2-2
「しかし、カティの奴も隅に置けねえなぁ」
「本当にな。またえらく別嬪さん連れてきたもんだ。大丈夫かよ、ガス中毒とかよ」
「何年か前に鉱山で変なガス出たことあったよなぁ、幻覚作用あるやつ。何か、眩暈してきたかもしんない、オレ」
カウンターの反対側でそのような会話が交わされていることも知らず、カティは肩身の狭い思いをしながら朝食を口に運んでいる。
ドイネルの宿場のカウンター席、隅に追われたカティの左右の席は女性によって埋まっていた。右に同じように食事するリトと、左に片肘をついてカティを睨むリディアとに。
繊細な見た目と裏腹に、食事をするリトの動きはなかなか豪快だ。男らしく握りこんだフォークを肉に突き刺し、憚ることなく口を開けて放り込む。音は立てずに咀嚼するが、すぐさま飲み込んで同じ工程が繰り返された。
そうして空になった皿を隣に積みあがった皿の山に重ね、次の皿に取り掛かっていく.
食べるより食らうという表現の似合う光景を作り出しているリトの姿は、灰色の拘束衣を着替えて体面の悪い展開を逃れていた。拘束衣とは別の理由で衆目を集めているのは彼女自身の容姿のよさと、打開策として借り出された服がウェイトレス服だからだろう。
宿場内のほとんどの視線はリトに集中していたが、一番別に向いてほしい視線はさっきからずっとカティの左頬を焼きつかんばかりに見つめている。
リディアの不機嫌そうな眼差しを感じるたびに、蹴りを受けた場所がきりきり痛んだ。
乱入後のリディアの怒りようはすごいものだった。家族同然に思っている相手が見知らぬ裸身の少女を押し倒しているという現場に遭遇したのだから、それも仕方がない。
最初の蹴りの騒ぎの後、リディアはリトの怪我を見てそういう状況ではなかったことを察してくれた。リトの着替えと包帯の替えをリディアに任せ、カティは負ったばかりの負傷箇所(リディアの蹴りと落下物等の打撲)を治療して、細かい説明もそこそこに(リトの着替えのことや、空腹であったことを理由にして)宿場に来たのだ。
運ばれてきた料理――追加の分も含めて全てを空にしたリトが、最後の皿を山に連ねる。皿と皿が奏でる甲高い音に続いて、満足げな少女の吐息が小さく漏れた。
「リトちゃん、美味しかった? もう、お代わりはいいかしら」
「ん、美味しかったよ。お代わりは……ん」
首を捻って悩み始める。そのリトを見ていた優しげな面が一変、鬼となってカティを見た。
「それで、カティ。詳しい話を聞いてもいいかしら? いいわよね?」
「それは確認という皮を被った脅迫じゃあ……すみません、何でも聞いてください」
全面降伏に気をよくしたように頷き、すぐに真剣味を帯びた目と声色で問いを差し出す。
「まず、リトちゃんはどこの子? いつどうしてどうやって会って、家に入れたの?」
最初の質問から難問だった。その答えは未だ、カティもリトに問うていないのだ。助けを求めるように縋る視線を向けると、まだ唸っていたリトが小さく首を傾けた。
「どうやって会ったって……言われると」
繰り返して質問をリトに伝えると、リトは先と違って目を伏せる。
口裏合わせも何も思いつかず、そもそも何も悪くないと開き直ってカティは一言。
「拾った」
「拾われた」
狙ったわけでもなく、お互いの答えが見事に一致した。無意味な連携の返礼は機嫌の悪さが増したリディアの追求だ。
「何を二人揃って馬鹿なこと言ってるの! 拾ったって、猫や犬じゃあるまいし!」
「そう、猫。猫だよ、リディアさん」
言葉尻を取っての口出しに、何事かと眉を顰めるリディアに告げる。
「ノワールだよ。昨日、家に帰ったらノワールがいなくなってて、慌てて探したらリトが見つけてくれてたんだ。それで怪我してたリトを家に連れ帰ったってわけなんだよ」
すらすらと言い訳が紡がれたのは、部分脚色程度しか事実と違わないからだ。
「ノワールが、リトちゃんに? それ、ホントのこと?」
「本当だよ。なあ、リト。リトは昨日、ノワールを……黒猫を守ってくれたろう?」
