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第七章 この大地に永遠の

 ラスト・ライブの記録は遺されていない。


 まあやを連れて行かなかったから記録する者がいなかったのだという説が一般に言われるが、それだけでは納得し難い。

 録音や録画ぐらい誰にでも出来る。


 公園のあちこちに昼間のうちから、密かにミキサーを運んだり、照明を葉に隠すように木に掛けたり、噴水そのものが光の柱に見えるほど噴水盤のふちにたくさんのライトを固定したり、噴水の土台の周囲に植え込みに隠しながら、巧みに設置することができたのだから、録音や録画の用意など、十分できたはずである。

 しかもvvwは活動期間や演奏回数の割には尋常ではない数の音や映像が遺されている。

 ラスト・ライブに限ってそれらが遺っていないのは異常な事態であるとも言える。


 スタジオでの作曲や演奏の成果であり、入念に事前準備されたラスト・ライブの撮影や録音にまったく執著していないのは、なぜか。少なくともイタルは強く執著しても良いはずであった。

 彼にはラストであることがはっきりわかっていたからだ。

 それともそうではなかったのか。実はそうなのかもしれない。

 いまとなっては誰にもわからないし、わかりようもない。

 だが、ラスト・ライブがどのようであったかを想像することは関係者以外の人間においても不可能ではない。


 まず普蕭や叭羅蜜斗や真兮らがネット上に書き込んで言及し、イタルについて論じているため、演奏した曲名が公になっているからである。曲名さえわかればその曲の動画は簡単に検索できる。

 動画の多くはイタルが退学となり、他三人が停学となってその後そのまま夏休みに突入した期間、三人が普蕭の家のスタジオに寝泊まりしながら籠もり、作曲編曲と録音録画に明け暮れていた時期のものだ。

 その功績の多くはまあやにあると言っていいだろう。


 彼女は百数十時間の動画を録画した。そのために夏休みをすべて捧げた。だがそれによって偉大な記録のすべてが現存し、すべてがネット上にアップされ、多くの人にコピーされ、トータルでどれくらい閲覧されているか確認のしようもない、という慶事となったのである。


 特にラスト・ライブで演奏された三曲については同じ曲のスタジオ録音版が遺されていて、それがネット上にアップされているので、様々な人が自分のブログにリンクさせたり、コピーして再アップしたりするので、ほかのvvwの曲に比べ、圧倒的に多く遺されている。すなわち誰でもいつでもどこでも簡単に検索し、閲覧することができるのである。

 たとえば通勤や通学の電車の中や昼休みや移動中やトイレの中でも、スマートフォンなどで即座に見ることができるのだ。

 見ながら普蕭らの記述を読めばラスト・ライブの様子が朧気ながらも、容易に空想できるだろう。

 実際、その二次的な体験からラスト・ライブを論じる者も多い。それはイタルの行動、その最期についても及び、様々な哲学的な議論が湧き起こった。映像資料が多い中、ラスト・ライブの資料がないことも諸説を生んだ事象の一つだ。

 いずれも正解などわかりようもない。

 ただ、それらの映像や友人らの記録・言及を見ると、vvwが、特にイタルが作曲や楽曲作り、演奏というものに異常な執著を見せて寝食も忘れていたことが窺える。

 一つのアイデアや楽曲をいくつもの(大して差異のないものも多かったが)パターンで作った。

 また、音楽の法則を無視した途方もないアレンジ(しかしさほど斬新でもアヴァンギャルドでもなかったが)基礎知識もないのに分数コードをいくつも作ってはそれらを組み合わせることに没頭した。

 あるいは、普蕭の家のスタジオに置いていたMTR(マルチトラック・レコーダーMulti Track Recorder)や、DAW(デジタル・オーディオ・ワークステーションDigital Audio Workstation)を使って録音やミキシングを行い、音声トラックのバランスや音質や定位(ステレオ・サウンドの空間的な配置)を様々に変えた。

