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ギフト  作者: 鼠色猫/長月達平
対談の夜
8/18

3-1


 冷えた空気の満ちる夜更け。今は平原に居を構える古城「鳥篭」は僅かに西に傾いた月明りを浴びながら、静寂の闇にその身を任せている。


 その静謐とした夜闇を裂くような光が窓から漏れる部屋がある。古城の中央、その最も豪奢な装飾の成された城壁に守られた、本塔の最上階に位置する部屋だ。


「それで、まだ鍵は見つからないのか」


「ごめんなさい、お父様。ライズデルの奴らはなんか非協力的で」


「ふむ……困った連中だ。彼らのような下賎な輩に道を塞がれると殊更に不快だな」


「まったくです。何で奴らにはお父様のご聡明な思想が理解できないんでしょう」


 大事なお父様の胸に抱かれ、頬を染めたトルテはもっと接触を求めるように頬擦りする。


 古城の最上階、ガロンの私室でトルテは誰にも邪魔されぬ甘い時間を父親と過ごしていた。

 椅子に腰掛けるガロンの膝の上、抱きすくめられたトルテは寵愛に賜っている。愛娘達(ドーターズ)にとってガロンは全てに優先し、神より敬愛する至上の存在だ。そのガロンに二人きりで寵愛を受けるというのは最高のご褒美であり、何物にも代え難い幸福の時だ。

 ただ、普段ならば気兼ねなく甘えるトルテを愛してくれる父親の表情は暗く、瞳には憂うような翳りが時々差すのが堪らなく心苦しかった。


「賊の侵入と見張りが空になるアクシデントが重なった。ちょうど私が帝都に出向いていた時だったな。責任者はトルテ、お前だったか」


「お、お父様……ッ」


「責めるつもりはない。ただの事実確認だよ、可愛いトルテ。そう恐がらなくていい」


 安堵させるように微笑む父の視線に背筋が凍り、トルテは幾分青褪めた表情で唇を震わせる。ガロンに恐怖を覚えたのではなく、ガロンに無理をさせている自分を恥じたのだ。


 自分が悪いと叱責を受ければいっそ楽になる。父はそれで溜飲を下げられるし、自分もこれ以上の悲痛な目の色を見なくて済む。だが、父親がそんなことを望まないのはわかっていた。

 だからトルテは静かに内心で憤怒の炎を猛らせ、金髪に青い瞳の少女に灼熱を募らせる。


 なぜ父を苦しめる。なぜ大事にしようとする父の愛に応えない。なぜ父に悲しそうな顔で微笑ませる。やめてあげて、この愛しいお父様を苦しめないで。


 止まり木の塔の最上階に閉じ込められていた少女。彼女の世話はトルテの仕事の一つだったから、他の愛娘達(ドーターズ)に比べるとトルテは同情的だ。

 外との接点は小さな窓と、時折訪れる無口な世話係と、怯えを孕んだ見張りの目だけ。それだけが彼女の世界だったから、外の世界に憧れていたのかもしれない。共に過ごした時間を思えば、トルテと少女が交わした言葉はあまりにも少なかった。


 ただ、その同情的な憐憫の感情も悲嘆に暮れる父を見て、その身に触れれば露と消える。


 あまりにも呆気なく同情心は吹き飛び、反動のように父への愛と少女への憎悪が湧き上がるのだ。それこそもう脅迫的なまでに、ガロンを愛さなくてはならない。


「お父様……お父様の願いはトルテが必ず叶えます。ですから、悲しい顔をやめてください」


「おお、可愛いトルテ……お前は優しいな。我が娘の中でお前が一番愛らしい」


「――お父様」


 至福で胸がいっぱいになり、至上の喜びに頬を染めて、トルテはお父様から顔を背ける。未だ父の憂いは解消されていないというのに、嬉しさを隠し切れぬ自分を恥じたのだ。


「我が悲願のためにも、鍵がどうしても必要だ。あれを手中に収めておくことは、世界を手に取ることに等しい……わかるな、トルテ」


「はい、お父様。鍵は持つに相応しい、お父様の下へ。トルテが必ず取り戻します」


「トルテ……お前は最高の孝行娘だ。私はお前が一番誇らしい」


 大きな胸に掻き抱かれ、その全身を抱擁する温かみを感じながら、トルテは幸福の絶頂にあった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「それで、鍵はまだ見つからねーのかよ」


