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ギフト  作者: 鼠色猫/長月達平
対談の夜
9/18

3-2

 蒼い月の光が上空から降り注ぎ、町並みをどこか物憂げな色合いに染めている。宿場の熱狂や賑やかさが嘘のように、自宅への帰路には涼しげな静寂が満ちていた。

 帰途に着くカティとリトの耳を打つのは自分達の街路を叩く足音と、時折、途切れがちにぽつぽつと交換される言葉だけ。


「それで、ウェイトレスの仕事にはもう慣れてきたかな?」


「ん。楽しいよ。ご飯おいしいし、みんなも面白い人だから。時々、体に触ってく人がいるけど、何でかな」


「対処法はリディアさんに聞くといいよ。僕からも厳重注意と処罰をしておく、早急に」


 会話の合間合間に僅かに沈黙が差すも、それは言葉のない気まずい沈黙ではない。互いに無言になるその僅かな時間さえ、心地いいと感じる穏やかな雰囲気だった。

 そのまま当たり障りのない、けれど楽しい話だけで家路を進み、また何事もなく夜を越えて明日を迎えたいという弱気な欲求がないといえば嘘になる。


 その度に宿場でのグレンの警告が脳裏を掠めて、目を背けるなと殴りつけてくるのだ。


「ん、どうかした?」


 ちらりと横目を向けると、ちょうどこちらを見るリトの視線をかち合った。やや首の角度を傾けて、控えめに口元が緩んでいるのがわかる。出会った当初こそ無表情の多いリトだったが、最近はようやく微細な変化に気づけるようになった。彼女自身にも、表情の差分が増えるほどに心境の変化があったのかもしれない。


 横を歩く少女の格好は、リディアから借りた赤を基調とした裾長めのワンピースだ。ウェイトレス姿以外の私服はリディアから借りた物ばかりだが、リトは抵抗なく着ている。衣服は活発な魅力のあるリディアに相応のものなので、リトの雰囲気からすると少し違和感があった。


 リトが最初に着ていた灰色の拘束衣は自宅の箪笥に仕舞ってある。当初こそ拘りのようなものを見せていたリトも、服を借りるようになってからは拘束衣のことを口にしなくなった。

 それをカティはいい変化だと捉える。楽しげな今の姿――借り物とはいえ拘束衣と比べるべくもなく女性的な服に身を包み、一日の仕事を振り返って微笑を浮かべることができる。


 ――そう、かくあるべき姿だ。


「リト、少し大事な話があるんだけど……聞いていいかな?」


 すでに民家の並びから離れ、自宅までの道のりに続くのは広場や倉庫の裏手。人気のない道のりは、人聞きされて困る内容を話すにはうってつけの雰囲気だ。


「ん、いいよ。カティの聞きたいこと、聞いて」


「ありがとう。――リトは、自分が追われる理由を知ってるかい?」


 許可が下りると、駆け引き抜きで真っ直ぐに切り込んだ。もともと単刀直入を好む気質だ。遠回しな聞き方は好みでないし、今の聞きたいことを誤魔化すような真似もしたくない。

 果たして、リトは少しだけ悩むように目線を上に向け、


「わたしが、鳥篭から外に出たから」


 鳥篭、という単語が出たことにカティは唇を噛む。鳥篭はガロンが自らの浮遊城を好んで示す呼称だ。愛娘達(ドーターズ)が羽を模した飾りを肩に付けるのも、鳥をイメージしてのこと。


「鳥篭にいたってことは、リトは……その、愛娘達(ドーターズ)なのかな」


 それは、声が震えるのを隠せぬ質問だった。彼女が愛娘達(ドーターズ)であるということは、そのまま識者であるということに繋がる。

 だが、その質問に対してはリトはあっさりと首を横に振った。


愛娘達(ドーターズ)って、トルテ達のことだよね。だったら、わたしは違うよ。ん、違う」


愛娘達(ドーターズ)じゃないけど、鳥篭にはいた……? ガロンは黒い噂の絶えない奴だし、ひょっとしたら反対勢力か何かから……」


 人質か何かとして浚われたのかもしれない。あるいは、愛娘達(ドーターズ)に加えるつもりか。見目麗しい少女を愛娘達(ドーターズ)に加えるのはガロンの趣味だ。リディアも誘われた経験があるらしい。


