海の悪魔。
夜ご飯もたらふく食べて、さて休むかという頃だった。
船内が何やら騒がしくなって、船員たちがドタバタと走り回る。
それを食後のデザートを食べていた僕たちは、何事かと見ていた。
「誰か、誰か戦える方は……」
「早く海域を抜けて……」
「追いつかれたらお終いだぞ」
なんだろう、何か攻めてきたのかな。
不思議に思った勇者が、近くを通りかかった船員を引き止める。
「何かあったんですか?」
船員は慌てた様子で、でも僕たちの姿をひと通り見ると少し落ち着いて、ひと呼吸置いてから話しだした。
「クラーケンがこの海域に出没したらしい。くそっ、なんでこんな場所に。アンタら冒険者だろ?悪いが、何かあった時の為に甲板で準備しててくれないか」
それだけ話して、船員はまた食堂を駆け回っていく。
他にも戦える人がいないか探しに行ったんだろう。
「クラーケンってなんだ?」
「巨大なイカの魔物です。海の悪魔とも言われていて、その巨大な足で船に絡みつき、船ごと海に沈めてしまうのだとか」
流石、知識だけは豊富な武闘家だ。スラスラと本を読むように答えて、不安そうに眉を寄せた。
「よし、何かあったら大変だ。僕は甲板に行ってくるよ。皆はここに」
剣を取って立ち上がる勇者に続いて、魔法使いも杖を握って立ち上がった。
「おっと。留守番は性に合わねーからなしだぜ」
「わ、私も行きます!お役に立てることがあるはずです!」
「……」
僧侶が懐から薬草を五枚取り出して、そっと勇者に差し出した。
「皆……、よし行こう!」
魔法使いが僕を掴んで肩に乗せてくれた。行くとも行ってないのに、勝手なものだ。でも魔法使いの側が安全なのも確かだし、僕は黙ってされるがままにすることにした。
甲板は更に騒ぎが大きくて、僕たちの他にも何人かの冒険者が集まっていた。その中に剣士たち四人組の姿もあって、勇者は迷わずにそっちに向かった。
「剣士!」
「あぁ?ガキじゃねぇか。大人しく布団に入って夢でも見てな」
勇者を見て嫌味を吐き捨てると、剣士は剣を抜いたまま手すりから下をちらりと見た。
「そういうわけにもいかないよ。僕は勇者だからね」
「チッ、勝手にしろ……」
勇者も手すりから下を見る。
日が沈んだ海は真っ暗で、特に何も見えそうにもない。
「下ばっか見て、なんかあんのかー?」
見習って魔法使いも見る。確かに何もないし、僕も魔法使いと同意見だ。
「……多分だけど、下に来てるよ。ねぇ剣士くん、ここではオイラ」
「わあってるよ、役立たず」
「うん、ごめん」
申し訳なさそうに人形使いが言うけれど、別に剣士に役立たずと言われたことに傷ついたわけではなさそう。
「下って、まさか追いつかれてるんですか……!?」
「そぅみたいだよぉ。でもこっちから手ぇ出せないしぃ、なんとか逃げようとしてるみたいぃ」
髪をくるくると指に巻きつけながら、ゆる僧侶が緊張感の欠片もなく言った。こんな時でも頭ん中はお花畑らしい。
甲板には緊張した空気が張り詰めていて、他の人たちも各々の武器を握りしめている。
その時だった。
「来る」
誰かがそう呟いた。
耳が割れるほど凄く大きい音が鳴って、船が大きく揺れた。勇者が咄嗟に手すりを掴んで体制を整える。魔法使いも片手に手すりを握って、もう片手で武闘家を引き寄せた。
僧侶に関しては微動だにしていない。
「足だ!船から引き離さないと!」
船の周囲に足が現れて、その何本かが船に巻き付いていた。
一番近くの足に向かって勇者が剣を振る。
「くっ」
ヌルヌルして滑るのか、上手く切れていない。魔法使いも殴っているけど、弾力で弾かれて全く意味がない。
「ガキ!魔法を使え!船を焼くなよ!」
「魔法……、わかった!」
勇者が剣を掲げた。
「火炎!」
剣の先から火の玉が現れて、それは勇者が剣を振り下ろすと同時に足へと向かっていく。
当たった瞬間、こんがりと美味しそうな薫りがした。イカだもんね。
その足は海に引っ込んだ。けれども目のついた本体のようなものが出てきて、僕たちは一瞬動きが止まった。
ギロリと睨んできた目は、僕よりも大きい。
「ガキ!どんどんぶちかますぞ!灼炎!」
「う、うん!灼炎!」
勇者と剣士が同時に打つけれど、足と違って本体には全く効いていないようだ。
「二人とも、魔法力が足りてない!そんな小さな火じゃ、あれは焼ききれないよ!」
「うっせぇ役立たず!何か考えろ!」
「何かって……」
人形使いは、小脇に抱えた人形を落とさないように気を使いながら、ずり落ちていかないように床にへばりついている。
あの人形を手放せば必死にしがみつくこともないだろうに。そんなに大事なのかな、あれ。
「やぁだぁ、また来たぁ!」
違う場所から出たそれに、今度は狩人が矢を放つ。
けれども足は器用に身体をくねらせてよける。
今度は矢を三本同時に放ったけれど、それも結果は同じだった。
「駄目、当たらない」
狩人に向かって足が伸びる。
それを横に飛んでよけるけれど、よけた先で違う足に弾かれ、狩人はまるでゴミのように飛ばされてしまった。
「狩人ちゃん!」
剣士が走ろうとするけど、揺れる船の上じゃバランスが取れずに上手く走れない。
駄目だ、狩人が海に落ちる!
