第六章 予兆を孕む
神中洲のMacに集合した。来る途中すべての人間が驚愕と嫌悪と畏怖と蔑みで顔を顰め、呆れたようにイタルを眺めた。
「やってくれたぜ。このクズ野郎。もう怒る気にもなんねー」
叭羅蜜斗がアイスコーヒーのストロー咥えながら言うとイタルは、
「つまんねーな。パンク野郎ってのはな、いつでも怒ってるモンだぜ」
「へっ」
鼻先で嘲笑う叭羅蜜斗。路を歩いていても店内にいても、誰もがイタルを振り返り、誰もが瞠目し、それから眼を合わせないよう凝視した。ヤンキーどもも絡み方がわからないようだった。
「どこでそんなもの彫ったんだ」
〆裂が面白そうに訊く。
「知り合いさ。おれには芸術家の知り合いが多いのさ」
「確かに腕は良いみたいだ。凄く美事だ」
普蕭は思わず頷く。
イタルは面倒臭そうに言う、
「ンなことよりか、次のライブをしようぜ」
「メジャーになりたくないんじゃなかったのか? て言うか、オレたちを出すところなんぞ、この辺りじゃもうないぜ」
「別にメジャーだっていいさ。一々気にしなくていいぜ。燃え尽きたいんだ。Very Very Well-doneにな。世間なんざかんけーねー」
〆裂が腕を組んだ。
「路上ライブってことか。
まあ、誰も見てない山ん中でもいいけどな、俺は」
イタルが頷く。
「どっちでもいい。オーディエンスなんて糞だ。いてもいなくてもいい。おれは勝手に燃えて、勝手に燃え尽きるだけさ。彗星みたいなもんだ。
ふ」
「とりあえず公園でやろうか。薙久簑町の中央公園辺りでどうかな。
山の中ってのは最後の最後にしよう」
普蕭がそう言うとイタルは、
「おれもそれは最後に取って置くつもりだ」
と、ぞっとするような微笑を浮かべて言った。今想えば、それは予兆であった。
「普蕭、叭羅蜜斗、〆裂、おれはもっとオリジナル曲を作っておきたい」
それは理に適っているように思えた。
四人は数週間、普蕭のスタジオで作曲に努め、その様子を寛太嘉やまあやが録画し、ネットにアップした。その頻度は次第に増えていったが、頻繁に来るのは兄ではなく、妹の方だった。
まあやは最初、怖がるような様子でイタルに近附こうとしなかった。
和彫りを顔面に施した形相は凄まじく、もし幼いこどもだったら、すぐに泣き出してしまいそうな強烈さだから、彼女が敬遠したとしても不思議ではない。
しかし兄は気附いていた。
妹の憧憬の眼差しに。
無感覚で、到底、恋愛感情などというものには縁のなさそうだった、蒼白く痩せ過ぎの彼女に、情炎のようなものを感じた。その眼はイタルに近附くすべてのものに嫉みと憎悪の暗鬱な黒い焰を上げた。
「兄ちゃん」
あるとき、まあやは切羽詰まったように言った。
「イタルを止めさせて」
「止めさせる? 何をだ? ライブか? それは、気持ちはわかるが無理だ。そうさ、兄ちゃんにはおまえの気持ちがわかっていたぞ。でも、イタルはああいう男で、それが彼の生命なんだ」
「違うよ。
兄ちゃんにはわかっていない」
「何の話だ?」
「イタルは、イタルはね、死んじゃうかもしれないんだよ」
「何言ってんだ。死ぬって、何だ、唐突に。莫迦なこと言ってるんじゃない。さあ、今日はもう帰るよ」
「ねえ、約束して。今度ライブするときは必ずあたしを呼んで。あたしに声をかけて。絶対あたしには知らせて! 絶対だからね、お願いよ!」
やがて夏休みになるとΨ龍臥堂(普蕭のスタジオ)を詣でる人間が増えた。
龍臥とは平衛隆臥が自分の名は龍臥の音読みから転じて隆臥となったのだと話したときに叭羅蜜斗が、ここもまさしく龍が天を狙って臥している場所だ、と言ってその名が決まった。Ψを附けたのは、単に文字の形が三叉戟やカップに似ていて気に入ったのと、プサイという読みが何となく面白かったからに過ぎない。
話の順序が逆になったが、集まったのは私立眞神高の同学年の仲間たちだった。どれもこれも眞神の旧家出身、この地ならではの濃い奇人変人揃い。天易真兮、天之哥舞伎、炎春慶、白舟大楽、そして先に名の出た平衛隆臥である。
