2-3
「よくわからん状況に俺は困惑気味なんだが、質問タイムは許されるのか?」
「どうぞ。僕も聞きたいことがあるので」
「そうかいそうかい……んじゃ、交代に一個ずつといこうか。お前、何者?」
男の質問の意図は掴めずとも、その問いに対する答えは一つしかない。
「カティクライス=デリル。この町で暮らす、技術士兼鉱夫。どちらも見習いだけど」
カティの答えに男は気のない素振りで、ふーんと鼻を鳴らし、足元の石を蹴る。
場所は邂逅した住宅地を離れ、少し道を戻ってカティ家とは反対の町の外れに移した後だ。もともと倉庫に使われ、今は廃屋となった建物の前の草原で向き合っている。
「カティクライス……ね。ま、名前はわかった。そんじゃ、坊主の番でどうぞ」
「名前がわかっても坊主か。……じゃあ、こっちもそちらが誰なのか。鉄の男じゃ呼び難くてしょうがないので」
男は腕を組み、不敵に口元を緩ませる。
「そうか、鉄の男はちょっと気に入ってんだがな。呼び難いってんならしょうがねぇ。俺の名前は……グレン。請負人、グレンだ」
「請負人……?」
「おおよ。頼みごとなら何でも引き受けるぜ。宅配に人捜し、破壊工作から要人警護まで何でもござれだ。人殺しが目的になる仕事はなるたけ請けねぇがな」
喜色と誇りを合わせた顔つきで、己の仕事を説明し、男――グレンが、あ、と頭を叩く。
「いけねぇいけねぇ。連続して質問に答えちまった。自分で言い出しといて間抜けだな。まあいいや、今のはサービスってことで。年上だしな、俺」
「……どうも」
カティからすれば不信感から思わず口をついただけなのだが、律儀に質問に答えてグレンは年上の威厳を見せ付けたつもりのようだ。
「それで、今度はそちらの番だけど」
「あ? おお、そうだな。あれ、思ったより聞きたいことねぇな。わはは」
参ったな、と前置きした直後、グレンの視線が鋭くなったことをカティは見逃さなかった。
「昨日の鉱山のガス爆発は、お前がやったんだろ?」
声色も目つきも何気なさを装っていたが、内容の剣呑さが全てをぶち壊していた。何より、一瞬の鋭さが会話で見せる惚けた性格が男の本性でないことを教えている。
「僕じゃない。愛娘達とあんたが騒ぎすぎた結果じゃないか?」
「まさか誤魔化しにかかるとは思わなかったぜ。残念ながら、俺はあの手の山にゃちょいと詳しくてな。まかり間違っても、そういうポカミスはしねぇ。愛娘達の連中も、まあ“火”は一人もいなかったし、迂闊な奴もいなかったと思いたい」
「不確定な要素で推理には程遠い。こじつけも多すぎる」
「だが、昨日の夜で一番の不確定要素は他でもないお前だぜ。カティクラウス君」
グレンは肩を竦め、確かに勘の要素が大きいがね、と呟いた。
「さて、答えに意図的な嘘を含む可能性が発生したわけだが、次の質問はそっちの番だ」
「そう言われると質問の気勢を殺がれるけど……どうして、愛娘達ともめてる?」
「狙うものが一緒だからだ。勢力が二つでモノが一つなら、取り合いになるのが自然だな」
もっとも、と自分の言葉の内容を論って、
「今は二つじゃなくて、三つかもしれねぇけどな」
締めくくったグレンの目つきが明らかに鋭くなる。剣呑な眼光に比例して、隠す気のない鬼気が全身から漏れ出し、向き合うカティの全身の肌をピリピリと刺激した。
「こうして普通に向き合ってるが、本当は俺は少し恐ぇんだぜ」
だってそうだろ? と同意を求めるように首を傾ける。
「今この瞬間だって、お前はただのガキにしか見えねぇ。鉱山の中で会った時だってそうだったんだ。だから単なる悪戯坊主と思って俺は見逃した。だが、その兎はおっかねぇ獣同士が爪と牙をぶつけ合ってる間に逃げ出すどころか、獣が取り合ってた獲物を横取りして、おまけに山を燃やして獣を追っ払いやがった」
「ガキに悪戯坊主に兎か……僕の知らない間に呼び名が増えるな」
「獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすって言うだろ? それはつまり、どんな見た目の奴が相手であったとしても、油断は負かり越さねぇって意味だ」
