4-2
「庶民さん、庶民さん。このお家で匿ってる金髪、色白、拘束衣の女の子を出すです」
宿場の扉を乱暴に開き、突如雪崩れ込んできたガロンの私兵達。その私兵達の間を割るようにして進み出たのは、立ち並ぶ男達の誰よりも背の低く、まだ十代前半と思しき少女だった。
武を誇示するように槍を持ち、背後に控える私兵達もまたそれぞれ手に武器を構えている。
「愛娘達のお嬢様。何のことか話が見えませんや。もう少し親切に説明願えませんかね」
「誤魔化し無効です、熊おじさん。秘密、機密漏えいですよ? すでにネタは割れてんだからよぉです。今の姉様の真似ですけど、似てたです?」
笑顔で振り返るキルマに対し、私兵達は曖昧に頷くなりの態度で受け流す。
その様子を見ながら歯噛みするのはドイネルだ。向こうも今回は確たる証拠があるらしく、問い詰めに迷いが見られずのらりくらりと躱すのは厳しいと察する。
ならばせめて、厨房にいるナリアがうまくやってくれることを祈って時間を稼ぐのみだ。
「いったい、何のことなんでしょうなぁ! こちとらお上に目を付けられるような真似はしないよう心掛けて日々過ごしてますんで、今も肝が縮まる思いでさぁ!」
「きゅ、急に無駄に無意味に大きな声で喋らないでほしいですっ。熊おじさん!」
騒ぎを大きくして厨房の向こうに危機を報せる。その思惑を悟った周囲の鉱夫達もまた、がやがやと普段の強烈な雑談力を発揮して騒ぎ立て始めた。
「ちょっ、急に突然どうして皆さん騒ぎ出すんですです!?」
「キルマ様、おそらくは時間稼ぎかと思われますが」
「はっ! なるほど、納得です。よく気づいたですね。でも気づいたからには無駄なのです!」
「くそ! もう気づかれちまった!」
部下の進言で思惑を悟ったキルマは勝ち誇った笑みを口の端に浮かべ、見破られたドイネルと同僚達は悔しげに喉を唸らせる。低レベルな駆け引きだった。
と、一触即発となりかける現場に割り込む声がある。
「何だ、昼前から騒がしいと思ったら面倒なことになってやがる」
階段を軋ませながら下りてきた黒髪の男は、不機嫌そうに鼻を鳴らしてキルマ達を見下ろす。
その男を見てキルマが何か言おうとするも、先に口を開いたのはドイネルだった。
「お客さん。ここは少し騒がしくなりそうなんで、部屋に戻っててくだせえ」
「なんだなんだ。この宿は客の行動に制限つけんのか。それに騒がしさで言うならすでに結構なもんになってると思うぜ、俺は」
下りきる前の階段に腰掛け、腿に肘を乗せて頭を支える姿勢でグレンは状況を見渡す。
沈黙が落ちるのを見計らって、言動を封じられていたキルマが威勢よく問いを投げ掛ける。
「熊おじさん、熊おじさん。その男、如何に何故にここにいるです?」
「この方は宿の大事な客……いや、大事なカモでさぁ」
「おい、言い直して悪い意味になってるじゃねぇか」
「大事なお客様って言おうと思ったんですが、ここは男らしく正直にいこうかと思いまして」
「その発想は男らしいが、思惑は厭らしいな」
言ったグレンの表情はどこか苦く、それは今得た感情ではなく姿を見せた時からだ。
その原因を知るキルマは苛立ちながらも何もしないグレンに対し、ない胸を張って言う。
「鉄の男さんには残念、無念ですけど、すでに鉄の男さんに鍵の盗難、誘拐を依頼した組織は潰して壊滅したです。だからここで鉄の男さんが動く理由はない、ですです?」
「ああ……連絡がきたよ、さっきな。確かにこれで俺は争奪レースからは脱落だ」
「はい、鉄の男さん。物分りがよろしくて、キルマも満足、ご満悦です。鉄の男さんと同じくらいに庶民さん達も話が通じると嬉しいです?」
