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ギフト  作者: 鼠色猫/長月達平
技術屋見習いの憂鬱
3/18

1-2



 ライズデルの町の入り口すぐ傍に、その宿場の姿はある。


 決して広くないこの店に宿泊しようという客は少ない。もともと余所からの旅人が訪れることの少ない土地柄なため、宿場という名前もお飾りのような趣があった。


 それでも、鉱夫達の頭と呼ばれ慕われる巨漢、ドイネル=ズスカの宿場は今日も盛況だ。


「そこで最後にやっぱり、カティと親方の取っ組み合いでタイムアップよ!」


「取っ組み合いって形にならねえけどな、あの重量差じゃ」


「ちょこまか体によじ登って、途中で摘み出されたって感じで終わりか」


 だっはっはと大声で男達が笑う傍ら、カウンターの隅に腰掛けたカティはその話の種にされつつも、聞かないふりをしながら黙々と夕食を口にしている。


 ライズデルの町に戻った鉱夫の集団は、そのまま家族の待つ家に帰るものと、仕事後の酒盛りに宿場まで出向いて騒ぐ二つに大体分類されるのだ。採掘場から帰ったのは四十名ほどの集団だったが、今では半分ほどまで減っている。家庭ある若い男は帰るが、ベテランやカティと同年代の少年達は酒盛りに参加するのが毎日の通例だった。


 酒盛りする男達の酒の肴扱いされるのは面白くない。よくもまあ、いつも同じ話題で馬鹿笑いできるものだと思うが、それは毎日彼らの話の種になっているということだから凹む。

 溜息一つで幸せが一つ逃げるというなら、今ので何個目の幸せに逃げられたかと仏頂面でいると、つかつかと歩み寄った誰かが空いていた隣席に腰掛けた。


「何をそんなに拗ねてるの? ご飯、美味しくなくなるでしょ?」


 聞き分けのない弟を諭すような声色を向けられ、隣に座った女性を横目で見る。

 美しい赤毛を背まで伸ばした女性だ。整った目鼻立ちに、きりっとした太い眉。すらりとした長身は女性らしい起伏に富んでいる。鉱山育ちということで色白の肌は望めないが、健康的な褐色の肌をしていた。


「みんなが笑ってるんだから、あなたも笑って食べる方が気分がいいと思わない?」


「自分が笑いものにされてるんだ。そうそう前向きにはちょっと。リディアさんは平気?」


「平気よ。笑いものにされたんじゃなく、笑わせてやったと思えばいいの。いつでもこっちが勝ってると思うのが一番いいわ」


 穏やかな見掛けに関わらず、やや物騒な印象のある言葉に毒気を抜かれる。

 女性の名前はリディア=ズスカ。信じ難いことに宿場の主であるドルネイと血の繋がった一人娘だ。カティより三つほど年上の彼女は宿場の看板娘であり、主に調理担当として腕を振るっている。今、カティが口にしている料理も彼女のお手製のものだ。


「そうだ。忘れない内に渡しておくわ。今日はいいのが入ったの」


 思い出したように手を叩き、リディアがカウンターの向こうから麻袋を取り出す。中身を改めると、確かめるように頷いてから差し出した。


「今夜と、明日の朝と昼。忘れないようにちゃんとあげるのよ」


「家族の食事を忘れたりしないさ」


 受け取った麻袋を懐に仕舞いながら答えると、ふいに俯くリディアが目に入る。リディアは少し悩む素振りを見せてから、思い切ってというように顔を上げた。


「ねえ、カティ。何度目になるかわからないけど、やっぱり家にきたら? そうすれば、ノワールのことだって……」


「何度目になるかわからないけど、僕の答えは一緒だよ。残念だけど、この店は毎日のようにデリカシーのない人間が集まるから、ストレスでノワールが禿げる」


 無碍な言い方にリディアが傷ついた顔をするのが目に浮かび、でも、と続けて、


「誘ってくれるのは嬉しい。リディアさんは本当に、家族みたいだと思ってるから」


 ちらと目を向けると、彼女の瞳に涙の雫が溜まるのを見て焦る。何か間違ったことを言っただろうか、と。その焦りを肌で感じたか、リディアは違うと雫を指で掬いながら否定する。