「ごめんなさいです、トルテ姉様。捜索、探索、尋ね人は続けてますですけど、やっぱり遠くに逃げたとは考え難いと思うです」


「んなことお前に言われねーでもわかってる。くそっ、やっぱライズデルの連中かよ」


 寵愛の時間が終わり、私室に戻ったトルテは忌々しさに愛らしい顔を歪めて毒づいた。


 飾り気のないベッドと机、幾つかの小物が置かれているだけの簡素な部屋がトルテの私室だ。トルテに限ったわけでなく愛娘達(ドーターズ)の部屋は大体同じ様相を呈している。必要な物以外はお父様からの贈り物しか置かれていない。ひとえに、お父様以外への無関心を証明していた。

 寝台に腰掛けるトルテは薄手の寝巻き姿で、不機嫌に片膝をついた姿勢は優雅さに欠ける。


「表立って反抗しねーで、ただ非協力的ってだけだかんな。あの熊みてーなおっさん。見た目と違って案外ちゃんとオトナの人間してるみてーだ」


「姉様、姉様。いっそのこと、痛い痛い思いをさせるのはどうです?」


「ダメだ。強引なやり方はお父様がお喜びにならねー。お父様の指示もねーのに、勝手に武力制圧なんかしたらどんなお叱り受けるかわかんねーぞ」


 ガロンは反抗的な相手の鎮圧と、見せしめが必要な場合以外は極力武力に訴えかけない。無論、愛娘達(ドーターズ)がいれば村や町の一つや二つ攻め落とすのを容易いと知っていて尚だ。


「くそっ。ますます、山ん中で逃がしたのが口惜しいじゃねーか。あの火事さえなきゃー、鉄の男もあたしがぶっ倒したし、鍵も回収できたんだ」


「姉様達が山の中を捜してるですけど、死体も何も見つからないです」


「たりめーだ。もしも死んでたら……あたしは悲しむお父様に何て言えばいいんだよっ」


 机に拳を叩きつけ、トルテが歯を食いしばる。まだ見ぬ悪夢を予感して震えるトルテの前で、小柄なトルテよりさらに小柄な少女が慌てた素振りで手を振った。


「姉様、姉様。キルマには鍵がどうして篭を出たのかわかりませんです。愛娘達(ドーターズ)でもないのに特別、格別、別格なご寵愛を受けていたですのに」


「……ああ、そっか。お前は止まり木の塔の鍵の世話はしてねーんだっけか」


「です。姉様は幾度も何度も足を運んでましたですから、鍵のことはよく詳しくご存知です?」


「どーだかな……でもまぁ、お前よりは知ってる。鳥篭を出てった理由も、何となくは想像がつかないこともねー」


「姉様、姉様。トルテ姉様らしくもなく歯切れが悪いです?」


 んー、と喉を鳴らし、トルテは西の方を見る。壁を無視していけば、視線の先にあるのは鍵が入れられていた止まり木の塔と呼ばれる、鳥篭の中で最も高い塔だ。


「あたし達は身寄りのねーとこをお父様に拾われた。だからお父様には格別の恩義と、代え難い愛情がある。お父様のためなら命を捨てることも厭わねーし、逆に人殺しも恐くねー。だけど、一方でお父様に逆らう連中ってのは、お父様のそのお心が理解できねーらしい」


「難解、珍妙、摩訶不思議です。お父様の優しさを世界中が知れば万事解決だと思うですよ」


「あたし達はお父様のやることを何も疑わねー。お父様が間違ったことするわけねーからだ。ただ、止まり木の塔のことだけは、知ってからは少しだけ……ほんのちょっとだけ思った」


 疑問詞を顔に浮かべ、キルマが首を傾げる。トルテは哀れむように眉を寄せ、


「あたしがお父様に拾われて、七年。鍵はそれとほとんど同時期に止まり木の塔に入れられて、そっから一度も外に出てねーんだ。お父様のやることに間違いはねーとはいえ、あたしだって少しは同情する」


 父親にかき抱かれて消え失せたはずの憐憫が再び胸中に湧き、トルテは己の優柔不断な心根に嫌気が差す。憎むのか哀れむのか、どちらを選んでも侮辱だというのにどちらも選べない。


「姉様、姉様。でも、それだけ鍵は危険が危ないですよ?」


「だからあたしはお父様が間違ってるとは思わねー。ただ、鍵の気持ちもわからなくもねーって話。あの窓しかねー部屋で、青空だけを見続けた日々で、何を思ってたんだろーって、な」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「リトちゃん、頼んだやつまだ~?」


