5-2
「鳥篭」の底部から城内に侵入してほとんど直後、カティはグレンと別行動を取っていた。
分断されたわけではなく、侵入前の打ち合わせの時点ですでに決まっていたことである。
「お前を庇いながらだと俺はギフトを全開できねぇが、向こうはおかまいなしだからな。俺が先に潜入して大暴れしてやるから、お前はその隙にお嬢ちゃんの場所に向かえ」
グレンの予想通り、先に城へ飛び込んだグレンを襲ったのは壮絶な集中攻撃だった。目には見えない風が斬撃となり、かと思えば剣や槍が風に誘導され恐るべき精度の投擲と化す。
それらの猛攻をグレンは鼻唄でも歌うような楽しげな顔つきで回避、飛来した槍と剣を手に攻撃を打ち払い、鉄製を我が物として反撃を開始する。
あっという間に鳥篭は怒号と悲鳴に剣戟の音が重なる戦場と化し、戦火の中に颯爽と翻るグレンの黒衣の姿を隠していった。
空にあって土の下という奇妙な空間から移動を始める。作戦内容は簡単に言えば、大立ち回りを演じるグレンが城の兵隊達の目を引き付け、その隙にカティがリトを奪還、そしてガロンを撃破するというものだった。
口にするのは簡単だが、グレンは城に常駐する愛娘達全ての相手をしなくてはならないし、カティもまたグレンの助力なしで止まり木の塔に到達する必要がある。ただ幾つかの明るい面もあり、まず止まり木の塔の警備に愛娘達は回されていないということ。これには確信があるらしく、グレンが絶対だと太鼓判を押した情報だ。次は敵方で最も厄介だった“空”の識者がすでに落ちていること。戦力の大幅なダウンが予想される。
外から見た城の形で自分の位置がどの辺りが目算しつつ、通路を西に向かって駆けた。止まり木の塔は目立つ細長い尖塔だ。場所を移されている可能性はあったが、リトが幽閉されている可能性が最も高い。
角に到達し、道の向こうを窺うカティは手に持つ細長い棒を握り締める。カティの胸ほどまでの長さのある棒はグレンに渡された、一見何の変哲もない鉄の棒だ。その実は高密度の鉄を圧縮したとかで、要するに恐ろしく頑丈な鉄の棒。
「剣とか槍は扱う技術が云々で面倒だ。だからただ殴る棒を渡しとく。一般兵なら銃と棒で何とかしろ。ただし、相手が識者なら迷わず逃げろ。絶対にだ」
識者との戦闘は次元が違うというのは悔しいが認めなくてはならないことだった。この城を繋ぎ止めた強大な能力といい、城を浮遊させる暴風といい、真正面からぶつかれば塵芥さえ残るまい。広場での戦闘はとんでもなく手加減されたものだったのだ。
だからといってカティは腐らない。相手に圧倒的に及ばぬと理解したのなら、他のやりようをもって目的を達成するまでだ。
――識者とは真正面からぶつかってはならない。
だからカティは角の向こうから現れ、こちらを見たキルマに迷わず背を向けた。
「発見! 接敵! 侵入者にして不埒者! キルマが成敗ですですーっ!」
見覚えのある少女はおそらく“羽”の識者だ。背中に取り付けられた模造品の羽を揺らし、狭い通路をこちらの背を追って走ってくる。能力的な制限があるのか狭い通路では飛行することはできないらしい。足の歩幅や男女差もあって追いつかれまいと慢心しかけ、肩を掠めた一撃に鋭い痛みと鮮血が迸った。
「うぁ……は、羽!?」
「残念、無念! 外して失敗ですですけど、連続、続行、次弾発射ですーっ!」
傷口から引き抜かれたのは血に染まる白い羽だ。触れてわかるが本物の鳥の羽を使用しているらしく、繊毛が朱に彩られ倒錯的な美しささえ感じる。
キルマの叫びに応じるように、羽の弾丸が次々と発射されカティを狙う。羽は貫通する威力はないが、鋭利な切れ味で肉まで切り裂く。加えて傷口に留まった羽が蠢き、肉を抉って体内に侵入しようとする凄惨な追い討ちが待ち受けていた。
「羽の識者は……飛ぶしか能がないと、勘違いしてた……っ!」