脳裏をよぎるのは昨晩の光景――血と泥に塗れた少女は、黒猫を大事に抱えていた。自らもきっと窮地に追いやられていただろうに、それでも黒猫を守ろうと。
「うん、黒猫。猫さん、寂しそうにしてたから」
「――そう、本当なのね」
リトの言葉に嘘はないと、リディアも同意に達したようだ。
ただ、それ以上を突っ込まれるとカティも困る。何せ、宿場内では現在でも鉱山火災の話題が絶賛大好評で広がっている最中だ。
――無関係ではない身としては、ボロを出さないように努める必要があった。
「だから、リディアさん。僕にはリトにお礼を言って、お礼をする義務がある。今朝のことはちょっとしたアクシデントだから、僕を信用してほしい」
「……卑怯な言い方。大事な弟にそう頼まれたら、信用できないなんていえないじゃない」
その割には今朝のゲージは短かったなと思ったが、まとまりかけている話をややこしくするだろうから割愛。
リディアが憂いの吐息を漏らすのと同時、店内を奔走していたドルネイの呼び声が聞こえた。人手が足りないと、娘に手伝いを要求する声だ。
「父さんが呼んでるから今は行くわね」
「わかった。店の手伝い、がんばって」
「労働は喜び、父さんの口癖でしょ。カティも鉱山はしばらく立ち入り禁止になるかもしれないんだから、お金なくなる前にお店に手伝いにきなさい」
エプロンの紐を結び直してリディアが席を立つ。そのまま厨房に向かおうとする彼女の足を止めたのは、リトの小さな、しかし確かな呼び掛けだった。
「リディア。ご飯、美味しかったよ。ありがとう」
礼の言葉にリディアは驚きたようだったが、その後に吹き出して笑った。
「うん、お粗末様でした。また夜にも食べにきてちょうだい」
ひらひらと手を振って、リディアの姿が厨房に消えていく。見慣れた姿が見えなくなると、カティはようやく緊張感から解放されたとカウンターにだらしなく崩れ落ちた。
横のリトは窮地を脱したことも知らぬ素振りで、物珍しそうにきょろきょろと店内を見回している。その瞳は相変わらず眠たげにしているが、瞳に宿る輝きは好奇心のものだ。
少なくとも退屈はしていない様子なのを感じて、カティは席の上でぐっと背を伸ばした。
「さて……それじゃ、どうしよう。とりあえず、僕の家に戻ろうか」
「ん。そうする?」
「いや、決定権はリトに譲るよ。気になるなら町を見てもいいし……ただ、そろそろお互いに話し合うこともあるかと思ってさ」
意地悪な問いかけにリトは沈黙。両手を軽く胸の前で組み、瞳を閉じて思案げな声を漏らしているが、表情はただ目を瞑っただけで悩んでいるようには見えない。
十秒ほど唸った後で、青の輝きがカティを映し出した。
「ん、決めたよ」
「そっか。それで、どうする?」
「やっぱり、お代わりする」
「は?」
予想した答えのどれとも違う返答に戸惑い、その間にリトは厨房にいるリディアを呼んでいた。彼女はずっと、リディアの問いかけの答えを考え続けていたのだろう。
ということは、カティの質問に答えてくれるのは最低でも食事の後になるだろうか。
十皿はある皿の山を見つめ、寂しくなる懐の財布を思って、カティは小さく溜息をつく。
恩人にお礼をするチャンスは、すぐにでも訪れたようだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ねこねこにゃぁ~」
膝の上のノワールの前足を持って、二足歩行させながらリトが歌っている。
あの後、さらに数度のお代わりをして宿場から戻った二人を出迎えたのは、朝食を忘れられて空腹に不機嫌な鳴き声を上げるノワールだった。
自宅をここと定めているものの、猫らしい性分のノワールは好き勝手に外に出歩く。今朝見当たらなかったのもその行動の結果だろうに、主人に責任を押し付けるのは理不尽だ。
騒ぎで見失った麻袋を見つけ出し、憮然とした顔で戻って遭遇したのが猫の唄だった。
「にゃかにゃかにゃん、にゃんにゃらにゅ」