「ん、リディアが作ったからおいしい」


「あれ、この大皿に半分しかないんだけど、どゆこと?」


「最初からそうだった気がする」


 口元に食べかすを付けたリトが、すぐにでもばれる稚拙な誤魔化しを展開していた。

 カウンターでその様子を片肘着いて眺めながら、これで大丈夫かなぁとカティは苦笑する。


「親方、リトはちゃんとやれてるかな」


「おお、大丈夫だって心配すんな。美人の売り子が増えたおかげで普段来ない若い奴らも顔出しやがる。売り上げ増えてるから、リトちゃんが皿割るのとつまみ食いで相殺だな」


「それって結果論的に見ると何の助けにもなってないんじゃ」


 通りすがったドイネルは豪快に笑い、気にするなと言って別のテーブルに酒を運んでいく。その巨体とすれ違うウェイトレス姿のリトが、カティの視線に気づいて小さく手を振った。


 リトが宿場でウェイトレスを始めてから、今日ですでに三日が過ぎている。

 細身の体に反して大食漢のリトは、食事の後に青褪めるカティの財布事情を察したらしく、食べる分を働いて稼ぎたいと言い出した。カティは見栄を張って止めたのだが、事情を聞いていたドイネルが強引に宿場のウェイトレスにねじ込んだのだ。その結果として宿場はかつてないほどの大盛況となって、昼夜問わず賑やかな喧騒に満ちている。


「リディアさんはいつも厨房だからなぁ。リト目当ての奴らがこんなに……」


「何だ、一丁前にジェラシーか。独占欲全開で可愛いあの子を独り占めしてぇってか」


「そんなことは言ってない。悪意ある解釈はやめろ。そしてついでに消えてしまえ」


 横の席でジョッキを空にしたグレンが、すげない返事に唇を尖らせて不満を露わにする。


「お互い、意地と意地をぶつけ合った仲じゃねぇか。そう冷たくすんなよ」


「勘違いの結果でだ。あの夜から宿場に泊り込んで、いったい何を企んでる」


「企むなんて人聞きの悪ぃ。俺はただ、これからのことを考えて暗中模索してるとこだ。いいじゃねぇか、この宿場はウェイトレスは可愛いし料理はうまい。世界平和について悩む俺にとっては憩いの場だろ?」


 シリアス顔で嘯くと、空いた酒の代わりを注文する。完全にリラックスしたその姿はどこにでもいる平凡な男のように見える。が、その実は強力な識者であることをその身で体験したカティはきっちり半身を緊張させ、挙動に目を送って警戒していた。


「そうそう恐ぇ顔すんなよ。殺さねぇように加減したとはいえ、坊主は俺に一回は土つけたじゃねぇか。またあの覚悟でやれば今度は勝てるかもだぜ」


「断る。本来、僕は暴力反対なんだ。この間は緊急事態につき、ああいう行動を取っただけ」


「緊急事態を想定して、銃なんか隠し持ってる時点ですでに暴力反対派の姿勢とは思えねぇけどな。――そんなにあの子が大事か?」


 睨み付けるような視線に顔を向けると、好色な口調と裏腹に眼光は真剣だ。質問に喉が渇いたような圧迫感を受け、迷うように口を何度か開閉して、


「リトに受けた恩は一宿一飯で返せるものじゃない。だから僕はその恩返しになると思えることがある日まで、彼女を……ん、言葉にしづらいな」


 リトには相変わらず、詳しい事情を聞いていない。こちらの方もグレンとの諍いや、その結果として負った怪我のことは隠しているのでお相子と言えばお相子か。


 グレンとの殴り合いから五日、リトが居候を始めてからは六日の時間が過ぎている。幸いにも怪我は全身打撲を除けば目立つものはなく、動く度に軋むことさえ堪えれば普段通りに振舞うことができた。結果として隠し通せているようだ。


