辺境伯と森と僕。
どこまで走ったのかな。
暗くて細い道を何回も曲がったりして、いつの間にか裏から都を出たようだった。
先頭を走っていた狩人以外は息が切れている。
いつもは汗ひとつかかない僧侶も(着ぐるみだからわかんないけど)、疲れているように見えた。
「……で、これからどーすんだ?」
魔法使いが汗を拭いながら言う。
「とりあえず、オイラたちを助けてくれた人がいるんだ。困ったことがあれば、この先の森にある別邸に来るといいって言ってた。話はそれからで」
人形使いが懐からあの人形を出して「ジェシカちゃん怖かったね」と顔を撫でている。あれジェシカっていうんだ……。
ちなみに前見た“ジェシカ”より、微妙にデザインが変わっている。新しく調達したのかな。
僕らはそのまま、人形使いが言う森へと向かった。
あの兵士も一緒だ。戻れないしなと苦笑いする兵士に、ちょっとだけ同情した。
向かう間も勇者は目を覚まさなくて、でも息はしてるっぽいから、大丈夫だって信じたい。大丈夫、だよね。僕が倒すまで……、そうだよ、倒すまで生きててもらわないと。
次第に朝日が見えてきた頃、木がもっさりと生えた森の中に、普通の家よりは大きいお屋敷が見えてきた。
「ここですか?」
「たぶん。森の中の別邸ってこれくらいしか見なかったし……」
参ったとほっぺを掻く人形使いを置いといて、魔法使いが扉にある鐘を鳴らした。中から「はいはい」と朗らかな声が聞こえて、それからガチャリと扉が開いた。
出迎えてくれたのは、年老いたじじいだ。これが助けてくれた人?確かに優しそうだけど、困ったことがあっても頼れなさそう……。
「来る頃かと思っておりました、剣士御一行様。それから、勇者御一行様、でございますね。我が主がお待ちでございます。ささ、こちらへ」
どうやらじじいは違うみたい。そうだよね、僕より弱っちそうだもの。
じじいが案内してくれた客室へ行くと、窓際に立っていた偉そうなおっさんが、朝日を受けて優雅に佇んでいた。
「こちらが、魔王軍の最前線に領地を構えておられる辺境伯でございます。伯、何か御用命がありましたら、またお呼びくださいませ」
「ではそうだな、まずは」
「飯」
魔法使いが間髪入れずに挟んだ。
この状況で?今それ言うところじゃないよね?
伯は耐えきれないというように吹き出して、
「だそうだ。何か見繕ってくれないか?」
「かしこまりました」
苦笑いのような、でも少し可笑しそうな笑みを浮かべる辺り、懐は広いのかもしれないと思った。
いくつかのサンドイッチに、美味しそうなクッキー、他にも野菜たっぷりのサラダ。これらは全部、伯の領地内で採れたものから作っているらしい。
よほど人手が足りてるんだな。
魔法使いはそれらをガツガツと食べながら、いつも通りポロポロと溢しながら、行儀悪く食べていた。反対に座る剣士と人形使いが引いてるのがわかる。
ゆる僧侶と狩人は休むということで、伯が用意してくれた部屋に行ってしまった。勇者も、用意してくれた部屋に僧侶が運んだ。
兵士?その辺にいるんじゃないかな。
「で、わかるよーに説明しやがれ」
せめて食べるのをやめろよ。これが人に物を聞く態度なのだから驚きだ。
「わかるようにって言われてもな。俺様たちも、正直わかってねぇ」
「は?助けに来たんじゃねーのかよ」
「オイラたちも捕まってたんだけど、まぁ、解放されてね」
あの兵士も言ってたな。人形を持った四人組がいるって。
やっぱりあれは剣士たちだったみたい。
「牢屋を出たら、途端に怪しいローブを羽織った集団に囲まれてな。どこの奴ともわからん相手に魔法をぶちかますわけにもいかねぇし、都を逃げ回ってたんだよ」
見た目とは逆に、剣士はクロワッサンを千切って食べている。少しはうちの魔法使いも見習ってほしい。
「そこを伯に助けられてね。ここまで来ようと思ったんだけど、逃げる途中で君たちが城へ行ったとローブの集団から聞いてさ」
人形使いが隣の剣士をちらりと見る。
「剣士くんが、なんかあるかもしれないから行こうって言い出してさ。何もなかったらどうする?って聞いたら、それはそれでいいって」
「おい役立たず、少しは黙ってろ」
「わかったよ」
でも人形使いは笑ったままで、剣士は少し気まずそうだ。
サンドイッチをひと切れ食べ終えた武闘家が、口元を拭って、人形使いに目をやった。
「“賢者”について、お伺いしても?」
「オイラも、実はよくわかってない。昔、どれくらい昔かはわからないけど、オイラの家系はそう呼ばれていたみたい。役に立てなくてごめんよ?」
