挨拶と本物と僕。
「あああああ!もういい加減にしてよ!」
それは朝、というより、もう夕方と呼べる時に鳴り響いた。
勇者と一緒に寝ていた僕は、その大声で起こされて、同じくそれで起きた勇者に肩に乗せられて、下の広間へと向かった。
これまでに何度か見たお嬢が、持っていた小包を床へ思いきり投げつけて、伯にわーきゃー騒いでいたのだ。
「愛しの君、相も変わらず元気なようで何よりだ」
「煩い!何度言えばいいのよ!アタシはリッくんが好きなの!アンタみたいなおっさん、興味ないの!」
確かに伯はおっさんだ。けれども、あれ?お嬢が言う“リッくん”て確か。
「愛しの君、失礼ながら申し上げると、リーパー殿とて年に関しては」
「煩い!リッくんはいいの!」
あ、いいんだ。女の子って複雑なんだなぁと思っていると、階段を降りてくる僕たちに気づいたのか、伯が爽やかな笑みを向けてきた。
「やぁ、勇者殿。よく休めたかな?」
「あ、はい。えぇと……」
「私はしがない辺境伯だ。そろそろ皆も起きてくる頃だろう、食事の用意をさせよう」
伯はそう言って、屋敷の奥に消えていった。
残されたのは、僕たちとお嬢。なんだか気まずい。
「ねぇ、アンタ。アンタは魔王を倒したいの?」
「え?うん、勇者だし……」
あ、勇者は昨日の話知らないんだ!
なんだかこれじゃ誤解させちゃうよ!
「じゃ、深淵の主も倒すの?」
「四天王らしいし、倒す、かな?……うわっ」
お嬢が鎌を振り回してきた!勇者はそれを下がって紙一重でかわす。
「ちょ、ちょっと何するんだい!?」
「煩い!それならアタシがアンタを倒すんだから!」
鎌をブンブンと振り回し続けるお嬢と、特に剣を抜くわけでもなく、かわし続けている勇者。話をしようにも、僕もくっついているので精一杯だ。
「やるじゃない!なら……」
お嬢が距離を取って指輪をひとつ外した。何かしらヤバそうなのが来ると僕でもわかる。でも勇者は剣を抜かずに、むしろ無防備にお嬢を見つめた。
「リッくんは、アタシが……、アタシが守るんだから!」
指輪を宙に投げる。
それは五本の剣に姿を変えて、お嬢の周囲を回りだした。
お嬢が手を振って、それを僕たちに飛ばしてきた!
よけようよ、勇者!串刺しは嫌だよ!
けれども、僕たちとお嬢の間に突然黒い円?球体?が現れたかと思うと、
「やっと、終わった。伯、相変わらず、ボクの時だけ、多くないかな……って、痛い!」
そこから出てきたリーパーに当たった!
見事に頭と手足に一本ずつ刺さった剣は、まるでリーパーの標本だ。
「あああああ!リッくん!リッくん大丈夫!?誰にやられたの!?」
誰にって、いやいやお前だよね!
何しれっとしてんのさ!