「リト。ノリノリなところで悪いけど、ノワールのご飯だから……そだ。リトがあげてくれると、ノワールの好感度が上がると思うよ」
本来なら餌を貰わぬ内には決して懐かぬ黒猫は、すでに合格点を超えて懐いてるようだが。
「ん、お魚?」
「そう。ノワールは小食だし、何でか生魚を嫌う……って、リトが食べるのじゃないから!」
「冷めてもいけるよ?」
「それは知ってるけど、リトはもうお腹いっぱい食べたでしょ?」
小さく一口齧られた切り身を受け取り、ノワールは夢中でしゃぶりついている。前屈みに犬食いするノワールは今度は後ろ足を持たれ、腕立て姿勢で食事をしていて優雅でない。
ノワールの親密度も驚きだが、リトも甚くノワールを気に入ったらしい。相変わらず表情は感動に乏しいが、猫の食事を邪魔する様子は明らかに楽しみの感情が窺えた。
「リト、リト。楽しいのはわかるけどご飯の邪魔は駄目だよ。リトだって自分がご飯食べてるの邪魔されたら困ると思うでしょ?」
「ん。きっと叩くね」
「そこまでか……とにかく、だから邪魔禁止。ご飯終わるまでちょっと話すことあるから」
地べたに座り込んでいたリトにベッドに座るよう指示し、カティ自身は正面に椅子を持っていって対面で向き合う。間に食事する猫を置き、対話する間隔だ。
ウェイトレスの格好のまま、ベッドに手を着いて足をぶらぶらさせるリトに対し、何から話すべきかと考えて、早急に対処しておくべきことから優先することに。
「色々言うことはあるんだけど、一番緊急のことから。リト、昨日、鉱山にいたことを誰にも喋っちゃいけない。山に入ったことは僕らの秘密、いい?」
「山って……窓から見える、黒いお山?」
「そう。あれはライズデル鉱山って山で、たくさんの町の人が働く鉱山なんだ。僕もあそこに仕事に行ってる。もっとも、今は火事があったことになってるから入れないけど」
「火事? でも、昨日は燃えてなかったよ。今も燃えてない」
窓から見える山を見て、赤い炎を探すように首を捻っている。
「もう消えてる?」
「いや、鉱山の火事っていうのは坑道で起こるのがほとんどだから外からはわからないかも。火山ガスとか粉塵爆発とか色々と要因はあるんだけど、今回はガスと崩落が原因」
現在の鉱山の状況をほぼ正確に把握しているカティは、まだ納得しない様子のリトに頷く。
「あの山の最深部……僕がリトを見つけた場所だけど、あのさらに奥には封印された道があってね。土と岩を崩して、何重にも鉄板を張った封印なんだけど、奥からガスが出るんだよ。空気より重いから封印さえしておけば漏れ出してこない」
「わたしも見たよ。だから行き止まりだと思って寝てた」
「その発想の転換はちょっとわからないけど、基本的に人が立ち入らない場所だから行き止まりは間違いじゃない。で、その封印が破られて、漏れたガスに引火して火事になったんだ」
“風”の識者が鎮火に当たっていると噂になっていたが、おそらく事実だろう。“風”の識者が本気になれば、ガス混じりの風を拡散することもできるはずだ。“大気”の識者なら真空状態を作り出すことも可能らしいが、ガロンの手元にはいないはずだ。
「今、山は恐い人達が大勢きてる。その人達は躍起になって昨日の関係者を探してるんだ。町の人達も火事の原因になった人達には怒ってる。だから、昨日のことは内緒」
「ん。……でも、燃えた理由はわたしじゃないよ?」
「リトは寝てたからね。そりゃ犯人じゃないさ。というか、犯人は僕だ」
犯人の自供に、リトが驚いたように口を開ける。その様子に苦笑しつつ、
「火事の犯人は僕だ。封印を破って、カンテラを使った時限装置で火事を起こした。リトを連れ出すには邪魔者が多すぎたから、火で追い払おうと思って」
命がけの綱渡りだったと思い返す。封印を破るのに壁を崩したが、崩落の危険もガスへの引火の危険も少なくはなかった。無論、細心の注意は払い、やれると考えた上だが。
「壁を崩すのにつるはしは使えたけど、ガスが近付くと流石に恐くて。いつ見つかるかわからない恐さもあったから、帰ってきてちょっと吐いた」
