“僕”の願いは、
痛くない。
おかしいな、潰されたはずなのに。
目を開けてみる。
苦しそうな勇者の顔が見えた。
「ゆう、ちゃ……?」
「うぅ……っ、フロイ、大丈夫、かい……?」
勇者が四つん這いみたいになって、僕を庇っていた。
その背中には、あの獣妖精の大きな足が乗っていて、ミシミシと勇者の骨を軋ませている。
その足がそれ以上勇者を潰さないようにと、魔法使いが必死の形相で足を支えている。支えてこれなのだ、離したら勇者は潰れるだろう。
「非常、食……、早くあっちへ、行け……!」
「まほうちゅかい!」
「早くしろ……!」
今までにない声色で言われて、僕は急いで勇者の下から出た。もう大丈夫だと跳ねるけれど、二人がその格好を解くことはない。
それもそうだ。
魔法使いが支えているから勇者は潰れない、逆を言えば、下で勇者が持ち堪えているからこそ、魔法使いはその姿勢を保っていられるのだから。勇者が下から出れば、潰れるのは魔法使いの手のほうだ。
「勇、者……早く出ろ……!」
「嫌だ!君の、指が潰れてしまう……っ」
僧侶がエルを降ろして加勢に加わった。これで安心かと思ったけれど、獣妖精は雄叫びを上げて、さらに強く力を加えてきた。あの僧侶でさえ、顔が苦悶で歪んでいるように見える。
「オレの指なんていーんだよ!」
「よくないよ!君の指先は、色んな魔法を見せて……、皆を笑顔にさせて、くれる、から……」
「あー!クソ!」
勇者がなんとか這いずり出れるようにと奮闘するけれど、ちっともその足は上がってくれない。
エルの手を不安そうに握っていた武闘家が、周囲を見て「あ、あぁ……」と更に強く手を握った。
咆哮を聞きつけた他の獣妖精たちが集まってきたのだ。どれくらいだって?いすぎてわかんないよ!
「ゆうちゃ!まほうちゅかい!そうりょ!」
僕は三人の周りをぐるぐる跳ねる。
僕も足に体当たりをする。
あぁくそっ、全然動かないじゃないか!
そんな僕たちを嘲笑うように、獣妖精たちは段々近づいてくる。すると、身動きが出来ない僕たちの後ろから、この空気にそぐわない声が聞こえてきた。
「くるくるくる~。回れば楽しい~、皆で楽しい~。パリパリパリ~ン。凍えて凍って、割れちゃって~。氷蝕~!」
エルの魔法だ!
獣妖精たちの足元を一瞬にして凍らせる。エルは「参ったか~なのです~」と誇らしげだ。けれど。
「なんだぁ?この可愛らしい氷はぁ?」
獣妖精はひと笑いし、足を蹴り上げた!粉々になっていく氷を見て、誇らしげだったエルの顔が青くなっていく。
「こっちの野郎どもを殺るのもいいがぁ、見てる目の前でヤッちまうのも一興だよなぁ?」
「オレ、アノ、チイサイノ」
「じゃあ御令嬢は俺のだ!金狼もいねぇしなぁ!」
なんて下衆な奴らだ!
でも男三人は動けない。
一人の獣妖精が涎を垂らしながらエルに走っていく!
武闘家が咄嗟にエルを抱き上げ、あの動きでひらりとそれをかわした!
「あぁん?鬼ごっこかぁ、いいねぇ」
「つ、捕まるわけ、ないじゃないですか……!」
口調は強気だけど、足が震えてる。捕まればどうなるか、そんなのわかりきってる。
だから武闘家はエルを抱えて逃げ回るけれど、あいつ体力ないんだから、あれが続くわけがない。早く、早くなんとかしなくちゃ……。
痺れを切らした別の獣妖精が、ふいに魔法使いの顔を殴った。一瞬力が緩んだのか、下になっている勇者から苦しそうな声が漏れた。
「てめー……!」
「反撃できねぇだろ?いいよなぁ、こうやって何も出来ねぇ奴をいたぶるのは。たまんねぇよ」
恍惚の表情を浮かべながら、尚も獣妖精は魔法使いを痛ぶり続ける。それでも手を離そうとしない魔法使いに、獣妖精はつまらんとばかりに痛めるのをやめて、そして僕を見てきた。
「なに……」
「いい玩具があるじゃねぇかぁ」
にやりと笑った獣妖精を見て、勇者が声を張り上げる。
「やめろ!フロイ、逃げるんだ!」
「非常食になんかやってみろ!許さねーかんな!」
「……!」
僕は急いで跳ねたけれど、簡単に摘まれてしまって、口の前まで持っていかれてしまう。獣臭い息がかかって、僕は本能で身体を震わせた。
「絶望に歪む顔を見せてくれよぉ?」
摘んでいた手を離された。
食われると思った僕は、強く目を閉じた。
「フロイ!!!」
勇者の、どこからそんな声が出るのかわからないくらいの、大きな叫びが聞こえた。
「あぎゃっ!」
獣妖精の情けない声が聞こえて目を開けると、僕を摘んでいた獣妖精が、白目を剥いて倒れていた。僕はそのまま地面にぽてりと落ちた、痛い。
何事かと思って勇者を見ると、勇者の剣が光り輝いていたのだ!