リーパーは駆け寄ろうとしたお嬢を制して、刺さった剣に触れていく。やっぱり崩れていくそれに、リーパーが人でないことを嫌でも自覚した。
「あぁ、そうちゃん。どうしたの?何か怖いこと、あった?」
「リッくん聞いて!アイツ!アイツ、リッくんのこと倒そうとしてるの!」
「あいつ?」
抱きついてきたお嬢を優しく受け止めたリーパーが、あいつと示した方、つまり僕たちを見て、懐かしそうに微笑んだ。
「勇者くん、久しぶり、だね。え?でも、あれ?勇者くんが、ボクを、倒すのかい?」
お嬢の頭を撫でてやりながら、リーパーはうーんと首を捻っている。
「僕はリーパーは倒さないよ?」
「だってさっき言ったじゃない!」
「深淵の主は倒すけど」
「ほら!もう嘘はつけないんだからね!」
あれ。まさか……。
リーパーが深くため息をつくのを見て、僕は確信した。
「そうちゃん」
「なぁに?」
リーパーがお嬢の口に人差し指を当てた。お嬢が茹で蛸みたいに真っ赤になる。
「少し、静かにしよう、か」
真っ赤なままコクコクと頷いたお嬢を横にのけて(あれはリーパーの術にかかったわけではなさそう)、リーパーは落ちていた小包を拾い上げた。
用意が出来たようで、また戻ってきた伯が「おや?」とリーパーに視線をやる。どこか刺々しいのは気のせいかな。
「人様から頂いたものを、乱暴に、しちゃいけないって、いつも言ってるのに……。あぁ伯、いつもそうちゃんが、無礼を、すみません」
「はっはっはっ、私は構わない。なぁ?深淵の主殿」
「……伯、あまりからかうと、本気でお相手をしなければならなくなりますよ」
リーパーが伯を睨む。その目は、城で見たあいつみたいに真っ赤に染まっていた。
伯の顔が引きつって、額から汗が流れた。
「久しぶりにそれを見ると、なかなかに、迫力がありますね……。いや、申し訳なかった」
「……いや。ボクも、すみません」
小包をお嬢に手渡したリーパーが、改めて僕らに向き合った。その目は元の真っ白い目に戻っていた。
「えぇと、その、騙してるつもりは、なく、て……。でも、驚かせちゃった、よね。ごめんね?」
さっきスラスラ話してたのが嘘かと思うくらい、リーパーはまたおどおどしている。本来の性格は、きっと、たぶんこっちなんだろう。
勇者はふふっと可笑しそうに笑った。
「勇者、くん?」
「いや……。武闘家から聞いた話だと、深淵の主の姿を見たら災厄がかかるとか言ってたんだ。もしそれが本当なら、僕たちだけでなく、剣士も“黃の国”の人たちも、もういなくなってるよなぁって思ったら、なんだか可笑しくて」
堪え切れないのか、勇者はさらに笑う。リーパーは驚いたように目を丸くして、同じように小さく笑った。
「ねぇリーパー、君は深淵の主なのかい?」
リーパーは表情を少し固くして黙り込んだ。けれども口元を緩めると、小さく頷いた。
「……今は、たぶん、そう呼ばれてる。勇者くんは、ボクを、どうしたい?」
「どう?どう、かぁ……」
今度は勇者が黙る番になるかと思いきや、勇者はにこりと笑ってリーパーに手を差し出した。
「友達、だよ。僕は、友達を守りたい。それが君への答えじゃ駄目かな?」
「……ううん。十分、だよ」
リーパーは勇者の手を握り返す。「つめたっ」と勇者がちょっとびっくりしたけれど、その手を離すことはなかった。
「友はいいものだ、なぁ諸君らもそうだろう?」
伯が階段を見る。
僕と勇者も見習って見上げると、いつの間にか起きていた魔法使いたちが「よっ」と手を上げた。
「勇者、もう身体はいいのか?」
「うん。心配をかけたみたいでごめんね」
「勇者さん!ちゃんと生きてますよね!?大丈夫ですよね!?」
駆け下りてきた武闘家を宥めて、勇者は「大丈夫だよ」と微笑んだ。続いて降りてきた僧侶が、そっと緑色の液体が入った小瓶を差し出してきた。
「僧侶もありがとう、これは?」
「……」
「そうなんだ!これなら飲むだけでいいんだね!」
なんだ、飲む薬草かなんかかな。既に草の体を成していないけど。