両手を見ると、擦り傷と血豆だらけになっている。一度は掘り抜けた場所のため、崩すのは難しくなかったとはいえ一人で短時間の作業だ。無理をしたことは否定できない。
不意に、その傷だらけの両手に手が添えられた。
顔を上げると、憂いげに目を伏せたリトが、優しい手つきで両手に触れている。
「……この手で、わたしを連れ出してくれたんだね。痛そう」
「こ、このぐらいは大したことじゃない。仕事してればもっと酷い怪我をすることだってあるし、火傷とか切り傷とかでもともと傷だらけだったからっ」
気恥ずかしさに両手を背に回し、照れ隠しに曖昧な笑いを浮かべる。
「と、ともかく、そんなわけで山のことは他言無用。いい?」
「ん。カティがそういうならそうする」
素直に頷いてくれるリト、そのリトの言葉の最中に登場した単語に眉を寄せる。
「リト。僕のこと、カティって?」
「ん、駄目だった? でもみんなカティって呼んでたよ」
「僕の名前はカティクラウス……あー、やっぱりいいや。カティで」
相互理解のために譲れる部分は譲っておく。代わりと言ってはなんだが、まだまだリトには聞いておきたいことがあるのだ。
「ところで、リト。昨日の山の話の続きなんだけど」
「ん、誰にも言わない」
「いや、僕と話す場合は例外。で、続きだけど、リトはひょっとして……鉱山に連れがいなかった? だとしたら置いてきちゃったんだけど」
「ううん。いないよ。わたしは一人で山に入って、猫ちゃんに会ったの」
ね、と問いかけるリトの眼前、食事を終えたノワールは毛繕いをしていたが、問いかけに対してにゃぁと返答し、腹を見せて寝転がった。
「だから、誰もいないよ? お腹、ぷにぷに」
「僕が到達するのに何週間もかかった好感度まで容易く……それはそれとして、一人か」
愛娘達の少女達と、“鉄の男”、鉱山にいた面々のことを思い出す。服装からして愛娘達ではないとヤマを張っていたものの、男とも無関係と聞いて僅かに安堵する。
「じゃあ、次の質問。どうして、昨日はあの山の中に?」
核心の質問だ。愛娘達とも鉄の男とも連れ合いでないと言ったが、それでも彼らと無関係であると考えるほど、カティはお気楽な頭をしていない。
リトは少し悩むように指を唇に当て、上目に天井を見て、
「……鳥を追いかけて、外に出たの。鳥には置いてかれちゃったけど、空に近い場所に行ったら、また会えるかなと思って」
「それで山に登った?」
「山が一番高かったよ。もっと高いところはあったけど、戻りたくなかったから」
リトの言葉は要領を得ない。ただ、嘘を言っているわけではないと思う。子どもの戯言のような言い分だったが、どうにか理解しようと頭の中で崩してみる。
「鳥……が、言葉通りの鳥なのか? 隠語か何かじゃないだろうか。空に近い場所は、文字通り高い場所? でも、山に入ったのと矛盾するんじゃ……」
「あ、猫ちゃん」
リトの小さな呟きと、カティの背後で何かが崩れる音が繋がった。振り向くと、飛び上がったノワールが整頓された一角、祖父の机の上で何かしている。
「ノワール! そこで遊ぶなって言ってあるだろ!」
咄嗟に立ち上がって激昂したカティに、リトとノワールが驚愕する気配。カッと上った血が頭から下り、失態に唇を噛む。
「大きい声出してごめん。でも、そこは大事な場所なんだ」
動きを止めたノワールを机から下ろし、散らかされた机上を片付けていく。ばらばらと横になった工具箱を整理して、机の端に弾かれていた小さな箱を――
「ギフト?」
カティの手にした箱を見て、リトが驚きと何かの感情を等分したような声を上げた。
箱の正式な名前を呼ばれ、カティは忌々しさと無念さのない交ぜになった溜息を漏らす。
「そう。ギフトだよ、これは。突如世界に舞い降りた、物言わぬ誰かからの贈り物だ」
掌に乗るほど小さな箱――通称“ギフト”こそが、世界の運命を変えた天の贈り物の名だ。
