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ギフト  作者: 鼠色猫/長月達平
血まみれの拘束衣
5/18

2-1


 その朝、ドイネル=ズスカの宿場はちょっとした騒ぎとなっていた。


 鉱夫の朝は早く、日が昇ればもう鉱山に入っているのが日常だが、この日は始業時間を過ぎてもまだ宿場に多くの鉱夫達が残っている。

 宿場にいる鉱夫達の面持ちは真剣で、意識は宿場の主であるドイネルの説明に集中していた。

 仲間達の視線に居心地悪そうにするドイネルは、白髪混じりの頭を掻きながら、


「そんなわけで、昨夜の鉱山火災の影響で今日は休みだ。領主様の話じゃ、“風”の識者が鎮火とかにあたってるらしいが、明日以降もちょっとわからんな」


 返ってきた一斉のブーイングに、予想通りの反応だがなぁとドイネルは苦笑で応じる。苦笑に含有されたのは、苦が九で笑が一というところだが。


 昨晩の深夜に発生した鉱山火災の件でドイネルが領主のガロンに呼び出されたのは、まだ日も見えきらない朝方のことだった。迎えに来た騒がしい愛娘達(ドーターズ)の少女に連れられ、今はライズデル近くの平原に居を構えた古城に謁見したのだ。

 ガロンは普段の横柄な態度に幾分かの苛立ちを滲ませ、等分して不機嫌な様子でライズデル鉱山への立ち入り禁止の旨を端的に告げてきた。

 雇用主の一方的な言い分に休業中の補償のことを十分に話し合うこともできず、半ば摘み出されるように追いやられ、仲間達に気の重い報告を終えたところだ。


「それで親方、昨日の火事の原因はけっきょく何だったんだ?」


「領主様は原因不明の一点張り……ただ、あのご機嫌斜めな感じと昨日の近衛隊の動きを考えると、無関係じゃぁないんだろうよ」


「識者絡みかよ……カティじゃねえけど、不満たらたらなんですけど」


 仲間達の不満は、その原因に識者が絡んでいると知ったことで頂点に達したようだ。

 相手を定めず飛び交う罵声は、世界中の全てのインテリ野郎に向けられている。


 かく言うドイネルも、今日の騒ぎで識者に思うところがないわけではない。昨日にカティに似たようなことで説教した身ながら、情けない男だと自嘲する気持ちさえある。

 溜息を零して頭を抱えたドイネルはそのカティがいないことにようやく気づいた。鉱夫達は朝に宿場に集まり、そこで朝食を取ってから鉱山に向かうのが日課のようになっている。カティもその場にいつもいるはずなのだが。


「寝坊……じゃないかしら」


 愛娘の勘のよさに驚きの目を向けると、娘は父親を見上げて悪戯っぽい微笑を刻んでいた。


「昨日は実験があるって言ってたから、夜更かししたのかも。今朝のことを知らないなら、起きてまっすぐ鉱山に向かうかもしれないわね」


「そりゃ、参ったな。鉱山にはガロンの衛兵がいるから、近付くと面倒事になる」


「よかったら、私が家を見てこようか? ずいぶん行ってないから、また家の中も散らかしてるんじゃないかと思うし」


 リディアはカティを弟のように可愛がっている。昔は頻繁に家に出向いて世話を焼いていたものだが、カティが思春期を迎えてからはその頻度も減って寂しがっていたものだ。


「わかった、行ってやれ。朝は父さんと母さんの二人で何とかしとくからよ。また変な実験で爆発騒ぎだの起こされちゃ困るしな」


「うん。お願いね、父さん」


 親子の微笑ましい会話に、聞き耳を立てていた男衆の不満が爆発した。

 ただでさえよくないニュースを聞いた直後、憩いの華までいなくなってしまうのかという、男達の欲求に正直な切ない爆発だった。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 男達の後を引くような悲しい叫びを尻目に、リディアはライズデルの町を歩いている。


 石造りの地面を叩く靴音はやや高く、その間隔もまたいつもよりやや速い。

 宿場で父親に微笑を向けた唇は引き結ばれ、瞳は困惑と焦燥感に苛まれて揺れていた。

 急がなくては、と思う気持ちと、平静を保たなくてはという気持ちが相反する。

 男達相手に一歩も惹かぬ肝っ玉と、常に絶やさぬ微笑が魅力的な彼女は、いまやそのどちらも維持することができないほど心を掻き乱されていた。


 昨晩の鉱山火災の件を父親から聞いた直後、リディアは鉱山に向かったはずのカティのことを思い出して悲鳴を上げそうになった。それでも早とちりだと自分に言い聞かせ、朝の宿場にやって来るカティの元気な姿を見て、安心しようと思っていたのだ。


