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対価は料理で。

 

 拘束が外れた男爵は、未だ泣き止まない武闘家を気まずそうに見て、でも何か意を決したように近づいていった。


「娘よ」

「お父様……」


 武闘家もまた涙を拭うと、深く深く頭を下げる。


「お父様、申し訳ございませんでした。私があの日逃げなければ、こんなことにはならなかったのかもしれません。でも私は」

「よいのだ、もう。安易に力を頼った儂への罰なのかもしれん……。街は獣妖精(ベスティ)に好きなようにされ、度々起こる領地内の魔王軍との戦いにも関与せず、儂はあまつさえ娘を差し出そうとした。その結果、屋敷の者はああして消えてしまった……」


 男爵もまた深く項垂れて、頭を両手で覆った。

 話したくても話せず、次々と知り合いがああして消えていったんだ。その気持ちは、きっと僕ではわからないと思う。


「儂は何をすればこの罪を償える?どうすれば街を魔王軍から守れる?只でさえ、今正に攻めておるというのに」

「お父様、そのことなんですが」


 そうだよ、誤解を解かないと!武闘家が震える体を叱咤して、男爵に説明しようと口を開きかける。けれど、男爵は力強く武闘家の肩を掴んで、唾でも飛ばしそうな勢いで、


「わ、儂は今度こそお前を守るぞ!そうだ、一緒に、一緒に……」


 掴んでいた手を首に持っていく。これは武闘家の首を締めるつもりだと、全員が止めに入ろうとして。


 パーン!


 なんとも威勢のいい音が響いた。

 武闘家が、また涙を溜め始めたまま、男爵の頬を力いっぱいビンタしたのだ。

 僕たちもいきなりで反応出来なかったけれど、何よりも驚きを隠せなかったのは男爵のほうだ。きっと、武闘家は家にいた頃は、こんなことをするような奴ではなかったんだろう。

 だからこそ、この一撃は色んな意味で効いたと思う。


「話を……、聞いてって言ってるんです!馬鹿お父様!」


 そう言って、武闘家は今まで見たどんな時よりも、決意のこもった強い目で、男爵を見上げた。それに圧倒されたのか、男爵は叩かれた頬を擦るだけで、何も言おうとはしない。


「罪を犯したとご自分でわかっているなら、それを償うことだって出来るはずです!いいえ、しなければいけないんです!二人で死ぬことは只の逃げでしかありません!お父様、私と……、私と一緒に、罪を償いませんか……?」


 そこには、昔の、後ろでただ震えるだけだった武闘家はどこにもいなかった。真っ直ぐに立って、正面を見据えるその姿は、立派な御令嬢だ。


「さて……、話はまとまったかな?」


 入口から聞こえた声に、全員の視線が集まる。

 黒いローブに白い仮面、深淵の主(ロードオブジアビス)だ。


「深淵の主……!なぜだ!?こ、この領地を侵略しに来たのか!?させん、させんぞ!」

「お父様!彼らの話を聞いて!彼らはここを、獣妖精から解放するために来てくれたのです!」

「か、解放、だと……?」


 肩の力が抜けたのか、男爵はやっと落ち着いた様子で、武闘家と、そして深淵の主を交互に見つめた。それを確認した深淵の主は優雅な動きで頭を下げ、


「御令嬢の仰る通り。我ら魔王軍、主の勅命にて、この地を解放する為に参りました。時間がこれほどまでにかかってしまったこと、男爵や御令嬢に多大な心労をおかけしたこと、我が主に代わり、深くお詫び申し上げます」


 と、なんとも礼儀正しい口調と作法で言った。普段の「あ、あの……」とおどおどしてる奴を知ってる僕から見ても、それはとても様になっていて、魔王軍を率いていると言われても納得するくらいだ。


「し、しかし、貴様ら魔王軍の言うことを信じろと言われても……。そ、そうだ!地下にまだ街の者が閉じ込められているんだ!それを先に」

「それなら御心配に及びません。恐らく今頃戦舞姫(ヴァルキリー)によって、彼女らもまた、解放されているでしょう」


 その言葉に男爵は「そんな、まさか本当に……?」と困惑している。武闘家が自分を落ち着かせるように息をひとつ吸って、それからゆっくりと吐いた後、


「お父様、私たちは何も知らなすぎました。よく思い出してください。彼らは誰かを傷つけましたか?何かを搾取しましたか?無理矢理に奪おうとしましたか?彼らの力を以ってすれば、この地を奪うことなんてすぐにでも出来るはずです。なぜ、彼らはそれをしないのですか?」