ギフトは三十年ほど前、何の前触れもなく世界の各所に突如出現した。そして、ギフトを手にし、その蓋を開ける栄誉をもたらされたものに一様に褒美を与えだしたのだ。
ギフトが与えるのは知識――つまり、ギフトの所持者こそが識者と呼ばれるものになる。
「こんな小さな箱一つで超常の力を得られるんだ。躍起になって奪い合いが始まったのも当然だろうね」
「ん。世界の形、変わっちゃったって聞いたことある」
「使い方次第で何でも出来る。大陸の一つや二つ沈むのも仕方ない。世界を滅ぼしかねないってとこにいってようやく、国土に出現したギフトを奪い合わないことで戦争は終わった。僕にとって一番腹立たしいのはそれさ」
「ん、戦争終わったのに?」
「そもそも戦争にギフトを使ったことが気に入らないんだ。楽して知識を得たくせに、やることは野蛮人なんてどうなってるんだ。どいつもこいつも、知識を新たな戦争の道具としか見ちゃいない」
“知は力”という言葉の台頭がそれを証明している。昨晩の識者同士の戦いも、得た知識を争いの道具として躊躇いなく利用していた。
手元にあるギフトは生前から祖父が所持していたものだ。カティの尊敬する祖父はこのギフトを開けておらず、識者にはならなかった。祖父の死後、自宅や研究成果と共にギフトはカティに譲られたが、カティはギフトを開けて識者にはなっていない。
「そのギフト……まだ、開いてないね」
「開けようとしたことがないわけじゃない。僕なら得た知識を戦いなんかに使わないで、もっとうまく使うと思ったこともある。でも、ギフトは所持者を選ぶだろ?」
ギフトは出現場所を選ばないが所持者は選ぶ。ギフトを手にしたものの誰もが識者になれるわけではなく、開けられるものが現れなければただの箱であり続ける。所持者の選抜基準は不明で、一つの箱に弾かれても別の箱に選ばれることはある。
「このギフトは僕には開かない。ただの邪魔な箱だ。天からの贈り物なんて言われてるけど、贈られる側の気持ちを厭わない贈り物は贈り物と呼べるのかね?」
「でも、その箱は色んな人と仲良くできる箱みたいだよ?」
「誰とでも仲良くできるなんて箱が、僕の大好きな爺ちゃんの人生を狂わせたんだっ!」
無邪気な言い分に、堪えようと思うより早く再び頭に血が上っていた。
「もともと爺ちゃんは帝都の技術者だったんだ。爺ちゃんの発明や技術は帝都を中心に国を潤していた。……なのに、ギフトが出現したのと同時に爺ちゃんの技術はお払い箱だ」
花形と賞賛を集めていた身から一転、旧時代の遺物と貶められた祖父の無念は計り知れない。それでも祖父は腐らず、ギフトと並び立つ日を目指して己の技術に頼り続けた。
「結果、悪意と罵声から逃げるように辺境のライズデルへ来て、そして孤独に死んだ。それが爺ちゃんの全てだ。ここに残っているのは爺ちゃんの未練と、僕の感傷ばかりだ」
祖父を見捨て、ギフトに走った家族を捨ててカティはライズデルにきた。祖父と過ごしたのは数年にも満たなかったが、生きる目的を得るには十分だったと確信している。
「爺ちゃんの夢を継ぐのが僕の夢だ。こんな得体の知れない箱に頼ってやるもんか。だからいずれ僕は、必ずギフトに頼らない世界の礎を作る」
「ギフトに……頼らない?」
「ギフトは所持者に全てを独占させる。そしてその所持者になる権利さえ、上の人間が独裁する。知ってるかい? この国じゃギフトは国に献上する義務があるんだ。そして国は回収したギフトを国の上のポストの人間から与えていって、余ったギフトは国庫に保管する。いざ戦争が始まって、兵士を識者にする分を残しておくために」
知識がある、そういう触れ込みの連中に限って、誰も誰をも信用などしていない。頭がいいからだ、と彼らは言うだろうか。
「生み出すことを考えないんだ、識者って奴らは。そんなんで誰かを幸せにできるもんか。知識は人の心を豊かに、幸せにするためにあるべきなんだ」
言いたいことを言い切って、沸騰していた心が常温に冷めていく。
