プロローグ
全ては誇張的な夢である。寝静まる私が見るこれも、白昼を彩る青、緑、それらの温和な色彩でさえも、そう、現実でさえも。いずれにおいても、私はこの瞬く間に命を燃やし、煤となったあとにまた飛び立つ胡蝶であると…そんなことを、何度考えてきただろうか。そんな背景故に、私はこの疑問を放置したまま忘れ去ることができなかった。
太陽とはあのようなものだっただろうか?と。
エイハブの疑問は尽きない。五年前からずっと、変わらぬままだ。夕刻、無碍に広がる平原にて。立ち尽くす彼の目前にはガラガラと音を鳴らしながら進む馬車があり、今に遠くで沈みゆく太陽の光がその姿を逆光の下に隠す。その光は鮮烈かつ尊大な威光なれど、掌の中に収まるほど小さい。これに、この有様に、彼はひどく違和感を覚えるのである。貴方と私との距離はこうも遠かっただろうか?と。貴方はそうも大人しかったか?と。
その違和感への解答はすぐに得られた。得られた…と言うよりは知っていたが正しい。あの太陽は、色彩に乏しい灰被りの景色は、エイハブにここを夢の中だと伝えていた。夢とは、それが夢と自覚することが覚醒の鍵になる。そしてその時点で、意識は夢にあれども、認識を初め殆どの脳の機能は現実のものに戻っている。ここから出ていくか、もう暫く浸っているのか。私にはそれを選ぶことが出来、私は後者を選んだ。例えこれが既に見飽きた夢だとしても、あの太陽よりは、現実よりは幾分マシだった。まぁ、つまり違和感の正体は目覚めれば自ずとわかるということだ。
私は目前の景色に意識を向けた。知っている。馬車のように見えるあれは霊柩車だ。あれの中には人が二つ、棺が一つ、牽引する馬は二匹。あれには不審な点がふたつある。一に外見。あれを彩る緻密な凹凸の彫刻模様は見事なものだが、この地域では相応しくない。ファンテジア北陸では、死者の弔いとは質素である方が良いとされる。豪華な装飾や儀式をもって行うものではなく、慎ましやかに、余念の無い誠意と感謝をもって死者を弔うもの。それは高貴な立場の者の葬式ですら同じことである。故に、あの有り様はここでは決して有り得ない。二に馬車が向かっている方角。この夢の平原の南西にはケハイドという街があるはずである。私が現在も滞在している街だ。この街には、ファンテジア大陸の最北端に位置しているという特徴がある。つまりこれより北には小さな村落さえ無いはずなのだが、この霊柩車は一心不乱に北へ向かうのである。当然ながら墓地も教会もなく、車内に居る二人の人間は棺の中身をどこに持っていくのか、不明であり不可解なのだ。纏めると、周辺の住民ではない誰かが、人気のない所に向かって死体を運んでいるという事になる。これは順当に疑っていくなら死体遺棄か、霊柩車を使っているのは偽装と見るべきか、とするとこの地域での死者の扱いを勉強していないのは何故か、単に詰めが甘かったのか、あるいは手持ちがなかったのか、あるいはそれを気にしている時間が惜しかったのか…と、この夢における霊柩車に対しては疑問が尽きないのだ。夢とはもともと不可解なもの。支離滅裂であり、あらゆる原因と現象の帳尻が合わないことなど当たり前だ。今の私のように逐一理由を求めることの方が不可解と言える。そうだ。私は不可解だ。私こそ不可解だ。だがそれだけではない。霊柩車の、ひいてはこの夢の最も不可解なところは、理路整然とした現実的な感覚が付き纏うところにあった。夢の中にありながら、全てが現実的に見えるのである。不可解。不可解だ。あれもこれもどれもそれも、ああずっと、ずっと。
霊柩車はその後、平原を抜け、森林を進み、日もすっかり落ちた頃に海岸に出る。そしていつの間にか姿を消す。私は海岸までそれを追ったはいいが、その後の霊柩車の動きよりも、ずっと満天の星空を見ていた。観察対象である霊柩車よりも、その星空を見る方が大事だと、無意識にこちらを優先してしまったのだ。何故かはわかっている。それはこの景色が夢の中でしか見られないものだからだ。私はもう長く、夜を見ていない。
だがそれも長くは続かない。夢が徐々に加速していく。これは目覚めの合図だ。夢から覚めるまであと一分もあるまい。私はこの"明るくない"夜を後にして、崖のようになっている海岸から比較的斜面の緩いところを降りていき、海面から約5mほどの場所に空いた洞窟に入った。そこには、霊柩車の中にあった棺が安置されていた。霊柩車が置いていったものだろう。その棺は私の知るような形で人体が収納されているのなら、恐らく頭部があるだろう位置に、霊柩車と同じく凝った意匠の彫刻が施されていた。螺旋のような紋様に、側面には羽の生えたライオンのような生き物の彫刻……ヴェネツィア?