 また、多重録音やサンプリングや昔風の逆回転録音や様々な音楽以外の音をコラージュのように貼り合わるなどなど、ライブでは再現演奏不能な曲をいくつも創った。

 食事も摂らず睡眠も取らぬときも頻繁で、妄執ぶりは尋常ではなかった、という記述が大袈裟ではないことを彷彿とさせる内容だ。

 囚われない展開、メロディ、演奏法。新しい音色。リアルでヴィヴィッドなインパクトのあるサウンド。くっきり存在性のある音。


「人は結局、リアルさを求めているのさ。

 それは新しい刺激に多々ある」

 イタルはそう言っていたという。

 後に普蕭は語った。

「彼は美しい曲を嫌っていた。

 ピカソが〝美は脅し文句に過ぎない″という言葉を残しているそうだが、彼はそれを好んでいた。メロディアスな曲やラブソングを唾棄すべきものと考えていた。潤いのある曲を邪道だと考えていた。

 イタルが好きだったのは即物的な、物質感のある音だ。彼は書くときはよく音触と書いていた。手で触れられるような存在である音色のことだ。 

 情緒のない、非情で無慈悲な音質、ドライな音。ただくっきりとした、晰らかで鮮烈な、―〝存在〟という考概における定義の本質的真髄をなす実存的な基礎(イタル自身の言葉だ)―のような音。

『The Full Metal Cool』という曲があってイタルはそれを完成しなかったのだが、異常な執著を見せていた。サウンド・コラージュで、リズムもメロディもなく、音楽らしい音楽のない曲だったが、その無味乾燥さに凄く執念を抱いて取り組んでいた。

 最初は工場や工事現場の音や、都市部の騒音などを熱心に集めてコラージュしていたが、何十年も前にアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンEinstürzende Neubautenなどのインダストリアル・ミュージックやノイズ・ミュージックがあったことを知ると、もっとドライな非情な音質を創作して組み上げるようになっていったんだ」

 彼が(正確に言えば彼らが)サウンド・コラージュと呼ぶものはいわゆるミュジーック・コンクレート musique concrèteのことで、人の声や街の騒音や自然の音や電子音等々を録音し、加工再構成して創る音楽のことだ。様々な音を貼り合わせることから彼らの間ではコラージュで通用するようになってしまったらしく、いわゆる音楽のコラージュ(音楽の引用)とも別物だ。

 ハードな曲、金属的な無機質なサウンドが多い中、まったく異なる曲が一曲だけある。その思い出を〆裂が語ってくれたことがあった。

 ピアノみたいな雨の降る日だったという。


「俺がスタジオに行くと相変わらずイタルがいた。

 他の連中はそのときはいなかった。家に帰っていたんだろうな。普通の人間は眠ったり、飯を食ったりしなくちゃいけないからな。あいつは」

 〆裂は欣然(ごんねん)()んだ。

「まるで怨霊みたいだったよ。創り出す音はますます狂気に走っていた。

 たとえば『Rebellion that rebels against rebellion』だ。暗黒的だ。

 曲としては平凡なデスメタルDeath Metal系だったが、イタルのヴォーカルの速度と言うか疾走感、失喪感とも言うべき常軌を逸した性急な歌いっぷり、狂滅的な焦燥性による自殺行為(これはイタル自身の言葉だ)、自己暴動的な無意味さ、無為徒労で無味乾燥な感覚、もう正気の沙汰じゃなかったぜ。あいつの好きな言葉で言えばまさに『犬死に』だった。

 しかも狂犬病のね」

 〆裂は遠い眸をした。

「そんなあいつがあの日に限っては違っていた。

 そう、雨の日だったんだ」


 スタジオの隅にイタルはギターを抱えて爪弾きながら、しゃがんでいた。

「スローな曲だった。

 呟くように歌っていてね。lyricはよく聴き取れなかったが、まるで讃美歌のような曲だった。不思議な気持ちになったよ。あいつそんな曲を作るなんてね。俺は黙って見ていた。あいつは何度か繰り返していた。

 見ているうちにAm、F、G、AmとAm、F、G、C、E、Fの繰り返しだってことがわかった。

 サビ(正確に言えば〝触り〟と言うべきもの。盛り上がるところ。本来は浄瑠璃の口説き、歌謡的な部分のことで、聴かせどころの意)らしきところがF、G、C、Eだってことがすぐにわかったよ。