義憤が収まれば、次に湧き上がってくるのは羞恥だ。何も知らない相手に対し、自分の心の内を声高に叫ぶなどどうかしている。それこそ、リトには意味もわからなかっただろうに。
「うん。うん……うん」
謝罪を口にしようとして、言葉を作る前に、リトが何度も頷いていることに気づいた。
「リト?」
「カティは優しいね」
語彙の問題だろうか。今の会話の流れで、彼女が自分をそう評する理由がわからない。
「カティの怒るのは優しいね。優しいから、優しくできる人が優しくないのが嫌なんだね」
「リト。言いたいことがよくわからないよ」
「ん。わたしはわかるから大丈夫。ごめん、やっぱりダメ。カティにもわかるように頑張ってみる」
彼女は悩むように瞼を閉じ、指を自分のこめかみに当てて小さく唸り、
「カティは優しい。だから優しくしたい。優しくするにはギフトが欲しくて、ギフトを持ってる人が優しくないのが嫌。だから、カティは優しくするためにギフトを作るんだね」
ゆっくりと、確かめるような呟きに言葉を失う。
満足げに頷くリト。彼女の言うギフトは、字面通りにこの箱を示したことではなく、知識を言い換えたものだろう。そして、その解釈の仕方は――眩しかった。
「僕はそんな、大それたもんじゃ……」
「カティの言うこと、すごくいいと思うな。幸せ……作ってほしい」
羨望が込められた声に、カティは己の心が激しく揺さぶられたのを感じる。
それは何年間もの時間、彼が求め続けて得られなかったものだった。
誰もが馬鹿げたことだと笑った。出来ないことだと決めてかかり、信じてくれなかった。
リディアでさえ、無駄なことはやめろとしか言わなかったのだ。
「わ、笑わないのか?」
「ん、何を?」
「僕の、夢を。みんなが、誰もが笑う夢物語を」
リトは不思議そうに首を傾げた後、
「笑わないよ? 素敵なこと」
誰もが笑う夢物語を彼女は笑わなかったから、カティは泣きそうになって上を向いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
日が沈み、夕食に相応しい時間になっても、カティはまだまだ喋り足りなかった。
自宅の一階は居住スペースだが、二階と小規模の地下室はどちらも開発室や実験室。二階は主に開発物の展示室というか保管室になっていて、祖父とカティの作品が陳列しているのだ。
一つ一つ手に取って言葉で説明し、実際に使用して証明したりする。その度にリトは素直に驚き、喜んでくれていた。かと思えば疑問を口にし、利用価値のない物を切り捨てたりもする。
全肯定でないことが、彼女が全ての説明を真剣に聞いてくれている証拠だった。
「ここにある物はデリル式の構造で、動力はほとんどがこの結晶なんだ」
二階の隅に置かれた特殊な金属の箱は、大事なものを収納しておく鍵つきの金庫だ。その中から透明の結晶の入った箱を取り出し、中身を見せ付ける。
「透明で、きらきらしてる。綺麗だね」
「爺ちゃんは“セレナイト”って名づけた。精製が難しい輝石で希少なんだ。その代わりすごいエネルギーの結晶。この精製用の鉱石が欲しくて、生活費と一石二鳥の鉱夫をしてるんだ」
終業後に鉱山に何度も忍び込んでは、鉱石を回収しに行っている。もともと、ライズデル鉱山の鉱夫達が求める鉱石とは品が違うので罪悪感はないのだが。
「爺ちゃんはこの輝石が、ギフトに対抗する技術革新を生むと信じてた。だけど輝石の精製にまで時間がかかりすぎてた……だから、爺ちゃんは僕にこれを託したんだ」
「この石が……幸せの元」
箱の中には掌サイズのものから、小指の先ほどのものまで幾つもある。精製の手順が難しく、一定の成果を出すまでに試行錯誤を繰り返した結果だ。その代わり、今ではほとんど狙ったサイズのものを作り出すことができるようになったが。
「と……もう、こんな時間か。ちょっとはしゃぎすぎたかな」
全体の四割ほどの説明しか終えていないが、時間にして六時間近く経過していた。やや空腹気味の腹を撫で、夢中になりすぎたかと苦笑する。