呆然と立つ私の頬を、冷え込んだ洞窟には不釣り合いな暖かいシーツが撫でる。どうやら時間らしい。結局、変わり映えもしないいつもの夢だった。期待していた訳でもないが。
意識が湧き上がる。景色にノイズが入る。私は立っていない。仰向けになってシーツの中で寝ていた。だが現実と夢の雑音が混じり、目を開けるその瞬間、今までの夢とは違うことが起こった。……音だ。それは棺の中から聞こえ………
「─────────。」
おい。
「どういう意味だそれは」
気付けば目を開けていて、ベッドから上体を起こしていた。頭の中ではなく、私はその言葉を部屋の中に響かせていた。
………?なんだったか?ああそう、いつも見るあの夢だ。霊柩車の夢。…目覚めても覚えているとは珍しい。しかし今の発言の意味は?…わからない。
わからない。知らない。思い出せない。思っていたものと著しく違う。常識と思っていたものが非常識。今に始まったことじゃない、5年前からだ。私はこんな自分をその時、確信をもってこう定義付けた。私は、狂ってしまっているのだと。
風がステンドガラスを揺らす音を聴く。閉め切られていたガラスとカーテンの隙間を縫って、僅かになだれ込んだ光が部屋全体を照らしている。反対側の壁の時計の秒針すらしっかりと視認出来るほどに。就寝したのは…夕方十七時頃か。心地よい気温だったので少し昼寝程度と考えていたというのにもう深夜二十三時とは…少し勿体ないことをした。
ああそうだ。違和感の答え合わせといこう。ちょうど、少し涼みたいところだ。私は家主を起こさないよう、可能な限り忍んで玄関の戸を開いた。この家はケハイドの街でも高所に位置し、周辺にほぼ人が住んでいない為に屋外の景色はよく開けていて見渡しが良い。よく夜空が見える。
見えた景色を確認して私は改めて夢の中の自分の感覚に納得がいった。違和感も当然のこと、いや本来、違和感どころではなく、それは天と地の主体の逆転の如く、有り得ない話なのだ。言うに及ばず、語るに足らない子供時代の懐かしき日に見た空想概念。あの夢の中で、数多ある疑問よりも星空ごときを優先してしまうこと、それもまた当然である。思えばあれが、最後の安らぎに満ちた空だった。
彼は、エイハブ・ジャックワードは頭を上に向けた。そうすると見える空には、おおよそ視界の縦軸半分あたりの位置に、微妙に内側へ婉曲した横線が引かれていて、それより上は全て淡い色で輝く薄黄蘗色が満たしていた。まだ足りない。楽な姿勢で動くだけではこれの全容を捉えることは叶わない。首と顎が直線になるまで見上げるのだ。
するとそこには、月があった。
それは私を、目視できない目で睨むように、コンサートホールに佇むパイプオルガン、サンクトペテルブルクに並び立つ巨大建築物たち、リスボンの大災のように!私に…何も口に入れていない私の喉を涙ぐむ程に圧迫するのだ!