その光の力なのか、僕を食べようとしていた獣妖精だけでなく、三人を潰そうとしていた獣妖精も、そして武闘家とエルを追いかけ回していた獣妖精も、吹き飛ばされて地面に転がっていた。
「ゆ、ゆうちゃ……?」
ふらりと立ち上がった勇者は、光る剣を握りして、静かに獣妖精を見据えた。
「僕の……!」
そう言って剣先を向けた。
獣妖精から「ひいっ」と声が上がる。
「僕の仲間に、手を出すなぁぁぁあああ!」
勇者が地面を蹴り、今まで見たことがない速さで獣妖精の前へ姿を現した。その目は怒りに溢れていて、あんなの、あんなの……、勇者じゃない!
僕の知ってる勇者は、能天気で、いつも笑っていて、でもたまに魔法でピンチを切り拓いていく、そんな奴のはずだ!
「ゆうちゃ!いや!ゆうちゃ!!!」
なんで?なんでこんなに視界が滲むの?
いつもみたいに、笑って“フロイ”って言ってよ!馬鹿勇者!
「うわああああん!ばかゆうちゃーーー!」
勇者が獣妖精に剣を振り下ろした!
ガキン!
……ガキン?何かを斬った音じゃない?何かを受け止めたようなその音は、剣を受け止めた魔法使いの杖からだった。
衝撃で魔法使いの足元にクレーターが出来ている。勇者の力にも驚くけれど、相変わらずの脳筋っぷりにも脱帽だ。
「勇者やめろ!」
ギリギリと歯を食いしばる魔法使いが吼える。
「おめーの剣は、怒りで振るもんじゃねーだろ!なんの為に力を持ったのか思い出せ!」
「ま、魔法、使い……?」
勇者の目から怒りが消えていく。
それからハッとしたように魔法使いを見て、それから自分が何をしてるか気づいたようで、顔色を真っ青にしてから剣を降ろした。
「ごめん魔法使い。僕は……」
「いーってことよ。それより」
魔法使いが周囲を見渡す。ギラギラした目で僕たちを見る獣妖精たち。明らかに怒ってる……!けれどもそれ以上は近づいてはこない。勇者にびびって、る……?
「なんとかしねーと、家までは行けそーにねーな」
にやりと笑って杖を構えた魔法使いに習って、勇者も頷いてから剣を構え直す。一触触発の空気の中、豪快な笑い声が聞こえてきた。
「全く。担当区域が終わって来てみれば、何やら愉しそうなことをしているとみた」
そう言って、持っていた巨大な斧を地面に突き立てたのは、赤の仮面をつけて、ごつい鎧を全身に纏った戦士、いや終わりなき天変地異だ。
唯一見えている口元をにやりと歪めて、獣妖精たちを鋭く睨みつけた。てか、いつの間にいたんだろう。
「さて、なんだったか。弱い奴を痛ぶるのは愉しいだったか?俺にもその快楽を是非に、ご享受頂きたい」
終わりなき天変地異が斧を両手で持ち上げ、獣のような雄叫びを上げる。それは空気を震わせ、周囲にいた獣妖精たちが思わず身体を震わせたほどだ。
雄叫びを上げ終わった奴の目は、魔族を思わせる赤い目で、でもその目は僕たちを優しく見つめると、
「早く行けェ!てめェらも吹き飛んじまうぞォ!」
初めて“赤の国”で会った時と同じ荒い口調で言い、持っていた斧を力強く回転させた。
すぐに僧侶が勇者と魔法使いに薬草を手渡していく。
「勇者、行くぞ!」
「そうだね!後はお願いします!」
すぐさま剣を仕舞って、勇者は隅で座り込んでいた武闘家の元へ駆け寄った。どうやら安心したのか腰が抜けたらしい。
「武闘家、大丈夫かい?」
「ご、ごめんなさい、立てなくて……」
それを聞いた魔法使いが、杖を勇者を半ば強引に押しつけると、武闘家に背を向けて屈んだ。
「子供じゃありませんっ」
「いつまでもこんな場所にいれねーだろ。エル公を見習え!」
魔法使いが顎で示したのは、僧侶に肩車されてご満悦のエルが。武闘家とエルを同列に扱うのもどうかと思ったけれど、確かに魔法使いの言うことも尤もだし。
武闘家は少しだけ考えて、渋々その背中に身体を預けた。
勇者は安心したように少しだけ微笑んで、それから僕を肩に乗せてくれた。
「フロイもごめんね、ありがとう」
小さいその呟きは、恐らく僕以外には聞こえていない。
僕は返事をする代わりに、首筋に少しだけ寄った。振り落とされないためだ、監視を厳しくするだけだ。それだけ、なんだからな。