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臭さ臭いも抜け道で。

 


 逃げる、と言っても簡単じゃなかった。

 なぜならこの街は、獣妖精(ベスティ)によって支配を受けていて、つまりのところ、こうして路地に追い詰められてしまったのだ。


 結構な数の獣妖精が、深淵の主(ロードオブジアビス)の襲撃によって混乱していたけれど、全部といかなかったのが悔しい。


「御令嬢、お帰りをお待ちしておりましたぜ。さぁ、早くお帰りになりましょう」


 ゲスい笑みで僕たち、いや武闘家に獣妖精は手を伸ばしてくるけれど、その大きな口から滴る涎は、とても生臭いし、とても信用できるものに思えない。武闘家が震えているのが何よりの証だ。


「私は、戻りたく、ありません……!」


 勇者の後ろから呟いた声は、はっきりとそう言った。

 だから勇者は、剣を抜いて、その先を獣妖精に静かに向けたのだと思う。


「僕らの仲間に、手出しはさせないよ」


 獣妖精(犬やら猫、更には熊っぽい奴もいる)は、可笑しくて堪らないというように大声で笑う。ひとしきり笑った後、目に浮かんだ涙を拭いながら、獲物を狩るような視線を向けてきた。


「人間風情が“手出しはさせない”だとよぉ。いいか?俺たちはなぁ、今の魔王軍だって手が出せねぇほどに強いんだよぉ!」

「はっ、小物過ぎて相手にされてこなかっただけだろ。よーくわかるぜ、弱い奴にしか手が出せねー玉無しってことがな」


 杖を突きつけた魔法使いが、これでもかと挑発する。いつもなら余計なことをって思うけれど、こんな時はやっぱり頼りになる奴だと改めて思う。

 獣妖精たちが怒りを見せる中「ねぇ」と獣妖精の後ろから、聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえた。その先には、普段とは違う、白を基調にした法衣と、黃の仮面をつけた死霊の(クイーンオブ)女王(ネクロマンサー)がいた。


「死霊の女王!今日は一人たぁ俺らはついてる!やっちまえ!」


 うおおと雄叫びが上がり、獣妖精が束になって死霊の女王に襲いかかる。勇者と魔法使いがそれを助けようと駆け出すけれど、もちろん今度は間に合わない。


「はぁ……、知性のない奴ばっかり。やっちゃって」

「へい」


 地面からあの黒服が現れて、襲いかかる奴らにその鉄拳を食らわせていく。吹っ飛んでは地面に転がる獣妖精を鼻で笑った後、死霊の女王は、僕たちに靴音を響かせながら近づいてきた。


「せっかく深淵(アビス)が“見逃した”のに、まだこんなところにいるなんて。アタシがやっちゃってもいいんだけど、お仕事以外のことすると、魔王様が怒るし。早くどっか行っちゃいなさいよ」


 ふんと鼻を鳴らして、死霊の女王は腕組みをした。相変わらずの威圧的な態度は、今だけの演技ではなさそう。


「……そうちゃん」

「ち、が、う!アタシは」

「魔王軍はなぜここに?この地を侵略しに来たのですか?」


 死霊の女王は、答えるべきか少し悩むような素振りを見せて、それから小さく「それは……」と零す。


「アタシたちはここを解放するために……ふぐっ」

「おっと女王(クイーン)、仕事怠慢はいけないよ?」


 それは、いつの間にか死霊の女王の後ろに立っていた深淵の主だった。口を塞いで、それ以上何も言わせないようにしている。そのまま立ち去ろうとする二人に、武闘家が意を決したように話しかけた。