「あー、もう酷い悪い話です。キルマはトルテ姉様と組んでた上位、高位の実力者ですよ? あ! もうトルテ姉様ではないんでしたです」
蠢く羽を傷から引きずりだし、肉の抉れる感覚に脳髄が絶叫を上げて痺れる。幸いにも一撃狙いなのか上半身に攻撃が集中し、脚部は攻撃を受けていないのが逃走を助けていた。
「お兄さん、鍵を匿って隠してた人です? 鉄の男を捜してきて、お兄さんを見つけるなんてキルマはちょっといいとこ取りじゃないですか! お父様に褒めてもらえそうですっ!」
違和感のある内容だが、カティは己の不運を呪うしかない。あるいは騒々しく戦闘しているグレンの方ではなく、こちらに向かってきたキルマという少女の方向感覚を呪う。
すでに場所は城の東側のエリアにまで入ってきており、止まり木の塔とは対角の地点だ。時間のロスが厳しく、また命のロストの可能性もある。まずい、血が足りない。
通路の角を曲がって、カティは横合いに見えた扉に咄嗟に飛びつく。背中と腰の背面を羽が掠めるのを感じながら扉の中に飛び込んだ。が、すぐに失敗を悟ったのは扉の中に別の出口がないことと、扉自体に鍵がないことに気づいてからだ。
「くそっ! なら、これでどうだっ!」
手にしていた鉄の棒を扉の閂代わりに差し挟むと同時、隙間から入り込んだ羽がカティの胴体に喰らい付き、苦鳴を伴って後ろに飛ばされる。踏鞴を踏むはずの地面が突如消失し、階段だと気づいたのは全身をくまなく打ち付けて転がり落ちた後だった。
「悪足掻きの無駄な足掻きです! 神妙に大人しく、羽の餌食になるですです!」
扉を叩き、武器を叩きつける音が聞こえる。羽には鉄の扉を砕くだけの威力がないらしく、隙間から打ち込まれる羽も直線上に対象物がなければ命中はできないらしい。篭城するならば時間稼ぎにはもってこいの場所のようだが、そんな余裕はなかった。
打撲に痛む体で立ち上がり、自分が追い込まれた場所を確認して、
「ここは、牢屋か? ……城には付き物とはいえ趣味の悪い」
光源のない地下には闇が落ち、視界の確保もままならず、懐から結晶灯を取り出す。落下の衝撃に破損することもなく発された白光が、牢屋の奥の人影を捉えた。
「――誰か、いるのか?」
「そっちこそ……こんなとこ来たって、何もありゃしねーぞ……」
弱々しい、それでも精一杯に強がるような声色には聞き覚えがあった。いい意味合いでは当然なかったが、光を絞って歩み寄るとその正体がわかる。
「愛娘達がまた、どうしてこんなとこに監禁されてるんだ?」
「この状況であたしが愛娘達ってわかりやがんのか。……あたしはてめーのことを知らねーと思うんだが、あたしが横暴やらかしてたどっかの町の奴かよ」
三つ編みの少女の態度に違和感を感じ、カティは眉を顰める。だがその逡巡も一瞬で、即座に気を切り替えて質問を飛ばす。
「あまり期待はしないけど、この牢屋に外に出る道は他にないか? 扉の外を見張られて、身動きが取れなくなってる」
「はっ! そんなもんあるわきゃねーよ。そんな便利なもんがあるなら、あたしはとっととこんなとこから出て、ガロンの野郎を殺しに行ってらぁ」
凶悪な宣言に鼻白む。少女の声には嘘の響きがなく、怨嗟の念の込められた真の言葉だ。
豹変とも言える心変わりを疑問を覚え、同時にカティの脳裏にガロンの能力が閃く。
「まさか、“命令”のギフトで従わされてたのか?」
「……愛娘達でも知らねーガロンのギフトを何で知ってんだ? それとも愛娘達以外には知れ渡ってることで、馬鹿みてーに従ってるあたしらが間抜けだったのかよ」
多分に自嘲を含んだ言葉は諦観に満ちていた。その悲観的な空気に呑まれるのを恐れるように、カティは苛立つ頭を掻き毟って唸る。
「こんな場所で時間食ってる場合じゃないのに。このままじゃリトを助けるどころじゃない」