「いずれにせよ、か。リトが鳥篭に入れられたのはいつから?」


 過去の詮索はよいことではないだろうが、カティは己の推測の是非を問うために聞いた。そして、思いも寄らぬ返答に愕然とさせられる。


「ん……ずっと。服のサイズが何回も変わるくらい前から」


 その言葉の意味が頭の中で解けきった瞬間、行き場のない感情が胸中に吹き荒れる。


 服のサイズの変化は肥満度の話ではないだろう。体格のことだと推測できる。リトの年齢はおそらくカティとそう変わらず十六、七に見えた。その年代の少女が何度も体格が変わるといえば成長だが、その間ずっと鳥篭にいたのなら、一年やそこらの期間ではなかろう。

 ましてや彼女は、愛娘達(ドーターズ)のようにガロンに心酔しているわけではないのだから。


「あんな城の中で、拘束衣を着せられて、何を――」


「城じゃないよ、カティ。鳥篭。窓しかない、四角い部屋。高い塔に、ずっと」


「四角い……高い塔って、まさか……」


 ガロンの浮遊城の端に、ぽつんと建てられた塔が思い出される。何か危険なものを隔離するような位置に塔があることを不思議に思っていたが、まさか、あの場所に。


「ずっと、閉じ込められてただって!? あんな寂しい、何もない場所に! 女の子が一人で! 身長も体格も変わるような時間、そんなところで何を!」


「何も。わたしはあの場所でずっと過ごして、少しだけ城で過ごして、それだけ」


「くそ、くそくそくそ。ガロンも愛娘達(ドーターズ)も呪いあれ……じゃあ、鳥篭の前は……」


「ないよ」


 義憤に顔を朱に染めたカティに向かって、リトは無表情に小さく呟いた。

 意味がわからず、言葉にならない空気が口から漏れる。ただ、リトの今の顔は嫌だと思う。


「わたし、鳥篭の記憶しかないの。その前は覚えてない。気づいたら鳥篭」


 今度こそ、カティは本当の意味で言葉を失った。何も言うことができないし、これ以上は聞きたくもなかった。口を開けば罵詈雑言、この世に対する悪辣な罵声を吐き出すことは確実だったし、そんなことをリトに聞かせたくもなかった。

 ただその後、リトは怒りに唇を震わせるカティに向かって、言った。


「間違い。鳥篭じゃない記憶もあった」


「そ、それは……?」


 少し、明るい表情を取り戻したリトに希望を見出す。それが幸せな記憶なのだとしたら、カティはその記憶が呼び覚ます幸せを何とかして――


「ここ」


「え?」


「この町の記憶。ん、ここは楽しい記憶ばっかり。わたし、それは嬉しいな」


 そう言って、唇をほころばせたリトを前に、カティは言葉を続けない。ただ、彼女の嬉しげに微笑む姿に目を奪われ、先ほどまでの負に傾いていた激情が掻き消されていた。

 リトの言う幸せな記憶がこのライズデルで得られたもので、ここ以外の場所で彼女が幸せを得た経験がないのだとしたら、今日までの彼女の日々の不器用さが理解できる。


 彼女は何も知らなかったのだ。そして今、それを知っていく途中にいて、そしてそのことを楽しく、嬉しく、幸せなことだと思っている。


「リト……ライズデルの生活は、楽しいかい?」


「ん、楽しいよ」


「鳥篭のことは、どう思う?」


「……好きじゃない。あの場所には、何もなかったから」


 鳥篭の生活を思い返すリトの表情は暗い。聞いただけで気の沈む思いをする記憶だ。当人がそのことを思い出すとすれば、どれだけの苦痛を伴うだろうか。


「リト、鳥篭のことなんて忘れて、ここでずっと暮らすといいよ」


 その力なく伏せられた瞳が嫌で、カティはそう提案していた。

 こちらを見るリトの目が驚きの感情に開かれ、それを真正面から見返してカティは言う。


「この町なら、みんなリトを受け入れる。僕も、リディアさんも。親方や他の仲間達も、町の人達だってそうだ。誰もリトに寂しい思いをさせやしない」


 熱に浮かされたように早口で続ける。両手を背後――町を示すように大きく広げて、


「リトが得られなかった幸せがここにはある。そして、それを続けることだってできる。その手伝いが僕の……そう、僕の恩返しだ。家族を守られた僕の、リトに対するお礼だ」


「恩返し――」


 確かめるように口の中で何度も呟き、やがてリトは顔を上げて頷いた。


「ん、それは嬉しい。そうなるといいな」


 リトの控えめな、でも確かな了承の意を得たカティはよしと心意気を新たにする。

 明日にでも、親方達にリトのことを相談しよう。最近、やけに頻繁に訪れる愛娘達(ドーターズ)への対処などだ。自分がもし目を離している隙にも何かあっては困る。いずれほとぼりが冷めるまで、リトの身を守りきらなくてはならないのだから。