「リト。続きは後回しにして宿場に行こう。晩御飯の時間だよ」
「ん、リディアのご飯はおいしいね。早く行こ」
今まで食いつくように発明品を見ていたというのに、現金な切り替えの早さだった。
急かすリトを待たせ、輝石を金庫に仕舞いこんで自宅の戸締りをする。一階のベッドの上では、途中から蚊帳の外だったノワールが大の字になって寝転んでいた。
「猫なのに人間みたいな不遜な寝方するなぁ……ノワール、晩御飯貰ってくるから」
寝ている耳に届かなかっただろうが、出かける旨を告げて玄関に向かう。玄関で待っていたリトが早く早くと目で訴えかけるので、突っ掛けるように靴を履いて外に出た。
すでに夕日も沈んだ町並みは影に沈んでおり、吹き抜ける風が草を揺らす音が聞こえる。やや離れた距離に人の営みの灯りが見え、宿場はそろそろ盛況な時間だろう。
「宿場に着いたら、リトは着替えた方がいいかもね」
「ん、どうして? わたし、この服も気に入ってるよ?」
「その服は職業を示す服で、外で着ていると基本的に連れの僕の人格が疑われるからだね」
かといって、もう片方の拘束衣を着せても結果は同じ。むしろ悪い方向に傾くだろう。リディアが補修と洗濯を請け負ってくれたが、もう一度着せる時がないことを祈る。
「となると、リディアさんの私服を借りるのが一番か。サイズは……まあ、大丈夫だし」
女性にしては背の高いリディアだが、彼女用のウェイトレス服を着るリトもそれなりに背丈がある。胸の厚みでリディアに軍配が上がるが、スリムな印象のリトの方がカティの好みだ。
「何を考えてるんだ、僕は。そういうのは余裕のある人が……」
「服も、色んなのがあるんだね。いつも灰色だったから知らなかった」
何気なく紡がれた言葉は、意味を理解するにつれて重たく頭の中で響いた。
「いつも灰色って、色のバリエーションがなかったって意味じゃなくて、ずっと拘束衣だったってこと?」
「ん、そう。灰色の。いつもあれだったから、あれしかないのかと思ってた」
「それは何と言うか……好みの問題で片付けるのは無理がある話だね」
思えば、問うべきと定めたことの大半を消化しないまま時間を過ごしてしまった。今さらでも問い質すべきか悩むが、それを彼女が望むだろうか。
リトはおそらく、問いかけに答えてくれると思う。だが、ただの興味本位の好奇心からくる問い詰めにならないかと言われれば自信がない。
「必要になれば、聞けばいいか」
「ん、何を?」
「リトが夕飯は何が食べたいかと思ってね。リディアさんは大抵のわがまま聞いてくれるから」
「ん。卵のやつがいい。お昼に四回お代わりしたやつ」
「卵料理を取りすぎるのはあんま良くない気がするんだけど、ね」
宿場が近付いているからか、リトの足取りは軽く、表情もどこか嬉しげなものだ。それを横目に穏やかな心持で歩き、ふと頭上を見上げて足を止める。
見上げた先、近くの民家の屋根を遠近感で土台とするように丸い月があった。
カティは息を詰めて月を見やり、それから足を止めたこちらを振り返るリトに告げる。
「――リト。悪いけど、先に宿場に行っててくれる? 忘れ物があるんだ」
「一緒に戻るよ?」
「大したものじゃないし、リトはたくさん食べるから、遅れた僕とでご飯の時間がちょうどいい。道は大丈夫だよね」
「ん、覚えてるよ」
「じゃ、行って。レッツゴー」
小さく口で上弦の月を作り、リトは小さな頷きを置き去りに宿場へ。
その背が完全に消えるまで見送って、ゆっくりとカティは視線を月に戻した。
丸い月の下半分、黒い影が縦に削っている――屋根の上に立つ人影だ。
「人払いはした。だから、降りてきなよ」
呼び掛けに、影は無言で屋根から飛び降りる行為で応じる。
昨晩の邂逅と同じように、彼はカティの頭上から背後へと降り立った。昨晩と違うのは、カティがその人物の出現も素性も予測していた点だ。
「やれやれ……俺が用があんのはお嬢ちゃんの方で、坊主じゃねぇんだけどな」
困惑した表情で頭を掻いたのは、一晩ぶりの再会を果たした“鉄の男”。