「……!」
微動だにしなかった僧侶が、高く高く飛んで、狩人の体を空中キャッチした!いやお前、身体能力高すぎでしょ!
「ナイスだぜ、僧侶!」
にやりと笑った魔法使いに、僧侶が親指を立ててみせた。表情は一ミリたりとも変わっていないけどね。
「大丈夫ぅ?奇跡の魔法いるぅ?」
ゆる僧侶が声を張り上げる。それに対して狩人は「問題、ない」と首を振った。
こっちは問題ありありなんですけど!
それまで何かを考えるように、小脇に挟んだ人形を見ていた人形使いが、何かを決意したように人形を手にして立ち上がった。
「方法、あるかもしれない」
全員が人形使いを期待の眼差しで見るなか、剣士だけが首を横に振る。
「ダメだ、ダメだダメだダメだ!」
「剣士くん、いいんだ」
「それはお前の!お前、の……っ」
剣士はそれ以上何も言えなかった。
人形使いが、真剣だったからだ。
「オイラ、こんなところで、旅を終わりになんてしたくないよ。村を出る時剣士くん言ってたじゃないか。絶対に俺様が勇者になるって。だから」
握りしめた人形に、淡い光が集まりだす。
「だから、やろう」
「……後でグチグチ言うなよ」
「わかってるさ」
光る人形を剣士が受け取る。
剣士もそれを握ると、さらに光は強くなった。
「ガキ、おめぇも魔法力込めろ」
剣士が投げた人形を受け取って、勇者も頷いて魔法力を込めた。
眩しいくらいの光に包まれたそれを人形使いが受け取って、それから人形に悲しく笑いかけた。
「で、その人形どーすんだ?」
手すりに武闘家を掴ませた魔法使いが、人形使いの近くへやって来た。
「三人分の魔法力が入ったこれを起爆剤にして、クラーケンの近くで火の魔法を使うんだ。オイラはそういう魔法は使えないから、勇者くんと剣士くんにしてもらう形になるけど」
「どーやって近くまで持ってくんだ?」
「……そ、それは」
考えてなかったんかーい!
黙り込んだ人形使いに呆れたのか、魔法使いがため息と共に人形をひったくった。
「オレが近くまで飛んで、ぶん投げてやる。それに向かって魔法を放て」
「ま、魔法使い。それじゃ君が危ないよ」
「任せとけって。オレだって、こんなとこで死にたかねーんだ」
へへっと笑って、魔法使いは僕を武闘家の頭に乗せた。
「まほうちゅかい……」
「おめーも心配すんなって。じゃ、行くぜ!」
魔法使いが床を蹴る。
足が魔法使いを狙ってその尖端を伸ばす。
くぐるようにそれらをかわして、魔法使いは手すりに足をかけて高く飛んだ。
それに合わせて足が魔法使いを追いかける。
駄目だ、空中じゃよけられない!
「狩人ちゃん!」
「了解」
狩人が矢を放った。
それは矢をよけようとして魔法使いを追うのをやめる。
クラーケンの本体真ん前まで飛んだ魔法使いが、手にした人形を投げつけた!
「今だ!頼んだぜ!」
「ガキ!」
「うん!」
勇者は剣を構えて、剣士は手を向けて。
そして同じ魔法を口にした。
「浄炎!」
二人が繰り出した魔法が人形に当たる。
それは“青の国”で、澄まし顔が見せた業炎に近い威力で、クラーケンを炎で包んでいく。
香ばしい匂いが辺りに広がり始め、そして本体は真っ黒になった。足が力をなくしたようにビチビチと床を這っている。
「やったぁ!」
特に何もしていないゆる僧侶が喜んだ。
その声に続いて皆が喜ぶ中、人形使いだけが喜べないといった顔で黒焦げになったクラーケンを見ている。
「……おい、役立たず」
「何、剣士くん」
「俺様についてこいよ。魔王を倒すとこ、特等席で見せてやっからよ」
「……うん」
人形使いは目を閉じて上を向いた。
「オイラ、楽しみだよ」
零れた涙は、この浮かれた空気の中、きっと誰にも知られはしないんだろうな。
……あ、魔法使いは!?
「おーい、その足取っとけよー!ツマミによさそうだー!」
海から声が聞こえて勇者が覗き込むと、顔だけ出した魔法使いが手を振っていた。
てか足食べるつもりなの!?
まぁ、僕も翌朝食べたんだけれど。