「リト――? 今、リトっつったか!?」
途端、少女が牢の柵に手をかける過敏な反応を見せた。
「リトがどうした!? まさか捕まったのか? 逃げられたんじゃねーのかよ?」
「……リトは捕まったよ。町を人質に取られて、悲しい顔で笑って連れていかれた」
牢の中で膝をつき、項垂れた少女が悔しげに呟く。
「んだよ。あたしん時と同じじゃねーか……結局、こうなるのかよ……ッ?」
「同じって、どういうことだ……」
「……ガロンの野郎はな、自分が目ぇつけた娘のいる町を人質にとって、自分を憎悪する娘を配下に加えんのが好きな変態なんだよ。あたしは断って、村を焼かれた」
噛み締める口の端から血が滴り、乾いた牢の床に赤い雫が落ちる。
「愛娘達の連中はみんなそうさ。……あたしは全部見てたんだ。だってのに、全部関係ねーと忘れて仇相手に媚を売ってやがった。ちきしょぅ……」
悲痛な告白を聞きながら、カティの胸中もまた言いようのない憤激に満たされている。人間を人間とも思わぬ、まさに外道の所業だ。
自噴と義憤に顔を歪めるカティを見上げる少女が、何度か瞬いてから頷く。
「なあ、お前、ひょっとしてリトを匿ってた奴か?」
「――そうだ。カティクライス=デリル。僕はリトを助けにここに来た」
堂々たる宣言に少女は呆気に取られた表情の後、はっと空気の抜ける乾いた笑みを漏らした。
「すげー行動力だな。そのために命懸けでここまで来たのかよ……勝ち目なんて、ねーだろ?」
「無駄かもしれない。犬死する可能性はある。でも、無駄ならやらないのか?」
「リトはお前らを庇って捕まったんだろ? その気持ちが無駄になるかもしんねーぜ」
「誰も負ける気でなんかやってこない。来たからには必ず助け出す。そのために使えるものは何だって使うさ――たとえば、僕が大嫌いなギフトだって」
そう言って格子の前にしゃがみ込み、怪訝な視線の少女に懐から取り出したそれを差し出す。それは半日前に目の前の少女から奪い、隠し持っていたものだった。
「あたしの……ギフト……?」
差し出されたのはペンダントに繋がれた見覚えのあるギフト。八年以上もの間、肌身離さず持ち続けていた知識の箱だ。
「何で、あんたがこいつを……」
「リトが君を撃退した後、倒れていた君から僕が拝借してた。何かの手段として使えるかもしれないと思って持ってきたけど、正解だったみたいだ」
カティクライスと名乗った少年が格子越しに差し出してくるギフトを思わず受け取る。複雑な思い入れのあるギフトを手にし、しかし絶望的な気持ちから首を振った。
「無理……無理だ。“空”のギフトはあたしに答えねー」
「どうして。一度、失ったから……?」
「違う。もともと、あたしにギフトを扱う資格なんかねーんだ。あたしが“空”のギフトを持てたのは、ギフトの鍵を開けたのがリトだったからなんだよ!」
蓋に手を当て、力を込めてもびくともしない。肩を震わせて嗚咽を堪えるトルテを、愕然としたカティが口を手で覆って見つめていた。
「リトが……鍵ってガロンや愛娘達に呼ばれてる理由は……まさか」
「まんまだ。リトはギフトを自由に開け閉めできる。ギフトさえありゃぁ、自由に識者を生み出すことができんだ。……ガロンはだからリトを手放さねーし、愛娘達はそうやって作られる」
ガロンの趣味で、“翼”や“風”といった識者が愛娘達に集中している理由はそれだ。ギフトを用意し、自らの趣味で選んだ少女を操り識者にする。
「“空”のギフトはあたしを選んだんじゃねー。分不相応なあたしを選ばされたんだ。だからギフトはあたしには応えてくれねー。くれねーんだよ……」
項垂れ、絶望感に支配される。希望かも知れぬと渡されたそれに絶望を与えられるというのは、分不相応に扱われ続けたギフトの復讐だったのかもしれない。
