理由、それは夢を壊したくなかった。
エッジの掛け声で現れた人魚たちは、何人かで武闘家の蔦をほどくと、他の人魚たちと同じように花を殴り始めた。
人魚って、一応色々種類があるんだなぁと眺めていると、お嬢に殴られた箇所を押さえたエッジが、ふらふらしながらも花を見据えた。
「エッジさん、助けてくれてありがとうございます!」
「いやいや、礼には及ばないんだけどね。そうだな、後で熱いキッスでも……」
お嬢がまたビンタをしようと構えたのを見て、エッジは「冗談です、やだなぁ」とヒレを交差した。でもすぐに真剣な顔で(たぶん)、
「それじゃ、皆の衆、仕上げといこうか!人魚たちの行進!」
たくさんの人魚たちがずらりと一列に並ぶ。
そして人魚たちは順に、頭から花に突撃していった!う……、魚がいすぎて生臭っ。
花も堪らんとばかりに段々しおれていって、そして元の小さな虹色の花に戻った。
「皆の衆、お勤めご苦労さん。さ、これにて帰……いたっ」
背を向けたエッジの背ビレをお嬢が掴んだ。
その衝撃で微妙に背ビレが千切れて、エッジは魚とは思えないくらい飛び跳ねる。
「え、何?魚いじめ?」
「いや、なんでアンタここにいんのよ」
「その前にお礼言ってくれてもよくない?」
ぞろぞろと帰っていく人魚に「先行ってて」とヒレを振りつつ、ごもっともなことを言うエッジにお嬢が口籠る。
僕はお嬢の足に体当たりをして、早くお礼を言うように促した。あの臭い攻撃をやられたらたまったもんじゃない。
「おじょ!」
「あぁもう、ありがとう!これでいいんでしょ!」
「これまた相当なワガママに育ったもんだな、なぁ死神?」
エッジが豪快に笑って、それから湖のほうを振り返る。人魚たちと入れ替わりのようにいたのは、所々服が破けた状態のリーパーだった。
リーパーは苦笑いをして、
「それは、自覚してる、よ。ごめん、ね」
「リッくん!」
エッジを押しのけて駆け寄ってきたお嬢を抱き止めた。
「なんで遅いのよ、バカ!いつもすぐ来てくれるじゃないの!」
「うん……、ごめんね」
左手で優しく頭を撫でながら、リーパーは僕たちに視線をやった。武闘家が、まだぐずるエルを立たせて、それから不思議そうに首を傾げた。
「でも、なぜエッジさんが?」
エッジが両ヒレをパンッと叩いて「それはな」と大袈裟に空を仰いだ。
「天に昇る柱を見て俺はピンときた。あぁ、これは俺に助けを呼ぶ声なんだってな」
「だから呼んでない……」
「まぁ、花冠の礼だよ、礼。あの素直なおじょーちゃんを見習いな?じゃないと、伝わるもんも伝わらねぇぜ」
エッジがにやりと笑う。真っ赤になったお嬢が、またビンタをしようと手を上げたけれど、リーパーの諌める声で手を下げた。
全く、リーパーの言うことには従順なんだよな、お嬢って。
「そんなワガママおじょーちゃんに、俺からのプレゼントだ」
そう言って、エッジは自分の顔から鱗を一枚剥がしてお嬢に手渡した。その際小さく「いてっ」と聞こえた。
「……ありがと」
「へいへい。ま、頑張んな。それから」
エッジが、リーパーとすれ違いざま耳元で小さく呟く。
「もう一人はどうした?」
「……お帰り、頂いた、よ」
「代金が右腕たぁ、高くついたようだなぁ」
二度リーパーの肩を叩いてから、エッジは「またなぁ」と湖に帰っていった。
それを渋い顔で見送ってから、リーパーはお嬢に優しく笑いかける。
「そうちゃん、大丈夫?指輪、はめよっか」
けれどもお嬢は動こうとしない。
不思議に思ったリーパーが、お嬢の顔を覗きこもうとして、悲しそうに顔をしかめた。
「アタシ……、また、何も出来なかった……。また、皆死んじゃう、かと……っ」
泣き続けるお嬢を、赤目になったリーパーが優しく抱きしめて、落ち着かせるように背中をトントンと叩く。
「大丈夫。そうちゃんが頑張ったから、皆いるよ」
「そうですよ!」
エルの手を引く武闘家が強く言った。
「そうちゃんが気を引いてくれたから、私は食べられずにすんだんですよ!そうちゃんのお陰です!」
「おじょ~は、泣き虫さんなのです~。エルちゃんもお姉さんとして撫で撫でしてあげるのです~」
エルがお嬢の腰に抱きついて、無邪気に笑った。
僕も空気を読んで、エルの肩に飛んで、そこからお嬢の肩に乗り移ると、ほっぺにグリグリと体を押しつけた。
「おじょ!げんきだす!」
「アンタたち……」
お嬢はまだ涙目だったけれど、それでも少し元気になったのか、口元を少しだけ緩ませた。
「ありがと」
そしてリーパーから体を離すと、ふと気づいたようにリーパーの右袖を掴んだ。けれども、そこには何もないようにふにゃりとなって、それを見たお嬢の顔が歪んだ。
「リッくん、これ……」
「あ、あぁ……、ごめん」
意味がわからなくて、僕はもう一回リーパーの腕を見る。
あれ?そういえば、リーパーは右手をさっきから使ってないような。というか、これって腕から先がない、ような……。
「……!リーパ!リーパ、て!て、ない!」
「あぁ……、ごめんね、驚かせるつもりはなくて……」
いや、お前が死なないのは知ってるよ!腕くらい無くても生きてるだろうよ!