寛太嘉が従兄弟の大楽を呼び、大楽が春慶と哥舞伎を誘い、その翌日、哥舞伎が隆臥と真兮に連絡した。
真兮は片眼鏡(モノクルmonocle)にサテン地のミリタリーコート(房飾りや飾り紐のある、欧州軍隊の礼服のようなもの)を着て魔法使いの尖り帽子を被った奇人、幼少時からニーチェ、ハイデガー、デリダなどの哲学を愛好する少年で度々イタルと議論し、lyricを練り上げる際に多くのインスパイアを与えた。また彼はミキシングに才能を見せる。
大楽がドラム、哥舞伎がヴォーカル、春慶がギターで彼らは✝真✝(REAL)というバンドを組んでいたので、vvwに協力し、多重録音せずとも複雑なアレンジをこなすことができるようになった。
哥舞伎はその名のとおりかぶきもの(傾奇者)で、長じては花魁の衣装をガウンのように羽織って街を闊歩する若者となる。彼の個性的なヴォーカルはイタルの狂熱のヴォーカルと絡んだときに摩訶不思議な相乗効果を齎らした。魔薬に痴れた邪教の狂躁秘祭のようであった。
そんなときは寛太嘉のパーカッションが異常に邪教的雰囲気を盛り上げた。『修羅の戯』という曲はそんなセッションの中で生まれた。イタルはこの曲のlyricを何度も書き換え、真兮と深夜まで議論する。
隆臥は一コ下で、特技は特になかったが、アコースティック・ギターで少し参加した。彼は彜佐早蕨という彼の一コ下の少年を連れて来た。
いつも洒落た格好の早蕨はPCやネットに詳しく、まあやを手伝い、彼が撮影を行った。隆臥はそれを手伝った。
ある日、唐突にイタルはライブの計画を練り始めた。大きな紙に薙久簑神中洲の中央公園の地図を精密に画き、そこに細かな書き込みを始めた。哥舞伎や大楽や炎たちと何度も打ち合わせた。
「おい、何てこった。意味わかんねー。
奴が来るぜ」
窓の外を見ていた叭羅蜜斗がそう唸った。
黒過ぎる漆黒の髪。全身が真っ黒な服装。眼窩はマスカラの厚塗り。
RZDの天之翳廊だ。陰々滅々とした昏く玄い異様なオーラは相変わらずだった。
イタルが進み出る。翳廊がかすれた声で、
「冥府の奥底から弔いに来てやったぜ、死人」
「ふ。
負け惜しみを言うためにわざわざ来たのか? まあ、あのコンペはおまえの勝ちだったが、肝心のライブハウスが使いもんにならなくなっちまったんだよな。
おれがぶっ壊して」
「BSは今週から営業してるぜ。
唔はどっちにしろ、あそこで演奏する気はさらさらない。いつか喰らい尽くしてやるよ、イタル」
「気紛れなクズ野郎だぜ。生きていても何の意味もない」
「おまえに言われれば光栄だ。ギネスに載れるぜ」
二組の双眸は強く赫めき燦めく。濃く鮮やかな炎のように。
「へ。
じきに葬ってやるさ。どうせ、おまえは生まれながら死んだ野郎だ。この世に永くは居られねー。」
「ふ。
間抜けな奴ってのは、どこまでも間抜けなもんだ。もう手遅れだぜ」
翳廊の眼がじっとイタルを見続けた。普蕭らには長い時間に感じられた。
空茫とした翳廊の眼に砂漠のような哀切が泛かんだように見えた。
「そうか。
仕方ないな」
彼は去った。イタルは冷たい微笑を浮かべた。
状況がよくないにもかかわらず、意外に多くのことが順調に進んでいるかのように思えるそんなときだ。
BSライブのユーチューブ動画が学校側に知られ、イタルは退学となり、〆裂、普蕭、叭羅蜜斗は一週間の停学処分となった。
「曲作りに集中できるぜ。
おまえらだって少し夏休みが早くなったようなもんだろ」
イタルはそう言って微笑した。
BS動画は少しずつ知られ始める。
生前は晒して揶揄し、叩きのネタにするためにコピーされたりリンクを貼られたりツイッターで拡散されたりしたが、彼の死後はイタルの存在が神格化・伝説化し、動画も聖者の奇蹟の記録のごとく崇め奉られ、終には襤褸くてちゃちで三流以下だった八木沼のライブハウスまでも聖地の一つとして詣でる者たちが現われ始めるようになるのであった。