 つまりそれは『この大地に永遠の平和を』だったんだ」


「なぜイタルはあの曲を作ったのでしょう。彼は何か話していましたか」

「いや。

 何も言わない。たぶん、反対の反対は賛成、みたいなことじゃないのかな」

 叭羅蜜斗はそれについてこう言った、

「奴は囚われてないからな。心の赴くままに作っていただけなんだ。

 雲みたいにかたちのないものだったんだよ。センチメンタルな気分になればセンチメンタルな曲を作るのさ」

 しかし普蕭の意見は違っていた。

「センチじゃないよ。断じて違う。人道的な曲だ。正義の歌だ。見てくれ」

 彼はそう言うと、プリントされたlyricの上にコードを鉛筆書きで振ったしわくちゃの紙を出してきた。



 Am  F   G   Am

 ただ 欲しいものは 一つ

 Am    F     G     CEF  

 あたりまえな 暮らしの ある世界

     G             C    E 

 たとえば目の前で 家族を虐殺されて

  F           G       C    Am

 泣きまどうこどもたちの いない世界



 Am  F   G    Am

 いま 祈る 言葉は 一つ

 Am   F    G   CEF

 この 大地に 永遠の 平和を

     G         C    E  

 たとえ虚しい 夢で あっても

  F     G    C      Am

 他にどんなマシな 生き方がある



 F    G    C   E

 この 大地に 永遠の 平和を

 F             G    C     Am

 二度と終わることのない 平和を



 (間奏)



 F   G  C   E

 平和 平和 平和が 欲しい

 F    G     C          Am

 本当の人間の 世界を

 


 普蕭は強い眼差しで私を見据え、こう言った。

「これは正統なる眞神の精神だ。古来、言われ続けている、〝義しきと(おも)うを爲せ〟をまっとうしている。そして反体制のメッセージがある。ほら」

 彼はもう一枚の紙を出した。なぜ二枚に分かれているのか、聞き忘れか、もしくは憶えていない。たぶんただA4判1枚に収まらなかっただけだろう。はっきり思い出せないが、A4一枚にきっちり書き込んだ上で、次葉に続いていた、ように記憶しているからだ・・・・・

「このlyricの続きを見れば明らかだろう。彼の頭の中に具体的ないくつかの国名があったに違いないと僕は確信する。たとえば、ソマリアやウガンダ、シエラレオネや南スーダン、コンゴ(民主共和国)なんかのアフリカ大陸のいくつかの国だ。イタルはそれらの国を念頭に置いていたと思う。ま、僕の個人的な見解だけどね。

 彼はかつてこう言っていた。


〝何を歌おうが現実は変えられない。現実って何だ? いったい何だ? 答がない。

 ただ『ある』だけだ。

 草が枯れて折れるように何百万もの人間が惨たらしく殺戮されていく。それを神が与えた試練だという奴もいるが、無理があるだろう。いささか度が過ぎているからだ。

 どう考えても事実は説明がつかない。自然の摂理があるだけだ。物的法則の世界だ。ただし、すべてが自然のあるべき営みや摂理であるとしても、それに刃向い闘うこともまた自然の営みの一つだし、摂理なんだぜ。

 だが、どっちにしろ、くだらねえ。

 屁理屈より、おれが感情の真の(しん)なる奥の眞奥からそうしたいって思うンなら、それが爲すべき義しいことなんだ。問いただしても意味がない。問いただすことが正しいかどうかすらわからねえんだからな。ふ。そう思うぜ ″


 ってね」



 Am         F   G      Am

 ごらん あの泣く子たちに どんな罪があったの?

 Am         F   G      CE  F

 教えて あの子たちなら  どんな罪が犯せたろうか?

   G    C  E

 この怒りと この哀しみを

  F       G    C  Am

 すべての愚かな 権力者たちへ

 


 この 大地に 永遠の 平和を

 二度と終わることのない 平和を


 

 平和 平和 平和が欲しい

 本当の人間の 世界を


 

 F    G   C   E

 この 大地に 永遠の 平和を

 F   G   C  C

  真実の 世界を

 F    G     C  C

  本当の人間の 世界を

 F      G  C  Am

  哀しみのない世界を




 この曲を聴くと哀しくなる。

 白鳥の歌に聞こえるからだ。イタルが死んだという事実を知っているから感傷的な思い込みがあるのだろう。

 感覚などというものは二つ以上の要因が慌ただしく刹那だけ接触して偶然に生じた、いわゆる現象というものに過ぎず、まったく当てにはならないものだ。


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