 攻撃を受けた瞬間はかなりの大怪我を心配したものだが、実際には軽傷と言い換えて問題ない程度。明らかに手心を加えられていたことがわかって、心中面白くはない。


「互いの意見が揃ってるならいいけどな。その言葉にしづれぇ気持ちはちゃんと言葉にしといた方がいいぜ。自己分析を一度はちゃんとやっとくんだな」


 運ばれてきた酒にグレンが口をつけるのを傍らに、カティは宿場内をちょこまかと動き続けているリトの背中に憂いの視線を向ける。


 自己分析――言葉にできなかった思いは、そのままカティの迷いの感情を意味している。

 自分はリトに対して、何をしてやりたいのか。リト自身もまた、一体何をしたいのか。

 彼女が何か願うならそれを叶えてやりたい。迫る悪意はこの身でもって払おう。

 せめてリトの目的だけでも、本人から聞いておくべきなのだろうか。


「そうだ、耳に入れとこうと思って忘れてたことがあるんだがよ」


 思考に横槍を入れてきたのは、自己分析を勧めた当人だ。不機嫌な横目を向けると、グレンは肩を竦めて視線をいなし、小声で耳打ちしてくる。


「この間の俺と坊主の喧嘩だが、見てた奴がいるぜ」


「――! 誰が?」


「わからねぇ。声質からするとガキっぽかったが、坊主が十七歳だって聞くとあてにならねぇな。あれ以降は監視に相当気を遣ってるが、俺の警戒には引っかかってこねぇ」


「あんた以外で僕らを追うとなると……まさか、愛娘達(ドーターズ)が?」


 不穏当な響きに対し、グレンはいや、と首を振った。


「違う、と思うな。見てた奴は坊主が意識をなくしてる間、口出ししてきやがった。その時間稼ぎがあって、お前の最後の抵抗があったんだ。だから、見てた奴は坊主に友好的だと思うぜ」


「そんなことがあったなんて聞いてない。どうして、黙ってたんだ」


「言おう言おうと思って忘れてたんだよ。あれ以来、声も姿も見せねぇし。……そうだ、そいつ以外にも見てた奴ならいたぜ」


「複数で!? 何で尚更そんな重要なこと忘れてたんだよっ」


「あのなぁ、勘違いするんじゃねぇ。俺は坊主の仲間になったんじゃねぇんだ。休戦状態ってとこなんだぜ、俺と坊主の関係は。一から十までお話してやる義理がねぇ」


 グレンの言い分はもっともだ。身を乗り出すような勢いを収め、カティは居住まいを正す。横にいる男は友好的な笑みのまま、相手を釘打ちできるような男だ。

 何より、カティにとって憎むべき識者でもある。


「――なあ、あんたはどうして識者なんかになったんだ?」


「ああ? また唐突に突拍子もねぇ質問だな。そんなこと聞いてどうする」


「別に。ただ、識者を僕は大嫌いなんでね。実際、それをしてる人間はどういう気持ちなのか聞いてみたくなった。それだけだよ」


 そんなもんかね、と呟き、少し黙考するように目を瞑った後、グレンは懐から鎖を引き出す。そして鎖の先に取り付けてあったのは、掌サイズの小さな箱――ギフトだ。


「これが俺のギフト、中身は鉄の知識だ。俺がこいつを手に入れたのは十年ぐらい前の話。手に入れた経緯は省くが、識者になった理由は簡単だ。諦めたくなかったのさ」


「諦めるって、何を?」


「俺にとって耐え難い状況を、だ。そのためには力があることが絶対で、そしてギフトは俺の元へ現れ、蓋を開けて知識を――力を与えた。俺はなるべくして識者になったんだ」


 鎖を鳴らし、そのことが誇らしいような笑みをグレンは浮かべる。

 だが、その態度もカティにとっては気に食わないことこの上なかった。


「何だかんだで、結局あんたもギフトの知識を力としか見ちゃいない。結果としてギフトを武器代わりにして、前の晩のように戦いに使う。識者は知識を何だと思って……」


「あーあー、そうか。坊主の言い分はわかったぜ、なるほどだ。だがな、そう簡単に他人を否定するんじゃねぇよ、男の値打ちが下がるぜ」


「値打ちとか、何を――!」


「いいから聞けよ。人間、そいつが手にしたもんをどう使おうがそいつ次第だ。知識だけじゃねぇ、それが何でも同じことだ。知識も力も何もかも、そいつが生きる術でしかない」


