思うけどなぁ」

「ああ……」


 馬の手綱を引き、くるりと王粲のほうへ向きなおる。


「王粲、漢寿付近の豪族がどうやらこちらを認めてないらしい。……どうすればいい?」


 王粲は、にっこり笑って、こう言った。


「蒯越と蒯良に聞いて」







 穏やかな風が幕舎の布を揺らす。入口と外界を切断している垂れ布が、はたはたと波打っていた。かすかな虫の声以外何も聞こえない夜の中、その会議は粛々と進行した。


「ええ…… 彼らはかなりの兵力を所持していますゆえ、先に周辺の豪族を懐柔するのが良策かと。刺史様のご威光と、某の伝手を利用すれば、割合簡単に勢力に組み込めるかと存じます」


 現在腹案を述べているのは、周辺豪族の一人であった蔡瑁だ。彼は演義では主な劉表配下のひとりでありながら半ば小物として描かれていたが、話してみるとかなり真面目で有能な人物だった。

 荊州の豪族の関係から全てを把握してる上に、表立っては言えないものの劉表軍が弱いということを一目で見抜き、その中で最も実現できる可能性が高い策を提示してきた。俺も周辺豪族を軍に組み込むことは考え、到底実現可能ではないと却下したのだが、蔡瑁のもつ伝手があるなら別だ。少ない被害で、場合によれば無傷で戦力を拡大できるかもしれない。


「なるほど。要するに、南郡と江夏郡を支配圏に収めつつ、敵を牽制するということだな?」

「その通りです。御慧眼、恐れ入ります」

「美辞麗句はいらん。南下して南郡を手中に収めるのはいいが、江夏郡の方はどうする? 漢寿は南だが、江夏はここから東になるぞ」


 あえて分かりきったことを聞いて彼を見つめる。彼は一瞬とまどったような表情を浮かべ、返答を考えだした。策ではなくて、美辞麗句はいらんといった俺の言葉に反応していたところが、なお一層思慮深いという印象を強めることになった。


「恐れながら申し上げます。江夏につきましては、私に腹案がございます。郡都の西陵にあたっては、まず一番近い州陵の統治から進めるべきだと思われます。私の伝手を利用し……」

「いや、待たれい。江夏の豪族は案外結束が固いですぞ。ここはまとめて弁舌によって説得したほうがあとくされもなく……」

「あ、ちょっと待って。まず江夏に行く前に、江陵と北の襄陽をある程度固めたほうがいいと存じます。江陵は交通の要衝ですし、襄陽も中原との交通の要なので、ここを抑えることが荊州全体ににらみを利かせることとなり……」


 蔡瑁が遠慮がちに案を述べると、蒯良が待ったをかけ策を披露し、傍で聞いてた王粲が、みかねてか疑問点を提示した。自分一人では数時間かかることが、目の前の数分で表現される。なるほど、これは考え込んだことが馬鹿らしく思えるな。

 類稀ない才能を持ち、当時の大国である秦を打ち破り中華に覇を唱えた項羽。仲間を集め、優秀な配下を要所要所に使いつつ、反撃の機会を待ち続けた劉邦。


 現在中華を制圧しているのは、漢だ。紆余曲折しながらも、数百年の栄華を誇れたのは、秦でも無く項羽でもなければ漢なのだ。


 夜遅く始まった会議は、ついに朝を迎えようとしていた。

 慣れない言葉遣いで、器用に全体を誘導し会議を進めてくれた王粲に、いつか贈り物でもしてやらないといけないのかもしれない。

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