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記憶を辿ってみましょう

 この世界に生まれ落ちて、10年が経過した。


 あの後のことはあまりよく覚えていない。一応、記憶の奥底で、回りが真っ白な部屋の中で、誰かに事情を説明してもらったような覚えがうっすらとあるものの、今になっては一切覚えていないし、そもそもほんとに説明してもらっていたのかも覚えていない。考えてもどうにもならないので、近頃はそういうもんなんだと受け入れることにしている。

 

 どうやら、俺はいわゆる転生と言うものをしたようだ。いま俺がいるのは、三国志の世界らしい。時代は黄巾の乱前。前世らしき記憶があるため辛うじて分かったことだ。

 前世の記憶といっても、前世の名前を覚えていたり、自分が何をした人間なのかなどという記憶があるわけではない。俺の前世の記憶の中にあるものは、ある事柄についての知識、つまり「三国志」という事柄についての知識だけだ。記憶によると、三国志とは二千年も先の世界で小説やゲームなどで広まっている歴史物語のようなものらしい。


 三国志は主に2つに分かれているらしく、三国志正史という本当の歴史と、三国志演義という物語風潮の物がある。主に知られていたのは三国志演義の方。正史を基にしつつも民族説話など虚構の話を広く取り入れ、民間の人にとっつきやすく読みやすいようにしたものらしい。


 前世の俺は演義や正史ごっちゃ混ぜで覚えていたみたいだ。しかもどっちもろくに知らなそう。まあ、とりあえず、記憶をたどってみるか…… 10年の間何度もやって来たことではあるが、やはり自分が生まれた世界について知っておく、ということは大切なことだろうから。







 三国志の舞台は、広大な中国だ。ただ、現在の中国全部ではなく、だいたい東半分だと考えていい。時代で言うと、三国志の始まりは後漢の終わりで、西暦200年前後。

 もっと詳しく言うと、張角という人が起こした、黄巾の乱という世界初の大規模な農民反乱かららしい。


 黄巾の乱に参加した農民の数はなんと20万人以上。20万人と言えば、日本でいうと関ヶ原の合戦の、西軍と東軍を合わせた兵力より多い、といえばその大きさがよくわかる。

 まあ、数十万といえど所詮農民。訓練を受けた漢の正規軍や諸侯の軍隊にかなうはずもなく、反乱は数年で鎮圧される。


 しかし、めでたしめでたしで終わるほどこの時代は甘くなかった。


  黄巾の乱が終わった後、漢王朝のトップである皇帝は、反乱軍を討伐した諸侯などに褒美として領地を与えた。

 漢王朝としては当然の対応。だが、そのせいで武将たちに大きな力を与えることになり、武将の力が強くなり始める。このあたりは日本の戦国時代と結構似ている。

 

 さらに数ヶ月たった後、今度は皇帝に次ぐ漢のトップ、大将軍の何進という人が暗殺され、革命が起こった。いきなりのことなので誰もがなにもできず、漢王朝は混乱を極める。

 そこを、漢の都の近辺に勢力を構えていた董卓という諸侯が横から皇帝をさらい、皇帝を傀儡に仕立て上げ、自分で政権を握った。


 董卓の勢力は高まり、諸侯の中で最も強い勢力ともいわれるくらいにもなったが、董卓の専横に怒った武将たちが、反董卓連合軍を作り共同で攻めたせいで呆気なく滅亡。皇帝は、連合軍の参加者である曹操という諸侯に保護される。



 こうして漢王朝は実質的に滅亡し、群雄割拠の時代の幕開けとなった。

 その後、何十もの小勢力たちが互いに戦争し、天下統一を狙うのだが、最終的に三つの勢力に統合される。

 皇帝を保護し、当時もっとも豊かで人口の多い中国北部を支配した曹操。

 親子三代で領地を拡大し、中国の南東部、今の南京のあたりを支配した孫権。

 そして、優秀すぎる家臣たちを持ち、益州と呼ばれる今の成都付近の中国南西部を支配した、後漢皇帝の親戚、劉備。


 三つの勢力が覇を唱え、相争うこの時代を、中国史では「三国志」と呼ぶ。






 まあ、俺が転生したのは、その三勢力のどれでもないけれど。


 俺のこの世界での名前は、劉表。姓が劉で、名前が表だ。ちなみに、姓名の他に字と言うものがあり、俺の字は景升。字とはあだなのようなもので、親しくない人とかでも呼べる。でも、名前を呼べるのは親や自分の主君などごく一部の親しい者だけだ。ちなみに、字とかいて“あざな”と読む。