「皆、本当にありがとう。僕はもう大丈夫。魔王を倒しに行けるよ!」
「それなんですが……」
武闘家が説明しようとすると、魔法使いから盛大な腹の音が聞こえてきた。
「……魔法使い、さん?」
「いやー、美味いもんて消化がよくてなー。飯出来てんだろ?食いながら話そーぜ」
「飯、飯」と意気込んで奥に消えていく。もう誰かあいつの腹の音を止めてほしい、ほんとに……。
夜ご飯を頂きながら、武闘家が今朝のことを掻い摘んで話してくれた。協会、魔王、それから剣士たちのこと。
「剣士たちはどこに?お礼言いたいんだけど……」
控えていた執事のじじいが、勇者のカップに紅茶を入れると、
「剣士様御一行は、昼頃に魔王城のある領地へと向かっていきました」
「剣士は魔王を倒すつもりなのかな……」
勇者が、淹れてくれた紅茶を眺めながら言う。
「たぶん、違うんじゃ、ない、かな。剣士くんとは、“黃の国”の時くらいしか会ってない、けど、彼は、自分で見たものを、見ようとしてた、から」
「自分の目で……」
「人形使いくんも、あの僧侶ちゃんも、狩人ちゃんも、きっと、剣士くんが“彼ら”を見た上で、連れて行くって、決めた、んじゃないかな」
勇者は顔を上げた。何かを決めたような、そんな目で。
「僕も行きます、魔王城に。魔王と会って話してみたいんです。その結果、戦うかもしれない。理解出来るかもしれない。どうなるかわからないけど、皆が仲良くなれるようにって願った魔王の、その願いを、魔王の口から聞いてみたい」
勇者が、仲間を見る。
武闘家が笑う。
僧侶が頷く。
魔法使いが……って、
「おかわり!これうめーなー!」
おい!空気読めよ!
けれども、うん、あの脳筋らしいや。
「そうか。ならばこの森の更に北、焼けた大地の先に魔王が治める領地がある。そこに向かうといい」
「伯、ボクがいる前で、堂々と言う、かな」
「なんだ?リーパー殿は、友の出立を見送れんと言うのか?」
にやりと意地の悪い笑みをする伯に、リーパーはため息を零した。でも、リーパーは僕たちを止める気はないのか、リーパーに膝枕されてご満悦のお嬢の頭を撫でる手を止めない。
「違う友に、何か、言われそうだけど。そうだね……、今は、勇者くんを見送ろうと、思う、よ」
「ありがとう、リーパー」
「うん。その……、魔王に、遊ばれないように、気を、つけて」
苦笑いしたリーパーに、勇者は不思議そうに首を傾げながらも、大きく頷いた。
「さて、風呂にでも入ってきたまえ。その間に寝れるよう進めておこう」
伯が手を上げると、あのじじいが「こちらへ」と僕たちを案内してくれた。確かに埃っぽいし、綺麗になれるなら嬉しいことはないと、僕たちは談笑しながらじじいについていった。
※
「そうちゃん。一人で戻ってきたわけ、聞かせて、くれる?」
撫でてくれる冷たさに気持ちよくなっていたけれど、これは先に話してしまわないと咎められると思って、アタシは仕方なく体を起こした。
昔と違う、少し優しさがある白い目が、アタシを心配するように細められる。
「……おにぃが、送ってくれた。アタシは、危ないからって」
そう。
赤目のアイツらは、いつも食事に飢えてる。
今回だってそう。“協会”のことを探っていたら、どうやら赤目がいるって話を聞いて、頼んでもないのにアタシはここに送られた。
アタシだって、もう子供じゃないのに。
皆と一緒に、戦えるのに。
「……リッくんは?リッくんだって、リッくんだって……!」
白目の彼が、あいつらと違うことくらいわかってるのに。
けれどもやっぱり幼いアタシは、こうして泣いては彼にいつも当たり散らしてる。
抱きついたら、力のない彼はそのまま後ろへ倒れるけれど、優しい彼は、アタシを抱きしめて撫でる手を止めない。
「そうちゃん。大丈夫、大丈夫、だよ」
大人な、もう大人と言うには生きすぎた彼は、いつもこうして、アタシの気持ちなんてわからずに、残酷で、優しく、そして冷たい言葉をかける。
彼は、全てをわかっているのに、全てをわかってはいない。
アタシが、同じだったら、違っていたのかな……。