 なのに、こなかった。


 もしも家にいなかったらと思うと、焦る気持ちと恐れる気持ちが半々で歩調が乱れる。

 自分の愛しい弟が何かトラブルに巻き込まれたならば、それはしっかりと止めることができなかった自分の責任だ。

 あれだけわかりやすい脅威が目の前にありながら、己のことを優先してしまった自分の。


 朝の町並みは普段と変わらず、行き交う人々の態度もいつもと変わらない。

 そのことが酷く煩わしく感じられ、叫び出したい衝動さえ湧いてくる心持だ。

 通り過ぎる家並みから挨拶を向けられたが、それに返事をする心の余裕がない。聞こえなかったという素振りを作ることもできず、完全に無視する形で彼女は靴音を響かせた。


 景色から民家の姿が消え、町の外れの外れという僻地にリディアは踏み込んだ。そして、そこで止まりそうになる足を叱咤して、懸命に動かす。

 遠目からも古いのがわかるボロ家を前に、幾度かの深呼吸をして彼女は挑む。

 心を苛む恐怖心を、それを上回る責任感が殺して彼女の足を進ませた。

 悲壮な決意を抱いた彼女が戸に手をかけたのと同時、


 ――朝の空を劈く悲鳴が、家の中から迸った。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 寝起きは不快感の極みに達して訪れた。


 着替えなかったツナギは泥と汗に塗れていて、寝汗と混じった肌触りが嫌悪感を催す。その不快感の蓄積に耐え切れず、カティの意識は覚醒に導かれた。


 覚醒に従って身を起こそうとして、固まった体がほぐされる痛みが骨を軋ませる。

 原因は寝入った体勢か――椅子に腰掛けたまま、前のめりになる体勢で寝入ったらしい。

 昨夜は疲れきった体を引きずり、泥も落とさずに後始末をして、それから……。


「一晩かけて見張るつもりで――」


 記憶が今の体勢の原因に追いつき、慌てた素振りで身を起こして、

 ――澄み切った青の双眸と間近でぶつかった。


「……あう」


「……おはようございます」


 顔を上げたカティの目前、ベッドの上に正座した少女が礼儀正しくゆっくり頭を下げた。

 寝癖だらけの金色の髪が目の前で上下するが、咄嗟のことに反応することができない。

 反応がないことをどう思ったのか、少女は不思議そうに小首を傾げる。仕草に反してぼんやりした瞳に困惑の色はなく、どことなく意思が希薄な印象を与えた。


「……おやすみなさい?」


「いや、違う。合ってる。おはようございますで合ってる。合ってるけど間違ってる」


 疑問文を手振りで否定して、意識はようやく正常の状態に戻ってきた。そうして完全に意識が覚醒しきるに至って、椅子を蹴るようにして慌てて立ち上がる。

 と、目の前の少女から距離を取るために下がった足が丸いものを踏み、派手に背後の壁に倒れこむようにぶつかって、落下物を巻き込んで撃沈した。


「大丈夫?」


 目覚め、立ち上がり、飛び跳ね、崩れ落ちるまでの連携にさしたる驚きも見せず、立ち上がった少女が他意のない素振りで手を差し出していた。

 先に少女が目覚めていたことを思えば今さらか、とカティはその手を握って助けを受ける。


「大丈夫?」


「う、うん。大丈夫、ありがとう」


 意外なほど力強く引き起こされ、形式的な礼の後で立ち尽くす少女をまじまじと見る。見慣れた自室に金髪美少女がいるというのは、半端ではない違和感が空間を支配していた。まれに泊まっていくこともあったリディアがいる日とも比較にならない。


 少女は相変わらず拘束衣のままで、しかもサイズが合っていないのか手首から先が出ていない。短くとも腰まであると思われた金髪は腿の裏にまで届いている。

 昨晩は閉じられていて見ることの叶わなかった瞳は空色の輝きを宿しているが、その活発な輝きと裏腹に眠たげに瞼が半分落ちていた。


 何よりショックなのは、カティより身長が高いことか。昨晩、家に連れてくるために背負っていたからわかっていたことなのだが。

 不躾なほどの品定め気味な視線を向ける間、室内には沈黙が落ちていた。その沈黙をどう思ったのか、静寂を破ったのは少女の方からだった。


「……リト」


「え、何だって?」


 独白のような言葉に反応が遅れ、再度聞き返す言葉に少女は自分を指差して、


「――リト。私の名前」


 その言葉の意味が浸透して初めて、カティは少女が友好的な態度であることを知った。同時に、少女の出方を警戒心丸出しで窺っていた自分の行動が心底恥ずかしくなる。


 名乗った少女はカティが言葉を失ったような反応を見せたことに再び首を傾げていた。

 少女のその動きを切っ掛けに、カティは己の恥を濯ぐように礼儀に則って名乗る。


「僕の名前はカティクライス=デリルだ。ここは僕の家の僕の部屋で、昨日に倒れてた君を僕が運んだ。聞きたいことは色々あるけど、とりあえず一つだけ」


 名乗り、少女――リトが言葉を差し挟まないのを確認してから、その問いを差し出した。


「怪我は、大丈夫だったかな?」


 あれだけ警戒して白々しいと思うが、それは何よりも先立って気になった本心の問いだ。


 眠たげな瞳を軽く見開き、初めて反応らしいアクションを見せたリトの手足――露出していない各部の傷には応急手当が施してある。


 昨晩、自宅に帰って最初にしたのが彼女の手当てだった。際どい部分を見ないよう努めて処置に臨み、血と泥と埃を拭い、他に着せるものがなかったからシーツを被せたのだが、目覚めた彼女はベッド脇に置いておいた拘束衣を着てしまったらしい。


