森妖精。
長老の家は一際大きな木で、見上げてもそのてっぺんが全く見えない。所々に、窓みたいな穴が空いていて、そこには花が綺麗に飾られている。
森に入る前はあんな木は見えなかったし、あれも魔法で隠されていたのかもしれない。
「長老様~、エルちゃんなのです~。入るのです~」
特に呼び鈴もない扉をこれまた無遠慮に開けて、エルが「長老様~」と大声を上げた。
すると、外の森妖精と大して変わらない大きさの、けれども立派な髭を蓄えたジジイが奥から出てきた。
「おぉ、おぉ、エルではないか。全く心配したのじゃぞ。いくら掟とは言えお前はまだ幼い。勝手に里から出るなどと」
「勇者たちもその辺に座るのです~」
まだお小言が終わっていない長老を置いといて、エルはその辺の椅子に座った。
勇者が「お邪魔します」とエルの隣に座る。武闘家と僧侶も習って座ったけれど、魔法使いだけは壁に寄りかかったままだ。
「貴方がたがエルを連れ戻してくれたのですな。誠に感謝致します。まだエルは幼く――」
なんだろう。
なんだか、長くなりそう。
「そして我々、森妖精は――」
窓からちらりと外を見る。
着いた時はまだ朝とも言える時間だったのに、もう太陽が真上に登っている。
お腹空いたなぁ。
「森と共に生きることを決め――」
まだ長老の話は続いている。
エルなんかお絵かきを始めちゃったし、武闘家は机に突っ伏して寝ている。僧侶は……、これ聞いてんのかな?
魔法使い?いつの間にかいなくなってたよ!
「勇者~、見るのです~」
「わぁ、これ長老様?似てるねぇ」
書けた絵を勇者に見せている。僕も横から覗いてみる。
うまっ!実物まんまじゃないか!この特技、なんか違うことに生かせよ!
「解放者と呼ばれた王は姿を消し――」
もう日は沈んでしまった。流石にもう耐えられない。
「ゆうちゃ!ごはん!」
頭の上で跳ねる。只でさえ、昨日のミルク以降何も食べていないんだ。まともなご飯が食べたい。
勇者は「あ」と気づいたように苦笑いして、
「ごめんよ、フロイ。長老様、お話の途中すみませんが、里に宿はありますでしょうか?」
「宿ですかな?それでしたらここへ泊まるといいですじゃ。ここは隠れ里故、宿といったものはないのですじゃ」
「ありがとうございます、長老様」
爆睡中の武闘家を起こして、勇者がにこりと笑う。隣の僧侶も軽く頭を下げたところを見るに、寝ていたわけではないらしい。
「魔法使い、どこに行ったのかなぁ」
「ふぁ……。どうせ、森妖精の女性のところですよ。もしくは一人でご飯ですよ」
まだ眠いのか、目を擦りながら武闘家が毒を吐いた。どこへ行くとも魔法使いは言ってないのだけど、僕も武闘家の言う通りだと思う。あいつ、行動原理が単純なんだよな。
「だーれが一人飯だって?」
「ぎゃあああ!」
いきなり掛けられた声に、武闘家が人とは思えない動きで跳ねた。僕よりもすごい跳ね方に、こいつ実はフワリンなんじゃないかと思う。
「いいいいきなりなんですか!てか、どこ行ってたんですか!」
目もパッチリ冴えた武闘家が、面倒くさそうに耳をほじる仕草をする魔法使いに騒ぎ立てる。近くの勇者が「まあまあ」と武闘家を宥めているけれど、あまり効果はなさそう。
「里を見てたんだよ。話はおめーらが聞いてたんだろ?なら、休みながらでも話しよーぜ」
「助かるよ、魔法使い。ご飯でも食べながら話そうか」
「よっし、飯だな!長老のじーさん、オレの分も忘れんなよー!」
ちゃっかり催促する魔法使いに、武闘家だけでなく僕もため息をついて、僕たちはその日初めてのご飯にありついた。
さて、勇者が聞いた話によると。
妖精とは、人間でも魔族でも魔物でもない人の総称らしい。
森に住む妖精が森妖精で、彼らは主にここ“緑の国”に住んでいるのだとか。他の妖精についてはあまり話してくれず、とりあえず森妖精のことについて延々と話してくれたらしい。
「魔法使いのほうは?」
「ま、あんま変わったことはなかったぜ。強いて言うなら、森妖精は総じて幼い感じがしたなー。魔王領のあれが特別小さかったわけじゃねーみたいだな」
その中でも、やっぱりエルは小さいからまだ子供なんだろう。
一緒にご飯を食べるエルは、とても無邪気だ。
「それから、森を抜けた先に小さな港町があるって話だ。そこから船に乗れば“黃の国”に行けるぜ」
「じゃ、明日は森を抜けてその町を目指そう。二人もそれでいいかい?」
「はい、構いませんよ!」
「……」
僧侶もいいらしい。もう慣れた。
勇者が「ごちそうさま」と手を合わせ、立ち上がろうとしたところに、長老が「お待ちくだされ」とよたよた近寄ってきた。
「頼みがあるのですじゃ。どうかエルを連れて行ってはくれませんかな?」
「エルちゃんを?」
「無理無理」
水をプハッと飲み干した魔法使いが、肘をついて手をヒラヒラと振る。
「あーんなちっこいの、連れて行って何になるんだっての」
「ちょっと魔法使いさん!」
武闘家が魔法使いを睨むけれど、確かにあんな子供、危なくて連れていけないよ。お荷物が増えるだけだ。
「ふむ、確かにエルは百五十才とまだ若いですが」
「待て待て。なんつった」
「まだ若いですが」
「その前だよ、いくつだって?」
魔法使いの口がひくついている。僕も聞き逃したのかと思って、長老のほうを改めて向き直る。
「百五十才ですじゃ」
「ひゃくごじゅっさい!?嘘だろ!?」
あの見た目と話し方で?
僕より、いや勇者たちよりも年上だと言う。
改めてエルを見るけれど、口の回りにミルクの泡をつけてにっこりと笑っただけだった。
「我々森妖精は、一人前になる為に、世界を回ることになっておりますじゃ。数日前に魔王様がいらっしゃいましてな、話を聞けば、皆様は各地を回る旅をしているとか。どうかエルを連れて行ってくだされ」
脳裏に、あの澄ました笑顔で親指を立てる魔王が浮かぶ。森妖精に用があるってこういうことだったのか。
ちょっとだけ魔王に殺意が沸いた。てかあいつが連れて行けばいいじゃないか。暇そうだったぞ、あの魔王。
「エルちゃんは、どうしたい?」
「ふぇ?エルちゃんはですね~……」
エルは持っていたコップを高く掲げて、
「仕方ないから、エルちゃんにど~こ~することを許可するのです~!」
「よし、じゃ明日からよろしくね、エルちゃん」
にっこりと笑う勇者と、嬉しそうに手を叩く武闘家、それから盛大なため息を零す魔法使い。僧侶はよくわからない。
そこに、森妖精のエルを加えた僕たち六人の旅は、正直どうなるのか、僕にも全くわからない。
ただわかるのは。
「エルちゃん、コップに中身入ったままだよ!」
「ミルク!ミルク溢れてます!」
「だからちっこいのは嫌なんだよ!」
「……」
「わ~い、なのです~」
毎日が、きっと騒がしいってことだけだ。