手を取って、自由へ駆ける。
外へ出た僕たちを待っていたのは、それなりにたくさんの領民たちだ。広いお庭の半分くらいが埋め尽くされているから、そうだな、ざっと……ざっと……、五百人くらいいるんじゃないかな!(わかんないけど)
男爵の姿が見えた瞬間、地面が揺れるんじゃないかってくらいに怒声が飛び交って、その言葉は男爵だけでなく、武闘家も傷つける。
「皆さん、話を……!」
「街を獣妖精に売った奴が出てきたぞ!」
「令嬢もいるぞ!早く獣妖精に引き渡せ!」
もう獣妖精はいないはずなのに、領民たちはきっと見えていないんだ。誰がこの事態を収集し、誰が守ったのかを。
「こりゃ話どころじゃねーぞ。どーすんだ?」
「皆、武闘家の話を聞いて!」
「私の娘を返して!返してよ!」
魔法使いと勇者の声も掻き消されるし、この騒動の中、どうやって話をしたものかと考えていると。
シャラン。
鈴の音だ!
耳に残る、この澄んだ音を出せるのはあいつしかいない!
「やれやれ。司令官に仕事が終わるまで帰るなと言われたが、その仕事がこれとはなぁ。美しい女性方とお会いした後だというのに、なかなかハードなもんだ」
僕たちが出てきた扉から、青の仮面にヒラヒラした派手な衣装を身に纏った戦舞姫が鈴の音を響かせながら優雅に歩いてきた。
その音は、こんな雑言罵倒の中でもよく響いて、気づけば全員が戦舞姫の動きに見惚れていた。一歩、また一歩と歩んでいって、僕たちの前に立つと、戦舞姫はその手に扇を出現させる。
鈴と舞い、それに華麗な扇の技。
それらは戦舞姫の美しさ(男だけど)を更に際立たせていて、まるで、この場所だけ空間が切り取られたようだった。
「桜唄」
戦舞姫がそう言い、扇を一段と強く振った。
すると、庭には無かったはずの木がたくさん現れて、ピンク色の花が咲き誇ったのだ!花吹雪が起こると視界がピンクでいっぱいになって、その場にいる全員が周囲の花を不思議そうに眺めている。
「さ、嬢ちゃん。今なら言えるぜ?」
花吹雪の中振り返った戦舞姫が笑う。
武闘家は何回か瞬きをして、それから力強く頷いた。
「皆さん!」
全員の視線が武闘家に集まる。
「……逃げてしまい、申し訳ありませんでした」
武闘家が頭を下げた。
それはどれくらいだったのかわからない。五分とか、ううん、たぶんもっと短い。でも、すごく長く感じたんだ。
「私が逃げなければ、この街は、こんな風にならなかったのかもしれない。獣妖精が、ここまで闊歩することはなかったのかもしれない。それでも私は……」
口をきゅっと結んで、一瞬だけ目を伏せて。
「私は、嫌でした……!獣妖精のお嫁になるのも、ううん、賑やかだったこの街に活気が無くなっていくのも、大好きなパン屋さんとかちょっとお洒落なカフェとか、友達と出歩くことさえ出来なくなるのも。私が言えることじゃない、言えることじゃないけど、でも私は、またあの街を取り戻したい!だから、だから……」
武闘家の目から、一筋だけ、涙が流れた。
「だから皆さん、お願い。また一緒に頑張ってくれませんか……」
最後は消えそうな声だったけど、それでも集まった領民には届いたようで、みんな黙って武闘家を見つめていた。
その沈黙に耐えられず、魔法使いが「だー!」と空に向かって叫ぶ。何事かと、領民だけでなく、武闘家も勇者も魔法使いを見た。
「めんどくせーんだよ!こんなガキに、パン屋に行きたいだの、カフェに行きたいだの、そんな当たり前のことを語らせてよ!ちげーだろ!もっと違う“当たり前”があるだろ!そこのおっさん、おめーは家族で過ごしてた時間があっただろ!そこのばーさん!おめーも近所のばーさん共とくっちゃべってただろ!こいつが言ってんのはな、そんな“当たり前”が欲しいって言ってんだよ!なんでわかんねーんだ!」
辺りが静まり返る。なんでこいつは頭を通さずにいつも喋るんだ、もう少し考えろよ!