グレンは羽織っている上着の内に交差するように手を差し入れる。そして抜き出した手の中、指と指の間に挟むように握られていたのは、何の変哲もない長めの釘だ。
「俺は“鉄”の識者、請負人のグレン=マグダウェルだ。名乗っていいぜ」
「何度名乗っても同じだ。僕の名前はカティクラウス=デリル。他に何もない」
――名乗り上げがそのまま、戦闘開始の合意に達したと互いがみなした。
言うのと同時、何の合図もなくカティは身を横に飛ばす。肩から転がした背後、背にしていた木に連続で杭が打ち込まれるような穿つ音が届き、細い木の幹がへし折れる音が続く。
倒木の地響きを地に着いた半身で感じつつ、転がる勢いで立ち上がりながら懐に手を入れる。
――抜き出した手に握られているのは、六つの銃身がついた奇妙な形の銃だった。
カティは走りながら、その奇妙な形状の銃をグレンに向ける。薄闇で、しかも攻撃の後に移動していたようだが、目の端に映った影に向かって確かめもせずに引き金を三度引いた。
乾いた、しかし従来より小さな音が鳴り、銃弾が空気を抉りながら目標に向かい、穿つ。
釘の返礼の銃弾が穿ったのは、グレンではなく廃屋の壁だ。木造の壁を容易く貫き、弾は廃屋の中に吸い込まれて消えている。
「おかしな形の銃だと思ったが、一発じゃなく連射できるのか! 昨日の妙な灯りといい、効果が予想できねぇ道具はおっかねぇな!」
グレンの叫びが示す通り、世界中の銃のほとんどは未だ単発式のものが主流だ。カティの持つ六連式の銃は祖父の作品の一つで、六つの銃身の一つ一つに弾を込め、銃身自体が回転することで六発までの連射を可能とする傑作だった。
ツナギの左足のポケットに乱雑に銃弾が放り込まれている。そこから三つの弾を回収し、空になった弾倉に放り込みながら遮蔽物を目指して走る。
走る背中を追うように、横合いから釘の連射が入る。全力で走り抜けた背後を風切り音が掠め、一発が微かに後ろ髪を削っていった。
遮蔽物に隠れた直後、うなじをドッと冷や汗が伝い、心臓が爆発せんと拍動する。
「よく避ける。が、その様子だと識者ではねぇな。勿体ぶって死ぬ馬鹿じゃねぇだろう」
「そうだ。そういうわけだから、少しは手加減しちゃどうだろうっ?」
「山火事の小細工と不思議道具。ある意味、ギフト頼りの識者より危険だ。手は抜けねぇな!」
交渉失敗――遮蔽物から腕を出し、声の方に向けて威嚇射撃。当たることを期待するのではなく、当たるのではと思わせることに期待。
発砲に相手の釘の射出が止まると、再び遮蔽物を変えるために走り出す。目線だけで振り向けば、壁にした岩には何十本もの釘が穿たれ、真っ二つになる寸前だった。
飛んでくる釘は何の変哲もない普通のものだ。そんなものでも鉄の識者が扱えば銃弾と脅威は変わらない。コストパフォーマンス的には惨敗だ。
釘の威力は一発が岩に根元まで打ち込まれるほど。人体ならさぞ容易く貫き、衝撃で吹き飛ばすだろう。飛んだ先で追い討ちを食らって、壁に磔アートの出来上がりだ。
「問題は残弾数。薄めの上着の懐に、あとどれだけ釘が入ってるか」
最大のメリットは持ち運ぶのに不便がないことか。釘など百本単位で持っても重さなどたかが知れているし、鞄の一つにでも入れて持ち歩けば数には困らない。
幸い、今夜のグレンは無手。持ち合わせは懐の中に限られているはずだ。
「ただ、そんなのは向こうも承知のはず。つまり、弾数が少なくなれば攻めてくる」
「正ッ解ッだッ!」
届いた賞賛の言葉に、カティは咄嗟に頭を下げて身を折る。勢いでつんのめって転んだが、頭上を通過した凶悪な一撃を避けた結果で帳消しだ。
カティの上半身を薙ぐように振られたのは、月の光を反射する鋼色の冷たい蛇。波打つような挙動で身を縮め、グレンの手の中に返ったそれは鉄製の鞭という矛盾の賜物。
「持ち合わせが少なくなったからな。百本ちょっとを一つにして鉄の鞭にした。これなら弾数を気にする必要もねぇわけだ」
「その代わり、鞭の扱いがうまくなきゃいけないんじゃないか」
「ご心配なく、だ」
だらりと下げられた鞭が前触れなく揺らめき、本物の蛇の如くのたうつ。かと思えば身を上げて宙でくるくると円運動を見せ、再びグレンの手元に戻った。
