第22話 苦しい想いと何もできない自分
カフェで仲睦まじくお茶をする二人を見つめながら、ソフィは唇を噛みしめる。
両手に抱えられた本には強い力が加わり、ミシッとわずかに軋む音がした。
「──っ!!」
その瞬間にソフィは我に返り、瞬きをいくつか重ねる。
二人のところに向かおうか、などという気持ちはおこらず、黙って馬車に乗り込んだ──
(そうね、ジルには記憶がない。私のことは……)
流れゆく景色を見つめながら、プロポーズされた時の言葉を思い出していた。
『ソフィ、君が他の男と婚約した時、幼い頃からソフィが好きだった僕はとても苦しかった。でももう今は君の婚約者は僕だ。誓うよ、君を一生かけて守り、愛します。だから、僕と結婚してください』
涙は出なかった──
代わりに大きな喪失感に襲われて眩暈がしそうになった。
やめようと何度も頭を振り払っても、彼女の頭にはたくさんのジルで埋め尽くされる。
幼馴染だった幼い時、ピアノを弾いてくれたあの日、辛い気持ちに寄り添ってくれた時、熱を帯びた艶めかしい目をさせた時、そしていつも向けてくれた笑顔と優しさ……。
どれだけ自分が彼に支えられていたかを知る。
(ああ、私ってこんなにジルのことが好きだったのね……)
婚約者への大きく膨れ上がった想いを知った時、もう彼は離れていくのかもしれないと悟る。
想いが募って、募って、それでも届かない苦しさにソフィは思わずうずくまった。
(ジルはこんな気持ちを抱えていたのね……)
自分への想いがありながらも、別の人と婚約をしたということで身を引いて見守ってくれていた。
今では大好きな婚約者である彼を思い、顔を歪める。
馬車がルノアール邸に着き、御者が扉を開ける。
「おかえりなさいませ、ソフィ様」
「ただいま、メアリー」
「そうそう、仕立てたドレスが届いたんですよ! ジル様もこれをみたら大層驚かれますよ!!」
「そうかもしれないわね」
「……お嬢様?」
生返事をしながら玄関のほうに向かうソフィに、メアリーは話を止める。
長年彼女に仕えてきて彼女のこの顔を見たのは二度目だった。
◇◆◇
10年前──
ルヴェリエ邸に大きな声が響き渡っていた。
「ソフィっ! いけませんっ! 森に返してきなさい!」
「ダメよ、お母様! この子足を怪我してるのっ! 手当してあげなきゃ!」
幼い少女は森から連れて帰った小さな野うさぎを抱えて、母親に抗議する。
「でも……! 野良の動物はどんな病気を持っているかわからないわ」
「それでもっ! 目の前で苦しんでるのを黙って見過ごすわけにはいきません」
「ソフィっ!!」
少女は近くにいたメイドに医療セットの場所を聞いて探しに行くと、それを持って自室で治療を始める。
治療といっても見様見真似で自分が治療された時のことを思い出し、塗り薬と包帯を巻いてみるだけ。
野うさぎはどうやら足の怪我だけでなく、腹を痛めていたようで血がにじんでいる。
少女の知識ではどうすることもできずに、治療は進まない。
「ソフィお嬢さまっ! わたくしが診ます!」
「じいっ! お願いっ! どうしたらこの子の怪我を手当できるの?!」
執事長であるじいが手当のために水やタオルを持って少女に近づく。
少女から野うさぎを受け取ると、応急処置を始める。
そしてしばらくして、じいの手が止まった。
「じい?」
「お嬢様、これ以上わたくしに出来ることはございません」
「どうしてっ?! じいは昔お医者様だったのでしょう?!」
「はい……しかし、このうさぎはもう助かりません。残念ですが……」
「そんな……」
じいの言葉が信じられないというように野うさぎを見ると、もう目をつぶって息が細くなっていた。
「うさぎさん……」
まだメイドの修行中であったメアリーは、ただただその様子を黙って部屋の外から見ることしかできなかった──
「何かを失ったのですか……?」
二つの本を抱え込んでどこか力のない様子で部屋へと向かうソフィの背中を見つめながら、彼女は言った──
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