月明かりと僕。
目の前に広がる光景は、夢みたいに僕の横を通り過ぎるようで。
でも微かな鉄の臭いが、あぁ、これって本当のことなんだって僕に事実を運んできた。
「ゆう、ちゃ……?」
僕は倒れている勇者の元へ跳ねていく。
自慢の毛が少し湿るけど、そんなのどうでもよかった。
「ゆうちゃ、ゆうちゃ」
勇者にぐりぐりと体を押しつけてみるけど、全く動く気配がない。気のせいかな、なんだかいつもよりあったかくない。
「ゆうちゃ」
頭の上で跳ねた。
動かない。
「ヒッハァァァアアア!勇者の血ぃもらったぜいぜいぜぇぇええい!」
暗闇から声が聞こえて、僕はそっちを見る。
窓から入る月明かりに照らされて、なんだか人のようなものが見えた。
「ゆ、勇者殿!貴様何奴!」
兵士が剣を抜いて僕の前に立つ。
そいつは、怖いほどの、赤い目をしていた。
「勇者っていやぁ、徳がありそうだろ?いやさ、人間でも魔物でも魔族でもいいんだけどさぁ、あ、つまりは誰でもよかったんだけどさぁぁあああ」
狂ったように笑い出したそいつは、人なのに人じゃないような、そんな感じがした。
「ねぇねぇ知ってる?うん知ってるよ!」
声色を変えて一人芝居をやり始めた。
いつもの僕なら突っ込むとこだけど、この時の僕には、そんな余裕なんてどこにも無かった。
「じゃん!ここで問題です。世界の三大珍味とはなんでしょぉおおかっ!はい!それは」
そいつは舌なめずりをして、自分の体を抱きしめる。
「奇跡の一族。あぁっと、これは既にいない!ああ残念だ!はい次に女!では最後は?」
僕も兵士も何も言えず、ひんやりとした空気の中、沈黙が続いた。
「……はぁ、早く答えろよ、カスども。わかりやすいだろ?勇者だよ、ゆ、う、しゃ。生まれ持った才ってやつは、血に出るんだろぉな」
そう言ったそいつは、背中から真っ黒な羽を出した。
気持ち悪い、ねっとりとした笑みを見せる度に、鋭く尖った歯が見えた。
「そ、外の騎士たちは……」
「あー、あれならもう俺っちの支配下だからさ。ついでに言うなら来てる客人も?そうだよ客人も!全員、洗脳済みだ。誰も助けてなんかくれねぇんだなぁ」
「う、うわぁ!」
にやりと笑ったそいつを見て、兵士は我先にと逃げ出した。
あんなんで兵士とか情けなさすぎる、だから牢屋の見張りなんてちっさい仕事なんだよ。
「さて。反抗するからいっぱい溢しちゃっただろお?本体まだ生きてるし?邪魔者いないし?」
そいつが勇者に近づいてくる。
駄目だ、これ以上血が無くなったら死んじゃう!
僕はそいつを近づけさせないように、そいつの足に体当たりした。
「あえ?こんな雑魚いたの?」
そいつは僕を蹴り飛ばした。
僕は壁まで飛ばされる。
「はい、ざっこー!俺っちウィナー!アヒャヒャヒャヒャ!」
腹を抱えて笑い出すそいつに、僕はまた体当たりした。
「あ?チッ、雑魚は雑魚らしく転がってろ」
また蹴られた。
今度は勇者の横に飛ばされた。
「うっ、うぅ、ゆうちゃ……」
勇者は僕が倒すのに。
こんな奴に倒されたくないのに。
「フ、フロイ……」
「ゆうちゃ!」
勇者が気がついた!
よかった死んでない!なら早く逃げなきゃ!早く立てよ!
「駄目、だ……。フロイだけで、も、逃げて……」
「ゆうちゃ!だめ!」
何言ってんだよこいつは!
お前が生きてないと意味ないんだって!
お前が死んだら困るんだって!
なんでわからないんだよ、馬鹿!
「はいはぁい、お別れ済みましたかぁ。待っててやる俺っち優しい?うん、優しい!エヘへ、じゃ、雑魚は死ね」
爪が伸びた!
その爪は僕に向かって下ろされる。
あ、駄目だな僕死ぬな。
スローモーションみたいになる景色。僕がそれを堪能していると。
「フロイ!」
勇者が僕を掴んで懐に入れた。
視界が途端に真っ黒になる。
いつもの勇者の優しい匂いと、安心する暖かさ。
でもそれとは逆の、血の臭いと、弱くなっていく鼓動。
「ゆうちゃ、いや!」
「フロイ、は……僕が守る、よ……」
まだ言うの?
なんで?
僕は、残り物だった、ただのフワリンで。
人気だけど、でも僕は最後まで残っちゃって。
有り金全部はたいて僕を買う価値あった?