グレンとキルマの会話についていけないながら、ドルネイは何とか概要だけは掴んでいた。つまり、結局のところ少女はリトを差し出せといっているわけだ。そして、それに対する答えはすでにこの場の鉱夫達全員が一丸となってすでに出ている。
「何度も言わせんでくだせえ。そんな娘なんざ、知らんと言ってるでしょうに」
「……熊にはお話通じないようで、キルマは残念、無念です。じゃあ、話が通じるようにしてあげますですよ」
「そっちこそ、お父様に泣きつく結果になる前にお帰りを。鉱夫マン舐めるな」
拳の骨を鳴らし、キルマの前に立ち塞がるドイネル。その背中に並び、厨房への扉をさりげなく隠すように鉱夫達が布陣を組んだ。
キルマは可愛らしく鼻を鳴らし、一歩下がると私兵達に並んで、槍でドイネルを示す。
「兵隊さん達、死なない程度に痛めつけて、お話したい気分にさせてやるです!」
キルマの啖呵を切っ掛けに、宿場内に怒号と食器の割れる音と打撃音が炸裂した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ドイネルの浅はかな作戦は見抜かれていたが、結果としてそれは好機を生むことになる。
流石に長年連れ合っただけあって、ナリアは夫の馬鹿のように大きな声で状況を掴んだ。そしてそんな夫と男達の行動を無駄にしないために、リトを裏口に回らせたのだ。
裏の勝手口に回ったリトの耳には厨房の外の騒ぎがしっかり届いていた。自分が割った時の何倍もの食器が一度に割れ、必死の覚悟がこめられた声が飛び交っている。
全てがリトを守ろうとし、リトを奪おうという者達と争う結果の騒音だ。
何度も振り返ったリトの背をナリアは強く押し、とにかく今は急いでカティの家に向かうようにと言った。あの家の地下室に隠れていれば、そうそう見つかることもないと。
厨房に残り、いざという時の足止めをすると殿を請け負ったナリアの微笑に見送られ、リトは裏口の扉の前でドアノブに手を掛けたまま動けないでいた。
「どうして、みんな、戦ってくれるの?」
ナリアは今はわからなくてもいいと言ったけれど、リトは今知りたいと思う。そして、答えにも似たものはすでに何となく得ているのだ。
「カティが、みんなにお願いしたから」
昨晩、カティは恩返しにリトを守ると言った。リトからすればノワールを助けたのは行き掛かり上のことで、そこまで尽くしてもらう理由にはならない。一番恩義を思ってくれるカティですらそうなのだから、他の皆が優しくしてくれる理由が思いつかなかった。
言いようのない心苦しさがある。カティに頼まれ、リトを守るために彼らは傷つくのだ。
そしてそれを嫌なことだと思いながら、それがあるおかげで自分がこうしていられることもわかっている。こうしていたいと思っていることも。
「わたし、我が儘だ」
その彼らの優しさを利用して、鳥篭の外にいることを選びたいのだ。
唇を浅く噛んで、リトは勝手口の扉を開いた。
雲の多い青空から、半分だけ覗いた太陽が裏口に暖かな陽光を送り込んでいる。
――そして、
「こっちから出てくっと思って、見張ってた甲斐があったってもんだな」
栗毛を二つの三つ編みにし、何もない空に悠然と腰掛ける少女が待ち構えていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……トルテ」
口の中だけで呟くような呼び掛けに応じるように、トルテは宙から石畳に優雅に着地した。つい今までトルテが座る体勢でいた空間には何もなく、当然糸などで吊るしたわけもない。
これが愛娘達で最も優れた識者である、“空の騎士”トルテが得たギフトだった。
「よー、リト。久しぶりだけど服装の好み変わったみてーだな」
相変わらずの蓮っ葉を通り越した乱暴な口調、だが表情はあまり芳しくない。
眉を八の字にし、伏せた感のある瞳は迷うように悩むように輝きを揺らめかせている。