「……」


 男爵は黙り込んでしまった。

 それが答えなんだろう。実際、きっと魔王軍が攻めようと思えば簡単なのだし、わざわざ話をしに来る必要なんてないのだから。


「儂は、何を見ていたのだ……。そうだ、あの男だ。儂はある男から“新魔王軍は人間を滅ぼすつもりだ、だから力が必要だ”と言われ、勧められるままに獣妖精と手を結んだのだ。ただ、この騒ぎが起こる少し前だったか、男は街から逃げてしまったがな……」


 悔しげに俯いた男爵から「すまない」と小さく聞こえた。深淵の主は「いえ」と首を振ると、赤い目のままだけど、優しい視線を男爵へと向ける。


「そちらに関しましては、また我らのほうで追々処理を致しましょう。さて、つきましては主からの伝言をお伝え致します。“男爵。もし貴殿が我らと同盟を組んで頂けるのであれば、そちらの復興の手伝い、並びに周辺領土の厄介事は全てこちらで引き受けよう。代わりに、そちらの流通及び交易が戻った際には、是非我ら魔王領(エルケニアート)へ新鮮な魚介料理を振る舞ってほしい”とのことです」

「……料理、ですかな?」


 ぽかんと首を傾げた男爵とは反対に、後ろで聞いていた魔法使いが我慢出来ないというように吹き出した。その隣では勇者も笑いをこらえている。


「ちょ、ちょっと魔法使い……、笑っちゃ、駄目、だよ……ふふっ」

「これが笑わずにいられるか!くっ、はは……。そーか、魔王サマは魚介料理をご所望なわけだ」


 二人の笑い声に気が緩んだのか、武闘家も一緒に笑いだし、男爵はそれを見て苦笑いを浮かべた。


「……その同盟、お引き受け致しましょう。命を賭して助けてくれた彼らが、こうして朗らかに笑うのだ。なれば、魔王の話を聞くのもまた、一興かもしれん」

「ではその旨、しかとお伝え致しましょう」


 再び頭を下げる深淵の主に、男爵が「だが」と首を横に振った。どうしたのかと、深淵の主の目が細められる。


「こちらの復興を第一に考えたいと思っている。街も、領民も、儂の判断ひとつで傷をつけてしまった。攻める声も上がろう。それらをまとめてからでも構わないだろうか」


 深淵の主は、僕たちによく見せるあの優しい笑顔を口元に浮かべて、


「もちろん。復興は我らも……。いや、ボクたちも、是非手伝いたいと思っております。では」


 例の如く球体へ消えていった姿を見送って、僕たちは、やっと一段落ついたとばかりに息を吐いた。


「あの、お父様……」

「皆まで言うな。儂は街のため、領民のためとはいえ、大事な娘を差し出したのだ。責められることはあっても、儂がお前を責めることをどうして出来ようか」

「いえ、そうではなく」


 武闘家が言い終える前に、窓ガラスがすごい音を立てて割れた。投げ込まれてきた石に、魔法使いがやれやれと両手を上げる。


「男爵、娘と語らう前に、どーやら話をしたい連中がたんまりいるようで?」

「どうやらそのようだ。君たちは中で待っていなさい、外に出るのは儂が」


 歩き出した男爵の手を武闘家が掴む。


「私言いましたよね、一緒に償いましょうって。お父様だけ行かせませんよ」


 もちろん勇者たちも黙っているわけがなく。


「僕も言ったよね、一緒に立つって。ね、魔法使い?」

「へいへい」

「エルちゃんもなのです~!」

「……」


 いや僧侶、お前さっき喋ってたよね!?なんでいきなり喋らなくなったのさ!


「……よい友を持ったんだな」

「はい!自慢の、大切な方たちです!」


 そう笑った武闘家の目には、もう涙なんてどこにも無かった。






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