どこに置いてきたんだって聞いてるんだ!早くくっつけろ!
「リッくん」
お嬢がきつく言うと、リーパーは観念したようにため息をついた。
「あぁもう、わかったよ。右手ないと徒歩で帰らないといけないしね……」
そう言ったリーパーがお嬢の目元に口を寄せると、ペロリと涙を舐めとった。
「ぎゃあああああああ!リーパーさあああああん!子供がいるんですよおおおおお!」
武闘家がエルの目を塞ぐ。けれど自分は目を見開いてガン見している。この際エルが百五十才ということは置いておこう。
「ねぇね、落ち着いて」
「落ち着けませんよ!推し!推しの!ああああああああ、推しのおおおおお!」
「ね、ねぇね……?」
お嬢が少し引き気味だけど、別に僕が引いてないわけじゃない。僕だって引いてるし、むしろ武闘家の言っていることを誰か訳してほしいくらいだ。
そんな僕たちを置いといて、リーパーが小さく呻いたかと思うと、バチバチと右腕(無いけど)に赤い線がまとわりついて、ニョキッと腕が生えてきたのだ!
「腕!腕が生えて……!?」
武闘家が慌てるのを横目に、リーパーはお嬢から離れると、お嬢の小指に指輪をはめてからふわりと微笑んだ。また白目になってる。
「そうちゃん、なんで、ここまで来た、のか、聞いていい、かな?」
「……花妖精に、作ってほしいものが、あって……」
「それは、ボクじゃ、作れない、のかな?」
真っ赤になったお嬢が、リーパーにビンタした。
「いたっ!」
「煩い!第一、なんで湖に行っちゃダメだったのよ!」
リーパーは叩かれた箇所を撫でながら、
「昔、そうちゃんに絵本を、読んだ、と思うんだ、けど。そうちゃんが、人魚に夢を見てた、から、現実が、ああだってこと、知られたく、なくて……」
苦笑いのような、でも優しく微笑むリーパーは、きっと悪気はどこにもない。
でもいい加減僕にもわかる。そう、このパターンは。
「もう子供じゃないって、言ってる、でしょ!!!」
「え!?」
宙高く舞ったリーパーの頭を見ながら、あいつって学習能力が致命的にないんじゃないかなと考えていた。
※
あぁ、最悪だ。
最悪だ、最悪だ、最悪だ、最悪だ、最悪だ。
光の柱が見えて、それがあの奇跡のガキってことはすぐにわかった。
上等な飯にありつける!そう思って行ってみれば、だ。
見たくもねぇ顔と会っちまった。
アイツはこっちを見るなり、すぐに仕掛けてきやがった。
まともな“食事”をしていないアイツなんか、まぁ怖くもなんともないが、それでもあの右手から出てくる孤空の魔法は厄介なことこの上ない。
しかも、だ。
アイツは最初から右腕をくれてやる覚悟で攻めてきた。これだからアイツは頭が狂ってんだ。
ま、こっちとしては死にたくねぇし?
まだまだやりてぇことは山程あるからな、封印されてやるつもりもないし?
けれど。
「流石に身体半分はねぇだろぉよぉ」
左半分が無くなった自分が、覗き込んだ湖畔に映る。
「ヒヒッ、ヒヒヒッ、いつまで飯を食わずにいられるんだろぉなぁ。俺っち、アイツが空腹で狂うの、楽しみ!」
早く狂ってくんねぇかな。
「……?誰だぁ?」
ふと誰かに見られているようで、辺りを見回してみる。
羽を生やした、ちっせぇ女が近くを飛んでいた。
「花妖精じゃねぇか、うまそうだなぁ」
丁度いい。身体を早く再生したいし、上等とはいかねぇが、それなりに腹が膨らむだろう。
「貴方、リー様に似ているのですね」
「あぁん?俺っちが?あのクソいけすかねぇ野郎と似てるだと?」
花妖精ってのは頭だけじゃなく、目も狂ってんのか?
一体、どこをどう見れば、この鍛え上げられた肉体と、ひょろい骨皮野郎と似ているってんだ。
「似てますわ。そう、例えば……」
花妖精が笑う。
周囲から数え切れないほどの花妖精が姿を表すと、そいつらは耳障りな笑い声を浴びせてきた。
「なんだやめろぉ!気色わりぃ!」
「あの奇跡の子、欲しいのでしょう?」
こいつらは、何言ってやがるんだ。
花妖精はアイツに恩を感じてるとか聞いたはず。
「ここにいる子は、リー様をお慕いしております。だからこそ、あの奇跡の子は邪魔なのです。でも私たち、リー様に嫌われたくはないのですよ」
あぁ、なんだ。いい取り引き持ってきやがるじゃねぇか。
「花妖精ともあろう奴が、俺っちみたいな半端者に頼みたぁ、笑える。が」
近くの花妖精を掴んだ。戸惑う顔を見せる花妖精ににやりと笑ってみせる。
「料金は前払いだ」
花妖精が何か口にする前に、その体は塵となって消えていった。代わりに半分しかなかった視界が良好になっていく。
「一匹じゃこんなもんか。まぁ、餌はたぁくさんあるみたいだしなぁ」
抑えられない笑い声が、嫌というほど響いていった。