「鉄である以上、動きは俺の意のままだ。剣や槍ならいざ知らず、鞭に熟練度は必要ねぇ!」
鉄の蛇が身を伸ばすより早く、棒立ちのグレンに向けて銃撃。
乾いた銃声を置き去りに、空気を切り裂く弾丸が喝采を上げてグレンを狙う。鉛玉の顎に食い千切られるより先にグレンが体を翻し、返礼の一撃が上空の月を割って振り下ろされた。
激突の音は斬撃の音に似て、下がった鼻先の地面を縦断する傷跡が走る。
鞭特有のしなる動きに、鉄の強度からなる一撃の威力を目の当たりにし、驚きに喉が鳴る。
残弾を牽制に射撃し、弾を込めながら体と思考を走らせる。このままではジリ貧だ。物量に限界のあるカティの手数が先になくなり、持久戦の体を保つこともできまい。
となれば、打って出るのが最善だ。敵の獲物は鞭であり、長いリーチを誇る反面、接近戦での扱いには無理が出る。その隙を突くのだ。
ツナギの右足から最後の銃身に弾を込め、足を止めずに方向転換。計らずも眼前を鉄の蛇が牙で削り取っていき、自分の運のよさに感嘆とさらなる効果を期待する。
親指を引っ掛け、銃身を回して装弾したばかりの銃身をセット。鞭を引き戻す動作のグレンに銃を向け、彼の体ではなく手前の地面に向けて銃撃。
――穿たれた地面が爆発するように抉れ、土塊のカーテンが舞い上がった。
「――んなっ!」
銃撃と同時にカティは駆け出している。土のカーテンを破るように飛び出した瞬間、グレンが驚きに愕然と目を見開くのが見えた。
転がりかける勢いで肩からグレンに飛び込み、無我夢中で銃口を胴体に押し付け、
「零距離射撃、受けてみろっ!」
引き金を連続で五度引き絞り、狙い違わず全弾がグレンのど真ん中に着弾――!
致命的な衝撃に喉が呻き声を漏らし、グレンの体がぐらりと背中から地面に倒れた。
その真横に膝をつき、続いて手を着いて荒い呼気を漏らす。手足は疲労と心労の二つで小刻みに震え、高鳴る心臓は勝利の昂揚感と殺人の恐怖に鳴り響き、酷い吐き気が頭痛を引き起こしていた。
「はぁっはぁっはぁっ……くそ、でもこれで……っ!」
額に浮いた汗を乱暴に拭い、立ち上がろうとした瞬間――腰を細い何かに一気に絞められる。
それが何か確認する暇もなく、強引に身が宙に浮かされ、空中を振り回された。紐状の腰の締め付けが内臓を圧迫し、吐瀉物が口の端からはみ出す。
誰に、どこから、何を、されている――!?
そしてされるがまま圧迫感から解放され、なすすべもなく滑空した体が廃屋に投げ込まれた。
背中から廃屋の壁に激突し、全身の骨が軋む衝撃と三半規管へのダメージに吐血する。
「――ごぶっ。……あっ、ぐぅ……おふっ」
「……ああ、今のは効いたぜ。危うく、意識が飛ぶとこだった」
頭の中で金属同士が打ち合うような甲高い音がする。間断なく繰り返されるその音が一度響く度に、頭蓋骨が割れそうなほど冷たく痛んでいた。
誰かの声が聞こえたような気がするし、誰かが傍に立つ気配もする。
「いざという時の備えが役に立った。服の中に鉄板を仕込んでてな。普通なら刃渡りの短いナイフを防ぐぐらいのもんだが、俺が扱えば銃弾を防ぐこともしてみせる。ま、五発も近距離で食らったもんだから意識は飛んできそうになったが」
全身打撲に、内臓の方もダメージを受けたはずだ。叩きつけられた右半身の骨が軋み、痺れるような感覚だけがあって動いてくれない。
「しかし、やっぱりお前はおっかなかったな。銃だけでここまで張り合われると思ってなかった。最後の機転、地面の一発が隠し玉だな。動きの止まったとこに零距離射撃は効いた。あそこまで接近しなくても、頭狙ってりゃ終わりだった」
嘔吐する胃液も血も出尽くすと、ようやく苦しい呼吸が可能になった。呼吸一つする度に全身に酸素が行き渡り、同時に血が巡り始めた各所の異常が正確に伝わる。
――どれも、戦闘不能になるほどの怪我ではない。
「一番恐いのは、その目だな。まだ立ち上がるその目だ」
震える足を叱咤して立ち上がると、痛みに霞む視界の中に黒髪の男が立っている。撃ち殺したはずのグレンはダメージなどないように、片手に鋼色の幅広の剣を携えていた。