「――まだだ。まだ、終わってない」
少年は絶望に屈さず、諦観をその意思で跳ね除けてトルテを見下ろした。
「ギフトは、知識は必要とされることを望む。必要な人間に必要とされる場所で、必要な時に必要とされることを。なら、この場所にこいつが来たことには意味があるはずなんだ!」
少年が叫ぶ。諦めを受け入れるなと、絶望を叩き殺せと。
「諦めるな。願って、思って、心の底から望まれることを嫌がる存在はない。知識はいつだって、人間が自分を求めて必要とされるのを待ってるんだ」
「でも……こいつは、あたしには反応しねーよ。どれだけ、ガロンをぶっ潰してーと思ったって、こいつはあたしには……!」
「知識はいつだって、人間の幸せのために必要とされる。――僕の尊敬する、爺ちゃんの言葉だ。そして復讐を願う君の瞳は迷いがある。本当の願いは、何だ?」
ガロンへの復讐に決まっている――言おうとして、言葉が出なかった。
本当の望みとは何か。ギフトが自分の手にあり、そして思い出も側にあったなら。
「あたしは、リトを助けて……愛娘達のみんなも、解放してやりたかった……」
心の底からの望みが漏れた瞬間――間近に雷が落ちたかのような光が地下牢を包んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
鉄の扉を破ることができず、キルマは何十枚目かの羽を撃ち込んで荒い息を吐いた。
自分の能力が対人戦ならともかく、要塞や家屋に逃げ込んだ敵を燻り出すのに向かないことは自覚していたが、ここまでの無力感を得ると泣きたくさえなる。
ギフトの連続使用に耐え切れず、頭が焼け付くような“知恵熱”の兆しがあった。一日の能力の使用限度をとっくに超えているのだ。
これでは父親に仇なす外敵を追い詰めたにも関わらず、手出しすることが叶わない。
さらにキルマの心を焦りへと導くのが、鉄の扉に遮られる地下牢の存在だ。中には反逆して監禁されているトルテがいて、彼女はトルテが傷付けられるのを恐れている。
「トルテ姉様は……キルマが、自分のこの手で殺害して葬るんですから……!」
鉄の男の侵入時、ガロンが思わず口走った一言をキルマは聞き逃していなかった。トルテを失ったことを惜しむ言葉に、キルマは一瞬我を忘れた。そして悪魔の囁きに耳を傾けたのだ。
「鉄の男が暴れてる隙に、トルテ姉様を抹殺、消滅させてやるです……!」
そして戦場を外れ、地下牢に向かう道程で赤毛の少年と遭遇した。見覚えのある少年を殺害し、一石二鳥を得ようと算段を立てた結果がこれだ。
「あの人……姉様に恨みつらみあるはずですから……姉様が殺されちゃう……」
自らの手で殺すより、侵入者の手にかかった方が都合がいいにも関わらず、焦るキルマはそのことに気づかない。優先すべきを自分でトルテを殺害することに決めてしまっていた。
「早く、急いで、何とかして――」
再度、羽の弾丸を扉に撃ち込もうとした眼前、鉄の扉の隙間から白光が溢れ出した。
何、とキルマが目を凝らし、扉に触れようと指を伸ばし、
「キルマ。そこにいると危ねーぞ」
刹那――内側から吹き飛んだ鉄の扉に巻き込まれ、錐揉みながら壁に叩きつけられた。
衝撃を直撃された扉はど真ん中から拉げ、巻き添えになったキルマにも浅からぬダメージを及ぼした。内蔵が悲鳴を上げ、肋骨が軋んで肺を締め付ける苦しみがくる。
「う……あっ。……えくぅ……っ」
「ごめん。空が見えねーから、手加減してやれなかった」
扉のなくなった部屋から踏み出す小柄な姿は三つ編みを揺らしていた。灰色の拘束衣に栗色の髪が流れ落ち、生れ落ちたばかりのような色を持つ。
そして見慣れた浅葱色の双眸が、意思の強さを示すようにつり上がった眦でこちらを見る。
「……ね、姉様」