「トルテ、ちょっと変」
「あー、あんま気乗りがしなくてさ。お父様のためじゃなきゃ、あたしはどっちかってーとな」
手にしていた長槍の穂先を下げ、トルテは珍しく熱を失った顔色で上目にリトを見る。
「なぁ、リト。止まり木の塔の待遇が嫌だってんなら、あたしからお父様にご進言してもいいからよ……戻ってこよーぜ?」
トルテの提案にリトは素直に驚いた。何せトルテといえば、ガロンを狂信的に慕う愛娘達にあって最も中毒に陥っていると言って過言でなかったはずだ。
確かにトルテは止まり木の塔でのリトの生活、その補助を務めることも多く、愛娘達でも唯一リトと親交があったと言っていい。愛娘達でリトを名で呼ぶのは彼女だけなのだから。
そのトルテがリトの境遇に対して同情的であるということは知らなかった。何せ今までリトは、自分の境遇が同情されるようなものであったことを知らなかったから。
世界で一番不幸な人間も、自分以外の境遇を知らなければ自分が世界で最も不幸だなどとは気づかない。リトにとって鳥篭で何も与えられぬ生活はまさにそれだった。
だがすでにリトは知ってしまった。鳥篭で与えられる生活は不幸なもので、そして鳥篭の外での生活には幸せが満ちていたことを。
「わたしは、いや」
「拒否るのかよ。お父様は話せばお分かりになってくださる。きっと今度はあんな塔で閉じ込められるような暮らしじゃなくて、お父様のご寵愛に与れる立場になるって」
「それが幸せだと思えるのはトルテ達だけ……わたしには、永遠に無理だよ」
「そんなことねーって! 少しお父様のお心に触れれば、誰だって気づく。お父様の胸に掻き抱かれた時がどれだけ幸せで、お父様のお言葉一つでどれだけ心が舞い上がるか……」
「わたしにはギフトのまやかしは通じない。だから、トルテみたいに思えない」
目を伏せ、リトはトルテの言葉を決定的な意味で遮った。
トルテは何度か口を無音で開閉して、息を呑んでから鋭い目を向ける。
「リト……今のは、どーゆう意味だよ」
「そのまま。あの人のギフトはわたしには効かない。トルテ達みたいに騙されられない」
「お父様が識者で、あたし達を騙してるって、そー言いてーのかよ、リト!」
槍の穂先が持ち上がり、鋭い刃の先端がぴたりとリトの喉元に狙いを付けた。槍を持つトルテは激昂に顔を赤く染め、大きな丸い瞳を見開いて睨みつけている。
タブーに触れたことに対する強力な反応だ。愛娘達にとってガロンの行為を疑われたり、侮辱されたりすることは存在意義を否定されたに等しい屈辱感を感じる。
一瞬で殺意にまで昇華されるトルテの激情がそれを証明していた。
「ひでー侮辱だ。他の何言われるよりお父様への侮辱は許されねー。あたしは今の今までなるべく暴力は振るいたくねーと思ってた。今もそう思ってる。だから訂正して、ちゃんと謝るなら今の内だ。リト、あたしは暴力を振るいたくねー」
そうやって最後の一線を用意してくれたことが、このトルテという少女の性根の優しさを体言していた。その優しさに真っ向から首を横に振って、差し伸べられた手を拒絶する。
「いや。わたしは幸せがどんなものか知ったから、まやかしには従わない。トルテがわたしを哀れに思うのと同じくらい、わたしもまやかしに従うトルテが可哀想に見える」
「……そーかよ、このバッキャローがッ!」
目の前の穂先が一瞬で消え、次の瞬間には横殴りに左肩を殴りつけていた。
手加減抜きの一撃に骨が軋み、痛みに呻き声を漏らしながらリトの細身が転がる。
「ぶち殺してやりてーけど、お父様が困るからやれねー。だから、散々痛い目に遭わせる。泣いても喚いてもあたしは止めねーぞ」
片膝を着くリトに槍を向け、トルテは酷薄と表現していい形相に可愛らしい顔を歪めた。