「最初から最後まで、お前の目の色は変わっちゃいねぇ。お前は間違いなく俺にびびってるし、逃げてぇ勝てねぇとも思ってる。山で会った時と一緒だ。だってのにお前はそのびびってる目のまま山火事で俺達を撒いたり、敵を打ち倒しもする」
「買い……被るな……僕は、そんな大層なことを、するわけじゃない……」
痺れていた右手に、まだちゃんと銃を握っている感覚がある。肘から先は未だに震えているが、持ち上げて人差し指を動かす力ぐらいは残っているはずだ。
「ただ……家族を守られたから……その恩を返す……返したいだけだ!」
叫びとともに跳ね上がった腕で引き金を引く――しかし、響いたのは空撃ちの乾いた音。残弾を先ほどの零距離射撃に使い、補充していないことを血の巡りの悪い頭が忘れた。
グレンは弾切れに気づいていた。故に鼻先に突きつけられた銃口を哀れむように見て、その銃の持ち主である少年の不屈の闘争心に感服する。
そして、引き金の空打ちが何度か続くのを見て忍びなくなり、手にした剣を振り上げて、
「なるほど。それならボクも何かしなくちゃいけないね」
不意に響いた第三者の声色に、驚きの視線を周囲に巡らせた。
「気持ち的には逃げたい気持ちはあるんだけど、それ以上の何かが足を止めさせる。これがああ、そう、心ってやつなのかな」
幼い子どものような中性的な声だけが廃屋に響き、声の主は一向に姿を見せない。
ついさっきまで、辺りには確実に人の気配はなかったと断言できるだけに、この第三者の参上は完全な非常事態。一般人が迷い込んだ、という言い訳も厳しかろう。
「誰だ? 姿は隠して声だけの出演ってか。この坊主みてぇな気概はねぇのかよ」
「騎士道とか、正々堂々とか? 生憎、ボクは生きるのに手段は選ばない主義だから、それを求められても困る」
声の主は移動している。先ほどと声の響く場所が違うのだ。ただ、移動は無音でしかも俊敏。常にこちらの死角を取るような動きに、相手の技量の高さが窺える。
が、相手のその態度は決して穏やかならぬグレンの気性に激しく火をつけた。
「つまらねぇ、が面白ぇ。そんなに隠れんぼがしてぇなら、炙り出してやろうじゃねぇか!」
グレンの手の中で剣の形を取っていた鉄が瞬時に分裂し、元の釘の形状を取り戻す。と同時に廃屋の中に飛び込んでくるものがある――廃屋の外で攻撃に使った釘だ。
それらが全てグレンの手元に戻り、そしてグレンを円形に囲むように宙に浮遊した。
腰から上の角度百八十度、周囲三百六十度の絶対領域だ。
「さあ、何が起こるかわかるか、隠れ鬼気取り」
無言を返答とみなし、グレンは正面で未だ銃を構えたまま立ち尽くすカティクラウスの身を軽く蹴る。と、意識を失った様子の小柄な体が地面に倒れた。
――それが合図だ。
「受けろ、全方位標的――ネイルキャノンだ!」
浮遊していた釘が急な加速を得て射出――全方位に弾丸の如く打ち出された。
豪雨が降ったような音が数秒の間続き、廃屋の壁という壁が釘に穿たれてひび割れる。三百発近い攻撃に廃屋全体が衝撃に揺れ、破損の倒壊があちこちに起きた。
「――おかしいな」
廃屋全土を蹂躙した鉄の牙の群れだ。躱す余裕などあるはずもなく、着弾したとしても即死に至るほどの威力もない。
となれば、釘の攻撃を食らった潜伏者の痛みを堪える声が聞こえてもいいはずだが。
「――そこかっ!」
擦れるような微かな音を耳朶が捉え、発生源に向けて釘を投擲。場所は廃屋隅の木箱の裏、着弾した釘が木箱を砕き、その背後の獲物目掛けて追撃を放とうとして、
「猫、かよ」
木箱の裏で顔を洗う黒猫を見て、投擲の手を下ろした。
額に白い傷のある、真っ黒の毛並みの猫だ。騒ぎにも関わらずこの場にいることを考えると、よほど肝の据わった猫らしい。
「おい、猫。お前さんの他に侵入者は……」
無駄な問いかけを口にしようとして、背後に人の気配を感じて振り返る。
震える手で、弾を込めた銃を構えるカティクラウスがそこにいた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
何が起きていたのか、朦朧とする意識ではそれをはっきり知覚することはできなかった。
ただ、自分ではない誰かに怒鳴るグレンを見て、蹴倒された隙に空っぽの弾倉にもう一発の弾を放り込むという作業を億劫ながらもやり遂げただけだ。
