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第二章 Quadruple V(クヮドルプル・ヴィ)

 (あま)(ひら)普蕭(ふしょう)がイタルとつるむのは高校生になってからが初めてではない。

 二回目だった。

 最初は小学生のときだ。とても短い期間で、大人の眼から見ればほんの一瞬でしかない時間だ。

 十一歳であったそのとき、イタルがでたらめにブルース・ハープBlues Harpを吹きまくり(いま思えば、なぜ彼はホーナーHOHNER社の単音十穴ハーモニカ、ブルース・ハープBLUES HARPなんかを持っていたのだろう。それは小学校の授業で使うものではなかった。学校ではダイアトニック・ハーモニカdiatonic harmonicaが使われていた。しかしその頃、不思議に思わなかった)、普蕭は幼少から習っていたバイオリンを弾いた。

 曲はイタルが鼻歌で作った滅茶苦茶なもので、楽曲と言える代物ではなく、普蕭はその超々前衛的な曲に苦心して拍子や節をつけた。どういう経緯(いきさつ)でそんな役割分担になったのか、音楽を理解している普蕭の曲ではなく、でたらめで捨て置くべきイタルの『曲』をなぜ取り上げることとなったのか、まったく記憶がない。

 ともかく放課後、一週間だけ二人は熱心に練習した。いや、イタルは熱心ではなかった。熱心ではなかったが、小学生らしからぬ執著を示し、異様な、不気味な、暗鬱な情念を注いだ。

 であったにも拘らず、長く続かなかったのはイタルの気まぐれのせいである。

 以来しばらくは空白の期間だった。特に中学時代はまったく接触がなく、高校も一年の頃は顔を見たかどうかさえ定かではなかった。


 復活したのは二年の五月である。

 普蕭が学校の授業を終え、きれいに櫛の入った長髪で、制服のブレザーの下にミントグリーンのサテン地シャツとピンクと黄緑と紫と黄のペーズリーpaisley柄のシルク・タイをし、サイケデリックな雰囲気で、学校と同じく眞神村にある自宅の前を見向きもせずに通り過ぎて鉄道に乗り、薙久簑町の駅で降りて古本屋に行こうと、いつも横切る公園を考えもなく通ったときだった。

 どこからか、チューニングの狂ったギターをかき鳴らす音が聞こえる。あまりのひどさに足を止め、道を変え、近づいてしまった。

 いたのはイタルだ。しゃがみ込んでアコースティック・ギターを抱え、がなっていた。

 歌っているのかどうかすらわからない。


「ロバート・ジョンソンRobert Leroy Johnson(1911.5.8‐1938.8.16)」

 普蕭の問いに対し、それが答のすべてだと言わんばかりぶつりと独り言のようにイタルがつぶやいた。

 聞いたこともない、1930年代のアメリカ南部のブルース・ミュージシャンの名前。

「おまえにはわからないさ。

 わかるわけがない。ふ。そういうことさ。

 おまえにはロバート・ジョンソンは理解できない。おれ以外には理解できる人間などいない。誰にも理解できない」

 普蕭は戸惑いながらも言う、

「音が合っていないよ」

 正確に言うとそれ以前だ。相変わらず音楽というものを理解していない。ギターを取り上げ、調律した。

「これでいい」

 何となく安心した。

「へー。

 そんなことって、できるもんなんだ」

 イタルが無感動に感心する。普蕭から無造作に奪い取り、(つま)()く。

「ふ。

 味がなくなっちまったな」

 確かにそんな気もした。

「イタル、小学生の頃、憶えているか」

「どんなことだ?」

「僕がバイオリンを弾いた」

「ああ、憶えてるよ。

 おれはハープだった」


 そのときのサウンドはスマートフォンで撮影した動画でYouTubeにアップされ、イタルの死後、削除されたが、少数の人間がダウンロードしていて、そのデータがマニア垂涎の的となっている。