「あ、いえ、すみませんでした」
申し訳なさそうに俯いた武闘家に、人形使いが「いいよ」と微笑んだ。
食った食ったと腹を撫でる魔法使いが、食後の紅茶を勢いよく飲み終えて、少し真剣な顔つきで話しだした。
「で。あれはなんだ?」
場の空気が凍った気がした。
「……まぁ、その辺りは私が話をしよう。諸君らが“何”を見たのかは、私にはわからない。だが、諸君らを狙った者の見当ならばついている。“協会”だ」
「協会?」
誰かの言葉に伯は頷いて、一口紅茶を飲むと話を続ける。
「人こそが神に愛された者であると謳い、その名の元に正義を下す。そこに人でないモノは必要ない、というのが彼らの言い分だ。尤も、もう少し綺麗な言葉を使っているようだがね」
なんというか、傲慢だ。
あれ、待てよ?人でないモノはいらないってことは……。
「ぼく、は……?」
武闘家がハッとして僕を見た。その目は、たぶん僕が思ってることを否定するような、そんな目だった。
「……そうだね。彼らの理想の中に、魔物と魔族は含まれていない。それに異を唱え立ち上がったのが、今の魔王だ」
「ではあれは、魔王が仕向けたものなのですか?」
武闘家の言葉に、伯は「いや」と首を横に振った。
「今の魔王がそれをするとは考えられない。だからといって、諸君らを襲った“何か”がこうだとは断言することも出来ない。すまないね、あまり力になれなくて」
魔法使いが背もたれにもたれかかり、口元を歪ませる。
「愛に神に正義ねー。綺麗な言葉はどーにも胡散くせー。だからこそ、縋っちまうのかね」
その顔はよく見えなくて、魔法使いが何を思ってそれを言ったのかはよくわからない。けれども、きっと魔法使いは協会が嫌いなんだろう。
「綺麗かどうかはそれとして、とりあえずしばらくは休んでいくといい。安心したまえ。ここにいる者は、諸君らに手は出さん」
「ふわぁ……、助かります。お言葉に甘えて休ませて頂きますね」
眠気でふらつく武闘家を僧侶が支えて、二人は階段を上がっていった。僕もそろそろ寝ようかと思ったけど、魔法使いはまだ寝ないみたいだし、気になるから頑張って起きていることにする。
「……魔法使いくん、あまりオイラも人のこと言えたものじゃないけど、君も違うんだろ?身のこなし、武器の使い方、君はたぶん」
「おっと。オレは魔法使いだぜ?お前が人形使いであるようにな」
人形使いが一瞬目を丸くする。それからへにゃりと「そうだね」と笑って立ち上がった。
「じゃ、オイラも休むよ。会場で久々に魔法使ったら疲れたしね」
「おー。今日はありがとな、助かったぜー」
ひらひらと手を振る魔法使いに、人形使いも手を上げて、階段を上がっていった。
「……人と、人でならざる者、か」
何も話さなかった剣士が、ぽつりと零した。魔法使いは気づいたようにちらりと見たけれど、特に何も言わずに立ち上がった。
「おら、非常食。勇者んとこに置いてやるから、オレらも休むぞ」
「え?わー」
ひょいと摘みあげられて、まるでお手玉みたいに右に左に投げられる。うっ、きもぢわるいぃぃ。
やめろよと言えないまま、僕は勇者の部屋まで運ばれて、枕元にぽんと置かれた。
「じゃ、なんかあったら呼べよー」
視界がぐわんぐわんしてるのに、何かあったらってなんだよ。今すでにヤバいよ、馬鹿脳筋。
とりあえず僕は、すやすやと寝息を立てる勇者の顔をまじまじと見てみる。顔色はだいぶ良くなったみたいだし、奇跡の魔法ってすごいんだなぁ。
「……ん、フロ、イ?」
「ゆうちゃ!」
目が開いた!
僕は嬉しくて、勇者の体に飛び乗って思いきり跳ねてやった。
「は、はは。痛い、よ、フロイ……」
「ゆうちゃ!ゆうちゃ!」
今ならこれで倒せるかもしれない。
そこまで考えて、なぜだか僕は跳ねるのをやめてしまった。なぜかは、わからない。
「フロイ……?どうしたん、だい?何か、怖いこと、あったの、かい?」
「……」
怖いこと。
勇者が動かなくて、いつもみたいにあったかくなかったあの時を思い出して、僕は全身の毛がブルブルと震えた。
「ごめん、ね」
勇者は僕をそっと両手で持ち上げて顔の横に置いた。あの時と違ってあったかいほっぺに、僕はぐりぐりと体を押しつけた。
「昔、じっちゃが言ってた、よ。“誰かのために勇気を出せる者は、皆勇者だ”って。君は、僕にとっての、勇……者、だ……よ」
「ゆうちゃ?」
気絶するようにまた寝てしまった勇者に、ちょっとだけ不安になって、でも安心して、僕もひと眠りすることにした。
なんで勇者がいなくなったら怖いのか。
僕にはその答えが、まだ、わからない。