「本当に、いい根性してやがる。潰すのが惜しいくれぇだ」
グレンが小さく首を振る。と、その顔を覆うように体から何かが上ってきた。そして、それはグレンの顔を完全に覆うと、目の部分だけを空けた兜に変形する。
「これで銃撃は頭にも届かねぇ。……だから、もうやめてもいいんだぜ」
「だけど、そうしたらあんたは、リトを連れて行くだろ?」
「誰のためにそんなに尽くすのか知らないが、自分の身とお嬢ちゃんのことも考えろよ。どうせお前が連れて行く先だって碌な目にあの子を遭わせない。少なくとも俺は違うぜ?」
「……? 何を、言ってるんだ?」
グレンの言葉の意味がわからない。それではまるで、グレンはカティがリトを悪い目に遭わせると思っているから、助け出そうとしているみたいではないか。
「連れて行く先とか、そんなものないよ。僕はリトに救われたから、その礼がしたいだけだ」
「何ぃ? ちょ、ちょっと待てよ。お前、あれだろ? どっかの団体に所属してる、工作員か何かだろ? 国とか、組織とか」
「何度も言ってるけど、僕はただの技術士兼鉱夫だ。そんな妙な話は知らない」
ようやく痛みと痺れが緩和し、会話に意識を集中することができるようになる。
グレンの言葉の意味は図りかねるが、それ以上に混乱しているのはグレンの方のようだ。彼は焦ったように手を額に当てて、唸ってはまさかと首を振ったりしている。
「え、何だ? ひょっとして、お前は単なる一般人なのか?」
「そうだって、何度も言ってるだろっ!」
「じゃあ、どうしてあの子を手元に置こうとする?」
「リトは昨日、僕の家族を守ってくれた。そして怪我を負っている。僕は彼女の恩義に答えなきゃならないし、怪我をした要因からだって遠ざけるに決まってる」
開いた口が塞がらないというのは、今のグレンのような姿を現すのだろう。
「待て。お前は、あの子が何者か知ってるのか?」
「リトはリトだ。それ以外のことは聞いてないし、恩返しには関係ない。あの子はいい子だよ」
言い切ると、グレンは唖然とした表情のまま無言。
引き金を引く切っ掛けを見失い、カティの方も動くことができないままでいる。と、グレンの頭を覆っていた兜が唐突に溶け出し、上着に吸い込まれていった。そして、
「くく、くくく……あはははは! わーっはっはっはっはっはっ!」
遠慮のない笑い声が廃屋の中に響き渡った。笑い通しのグレンは腹を抱えて爆笑し、それでは足りぬと床に寝転んでさらに笑いのアクションを見せる。
「わははっはははははっげほっ、ごほっ! だはははは!」
「咽るまで笑うなよ。っていうか、何がおかしいんだっ!」
「ひひ、だって、だって完全に勘違いしてたんだわ、俺。お前も愛娘達の連中と同じで、あの子に辛い目を強いるつもりなのかと思ってた」
目尻に涙さえ浮かべて笑いを堪えるグレンに、カティの方こそ言葉を見失った。
「あ、あんたの方こそ、そういうつもりなんじゃなかったのか」
「俺の側は違うさ。少なくとも、俺は違うつもりだ。つまり、お互い勘違いしてたのさ」
あっさりと口にされた今夜の諍いの真相に、直接的な要因と違う要因で頭痛がする。
つまり、目の前の男はリトに害意はなく、立場的には自分に近いということか。そして互いに相手を敵だと思い、勘違いから争いに発展した。
「そもそも、僕の見た目でどうして裏社会のプロみたいなのを連想するんだ……」
「それは悪かった。見た目なんてそれこそ裏社会じゃアテになんねぇし、それに昨晩の火事騒動が効いたんだ。どんなクレイジー野郎なんだって警戒しちまったから」
ごめんね、と軽く謝罪の意を示すグレンの前で、カティは膝から崩れ落ちるように座り込む。
「それじゃぁ、今夜のこの痛い思いは何のためにしたんだ……」
「それはその、あれだ。男同士が分かり合うには殴りあいって相場が決まってるだろ?」
「これを殴りあいと同じ次元で評するか」
疲れきった感想を口にして、カティは背から大の字に冷たい床に寝転んだ。
そのカティを見ながら、グレンはぽつりと顔を俯けて呟いていた。
「ただ、何の打算もなくあの子のために、か。そういう場所の方が、幸せなのかもしんねぇよな……幸せ、か」