罪人であることを示す服に身を包みながら、威風堂々たる佇まいでトルテが立っていた。手には先ほどまで追っていた少年の手にしていた棒を持っている。そして何よりも注目すべきなのは、首元から下げたペンダント――ギフトだ。
「姉様、姉様……。ギフトを、取り戻して回復されたです……?」
「ああ。戻った……いや、今度こそあたし自身にギフトが応えてくれた」
胸元のギフトに指で触れ、愛おしいとでもいうように慈愛の微笑が生まれる。
「で、ですですか……。それじゃあ、またお父様の元で一緒に……」
「いや、そいつはもうありえねー」
通路に座り込んだまま見上げたトルテの瞳は、決して以前と同じ光を宿してはいなかった。キルマも何度も見たことのあるその光は、トルテの横に立つ赤毛の少年と同じ輝き。
「少し寝ててくれ。目が覚めたら全部、終わってるよーに頑張るから」
ゆっくりと鉄の棒を突きつけられ、制止を呼びかける間もなく意識が闇に落ちた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「お前、変なとこ触ったら容赦なく落っことすから覚悟しろよ」
「命の恩人に何て言い草だ。そもそも変なとこなんてないじゃ……すいませんでしたぁ!」
軌道の悪質な変化に振り落とされそうになり、カティは腕に力を込めて細い腰を抱き締める。
腰にカティをしがみ付かせたトルテの姿は夜の空、すでに鳥篭の地下を脱していた。
「地下から一気に地上までの壁をぶち抜くなんて、どこまで出鱈目なんだ」
「空が見えねーと本気も出せねーんだから仕方ねーだろ。やむを得なかった、んだよ」
眼下には一直線に貫かれた城の大穴が覗いている。これだけの破壊が不完全燃焼なのだから識者というのは恐ろしい。
半分だけの巨大な月を傍らに、月光浴のように五体を広げたトルテが喉から唸る。
「んんんああああー! 漲ってくるーッ! 空って、こんな気持ちいーもんだったんだな!」
「ちょっ、揺らすな! いや、揺らさないでください!」
騒ぎ立てるのをうるさいと思ったのか、トルテが高度を下げて屋上に降りる。真横に大穴を置いたこの建物は城全体の中の東塔だ。中央塔を挟んで向こう側に問題の西塔が見える。と、中央塔の前の庭園で土煙と爆音が噴き上がっていた。
「あそこで暴れてんのが、カティの連れの識者か?」
「多分……というか、カティ扱いか。トルテも知ってると思うけど、鉄の男だよ」
「あんにゃろーか……まあ、このトルテさんに落とされねー実力があんのは認めてやっけど」
思えばトルテとグレンは鉱山で初めて見かけた時に殺し合いをしていた仲だ。洗脳が解けた今は敵愾心こそないかもしれないが、わだかまりのことを考えると頭が重い。
「グレンが愛娘達を引き付けてるから識者は余所にはいないはずだけど」
「なあ、鉄の野郎は愛娘達を殺しちまってんのかな」
同じ境遇の仲間を救いたいと願うトルテにすれば、仕方ないとはいえ仲間が殺されるのは避けたいのだろう。そう不安そうに俯く彼女を安心させるように肩を叩く。
「いや、識者は殺さずにギフトを破壊するように頼んである。だから最悪でも、命だけは失わないで済んでるはずだ」
もちろん識者であるトルテにはギフトを砕かれることの意味がわかる。歪められた彼女らに罪がないことを思えば辛い罰だが、それでも命があるならばと納得してくれた。
「なら、あたしらのやることは一つ」
「あの西に見える……止まり木の塔とやらからリトを助け出す」
自分より小柄な少女に腰を横抱きにされ、そのまま重力の頸木から解放され飛翔する。ぐんと浮遊感が全身にあったが、空気抵抗の妨害を肌に感じなかった。これが空の加護と感心する間に中空を滑るように移動し、西の塔への最短距離を突っ走る。