「家族って言ってくれたから、感極まっちゃっただけ。ホント、気にしないで」


「大げさだよ。……週に一度くらいは言ってると思うし」


「うん。だから、週に一度くらいは泣かされてるのです」


 何とも照れ臭く、中断していた食事を再開する。カティにとって姉にも等しい人物はその間に涙を拭い、すぐに立ち直ったように悪戯っぽく笑った。


「そういえば、父さんとまた喧嘩したんだって?」


 またその話題、と思いつつ、今日の戦闘を思い出して自嘲と共に首を振って否定。


「後ろの連中も言ってるけど、喧嘩と呼ぶには実力不足。熊相手に押し合いを挑んだのが失敗だった。熊だから山の中だとパワーが上がるんだね。故郷だから」


「聞こえてるぞぉ、カティ!」


「聞こえるように言ったから聞こえて当然だよ」


 両手の酒を配膳している途中だったドイネルの大声にしれっと返答する。

 宿場の主であるドルネイにとって労働後の酒盛りは稼ぎ時ともいえる。戻ってすぐに作業着からエプロンに衣を変え、きりきりと働く姿は五十近いとは思えないほど精力的だ。

 そんな必死に稼いでも、すぐに困った人間に施してしまう性根があまり実らせないのだが。


「鉱夫にとって鉱山が家ってのは事実だがな。熊はないだろ、熊は」


「そうだったね。世界中の熊に平身低頭で謝罪したい。親方と一緒にしてごめんなさいと」


「口の減らねえガキだぜ、まったく。なあ、我が娘」


「でも、父さんが熊っていうのはいいたとえよね」


「おいおい、我が娘よ。そりゃないだろ……」


 娘からの同意を周囲の男達が野次るように囃し立てる。

 それらに笑いながら向かう巨躯の背を見送ると、リディアのこちらを見る視線に気づく。彼女は何か悩むように大きな瞳を細め、ふと違和感に気づいたように、


「あ、そっか。何か足りないと思ったら、カティのゴーグルがないのよ。オレンジ色のゴーグル、いつもは頭にしてるのに」


 言われて頭に手をやり、そこに慣れた感触がないことに今さらながら気づいた。

 普段からしているゴーグルがそこにないのだ。古ぼけたなどといわれることの多い年代物だが、祖父から譲られた思い入れのある一品だった。


「どう考えても、親方と取っ組み合いした時だ……」


「ひょっとして、父さんと喧嘩した時に落としてきちゃった?」


「他に頭にダメージを受けた機会が見当たらないからね。家を出た時点でし忘れてたって言う凡ミスなら話は別だけど」


「ううん。朝はちゃんとしてた。出発前の朝食の時に確認したもの」


「見間違いとかは?」


「私がカティのことで間違うなんてありえない」


 何たる自信満々な返答か。あながち嘘とも思えないので小心が震える思いだ。以前に履いている下着の色も当てられたことがある。パターンがあったらしいのだが。


「でも、そうなると困ったな。ゴーグルは今夜も必要だから、最悪の場合は――」


「駄目よ」


 存外に強い口調で遮り、こちらを見るリディアは真剣だ。

 就労時間外に鉱山に忍び込もうという考えが先読みされたことに苦笑して、どうにか言い含めようと言葉を探り始め――、


「諸君、景気の方はいかがかね?」


 店の扉が乱暴に開かれ、尊大な男の声が宿場内を支配した。

 先ほどまでの和気藹々とした空気が一瞬で静まり返り、全員がどこか醒めた目を一人の男に向けている。かくいうカティも今までの心温まる雑談も忘れて、憎悪を堪えた瞳で男を見た。


 店内の視線を一身に集めるのは、恰幅のいい中年の男だ。

 脂身の多い体躯を質はいいが、センスの悪い貴族服に包んでいる。やや薄くなった頭髪はほとんど白く、整髪料の付けすぎでてらてらと光っていた。片手ででっぷりした腹を撫で、嫌味ったらしく浮かべた微笑は初見で嫌悪感を与えるに十分すぎるほどのもので、総じて他者に嫌われる要因しかない男といえる。