金狼(ル・ゴルド)はどうしたんですか……?」


 深淵の主が武闘家を見る。


「あぁ、彼には首輪をつけて少し大人しくしてもらっているよ。ちゃんと飼い主に返してあげないといけないからね。それより」


 死霊の女王の体を横抱きにして、深淵の主はふわりと宙に浮かんでいく。


「ここの民はどうやら、領主の家に集められているようだ。そこに行けば、ボクらの仕事も早く終わりそうだね」


 口元に笑みを浮かべながら、そうして二人はあの球体へ消えていった。

 剣をしまった勇者が、何か迷っているような武闘家にふわりと笑いかけた。


「ねぇ、武闘家。僕はここのことはよく知らない。けれど、君が困っていたり悲しんでいたりするなら、僕はそれをなんとかしたい」

「私、は……」

「まー、とりあえずここにいるのは危ねーし、どっか安全な場所へ行こうぜ。それから話しても問題ねーだろ」


 腹の音と共に欠伸をかました魔法使い。それにエルが「エルちゃんもお腹すいたのです~」と意気投合して、武闘家が苦笑いをした。


「領主の……、私の家に行きましょう。抜け道があるので、そこからなら入れるはずです。事情は抜け道を通りながら話しますね」


 勇者が大きく頷いて、魔法使いがにやりと笑う。

 僧侶はいつも通りだし、エルなんかは絶対に事情をわかっていない。

 僕?僕は、こんな怖いところから早く移動したいって、そればかりを思っていたよ。





 抜け道。

 こう、ロマン溢れる単語だよね。スイッチを押したら地下への通路が現れて、そこから屋敷内に繋がってるとか。それこそ“赤の国”で見た地下空洞とか。


 でも残念。そんな夢みたいなことは、なかなか起こらないものだ。


「くっせーー!」


 鼻をつまんで叫んだ魔法使いの声が、嫌というほど響いていく。地上に聞こえてないのはわかるけれど、せめてもう少し抑えてほしいものだ。

 けれども、流石の僕もこれには耐えられず、


「ゆうちゃ、くちゃい……」


 と勇者の懐に潜り込んだ。

 そう、ここは街の下を流れる下水道。つまり臭い。


「これのどこが抜け道だ!」

「抜け道に変な期待を持ったのは貴方じゃないですか!いいですか、そもそも抜け道というのは本道を外れた近道のことで、貴方が想像するようなものではないんです!」

「二人とも、落ち着いて。とりあえず臭いのは嫌だから、早く抜けることを考えよ?ね?」


 間に入った勇者が宥める。二人とも流石に臭さには勝てないのか、大人しく喧嘩を収めることにしたようだ。ちなみにエルには、僧侶お手製の鼻栓(こよりに見えるけれど)が与えられた。


「でもまぁ、下水はアリだな」

「文句言ってましたよね」

「くせーのは嫌だからな。だが、逆に鼻のいい奴には効果テキメンってやつだ」


 確かに人間より鼻のいい、特に狼のゴルドには効果がありそうだ。まぁ、そもそもとして、誰が下水道から潜り込むことを考えるだろうか。

 人が十分に歩ける通路を進みながら、魔法使いが後ろの武闘家をちらりと見た。


「それで?話、聞かせてくれんだろ?」

「え、えぇ。でもどこから話せばいいのか……」


 話す気はあるらしく、武闘家は視線を彷徨わせ、それから「獣妖精(ベスティ)は……」と切り出した。


「獣妖精は、魔王軍に対抗する為にお父様が呼んだ方々なのです」

「魔王軍って、今の?」

「はい。こうしてご一緒するまで、私は魔王軍の目的も人柄もわかりませんでした。今考えてみれば、彼らは誰かを傷つけたり、何かを搾取したり、侵略したりなどと、この七年、してこなかったのに……」


 武闘家は、そう言って唇を小さく噛んだ。


「旧魔王軍が敗れた後、この国では内乱が起きました。統制の取れなくなった魔物を、一番多く倒した者が偉いとか、勲章を与えるとか、確かそんな理由で。しかし七年前、新魔王軍が立ち上がり、魔物は急激にその勢いを無くしました。それを新たな勢力拡大だと踏んだお父様は、巨大な力が必要だと言い、“白の国”でも武力に長けていた獣妖精に助けを求めたのです」


 小さな泣き声が聞こえてきて、僕だけでなく、勇者も振り返って、武闘家を見つめた。顔を両手で覆っていたけれど、その隙間から流れるそれは、隠せていない。


「今考えれば、彼らが立ち上がってから、なんです。人間同士でそういった争いが無くなったのも、あんなに蔓延(はびこ)っていた魔物がいなくなったのも……!でも私は、私たちは知らなかった!知らなかった、から……」


 それ以上は言葉になっていなかった。

 武闘家の泣き声だけが響いて、でも誰も武闘家を責めることはしなく、て……?


「なーに被害者ぶってんだ、こら」


 いた、ここに。責めそうな奴。


「魔王サマが頑張ってること知りませんでした、だからこの街が獣臭くなっても私のせいじゃありませんってか?」

「魔法使い……!」


 止めようとした勇者の肩を、僧侶が掴んだ。

 我慢するように震えていた武闘家が、魔法使いに掴みかかる。


「だって私、知らなかった!だから獣妖精を呼んで、そしたら、次第に要求が大きくなっていって……、私を嫁に迎えるって言うから……!お父様もお母様もそれを受け入れた、私の意思なんてなかった!私は、私は……、領主の娘なのに、見捨てて逃げた……!でも嫌だったんだもん!」


 武闘家は泣きながら胸板を叩いて、魔法使いはそれを受け入れていた。けれど、不意に口元を緩めると、


「やーっとイイ子ちゃんやめやがったな。で?御令嬢は何をご希望でしょーか?」

「あ、貴方にそう言われると気持ち悪いですっ」

「わりーわりー。じゃ、“武闘家”はどーしたいんだ?」


 叩いていた手を止めて、武闘家は目を少しだけ伏せた後、真っ直ぐ魔法使いを見上げた。


「逃げた私が、言えることではないのですが……。もう一度、昔の、賑やかな港町が見たい、です」

「逃げたおめーを非難する奴はぜってーいるぞ」

「大丈夫だよ、武闘家」


 勇者が笑う。


「僕たちは、君と一緒に立つつもりだから。ね、魔法使い?」

「へいへい、仕方ねーな」


 そう言って頭をガシガシと掻いてから、魔法使いは武闘家から離れた。武闘家が嬉しそうに笑った。


「武闘家~、これ貸してあげるのです~」


 エルがポケットからハンカチを取り出して、それを武闘家に差し出した。困惑しながらも受け取った武闘家に、エルがふにゃりと無邪気な笑みを向ける。


「エルちゃんはお姉ちゃんですからね~、頼りにするといいのです~」


 あれで涙を拭けと言いたいらしい。あんなに小さい姉がいてたまるかと思ったけれど、武闘家は嬉しそうに笑って「はい、エルちゃん」と涙を拭いた。


「ま、それに」

「どうしました?」

「助けたら上手い飯たらふく食えそーだしな」


 その瞬間、武闘家のビンタが魔法使いに綺麗に入った。






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