一方でリトは痛む肩に触れながら、今の失敗の反省を内心で済ませる。
目の前の穂先が突いてくるものとばかり思い、横に移動したことで意表を衝かれた。こちらは無手であちらは武装している。リーチの差は言うまでもなく自分が不利で、先日の鉱山の時のように逃げ回るのが自分の本分だ。
「ん、やろう」
転んだ際に引っ掛けたのか、ウェイトレス服のスカートが裾から避けている。長い裾に隠されていた白い足が風に布地が揺れる度に露わになり、場違いな扇情さを演出した。
青の近衛服のトルテと、ウェイトレス姿のリトは真剣な面持ちで向かい合う。
リトはトルテの武器に注意を向け、トルテはリトの挙動に全霊を傾けている。傍目には圧倒的にトルテ優位に見える状況だが、額に汗を浮かべて余裕に欠けるのはトルテの方だった。
無言で向かい合うこと十数秒、動く切っ掛けが掴めずにトルテが痺れを切らしかけた頃合、リトが唐突に横に滑るように動く。唐突な動きに槍の初動が遅れ、振り上げの軌道上には体に遅れてついていく金髪を僅かに掠めるに留まった。
十数秒向き合いながら、リトはトルテの瞬きの感覚を盗んだ。そして目を閉じた一瞬の視界途絶のタイミングで動き、攻撃を空振ったトルテの横を駆け抜ける。
横を抜かれたトルテは咄嗟に槍を盾に、攻撃を避けるように背後に飛んだが、リトの狙いは攻撃ではなく逃走にあった。駆け抜ける姿勢のまま、振り向かず宿場裏を飛び出す。
常人には得られぬ疾走の速度を得ながら、リトは民家や人のいる場所を離れることを最優先する。トルテが見境なくギフトを使用すれば、宿場にも被害が広がる可能性があった。
「人がいなくて、障害物がある場所」
トルテのギフトを知るリトが勝機を得るにはその条件が望ましい。鉱山や南の森などが該当するが、距離を考えると現実的に感じられなかった。現地点からの距離も条件に含めれば、
「町の外れの、廃屋」
リトは知らなかったが、数日前にカティが下したのと同じ結論を出して加速する。カティに町の案内をされた時、逃げ込むならそこにすべきだと考えていた場所だ。
一心不乱に走るリトは不意に背に悪寒を感じ、駆ける姿勢が崩れるのも厭わず身を傾ける。その動作が石畳を砕いて突き刺さる槍の軌道からリトを救った。
弾丸もかくやという速度で射出された長槍は中ほどまで石畳に刺さり、衝撃の余波で街路が捲れあがっている。その威力はもしも胴体に受ければ腕が通るほどの風穴が開き、手足ならば千切れて吹き飛んだだろう破壊力だった。
「危ねー。今のはちょっと手元が狂って危うく殺すとこだった」
僅かに慌てた声は上空からだ。走る姿勢を整えて、目だけで振り仰いだ空に青の姿がある。
何にも束縛されず、鳥のみに許された領域を悠然と滑空するトルテが宙を舞っていた。
浮遊に一定の条件を必要とする“風”や“翼”と違い、“空”にその制約は存在しない。“空”の識者たるものは、空の続く場所のどこであっても蒼穹に身を預けられるのだ。その力の及ぶ範囲は規模さえ関係なく、城を宙に浮かせることさえ単独で可能とする。
ギフトの中でも最上位に位置する“空”の知識の実力だった。
「リト! 逃げるのやめろ! 今なら骨が十五、六本折れるぐれーで勘弁してやる! “空”はあたしの味方だ! あたしに有利にならないフィールドはねー」
地面を深く穿ち、生半可な力では抜けぬ槍の柄が小刻みに震え、次の瞬間には先ほどの逆回しのように地から射出、持ち主の手の中に飛び込むように帰投する。
“空”が覗くことのできる“空間”は全てトルテの味方をする。そしてトルテの愛用する槍は“空”の知識の加護をトルテとほぼ同等なまでに得ていた。単独では非力なトルテの槍の投擲を空が後押しし、あの空前の破壊力を生み出すのだ。