「……僕からも」
勇者が何か言ってくれるようだ。場を丸くしてほしい。
「獣妖精は、貴方たちからたくさんのものを奪ったと思います。物や場所だけでなく、それこそ思い出や大切な人とか。けれど、それを戻したいと、貴方たちが恐れていた魔王が言ったんです。奪うことしかしてこなかった獣妖精と、与え守ると言った魔王、どちらが貴方たちにとっての悪でしょう」
領民が各々考えるように俯く。その中の一人が「でも娘が……」と呟くと、他の領民も口々に「家族が」「息子が」とざわつき出した。それに対する答えを持たない僕たちは、何も言うことが出来ない。
すると、黙っていた戦舞姫が「落ち着きな」と手をひとつ叩いた。
それを合図に、屋敷の中からたくさんの人たちが出てきたのだ。各々家族の元へ駆けていき、抱き合って喜びを噛み締めている。
「これでオレの仕事も終わりだ。またな」
戦舞姫は身軽な動きで屋根に飛び移る。それを追って視線を上げると、屋根には魔王と、そして四天王が風に衣装をはためかせながら立っていた。なんだろう、魔王の趣味なのかな。
「男爵、会談の日時や場所は貴公が決めて構わん。条件もそちらのものでよい。また会える日を楽しみにしているぞ」
そして魔王らしく高笑いして、五人は球体へと姿を消した。
圧倒される男爵と領民たち。けれど僕たちは、特に魔法使いなんかは呆れ顔で、
「あの暇人魔王、カッコつけたがりだよなー……」
「まぁまぁ。でも僕は、魔王が魔王でよかったと思ってるよ」
「私もそう思います!」
「じゃ~、エルちゃんもなのです~」
「……」
月はいつの間にか消えていて、空は明るくなってきた。あぁ、道理で眠いはずだよ。
「ゆうちゃ、ねむ!」
早くお布団に入りたいアピールをして。
盛大に鳴った魔法使いの腹の音に笑って。
こうして僕たちの、とりあえずの旅は区切りをつけたんだ。
※
金狼は走っていた。
首輪だと称されつけられた手枷は、ゴルドの魔法力を抑えつけ、唯の青年の姿へと戻してしまった。
逃げたという主を探して街の外へ出てみれば、そこにはあの忌まわしくも恐ろしい男が待っていたのだ。胡散臭い笑みを張りつけて。
だからゴルドは逃げた。
あの手に捕まれば命どころか、存在そのものが無くなってしまうからだ。
「ヒッ、ヒィッ」
息が上がる。
けれども止まるわけにはいかない。
そうだ、都へ行けば匿ってくれるかもしれない。そう思い走るスピードを上げようとする。が、可笑しい、一向に進んでいる気がしない。
なぜだ?
ゴルドは身体に違和感を感じ、恐る恐る身体に視線を落とした。
「ア、アアァァ!」
あるはずの身体はなく、そこで初めて、自分の頭があの男に掴まれていることに気づいた。
「よぉ、忠犬。御主人様はどこだぁ?」
「アアァァ!」
「おめぇも鳴くことしか出来ねぇ馬鹿犬かぁ?あ。そうだ、じゃ問題を出してやろう。自分の命がかかってんだ、ちゃあんと考えろよ?残った頭でなぁ」
ゴルドは鼻息荒くも、この状態で生きていられるのはこの男のお陰なのだと理解し、一言一句逃さぬように口を閉じる。
「では問題ですっ。御主人様を無くした忠犬は、どぉすればいいでしょうかぁ?ひとつ、忠犬らしく帰ってくるまで待つ。ふたつ、忠犬らしく死ぬ。みっつ、忠犬らしく主人を変える。さぁて、どれだ?」
にやりと歪む顔を見て、ゴルドは瞬時に「さん!さんだ!」と叫ぶようにして口にした。男は「正解はぁ」と自前の効果音を挟んだ後、
「あぁ、よっつ目言うの忘れてたわ。俺っちの餌になること、でしたぁ!」
「アアァァぁぁぁあああァァァ!」
凄まじい叫びを残し、ゴルドは姿形も残すことなく消えていく。それを男は、愉快だと言わんばかりに小躍りをしていると、男に「楽しそうで何よりです」と笑いかける声が響いた。
「あぁ、協主サマじゃあないですかぁ。後始末、出来ましたかぁ?」
そう、それは過去に、“クラーケンの縄張りを変えた”あの協主であった。協主は変わらぬ笑顔を男に向け、
「後始末、とは心外です。ワタシは“獣妖精を魔王の手先のように見せ、その驚異からあの街を守りましょう”と進言したに過ぎません。それを勘違いし、あの領民たちを苦しめたのは他ならぬ獣妖精です」
「モノは言いようってかぁ?まぁいいや。腹ぁ減ってんだ、残りは俺っちが頂くぜぇ」
「お好きにどうぞ」
男が高笑いし消えていくのを見送り、協主は「ふむ」と顎に手をやった。
「どうやら、ワタシの跡を継げそうな器がいるようですね。会いに行ってみましょうか。是非とも“灰の国”へ来て頂きたいものです」
協主は穏やかに笑う。
静かに、静かに、思い描く理想を見据えながら。