中央公園の西側には狭い国道が走り、その南端に小さな電気室がある。一箇所だけ夏枯れした梢を払いつつ近附くと、小さな制御室が附属しているのがわかる。公園の南側にある大噴水盤の水をコントロールする仕組みになっていた。
扉に南京錠があったが、引っかかっているだけで鍵としてかかってはいない。
「好都合だね」
大型バイク二台に工具などを積んでやって来た大楽と哥舞伎は隠すように荷を降ろしてから制御室に入った。
「思ったとおりだよ。タイマーによる自動コントロールだ。本体は役場にあるけれど、現地での手動操作もできるようにこの端末機があるんだ・・・・」
哥舞伎が口をはさむ。
「要するに制御可能だってことだ。ある意味、気に食わないね。出来過ぎだよ。でも、まあ、いいさ。じゃ、ここを電源にしようぜ。ミキシングやライティングのために」
外に出て、さらに二人は気がついた。電気室近くの公園入口にある車埋め込み固定式ではない。簡単に手で外せた・・・・・・・哥舞伎が苦笑いする。
「へ、本当に出来過ぎだね。ま、公園メンテ作業用の車を入れやすくしているんだ、ってことにしとくか。裏口って言うか、家で言えば勝手口みたいな部分だから・・・・・・・」
夕方になると、隆臥と早蕨と炎がやって来た。
寛太嘉がハイラックスで運んで来たミキサーやライトなどの機材を人目につかないように降ろして運び、公園の南東の繁みの中に配置し、カモフラージュで隠す。東側は川で、草藪が多く隠すには都合がよかった。
五人は日が落ちてから慎重に照明のセッティングを始める。
侘びしい眞神の農村風景。
真緑の水田。風に戦ぐ。
鬱蒼とした杜。ぽつねんと小さな納屋がある。
普蕭は家から離れたそこに農作業道具などを運ぶ軽トラックが鍵附きで仕舞われているのを知っていた。7時頃はその辺はもう人影など出ようがない場所だ。イタル、普蕭、叭羅蜜斗、〆裂、寛太嘉の5人は荷物を積んだ。
それは凄絶な、彼らの最後のライブへと向かうためであった。
その数時間前、夕方独りで帰るまあやが誰も見ていないときにひしっとイタルの腕をつかんだ。
「イタル、あたし、帰るね」
「ああ」
「イタル」
「何だ」
「・・・ぅうん。何でもない」
「そうか」
「イタル、ねぇ」
「あ?」
「また明日ね。
必ずよ。
また明日」
イタルは微笑した。少し瞼を伏せる。そしてそんな自分を嘲るように、
「ああ。
わかってる。
必ず明日は来るさ」
「そうじゃなくって!」
「ああ、そうさ」
そう言ってからやや間を擱き、
「明日もおれたちは会えるぜ」
「約束だよ」
まあやはすかさずそう言った。
「わかった。
ふ。
まるでおれは死ぬみたいだな」
少女は俯いた。幼い唇を少し噛んだ。
イタルは皮肉な笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。
死んじまえばすべてがなくなる。すべてがなくなる、すらない」
「イタルっ!」
まあやはさらに何か言おうとしたが、
「まあや、早くしろ、準備は出来てるぞ」
兄の声だ。
駅まで送るためにハイラックスの運転席で待っていた。イタルが夕焼けを見ながら、
「寛太嘉が待ってるぜ。
早く行けよ」
まあやは一瞬息を強く吸い込んだが、背を向け兄のもとへ向かった。向かう途中、一度だけ振り返った。
「イタル、またね」
彼は鼻尖で冷笑しただけだった。
車に乗っている間中、兄は一言もしゃべらなかった。少女は不安を覚えた。名状し難い緊迫を感じたからだ。
「お兄ちゃん」
兄はその呼び掛けに応えなかった。
妹は黙って返事を待つ。
さてその晩、様々な機材を運び込み終える頃、イタルがそっと10リットル入りのポリタンクをいくつかそっと積んだ。
催眠術にでもかかっていたかのように不思議と誰も気にとめなかった。それは家を決意した若き釈迦が夜、秘かに王城を抜け出したことを誰も気がつかなかったという故事に似ている。