婉曲した線などは月の円形の輪郭の一部に過ぎない。それはこれ以上首を上げられない程見上げても、なお全容を見せない程巨大な星で、本来そこにあるはずの暗闇と星空の代わりに存在した。私はまるでこれを何か異常なもののように語る節がある。いやその実、何もおかしなところなどない。これは正真正銘、紛れもなくただの月だ。
これは遥か昔のことだと人々は言う。月と太陽は、その昔無限にも思えるほど遠い場所にあった。しかしそれほど遠くに在りながら鮮烈に輝く光に、淡く夜に染み渡る光に人々は助けられ、そして畏敬の念をもって接していたと。そう、昔話のように言うのだ。
私は戸を離れ、目前の道に沿って少し歩いた。私が住まわせてもらっている家から20m程度離れた家の前まで進む。そこは無人の家である。私は依然にここの家主であった人と交流があった。彼も以前私にそういう昔話を語った。
ある時ある子が問うた。お日様もお月様も、どこから来てどこに行ってしまうのか、などと。その子の母も町の人々もその問いに答えることが出来なかった。当時はまだ誰も答えを持ち合わせていなかった為だが、その答えは間もなく、その子が老衰した頃に唐突に得られた。それが3年前の話。 極東の大地、最果ての国シュンガンと呼ばれる地よりさらに東の、人が確認できる大地の果てを太陽が突き破って現れた。その情報は数ヶ月かけて世界に浸透してゆき、知り得た者から順にかの少年への答えと、世界が間もなくどうなるかというと新しい問いに対する解答を知ったのだ。我々は月と太陽に敬意と信仰をもっていた。あれらは我々を助けてくれていると思っていた。善き隣人だと思っていた。だが奴らにはそんな気を起こしたことなど一度だってなかった!奴らはただ我々の土地を食い物にし!我らが滅亡する時を待っていたのだ!そう彼が絶叫していたことが記憶に新しい。太陽と共に間もなく月が極西の島を丸ごと吹き飛ばした。翌日、イフェア島、エングィピークトライアングル消滅。四週間後、バラケユア国、グランライ湖半壊、オスピスモル大陸全壊。聞いたこともないような国や土地が消えたニュースを連日、絶え間なく聞いた。それらは破壊の度に情報の波として波及し、時に海岸線で満ち干きする波や海峡の渦の如く交錯し、実態をむざむざに引き裂く。
一ヶ月半後、エンキ、クラガンの秘境、金剛国、童謡ネフィータの大鯨、アンケス大陸、消滅。五ヶ月後、合衆大陸アデティドトレ西部沿岸消失。月と太陽は大陸の周りを少しずつこそぎ落としていく。日に日に目前に迫ってくるそれらから人々は必死に逃げた。まず何処を目指したかはハインダットとも、マサーピレーとも聞くが、シュンガンの一件から一年が経過した頃には、既にこのファンテジアが最後になるだろうという通説が広まっていた。セマの侵略軍で有名なアンケケ丘陵、人類最古の国際会議の地イーン、アンダンテ降臨の地ミレーミティアン。二年も経過すればファンテジアでも聞き及んだことのある地名が消失していき、この頃にはもう王都は難民で溢れていた。
狂気の沙汰である。実際、このような状況故私と同じように狂気に陥り、真っ当な人間ではいられなくなった者も数知れない。この無人の家の家主もそうだった。彼は狂気に陥り、日々自分を迫害してきた者たちを残らず殺した後、最後は崖から身投げした。私はそれほどではないが…ああ、強いて言うならもう何もかもが信じられなくなっている。目前で、あの月の下で、何が起きても全て現実として見れなくなっているんだよ。だから言っただろう。全ては誇張的な夢であると。嘘くさく、真実味がない虚構の話にしか聞こえないと。
懐古の念から私も昔話をしよう。ひどく抽象的で曖昧だから、童話のようなものと言った方が正しいかもしれない。その昔、知識に少しばかりの自信がある若者がいた。彼は何かを志していたが、それとは別に人の悪事を暴く仕事をしていた。彼の推理はまず外れることはなく、不必要な程狡猾に計画された事件も彼の手にかかれば瞬く間に暴かれた。彼はよくこう言っていた。事実より奇なる物事などそうはないと。これは彼が様々な物_を見てきたが故の自信で、彼という人格はその自信の上に乗っかっていた。だがある時、彼は気がつくと見知らぬ街にいた。ケハイドと呼ばれるこの街に。夢遊してきたかのような感覚であったことを覚えている。その日を境に、彼は狂った。意味不明な言動の数々、風土に逸脱した認識、常識的な意識、噛み合わない数々の感覚、何より、単純な知識の間違い。絶対的だった自信が根幹から崩れていく。いつしか彼は、自分を信用出来なくなった。
月と太陽が最後の大陸ファンテジアを完全に消滅させるまで、残り二週間。彼は、私はこのまま、何も実感しないまま、夢現の中で終わる。無数の疑問のひとつも解決しないまま、混沌の中で死ぬ。だってそうだろう?今も現実を受け入れられないから、こんな筋違いの疑問が頭から離れないんだ。この疑問が立ち消えぬ限り、私の狂気は証明されたままだ。否定してしまえ、忘れてしまえ。何度もそう願ったとも。だが消えない。確信的な違和感が、内で叫んでいた。
なぁ、月って本当にあんな感じのものだったかな。
私は独りでに、その星を指さした。
title『夜を連れ帰る吸血鬼』
その序章は、世界を救う物語。この星の人達はもう、長く平穏な一夜を見ていない。探偵エイハブは、こうして最後の賭けに出た。