 漢の皇帝と同じ劉という姓から察しがつくとおり、俺の一族は漢の皇帝と親戚に当たる。でも、一概に親戚といっても、遠い親戚らしい。というのも、俺の一族は“前漢”皇帝の子孫であり、今の漢王朝、つまり“後漢”皇帝とは少し血筋が違うらしい。

 めんどくさいし、正直どうでもいいと思うのだが、なぜか周りはそういうことにうるさいので、自然に気にせざるを得ない。全く面倒なもんだ。


 また、先祖の中にはあの有名な孔子と関係のあった人がいるらしく、そのせいで孔子の説いた儒学を俺も習わされている。

 儒学もおもしろくないと言えば嘘になるのだが、やはり面倒。なにせ、勉強方法が、えらい人の書いた儒学書丸暗記。こんなのやる意味があるのか……? 周りはそれがえらいと思ってるみたいだけども。

 

 ちなみに、俺の師は王暢という儒学者。俺は王師匠と呼んでいる。王師匠は南陽というところの太守をしているらしく、人望もあり、民からも尊敬されている。もちろん、俺も尊敬している一人だ。

 史実通り、漢王朝の政治はかなり悪く、どこもひどい有様ではあるが、王師匠の領地は比較的平和で豊かだ。高い税金をかけることもないし、権力を盾に威張り散らすこともない。もちろん、俺やその家族もその恩恵を受け、平和を謳歌している。数年後には黄巾の乱のせいで戦乱の世の中になるということを知識の上では知っている俺にも、もしかしたらこのまま何百年も平和が続くんじゃないのか? と思わせるくらいだ。


 また、儒学と並行して、後々のために軍略や政治学、算術、さらには教養として詩なども学んでいる。とはいえ、儒学以外は王暢の弟子の中ではそこまで出来のいいほうではない。儒学の成績はトップと言ってもいいくらいなのだが、それ以外に関しては王暢の孫である同い年の王粲のほうが成績がよい。とくに王粲は記憶力や算術が優れているので、その方面に関しては勝てたためしがない。

 軍略については、俺と王粲より一年年下である、劉虞が秀でている。劉虞は江夏の出身で、俺と違って後漢皇帝の子孫だ。つまり、正式な今の皇帝陛下の親戚と言うことになる。劉虞の祖父は光禄勲という漢の宰相のような地位にいるらしいし、父は丹陽というところの太守をしているらしいから、かなりすごい家柄だ。

 



 また、史実と今この世界とではところどころ差異が生じているようだ。

 史実では、劉表は西暦142年に生まれ、荊州刺史となり、48歳の時反董卓連合軍に加わって董卓を討つ。その後、まだ土地をもたない放浪軍であった劉備軍が荊州に落ちのびてきたとき、これを保護する。そして、劉備を保護した後数年たち、67歳の時病で死んだ。劉表の死後、劉備と敵対していた曹操軍が劉備を狙って攻めて来て、劉表が死んで混乱している劉表軍は対抗しきれず、曹操軍に降伏している。


 史実の劉表は、群雄割拠時代にはもう老年に近く、若い曹操や劉備たちと肩を並べて覇を争うにはいささか年を取り過ぎているといった感じだが、この世界では違う。


 まず、俺、つまりこの世界での劉表は、史実より22年も遅い西暦164年に生まれた。

 史実では48歳のときに反董卓連合軍に参加したが、この世界では反董卓連合軍には26歳の時に加担することになる。ちょうど、人生真っ盛りの時期になるわけだ。この違いがこの世界の歴史にどう影響するのかは分からないが、とりあえず三国志内で一番楽しい時期と言われている群雄割拠時代を楽しめそうなので、そこは感謝するべきなのかもしれない。

 184年に興る黄巾の乱までにはあと10年ほどの時間がある。今の時期に学べることはとことん学び、三国志の他の英雄たちに遅れを取らないようにしなければならない。史実を知っているとはいえ、俺は別に天才というわけではない。土台となる物がなければ、史実知識という貴重な長所ですら誤差の範囲にしかならないだろう。

 

 まずは、出来がそんなに良くない軍略や政治学から学んでいかねば。

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