 追悼盤の『The Remastering of vvw』の冒頭にも収録されたその動画から垣間見られる彼らの最も初期のサウンドには、稚拙で音楽的に破綻しながらも、迸るイタルの剥き出しの特異性の萌芽が見られた。誰も教えていないのに、直感的にミュートやベンディングを行い、不思議な、即物的で、異教的な音質を尖らせ、音楽というよりは音による金属片コラージュのようであった。

 音に関する即物性へのこだわりを問われて彼はかつてこう応えたことがあったという。「おれの遺伝子の中にあったのさ。性癖なんだ」


 この公園での再会の時点で、普蕭は既に同級生らとバンドを作っていた。

 イデーンIdeen、それがバンド名だ。2ドラムス、ヴォーカル、ベース、2キーボード、3ギターの9人編成でプログレッシヴ・グランジともいうべきヘヴィー・サウンドのバンドだった。長い曲が多く、20分以上も続く曲もあった。サンプリングや打ち込みも多用し、民族楽器なども取り入れてレーコディングしたので、ライブでの演奏不可の曲も幾つかあった。


 普蕭はその中ではギタリストだった。

 中学校一年生から独学で始めたギターの技術が、中二の頃には超絶の早弾きができるほどになっていて、高校生になる頃にはイングヴェイマルムスティーンの演奏さえアコースティックで完全にコピーができる腕になっていた。薙久簑町神中洲のライブハウスのステージに数回立っただけだが、眞神郡では有名人であった。むろんバンド系の人たちだけにではあるが。


「時々思い出すぜ、最近な。

 あの頃は純粋でよかった。

 何も考えず、表現したいものを剥き出しで出していた。誰にもわからなくたって、かまわなかった」

 いまでもそうじゃないか・・・・普蕭は思ったが、言わなかった。気を遣ったのではない。イタルにとってはきっとそうなのだ。イタルでさえ大人になるんだ、と思っただけだった。

「僕もだ。

 よく考えるんだ。この頃は」

「へえ。おまえがねー」

「あるさ」

「どういうことを?」

「音楽が作れないんだ。作っても虚しいからだ。何をしていいか、わからない。何をしたって、何にもならない」

 彼はここ数カ月、曲を作りながら、曲をアレンジしながら、常に一心不乱に追究していた。「人はなぜ生きるのか」と。

 しかしその問いはかたちだけのものでしかなかった。問いが感覚にリアルじゃなかった。その方向性は合っているが、それが欲しいものズバリではないという感覚。問い自体が空疎であっては答などあるはずがない。

 フラストレーションは募る一方で、普蕭はどんなサウンドにも満足できなかった。真実が欲しい。

 バンドにも嫌気が差し、遂に昨日、言ったばかりであった。

「辞めるよ。

君らだけでやってくれ」

 普蕭の脱退はバンドの崩壊を意味した。それでも彼は辞めずにいられなかった。


「イタル、また一緒にやらないか?」

「ああ、いいぜ。

 おれもいまそう思っていたところだ」

 こうしてQuadrupleクヮドルプルVヴィは生誕したが、二人だけの時点ではまだバンド名がなかった。追い求めるものしか見ていなくて、体裁のことなどまったく気にしていなかったからだ。

 その名が決まるのは叭羅蜜斗(ぱらみと)の出現を待たなくてはならない。


 金髪の短いスパイキー・ヘア、接ぎをして袖を長くしたTシャツ、安全ピンのピアス、南京錠附の鎖ネックレス、気分は1977年、ジョニー・ロットンJohnny Rottenだ。

 彼は中学時代からパンクな不良だったが、県指定文化財の古刹、貞観正國寺の(せがれ)で、普蕭やイタルと同じ高校の同学年だった。

 最初は当時中学3年生だった()()()()()が作ったバンド、The Carrion Soldiers(死肉の戦士たち。CS)のベーシストになった。(ちなみに、非无呂もイタル同様に()()一族の人間で、幸い存命しているが、現在は活動も消息も不明である)

 当時中二だった叭羅蜜斗はパンキッシュな発言やスタイルで話題になっただけで、ほとんど音楽的な功績を残さないまま、わずか2か月で脱退、その後、高一になるまでバンドを転々とし、鴉の死骸(Corpse of a crow CC)に入って、バンドを演る高校生たちの間で再び話題に上るようになった。