「楽しそうな声が外からも聞こえたよ。領民が健在で嬉しい限りだ。安酒で楽しめる諸君がとても羨ましい」


「これはこれは領主様。こんな辺鄙な場所に出向くなんて珍しいじゃないですか」


 宿場の全員を代表してのドルネイの返答は、静かに確実な険を込めたものだ。

 穏やかならぬ声を向けられた男――ガロンはその態度が愉快とばかりに喉を鳴らす。


「ぐふふふふ。まあまあ、そういきり立たんでくれよ、諸君。歓迎されんのは承知の上だ。君達にそんな高尚な態度は期待しとらんよ」


「へえ……それじゃ、一体何の御用があったわけでしょう。納税のことでしたら、一応はこの間の話し合いで決着がついてると思うんですが」


 青筋さえ浮かびそうな怒気を腹に収め、ドルネイは決死の笑顔で応対している。その懸命な態度を嘲笑うように、甲高い声がガロンの横から発せられた。


「何が話し合いだよ、バーカ。義務も果たせねーお前らが、地面に這い蹲って頭下げたからお父様が慈悲を見せたってだけじゃねーか。笑わせんなよ」


「これ、トルテ。あまり失礼なことを言うな。礼を失しては何事もうまく立ち行かん。何度もそう言っておるだろう?」


「ごめんなさい、お父様。でも、あいつらがお父様の言葉に素直に従わないから」


 諌められ、頭を下げたのは栗色の髪の少女だ。

 長い髪を三つ編みにして左右から垂らし、勝気な表情を今は俯かせている。

 十代半ばほどの小柄な少女だが、膝より上のスカートに肩が大胆に露出した服を着ている。青を基調とし、淵を白に彩られた扇情的な姿に、右肩を飾る銀の羽根飾りが特徴的だ。


 ――愛娘達(ドーターズ)と呼ばれる、ガロンの直属の近衛隊の証たる姿だ。


 トルテと呼ばれた少女を含め、ガロンを中心に据えて五人が宿場の中を見据えている。全員が十代の少女で構成され、何よりも見目が麗しいことが悪趣味だった。

 ガロンが、少女趣味という俗称で呼ばれる由縁でもある。


「姉様、姉様。お父様に叱られて、無念、残念です?」


「黙ってろ、役立たずキルマ。羽を毟って籠から出れねーようにしてやろーか」


 小さな近衛に悪態をつくトルテを傍らに、ガロンはふむ、と整えられた髭を一撫でして、


「娘達が失礼するな、諸君。だが気を悪くせんでくれ。娘達も私を思ってのことなのだから、愛されすぎるのも考え物だな。……娘のいる立場としてはわかるだろう?」


「残念ながら、我が家の娘は父親よりも弟分にご執心ですんで」


「ほう、それは悲しいことだな。リディア嬢ほどの器量よしなら、可愛くて仕方なかろうに」


 下劣な色の目を向けられ、リディアは不快さを隠さずにぷいと顔を背ける。その態度に愛娘達(ドーターズ)がまた何か言おうとしたが、先んじてガロンが肩を竦めた。


「つれないことだ。以前に愛娘達(ドーターズ)に誘った時もすげなくされたものだったが」


「身寄りない子を集めて、衣食住を与えることはご立派ですよ領主さま。でも、ちゃんと家族のいる娘っ子まで連れてくこたぁないでしょう」


「ふん、然りだ。さて、内々に話があるのだが……」


 手振りで近づくよう示されたドルネイが動くのを見て、カティは皿の上のものを片付けた。

 内々の話とやらをしているらしく、密やかに会話しているガロンとドルネイを目の端に映しながら、こっそりと座椅子から腰を浮かせる。


「リディアさん。ご馳走様……代金、ここに置いてくから」


 食事代の銅貨をカウンターに載せると、その手を上から柔らかい手に押さえられる。

 見ると、憂いを帯びたリディアの瞳が間近で向き合わされた。


「カティ。もう時間も遅いし、ガロンがいるのよ。焦ると危ないと思うわ」


「これ以上、あいつの脂ぎった顔を見るのに堪えなくて。刻んで炙って、豚に共食いさせたくなるから」


 あの食えない肉塊の口から漏れる不協和音があまりにも忌々しい。リディアに話の矛先が向いた時など、手にしたフォークを捻じ曲げん思いだった。力不足だったけど。


「今のことは忘れて、今夜は作業に没頭したい。だから僕は行くよ」


「……止めても聞かないだろうから諦めるけど、山の照明を使っちゃ駄目よ。ガロンに見咎められたら、カティがどうなるかわからないんだから」


 許容の言葉と同時に手が放され、感謝と謝罪を込めて頷いてからこっそり席を立つ。小柄な体を縮めてカウンターに沿って移動し、裏口の戸に手をかけて外に出た。


「姉様、姉様。今、誰かが無断で勝手に出てったような気がしましたです」


「うっせーんだよ。お父様の気が散るから、お前は黙って呼吸だけしてろ」


 カウンター越しに聞こえたやり取りに、微かに肝を冷やしながら。




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