短い青のスカートをたなびかせながら飛行するトルテの速度は尋常ではない。常人なら空気抵抗や高速による負荷から限界に達するが、加護のあるトルテにはそれがない。故にトルテに対して、目に映る範囲での距離のアドバンテージなど意味を成さない。
距離が一瞬で詰まり、怒りに鋭さを増すトルテの気配が真横に出現した。
「――食らっとけッ!」
「ん、だめ」
後頭部に迫る脅威の気配に腰を折り、視界いっぱいに石畳の模様が広がる。その頭上を掠めるように槍の柄が通過し、同時に突き出した右手で力強くトルテの身を横に弾いた。
途端、空中でトルテは体勢を崩し、踏鞴を踏みながら足を出すことで転倒を防ぐ。その間に駆け足を速めたリトはさらに距離を開け、目的の廃屋までの距離を詰める。
移動の速度では及ぶべくもないが、接近後の直接攻撃はトルテ本人の身体能力に依存する。それでも当然実力者ではあるが、人間の見切れない速度で攻撃してくるわけではない。槍の投擲は先の威力と生け捕りの目的から使ってこれないはずだ。
「いい気になるなぁッ!」
再度、飛行して追ってくる声が迫る。繰り出される攻撃は全て近接、突くではなく薙ぐ行為に偏った打撃は長物を使用していることが不利になっていた。
軌道を見切り、連撃が続くよりも先に相手に牽制の一撃を入れることができる。
身を屈め、あるいは逸らし、這うように体勢を低く、足元に迫る鋼の凶器を跳躍で躱す。
紙一重、一進一退の攻防を続けながら、リトは致命打を浴びずに廃屋へ駆け続ける。トルテは全ての攻撃を躱され、大振りの隙に掌底を差し込まれては体勢を崩した。
「このッ! 何で、何でッ! あたしの槍は当たらねーんだ!」
気合い一閃、振り下ろされた槍が地面に突き刺さる。躱したリトはその食い込んだ先端を踏みつけてトルテの動きを空中で急制動。あ、とも、う、ともつかぬ微かな驚愕が聞こえ、その足蹴にした先端を押さえたまま柄を掴み、駆け足の勢いで持ち主ごと槍を回す。
「とんでっちゃえ」
迫力に欠ける決め台詞の後、遠心力を得た槍が持ち主ごと旋回し横合いの道に投げ込まれる。待ち受けたのは壁ではなく、うず高く積まれた廃材の群れだ。背中から材木をへし折り、大量の埃を纏った崩落に巻き込まれ、甲高い悲鳴が響き渡った。
崩落の音が止まないのを耳にしながら、リトは安堵の感情も見せず走り、遂に廃屋に到着する。廃屋前の広場はところどころが抉れ、何故か釘が散乱する有様だが望み通りの条件だ。
――と、爆音のような轟音と共に廃材が巻き上がり、砕かれた材木が飛沫となって雨のように降り注ぐ。その群れから一際高い場所を青色が突き抜け、高所からリトを見下ろした。
その眼光は鋭く、赫怒に彩られた瞳は溢れる殺意を隠そうともしていない。
「お、おおおお父様に頂いた、大切な、大事な……服をッ! よくも……よくも!」
高空特有の強風に煽られる姿は埃に汚れ、蒼穹を映したような爽快な青を誇った衣服は所々が破れ解れ、肌に浮き上がった擦過傷も相まって痛々しく愛娘達を傷つけていた。
だが彼女が怒るのは、そんな表面上の問題に対してではなかった。
彼女らにとって何物にも代え難い父親からの贈り物を、汚され、傷付けられた。それはそのまま愛娘達とガロンの間の絆に傷を付けられたのと同じことだ。
震える手から槍が離れる。物理法則に従って落下するはずの長槍は宙に留まり、そのままトルテの掲げた右手の真上に滞空し、陽光に鈍く輝く先端をリトに合わせた。
その切っ先の輝きにトルテの本気を見て、リトは形振り構わず廃屋の入り口を目指す。
「死んで……償えッ! この、大馬鹿野郎がぁーッ!」
リトが廃屋に身を転がり込ませるのと、トルテが咆哮して右手を振り下ろしたのは同時。
――結果、廃屋は空前絶後の破壊力の前に紙切れのように粉砕された。