「出来れば着替えがあればよかったんだけど、残念ながら家にはないんだ。血も泥も付いてる服だと衛生面が心配だから、せめて代わりになるものをと思うんだけど」


 男やもめで自宅の衛生状況は良いとは言えない。洗濯物も溜めっ放しで、頻繁に自宅を訪ねてくるリディアがいなければ、要洗濯の衣類が溢れかえっていたことだろう。

 そんな状況だから、少女に提供すべき衣服についてもパッと思い浮かぶものがない。衛生面の点もサイズの点も、少しでもいい格好したいのが男の事情というものだ。


「服は大丈夫。わたしは、この格好でいいの」


 困ったように室内を見る視線に気を遣ったのか、リトは拘束衣を指差して頷く。それから両手を肩まで水平に上げると、くるりとその場で一度回った。

 拘束衣の裾がふわりと浮き上がり、円の動きに金髪が流れて踊るように見えた。


「体も、元気だよ」


「そう、か。それならよかった。あんまり人の手当てとか慣れてないから」


 健在を示すように拳を掲げるリトを前に、次に何をすべきか考えを走らせる。彼女に聞きたいことは山ほどにあるのだが、矢継ぎ早に質問攻めなど紳士的じゃない。

 困る視界に入ったのは、昨夜の手当てに使用した救急箱だ。血に汚れた布や、消毒液が片付けられずに放置されていて、あまりの杜撰さに気恥ずかしくなる。

 ただ、次に続けるべき言葉は見つかった。リトは拘束衣で構わないと言うが、せめて血と泥を落とさないことには傷に障るだろう。


「リト。血とかで汚れてると思うから、包帯を替えた方がいい。深い傷はなかったと思うけど、血を拭いて包帯を替えるだけでずいぶん違うから」


「ん。わかった」


「それじゃ、僕は一度部屋を出……」


 衣擦れの音がして、反射的にカティはリトの方を見ていた。

 そのカティの目の前で、灰色の拘束衣が役目を失ったようにリトの足元に落ちる。

 拘束衣の下には、昨夜も確認(見ないよう努力した)が何も付けていなかった。

 降り始めたばかりの新雪のように白い肌は、目を逸らすには酷な魔力を持っている。唐突な少女の裸身から咄嗟に目を離すことが出来ず、大きく喉を鳴らして唾が飲み込まれた。


「どうしたの?」


 こちらの狼狽に全く気づいていない様子のリトに歩み寄られ、ようやく金縛りが解除。


「おわあああああああああっ! リト、ちょっと待って、隠して、逃げてーーーっ!」


 掌で視界を遮り、顔を背ける動きで美への未練を断ち切る。触れた頬が高温を発しているのがわかり、同時に今のビジョンが脳内再生されて意味不明の言語が飛び出した。


(落ち着け、マイソウル。お前はそんなことで動揺する男じゃないはずさ。そうだ、女の子が脱いでるくらいでどうだ。リディアさんと風呂に入ったこともある、子供の頃の話ですけど!)


 胸中でさらに混迷が広がる中、押さえた指の隙間に再び誘惑の白い肌が割り込んだ。心配したリトが背けた顔の方向に回ったようで、さらに息遣いが感じられるほどの距離に彼女の姿があるのを感じて狼狽が深まる。


「どうしたの? 大丈夫?」


「だ、だい、だいだい大丈夫だから、ちょっと離れ――ッ!」


 慌てて下がろうとした足元、適当に積みあがっていた本の山に足を引っ掛けた。そのままぐるりと体勢が崩れ、咄嗟に手を伸ばした先にリトの姿があって――


 神の悪意か、裸身の少女を押し倒し、二人はベッドに倒れこんでいた。


「あ……えっと、その」


 リトの身体を下に敷いて、カティは続ける言葉を見失う。


 意識しないようにしていたが、目の前にいるのは常識はずれに美しい少女だ。

 桜色のぷっくりした唇がすぐ近くにあるのを見て、そこから視線を外すことができない。

 押し倒されているリトは拒絶の反応も示さず、されるがままに無言でいる。

 二人が無言のまま、時が経過していく。額に汗を浮かべ、異常な音で拍動を繰り返す心臓を抱えたカティに比べて、涼しげな表情のリト。


 微動だにすることが出来ず、ただ押し倒した少女の柔らかさを全身で感じて――、


「カティ! 今の悲鳴は――!?」


 ――そして、乱入者によってその空間が破壊された。


 裸身の少女を押し倒す弟分の姿を見て、姉代わりを自認する彼女はどう思っただろうか。

 顔を真っ赤に染めたリディアの回し蹴りを受けて、壁に弾き飛ばされたカティは意識を飛ばされながら疑問に思った。



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