鳥籠の解放
色々と、悪いタイミングで偶然が重なった結果だ。
白昼堂々、侵入者はまさに太陽の位置など知らぬとばかりにこの時間を選んできた。
各所で混乱が起きていて、指揮系統は滅茶苦茶になっている。入ってくる情報も時間の前後が定まらないものが入り乱れ、被害も損害も下手人さえも曖昧な状況は好転しない。
「どいつもこいつも使えねー! 塔まで侵入されるなんて、気ぃ抜いてんじゃねーぞ!」
怒声を張り上げ、背に届く三つ編みを揺らしながら、浮き足立っている面々に発破をかけるのはつり目の少女だ。
彼女は手にしている槍の石突で床を叩き、歩き慣れた城内を鬼気迫る表情で駆け抜ける。その小さな背中に続く複数の影が、彼女が集団の指揮官であることを証明していた。
走り抜ける城内、通路の各所には破壊と戦闘の名残が見受けられ、警備に回っていたはずの守備隊の男達が何人も蹲っている。死者はいないようだが、それが逆に侵入者の力量を誇示する結果となっているようだ。
「大勢が出払ってる時に来やがって……偶然か、狙ったのか? どっちにしろ冗談じゃねーよ」
断片的な情報から、侵入者が単独で男であるということだけが伝わる。
現在地とか詳しい情報を、と要求を口にする直前、上階の方で新たな破砕音が発生した。
「ここより上の階ってことは……まさか、狙いは鍵か!?」
走るのでは埒が明かぬと、窓枠に足を掛けて身を乗り出す。窓の外は青空に直結しており、石造りの地面までの距離はざっと二十メートルはあるだろう。
落下すれば即死は免れぬ高さに体を預けようとする少女を、誰も引きとめようとしない。身を乗り出し、片手だけで体を支える少女が振り返って、
「とにかく、上の階に“風”をいるだけ送り込め! 足止めして袋にしちまえば恐くねーよ。あたしは一足先に、鍵の場所に向かう!」
指示に背後の面々が頷くのも確認せず、少女はその身を窓枠から外に向かって――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
彼が到着した時、すでにその場所はもぬけの空だった。
扉のすぐ近くに意識を失った警備が倒れているが、よもやこれが目的ではないだろう。
「すでに移動させられたか? 少し寄り道が過ぎたかもしれねぇな……」
狭い室内に隠れる場所がないのを確認し、寝ている男に蹴りを入れてから部屋を出て、
「ちょこまかと手こずらせんじゃねーよ。お父様の留守中を狙いやがって……」
螺旋階段を上ってくる、小さな人影と鉢合わせた。
槍を片手に憤怒で瞳を吊り上げるのは、まだ幼さの残る小柄な少女だった。
「窓がねーからここまで苦労したぜ。ともかく、鍵は盗み出させねーよ」
「お前の言ってるのと俺の目的が一緒かわからねぇが、鳥篭の小鳥は逃げた後みたいだぞ」
「んだと!?」
血相を変え、駆け上がる少女に部屋が見えるように壁に寄る。言葉の真偽を確かめた少女は驚きと微かな怯えに顔を強張らせ、すぐに柳眉を逆立てた。
「……この領地で、お父様に逆らおうなんて馬鹿げてる。とっとと鍵を返して投降しろ。そーすりゃ、苦しまねーよーに殺してやるから」
「気乗りのしないお誘いだ。そんなんじゃ口説けねぇよ、特に俺は」
「ほざけよ。“風”が集まってくりゃ逃げ場はねー。優しいあたしの言うこと聞いた方が賢いんじゃねーの」
「持ってないもん返せって言われても、返せねぇからな。端からお前の要求にゃ答えられねぇんだわ、俺。……それによ」
言葉を切って、手にした棒状のものを一閃――男の真横の壁が粉砕され、青空が覗いた。
圧倒的な破壊行為と、降りかかる粉塵に少女が手を翳したのと同時、
「ぺらぺらと余計なこと喋りすぎだよ、お嬢ちゃん。そんなんじゃ敵に利するだけだぜ。今回は俺とかな」
「てめ……ッ!」
壁に空いた穴を恐れることなく、背を倒して吸い込まれるように塔の外へ。
強風が耳朶を叩き、浮遊感と同時に一面の青空が眼前に雄大に広がった。
「やれやれ……飛んでった小鳥探しというわけだ。骨の折れることじゃねぇか」
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幾つもの偶然が重なり合って生まれた好機が、目の前に転がっていた。
城内が先ほどから騒がしく、多数いるはずの警備のほとんどが持ち場から離れていたこと。
いつもの見張り役も持ち場を離れ、残された見張りは今日が仕事始めだったこと。
きつくて嫌っている手枷をいつものように外し、扉近くに放置してくつろいでいたこと。
覗き窓から覗いた見張りが、拘束なしでいることに動揺して踏み込んできたこと。
扉近くに放置されていた手枷に転び、扉の角に強かに後頭部を打ちつけて昏倒したこと。
「……どうしよっかな」
一つか二つの重なりなら、この好機が生まれて悩むこともなかった。
しかし、結果として全ては重なり、チャンスは目の前で無防備に口を開けている。
「はてさて」
抑揚のない声色で呟き、視線を狭い部屋唯一の窓に向ける。
鉄格子付きの四角い青空を、小さな影が連なって横切っていくところだった。
今しがた青空を行き交ったのは鳥の群れだろうか。
運ばれてくる食事のパン屑を取っておいて、自由気ままな彼らに一時の休息を提供し、変わりに手の届かない外の世界を微かに体感させてもらう大切な友人達だった。
――最後の偶然は、その彼らがこの瞬間に窓の外を横切ったことだ。
「……そうしよっかな」
ぼんやりとしていた瞳に、弱々しいながらも初めて意思の輝きが色づいた。
晴天の空から扉に向いた瞳には、虚ろな輝きはすでに灯っていない。
誘うように開かれた扉に向かって、一歩ずつ歩き出していく。
――外の世界に向かって、一歩ずつ。