 やらなければならないことが次々と浮かぶ中で、カティは一つの思い付きを提案する。


「リト、借り物ばかりじゃ悪いから、僕から服をプレゼントするよ」


「ん、服?」


「そう。リトに似合う、可愛いやつを。借り物じゃない、自分の服を」


 それで彼女が真の意味で、この町にリト個人として生きていく証になるだろうか。

 そうなるといいと思いながら、カティは明日やることの一つに洋裁店との連絡も加えた。

 事態の好転を信じきって、そのための方策を練っているカティはリトの表情に気づかない。

 夜空、星々と凍えるように白い月を見上げる瞳が、寂しげに光を受けていることを。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「あまり騒ぎになるようなことはやめていただけますか、お客様」


「あの坊主が俺の嗜虐心をくすぐるんだ。あの年頃でまあまあ擦れてなくて可愛いもんさ」


「いい子になるように手塩にかけましたから。ただ、近頃の様子はちょっと……変だけど」


 看板を下ろした宿場の店内、カウンター席に腰掛けるのは未だジョッキを手にしているグレンと、一つ席を空けて隣に座る赤毛の美人、リディアの二人だった。

 閉店後の店内に残っているのは二人だけで、騒いでいた客も全員が帰宅した後だ。酔いが酷く、潰れた客はドイネルが宿場の一室にまとめて放り込んでいる。


「様子が変、って言われてもな。俺は町に来てからの付き合いなんで、わからねぇな」


「明らかにおかしいの。体もどこか痛めてるみたいだし、笑ってくれなくなった」


「よく見てるな。頑張って隠してると思ったが」


「何年、私がカティと見てると思ってるの。八年……八年よ。八年間、ずっと」


 声を落としたリディアの呟きは低く冷たい。妄執とも無感情とも取れる奇妙な声音だ。


「最近、変なことが重なってるわ。二ヶ月に一度訪れるかどうかのガロンの私兵が頻繁にやって来る。父さんはどってことないって言い張るけど、愛娘達(ドーターズ)まで出向くなんて普通じゃない」


「いい評判は聞かねぇ奴らだな。それにしても、お前の親父さんは肝が据わってんな」


「それに、滅多どころかほとんどありえないくらいの久々に我が家に宿泊客。金払いはいいけど、怪しい風体の若い男が町に入った」


「おいおい、客に向かって酷ぇウェイトレスもいたもんだ」


 グレンは怒るどころか呆れるように苦笑。空になったジョッキを弄び、お代わりを要求しようとしたが、給仕の態度を見て空気を読んだ。


「――そして、何より普通じゃないのが、カティの家に急に入り込んだ、あの娘」


 特別感情の込められていない口調だったが、だからこそ凍えるような冷気に満ちていた。


「あの子が来てから、カティの様子がおかしくなったわ。そして周囲の様子も同じように嫌な方向に変化していく。ねえ……あなたは何か知らない?」


「さて、な。疑わしきは全て関連があると思うのはどうだか。思考の迷路に迷い込む時は大抵それが原因だ。名探偵への道のりは遠いぜ」


「ふざけないで。私は真剣な話をしているのよ」


 詰め寄るリディアに、グレンは鷹揚な態度のまま肩を竦める。


「あんたみたいないい女が、どうしてそこまで坊主にご執心なのかわからねぇな。確かに将来有望な感じはあるが……」


「カティは私の可愛い、大切な、愛しい、たった一人の、弟なのよ。心配して当然でしょ? 守ってあげたいでしょ? あらゆる外敵から」


 その剣幕たるや背筋が寒くなるほどのものがあるが、グレンの鉄の神経を凍えさせるには足りなかった。埒が明かないなと頭を掻き、グレンは座りっぱなしだった席から腰を上げる。


「悪いが、俺から言えるこたぁねぇよ。そう心配しなくても、答えはいずれ出るだろ。案外、単なる恋煩いとか思春期の典型かもしんねぇだろ?」


 背中越しに手を振り、グレンは店の奥の階段から二階の客室に向かった。

 そして、店内にただ一人残されたリディアは、唖然とした表情で口を開けている有様だ。


「カティが、恋煩い……」


 呟き、それから顔を俯かせたリディアの口から、断続する音が漏れる。くつくつと続くそれは、薄暗い店内に不気味に響く笑う音だ。


「そう、ね。そういうことよね」


 顔を上げたリディアは、宿場に訪れる客を魅了してやまない花のような笑顔だった。



「――あの子が、悪いのよね?」


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