僕はお前を倒す為にいるのに、なんでまだ守るんだよ。
「雑魚を守るとかアホじゃねぇのか!流石勇者様だなおいぃぃい!」
「違う……、雑魚じゃ、ない。勇者、だからでも……ない」
「はぁ?死にかけて頭いっちまったかぁ?」
勇者が、笑った気がした。
「友達だから、だよ」
「ゆうちゃ……」
友達。
あぁそっか。そうだよ。
こいつ、いつも言ってたじゃないか。
馬鹿だなぁ、本当に、馬鹿だよ。
でも、こんな馬鹿を、こんな気持ち悪い奴に倒されるのは嫌だ!嫌だよ!
「たちゅけてー!だれかー!」
懐から叫ぶ。
僕に出来る精一杯だ。
「うわーん!まほうちゅかいー!ぶとうかー!そうりょー!たちゅけてー!」
届け、届け、届け!
あの時みたいに、届けー!
「当たり前だろ!」
それは魔法使いの声だった。
僕は懐からなんとか顔を出して、どうなっているかを確認する。
魔法使いが杖をそいつに向かってなげつけた。けれどもそいつは杖を叩き落とすと、ふわりと飛んで距離を取った。
「まほうちゅかい!」
「二人とも無事か!?食われてねーな!?」
魔法使いが僕たちとそいつの間に入る。
僧侶が駆け寄って勇者に薬草をあげるけれど、食べれるほどの体力がない。
「勇者さん、しっかりしてください!」
武闘家が勇者の体を揺する。やめろよ、勇者死んじゃうだろ!
そいつは順に皆を見ていき、そして武闘家を見て舌なめずりをした。
「仲間かぁ。いいねいいね!そこの女の子は美味しそうだぁ」
「こいつはてめーの飯になるような、安い女じゃねーよ」
「魔法使いさん……」
魔法使いが拳を構える。杖を取りに行く隙はなさそうだ。
「それにしても……客人たちはどうしたのかな?わざわざ洗脳したのに」
そいつは首をちょこんと傾げている。
「沛雨!」
それは入口から聞こえてきた。
水の強い魔法であるそれは、渦を造ってそいつへ向かっていく。もちろんそいつは、それを手で払いのけるようにして防いだ。
「これならどうだ!氷霧!」
剣士だ!
剣士が放った氷の魔法は、そいつを凍らせようと、周囲を冷気で覆っている。
けれどもやっぱり効かなくて、そいつはため息をついて羽を動かした。
綺麗さっぱり消えた冷気に、剣士が舌打ちをした。
「更に増えた。ふぅん、どうやって客人をさばいたのか気になるけど、分が悪くなってきたかもなぁ」
考えるようにそいつは首を捻って、そしてにやりと笑った。
「なぁんて言うわけないだろぉ?死ねぇぇえええ!」
また爪攻撃だ!しかもさっきより長い!魔法じゃ防げないよ!
「我が力を贄にし、現し世に姿を現さん。石人形!」
な、なんだ!?
床から何かおっきな人形みたいな奴が出てきたぞ!それは爪を弾くと、その力を見せつけるように拳をそいつに叩きつけた!
「おい役立たず!こんなとこで喚ぶんじゃねぇ!」
「しょうがないよ!後で謝るから!」
入口から中指と人差し指を立てた姿の人形使いが叫んだ。
え、これ人形使いが喚んだの?人形使いすごすぎ……。
「僧侶ちゃん!」
「任せてぇ」
相変わらずふわふわした動きで入ってきたゆる僧侶は、勇者の顔色を見て、それから額に手を当てた。
「毒が入ってるねぇ、それ先に抜くねぇ。奇跡の光よぉ、汚れなき流れを以て慈しみの慈悲と成せぇ。悲しみは続かない」
淡い光がゆる僧侶の手から溢れる。とても優しい光は、見ているこっちまで癒やされそうだ。
「う、ん……」
勇者の顔色がよくなった!すぐさま薬草を差し出すと、ゆっくりながらもそれを噛りだした。
「へぇぇ。超レア賢者に熟練僧侶たぁ、いい餌だなぁ。うん、決めた。逃げる」
そいつはケロッとした顔で言ってのけると、近くにあった窓をかち割って、そこから飛んでいってしまった。
台風みたいに過ぎ去った後、狩人が「こっち」と入口から手を振っている。
「おい、早くガキを運ぶぞ!ずらかる!」
「わーってるよ!僧侶、勇者を任せたぜ!」
僧侶が勇者を背負ったから、僕は邪魔にならないように魔法使いの頭に飛び乗った。
魔法使いは落ちていた杖を拾い上げ、武闘家の手を引いて走り出す。
廊下をバタバタと走る。
どう進んだかわからないけれど、あの逃げた兵士が「早く!」と叫んでいるのが見えた。
なんだかどこもかしこも騒がしい。
意味がわからないまま、僕たちは怪しいお城を後にした。