 いつの間にかグレンの左手に握られていたフォークが、その形状を瞬きの度に変えている。小さな剣となり、小さな矛となり、小さな盾となり、小さなスプーンとなった。


「お前の考えを悪いとは思わねぇ。諦めないってことは、そんなのは嫌だって気持ちから始まるからな。だが、坊主の気持ちは少し、俺は残念な方向に向かってると思うぜ」


「…………」


「坊主の言い分じゃ、自分はギフトを持っていない、なのに持っている奴らは好き勝手やりやがる。ああ、何で自分にギフトは現れないってな。持たざる者の僻みに聞こえるぜ」


「それは侮辱だっ!」


 カウンターを両手で叩いて立ち上がり、憤激に染まる顔でグレンのすまし顔を睨みつける。

 対するグレンは涼しい顔で、幾何学的な形に変わったフォークを弄んでいた。そのそっけない態度すらも屈辱的でしかなく、カティは苛立ちとともに吐き捨てる。


「ぽっと出で得たものを自分の力だと勘違いして、好き勝手やる奴らを僻む!? それは酷い侮辱だ。お前らみたいな奴らに僕が抱くのは嫉妬なんかじゃない、憎悪だっ」


「なら、識者の殺し方を知ってるか?」


 ぞっとするほど冷たい声と内容に、カティの頭が一瞬で冷却される。

 何を、と疑問を浮かべる表情に、グレンは獰猛な獣の笑みで答えた。


「識者には弱点があんのさ。全員共通の、な。識者を殺すのに眉間を撃ったり、腹を刺したりする必要はねぇ。識者は常に、弱点を持ち歩いてるんだ」


「持ち歩くってことは、まさか……」


 カウンターの上に置かれた、何の変哲もない小箱を愕然と見下ろす。


「ギフトがどうにかされると、識者は死ぬのか……?」


「死ぬと同義にはなる。ギフトを破壊されると識者は知識を失う。ギフトに与えられたものだけでなく、他の知識も何もかも。もっとも、ギフトもそうそう簡単に破壊されるもんじゃねぇんだが、それでも識者は自分のギフトが壊されるのが恐くてしょうがねぇ。だから、全ての識者は自分のギフトを必ず持ち歩く」


「何でそんな真似を……どこか、誰の手にも届かない場所に保管するとかじゃ駄目なのか?」


「ま、誰でもそう考える。けどギフトにゃ持ち歩くルールがある。何せ手元から離した途端に知識が弱くなる。使わない知識は忘れていくのが道理だしな。……ま、ギフトを遠ざけりゃ識者でなくなると思えばいい」


 鎖が打ち合う音を奏で、箱が吸い込まれるようにグレンの懐に仕舞いこまれる。その一瞬、懐に入るギフトのサイズが小さくなったように見えたのは錯覚だろうか。


「びびったみたいだが、ギフトのサイズは当人次第で決められる。といっても、持ち運びに便利になるように掌サイズから一摘みサイズ程度の違いだがな」


「ギフトが弱点だと知っても、結局はそんな小さな箱が体のどこにあるのか明確にわからなきゃ意味がないってわけか。何でそんなことを僕に教える?」


 三日前の夜のことを思えば、いつまた目の前の男と戦う羽目になるかもわからない。にも関わらず弱点を公開するということは、敵に塩を送るどころの話ではないはずだ。

 質問にグレンは自身でも不思議そうに眉を寄せ、それから不機嫌に口元を歪める。


「ああ……理由には思い当たったが、言いたくねぇな。ま、愛娘達(ドーターズ)が本格的に動き出すのもそう遠い話じゃねぇ。坊主がどこまでやれるのか、見ておきたくなったのさ」


愛娘達(ドーターズ)――か」


「忘れようとしても見なかったことにしようとしても、奴らは必ずくるぜ。逃げるのも守るのも見捨てるのも全部お前の自由だが、結局全ては戦いさ」


「――戦い」


「そう、戦いだ」


 再度空にしたジョッキをカウンターに叩きつけるように置き、獰猛にグレンが笑った。


「世の中、戦いじゃねぇことなんて一つもねぇのさ。全部、何もかも、生きることは闘いだ」


 その言葉は何故か奇妙なほどにカティの胸を強く打った。それが正しいことかはさておき、目の前の男がそう信じて生きてきたことは疑うべくもないからだろうか。

 カティの幾許かの感銘を込めた視線に気づき、グレンは怪訝そうに目を細める。勘付かれるのはばつが悪く、何食わぬ顔を装って先の話題を掘り返した。


「それで、僕とあんたの喧嘩を見てた二人目について教える気はないのか?」


「ああ、あれか。猫だよ、猫。にゃぉーん」


「は?」


 訝しがる目に対し、グレンは猫手を作って顔を洗う仕草。


「猫が一匹、廃屋に入り込んでたって話。わはは」


 からかわれていたと知って、血管の切れる思いでカティは立ち上がる。

 ちょうど、店の奥から仕事時間を終えたリトがやってくるところだった。




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