 CCがアマチュア・パンク・バンドとして県内で名が知られていたからだ。

 しかし。

「地元での最後の戦い(ラスト・スタンド)だって」

 イデーンIdeenの春慶にそう言われた。 (ちなみに、イデーンも当時は解散状態で、春慶は新バンド結成を模索していた)

 叭羅蜜斗は何も知らされていなかった。その日の夜、彼は(なぎ)()()町の地下階にあるライブハウス、ブラウン・シュガーBrown Sugar、略称BSに行った。CCの最年少のベーシストは一人の客としてラスト・スタンドを見る。

 彼の中で怒りが滾った。


 叭羅蜜斗にはアーティストとしてのセンスが根底からなかった。アンサンブルも整わず、フレージングに個性もなく、恐らくはかつて聴いたロック・サウンドの中の、気に入ったフレーズ、もしくは気に入った音触に傾倒してそこから抜けられず、どの曲で弾いても同じ印象を与えることしかできなかった。

「東京進出に、叭羅蜜斗だけ置いて行かれるらしい。

 もう後任のベーシスとは決まってるんじゃないか」

 ライブ終了後、誰かがどこかでそう言っている気がした。叭羅蜜斗は楽屋に飛び込んだ。

「おまえはまだ二年も学校があんだろ。おれらは卒業だけどなー」

「そーだぜ、(どう)(げん)、おまえ、高校ぐらい卒業しろよ」

 叭羅蜜斗は眼を剥く。 

「うぜえや。ガッコなんざ、辞めてやんよ」

「高校ぐらい卒業しろや」

「ざけんなよ、オレぁ、パンク・ロッカーだぜ。辛気臭え意見言ってんじゃねー」

「あせるなよ、叭羅蜜斗。

 卒業してからおれたちを追って東京に来りゃいい」

「ベースなくてどうすんだよ」

「代わりを探すさ」

 そんなはずがない。

 東京に進出するってのに、ベースが決まっていないなんて。きっと既に……叭羅蜜斗はそう思った。



 バンド名の由来はVery Very well-done(非常によくなされた、とても入念に焼かれた)で、略してvvwだが、これをヴィ・ヴィ・ダヴリュとは読まずに、クヮドルプル・ヴィと呼ぶのは、wを二つのv(だからwはDoubleと称される)と見なし、vが4つあって、すなわち4倍、4重のv、QuadrupleクヮドルプルVヴィであるとするところによる。

 またwell-doneという言葉が肉を十分に焼くことであることから、叭羅蜜斗は『ジューシーさのないハードな、地獄の業火に焼かれたように乾涸びた』というニュアンスを勝手に附け加えてこれをバンドの名前にしたいと申し出たのであった。


 叭羅蜜斗を誘ったのは普蕭だ。

 ある夕、風神雷神というユニットとサージェント・ジョSergeant Joというバンドの演奏がBSであり、普蕭がそのパフォーマンスを見ていたからである。

 この日、叭羅蜜斗が風神雷神のベーシストとしてステージにいた。当時の彼は半年以上、バンドを転々としていて、既に自暴自棄の塊だった。イタルと組み合わせてみたい、普蕭にそう思わせた。

 幸い風神雷神でその日、ギターを弾いていた彝之〆裂(いれつ)は特定のバンドに属さない、自称「さすらいのギタリスト(笑)」で、普蕭らとセッションしたこともあり、また同じく眞神(まがみ)村の出身で小中も同じ、昔からの友人で、イタルの親戚でもあり、普蕭は〆裂に仲介を頼んだ。

 普蕭にとって叭羅蜜斗は畝邨(ほむら)村の出身者で接点も少なく、同じ眞神高校だが、言葉を交わしたことさえない存在だったからだ。


 叭羅蜜斗が怪訝な顔で、楽屋から出てきた。

「何でオレなんだ?」

 普蕭は笑って応えた。

「それだからさ」




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