庭園の人影が頭上の自分達を指差して何か叫ぶが、その声が届く頃には視界の隅からすら彼らを置き去り、ものの数秒で止まり木の塔の屋上近くに到着していた。
「東塔から見えねー反対側に鉄の男が砕いた壁があるんだ。一応、補修はしてあるようだけど脆いはずだから、そっからぶっ壊して入るぞ」
西塔の裏側にはトルテの言った通り、木の板で不恰好に修繕された箇所があった。
その板を手にした棒で難なく打ち破り、二人の体が止まり木の塔の内部に到着。
石造りの螺旋階段があり、穴のすぐ近くの部屋を守るように四名の衛兵が立っていたが、彼らは一様にトルテの姿を見て悲鳴を漏らして立ち竦む。
「ト、トルテ様……!? いったい、どうして……」
「どーして識者に復活してるかって? はっ、あたしの求めにギフトが応えたからさ」
獲物を向けるトルテが自分達の味方でないことは悟っただろうが、かといって識者であり実力も知っているトルテに攻撃を仕掛ける命知らずは一人もいない。牽制したまま動かないのを見て、トルテが無言で部屋へ行くように促した。
「この部屋に――」
リトがいる! と勢い込んで扉を開くが、出迎えたのは空っぽの誰もいない部屋だ。
簡素なベッドと小さな格子付きの窓があるだけの部屋は心が冷え切るほど殺風景で、この場所で八年間という時間を過ごすという行為の残酷さを物語る。
「おい! てめーらッ! リトはどこだ、何でいねー!」
同じように部屋を覗き込んだトルテが憤慨し、側の衛兵の首を掴んで壁に押し付ける。衛兵は怯えた瞳でトルテを見て、歯の根を鳴らしながら首を振った。
「む、む、無理でさぁ! 喋ったらガロン様に殺されますっ!」
「知ってっか? 人間ってのは死ぬ寸前に走馬灯っつって、自分の人生が一気に見えるらしい」
小柄な少女が大の男を掴み、片手で吊り上げるという驚愕の光景が展開される。“空”のギフトで稀有な体験をさせられている男に対して、トルテは酷薄な笑みを見せた。
「空の高いとっから落とされたら、走馬灯って何回見えるんだろーな?」
カティさえ底冷えする恫喝に耐えられる衛兵はいなかった。掴まれた男が震える指で示したのは北東の方角――先にあるのは中央塔だ。
「ガロン様が先ほど、鍵番隊と一緒に中央塔に連れて……」
「鍵番の奴らか……あんがとよ。とりあえず、てめーらは寝ててよし」
一振りで二人が吹き飛び、返す動きでもう二人も壁に叩きつけ、一瞬で四人が沈黙する。
その所業を事も無げに成し遂げたトルテは鉄棒で肩を叩き、睨みつける視線を中央塔へ。
「トルテ、鍵番隊ってのは?」
「鍵番隊は鎧着込んだ、衛兵の中でも腕の立つ連中のこと。リトに近づくだけでも識者はある程度弱まっちまうから、リトの護送とかは識者じゃねー連中がやるんだ」
「なるほど、それで鍵番隊ってことか……」
鎧というのは地味に問題だ。カティの武装の主装備は銃だが、通常弾で鎧抜きをできるとは思えない。となると結晶弾だが、結晶弾は残りが二発しかない。
「あだっ!」
その不安が顔に出たのか、気づいたらしきトルテが怒ったようにカティの頭を小突いた。抗議の視線を送ると、トルテは腕を組んで尊大に鼻を鳴らして応じる。
「あのな。このあたしが味方してるんだぜ? 鉄の男も味方にいる今の状況で、あたしらが負けるような目が見えねーよ」
「そう、僕がおかしいと思うのはそこだ」
指を突きつけられ、トルテが鼻白むが続ける。
「トルテがこっちについたことをまだ知らない可能性はある。でも、グレンが愛娘達相手に押してるのはわかってるはずだ。つまり勝ち目がないことがわかれば、どういう手段に出る?」
カティの言葉に思い当たるところがあったのか、トルテがはっとした顔で中央塔に浅葱の瞳を向ける。その瞳には隠しようのない焦燥感があった。
「中央塔に“風”が込められた船がある! 十人くれーなら余裕で逃げられるやつだッ!」