プロローグ
名門魔法学校『キャッスルスター学園』
高くそびえる尖塔と、幾重にも連なる回廊。それはまるでひとつの城塞都市のようだった。
生徒の多くは貴人であり、中には各国の王族までもが通うという。
莫大な寄付金が注がれた学園は、外観だけでなく内部まで絢爛豪華。煌びやかなシャンデリアが輝く食堂、魔法書が積み上がる大図書館、さらには魔獣専用の厩舎まである。
そして、その敷地の中心に位置するのが、キャッスルスター学園の名物とも言われる――薔薇庭園だった。
朝露に濡れた無数のバラが、風に揺れながら甘い香りを漂わせている。
その中心の石畳の小径で、二人の影が向かい合っていた。
一人は背筋をぴんと伸ばした令嬢。
柔らかなピンク色の髪は陽の光を受けてほのかに輝き、まるで一輪の薔薇のように、気品と愛らしさを兼ね備えていた。
もう一人は、冷たい青の光を帯びた黒髪の青年。
彼の髪は風に揺れるたびに宝石のような光を跳ね返し、整った顔立ちと相まい、どこか人間離れした神秘性すら漂わせていた。
まるで甘いロマンス小説の一場面のように、完全に調和した美と静寂の空間。
「ヴィンス! 私のこと好きになりましたかーーー?!」
しかし、そんな完璧な舞台をぶち壊すかのように令嬢は叫んだ。
「いいや」
令息――ヴィンセントは表情を一切崩すことなく即答する。
「で、でも! ちょっとは可愛いと思ったでしょ? ほら見てください、このバレッタを! 可愛い私にピッタリだと思いませんか?」
ふわりと揺れるピンク色の髪をハーフアップに纏めたベロア生地のリボンのバレッタを指差し、にこりと笑ってみせた。
「さあ」
(さあ? この男、さあって言ったの? こんっなにも可愛い私を見て? 私、今日は百点満点の仕上がりなのよ? まぁいつも百点満点だけど……!)
じりじりと距離を詰めるように上目遣いで視線を送ると、ヴィンセントは小さく溜息を吐き、肩をすくめた。
「……まあでも、必死に嘘をつく君は可愛げがあるかな」
ヴィンセントはニヤリと笑みを浮かべると、真っ直ぐに私の目を見たまま告げた。
「う、うそですか……?」
ふいに落とされた一言に、思わずまばたきを忘れるほど動揺してしまう。一気に顔が青ざめる感覚までした。
「ああ、そうさ」
静かで、底の見えない声。
一歩、また一歩と、ヴィンセントはこちらに向かって歩いてくる。
気づけば、あと数十センチの距離。ほんの少し手を伸ばせば簡単に触れられるほど近い。
「僕のことが好きだって、必死に嘘をつくところ」
その言葉に、喉がひゅっと鳴った。
ヴィンセントの口元が、ほんの少しだけ持ち上がる。
その悪戯気な笑みに、心臓がドクンドクンと高鳴った。
まるで、自分の嘘がその笑みに照らし出されていくようで……。
「……あ、あはは~! そんなまさか、私は本当にあなたのことが好きですよ? ヴィンス♡」
作り笑いを浮かべながら、咄嗟に言葉を繕う。
しかし、自分でもわかるくらいに声が震えてしまっていた。
(その全てを見透かしたような、私を小馬鹿にしたような顔は何?)
「ならば証明してください」
甘く囁くような声。けれど、その瞳は試すように鋭い。
視線を外そうとしたけれど、まるで捕えられたかのように動けなかった。
「……証明ですか?」
なんとか声を出すと、自分の喉がひどく乾いていることに気づく。
ぎこちなく言葉を返す私に、彼はすぐ頷いた。
「ああ」
低く、静かな声。なのに、どうしてこんなにも心臓に響くのか。
「ど、どうやって?」
ごくりと喉を鳴らしながら問うと、彼はほんのわずかに目を細めた。
その仕草すらどこか優雅で、憎たらしいほど絵になっている。
私の問いかけに、「そうだな……」と暫し考え込む素振りを見せた後、彼は口を開いた。
「キスでもしてみる?」
「へっ?」
予想もしていなかった提案に、変な声が零れた。
「証明するんだろう? 本当に僕のことが好きだって」
軽く言い放つその顔には、明らかに愉快そうな色が浮かんでいた。
(この男、完全に面白がっている……!)
「で、ですがそういうのは段階というものが……」
「段階? 僕たちは婚約者だし、段階なんて関係ないだろ?」
「そ、それは!」
また一歩。
距離が詰まるたびに息が詰まっていく。視界が、彼の顔だけで埋め尽くされる。彫刻みたいに整ったその顔が、近い。近すぎる。
「ほら、どうぞ」
「あ、いや、だからっ」
ぐいっと手を取られた瞬間、頭の中が真っ白になる。
びくっと肩が跳ねた。彼の手はあたたかくて、少しだけ力強い。拒む隙を与えないまま静かに迫る。
睫毛の長さも、薄く笑む口元も、すべてが視界に焼き付くほどの至近距離。
(私、本当にキスしちゃうの? この男と今、キスを……)
覚悟を決めて目を閉じる。
瞼の裏で、鼓動の音だけが大きく響いていた。
……が、
顔のすぐ前から、くすくすと笑う声が降ってきた。
「ははっ、ほんと、ソフィアはバカで可愛いね?」
目を開けると、そこにはニコニコと楽しそうに笑うヴィンセントの顔があった。
「な、な、なっ……!」
声が少し上ずったのが、悔しい。顔が熱い。耳まで真っ赤な気がする。
私が手のひらで転がしてやろうと思っていたのに……どうして、どうして私が転がされているのよ!!
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