第9話 大混乱
翌日のテレビは「轍」一色だった。
前日にも、F美術館で突然「轍」の公開が中止されたことは報道されていたが、
そこまで大きな注目を集めた訳ではなかった。
別に「モナリザ」の公開が中止されたのではなく、
最近少し話題の絵の公開が中止になっただけなのだから。
ところが今度はそうは行かない。
なんと、理由の説明も無く突然公開中止となった「轍」が、
その翌日の早朝に、F美術館の門の前にポンと置かれていたのだ。
それを見つけたガードマンは慌てて館長に連絡したのだが、
館長が駆けつけるより早く、何故かマスコミが駆けつけ、あたり一面騒然となった。
リポーターはしきりに「昨日、公開中止となった絵が、突然美術館の前に姿を現しました!」と、
カメラに向かって叫んでいる。
館長は大慌てで絵を館内に持ち込み、展示し、
テレビを見てやってきた大勢の客、というより、野次馬を館内へ入れた。
もちろん入館料を取ることは忘れない。
そしてマスコミに対し、実は噂通り絵が盗まれていたため展示ができなかったこと、
それが何故か今朝突然戻って来たことをしどろもどろになりながら説明した。
そんな激動の午前を過ごした館長が、フラフラになりながら館長室へ戻ってきたのは、
もう昼過ぎのことだった。
「全く!何がどうなっているんだ!」
大きな革張りの椅子に、強引に身体を押し込めながら愚痴を漏らす。
椅子の悲鳴など、耳に入りもしない。
テレビに目をやると、青い顔をした自分の画と、
美術館で「轍」を見たばかりらしい自称・評論家が「素晴らしかった!」と興奮している画が、
交互に流されていた。
しかもそれだけでは間が持たないのか、
ご丁寧に前の持ち主である資産家のインタビューまで撮りつけ、報道している。
こんなことをした奴は、一体どこのどいつだ!?
見つけたら、ただじゃおかないぞ!
それに・・・
館長は右手で顎の下をなでた。
絵を発見したガードマンは、
「自分は館長にしかご連絡していません!」と、言っていた。
どうやらマスコミには匿名でタレ込みがあったようなのだ。
誰が何のためにそんなことをしたんだ?
絵を門の前に置いた奴が、自分でマスコミに話したのか?
どうして?単に目立ちたかったのか?
・・・いや、今はそれどころじゃない。
館長は部屋を出ると、大きな身体を精一杯小さくし、目立たないように駐車場へと向かった。
館長が自分で運転する車は、京都市内を抜け、山へと向かった。
秋には紅葉で知られる有名な山だが、
今の寒い季節は比較的ひっそりしている。
特に、館長の車が止まったロッジ風の別荘の周りは、
しんとしていてまるでひとけがない。
館長は急いで車を降り、鍵を使って別荘の中へ入った。
そしてリビングへと続く廊下の途中にある扉を開けると、下へ伸びる階段が現れた。
地下のワインセラーへ下りるための階段だ。
館長はそれをドスドスと下る。
一段下りるごとに空気が冷たくなっていったが、館長は汗をかいてた。
まさか・・・まさか・・・いや、そんなはずは・・・
階段を下りきり、洞窟型のワインセラーの中をつっきる。
このワインセラーは別荘を建てる時に一緒に造ったものだが、
特にワインの趣味があった訳ではない。
流行に乗って造ってみただけだ。
お陰で沢山の棚の上にあるのは数本の安いワインだけ。
そんなワインセラーの一番奥で館長は足を止めた。
目の前には、白い布がかけられた四角い物が壁に立てかけられている。
館長はその白い布をそっとめくり、中を確認した。
・・・ある!どういうことだ!?
その時、突然後ろから声がした。
「おー。立派なワインセラーだな。でもここは、絵を置いとく場所じゃないぞ」
「!?」
館長が驚いて振り向くと、そこには3人の男と1人の少女が立っていた。
今自分に声をかけたのは、一番前に立っている若い男らしい。
が、この男。どこかで見たことがあるような・・・
その男が言葉を続けた。
「勝手に入ってきて悪かったな。後をつけさせてもらったぜ」
「な、なんだ、お前達は!?」
「うーん。探偵と警察、ってとこかな」
後ろの男が、ズボンのポケットから警察手帳を取り出しチラッと見せた。
ラフな格好をしているが、どうやら本物の警察らしい、ということは、館長にもわかった。
館長は真っ青になったが、何とか虚勢を張る。
「だから、なんだ!私は何もしていないぞ!!」
「まだしてない、ってだけだろ」
一番前の男・・・もちろん、和彦である・・・が、
館長の後ろにある物を、顎でしゃくった。
「それが本物の『轍』なんだろ?」
「!!!」
館長は後ろの物を隠すように身体の位置をずらしたが、
山崎がそれを押し退け、白い布を一気にめくった。
とたんに、本物の「轍」と思しき絵が現れる。
ただ、ワインセラーの中は暗い。
山崎は絵の前にかがみこみ、絵をじっと見つめ始めた。
「和彦さん、どういうことなんですか?」
寿々菜が和彦に訊ねる。
「簡単なことさ。この館長さんとやらは、『轍』に保険をかけてたんだ」
「保険?生命保険みたいなものですか?」
「まあそうだけど、どっちかってゆーと、家財保険に近いかな。
絵が盗まれたり傷つけられたりした時に、金がおりる保険ってのがあるんだよ」
「へえ・・・」
人間の私でさえ、保険なんて入ってないのに!
変なところで絵に対抗意識を燃やす寿々菜である。
「こいつは、その保険金を手に入れるために『轍』を盗まれたことにしたかったんだ。
でも、絵の持ち主である自分が『盗まれた!』と騒いでも保険会社は疑って金を出さないかもしれない。
だから理由を言わずに『轍』の公開を突然中止して、一方で『盗まれたらしい』という噂を流す。
その噂が広まってから保険会社に盗難の申請をすれば、受理されやすくなるからな」
「なるほど」
武上が頷く。
「保険金を受け取って、更に絵を裏ルートで売れば、二重の儲けになる」
「ああ。長い目で見れば、絵を美術館に展示して入館料で儲ける方が得だろうが、
どうせ女かギャンブルで急に金が必要になったんだろ」
館長は考えていたことを全てズバリと言い当てられ、青くなったまま何も言わない。
しかし、館長を更に青くさせる一言が、絵を見ていた山崎により発せられた。
「和彦さん」
「ん?」
「この絵、偽物です」